
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
主君に準じたり、無念のための自死であったり、刑罰として命じられたり、切腹を行う理由はいろいろありました。
また、江戸時代の後半になると、刑罰としての切腹は自分で腹を切るのではなく、三方に載せた切腹用の短刀に触れた時点で、介錯人が切腹者の首を切り落とす斬首刑になっていました。 よって、刑罰として切腹を命じられた場合、命じられた者が拒否しても、多くの人に取り押さえられてむりやり切腹装束を着せられ、短刀を載せた三方の前に座らされて短刀に手を伸ばさされて、その時点で介錯人が首を切り落として、無理やり処刑されていました。 また処刑されるものが短刀を振り回して抵抗する場合もあるので、三方の上に短刀ではなく、扇子が載せられる場合もありました。 因みに三方とは以下のような台です。 四角ですが、三方です。
No.6
- 回答日時:
>武士が切腹を拒否
切腹は、武士に対する刑罰ですので拒否できないです。
もし拒否すると、武士でないことを認めることにもなります。
武士にあるまじき犯罪を行った場合は、切腹ではなく一般人と同じ死罪となることもありました。
江戸時代では時代が進むにつれて武士が官僚化して、”切腹”を言い渡されても切腹で刑が執行される訳ではなくなります。
自分で自分の身体を傷付けるわけですから痛いですし、官僚化で度胸のない武士が増えていて怖気づいて刑の執行が面倒になると、服毒をして切腹となったこともあります。
江戸時代なら、拒否した場合は、服毒ですね。
さらに江戸時代、段々と儀式的になり、目の前の置かれた”四方”に初期は短刀が置かれてそれで切腹しようとする時に、介錯が行われていました。
中期以降には、四方に扇子が置かれていて、その四方に手を伸ばした時に、介錯が行われるというように、本当に切腹する訳ではなくなりました。
それでも最初の頃は、扇子をお腹に当てる仕草をしたとか…。
時代劇でよくあるような切腹ではなく、仕草だけの形式的なものになっていたのですね。
学生時代、法学講義の時、法学の教授が切腹の作法を熱く講義していたのを思い出しました。
この回答へのお礼
お礼日時:2020/03/15 20:06
小説 流人道中記は、切腹を拒み流人となった武士の話のようなので事実なのか気になり質問しました。やはり武士として死ぬしか選択肢はなかったのですね。
ありがとうございました。

No.4
- 回答日時:
切腹とは「自分で自分の責任を取る機会を与える」という救済策なのである。
刑罰ではない。
武士にとって責任を取るとは死ぬことである。
切腹で死ねないなら打ち首である。
打ち首は武士にとっては刑罰で、不名誉な死だった。
当然、武士にとっては自分の命よりも重い家名にもヒビが入る。
まあ、そこまですると周囲の者にも影響が及ぶから、たいていの場合は
「無理やり死なせて切腹したことにする」
ということにしたけどね。
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