牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

こんばんは 初めての質問です

今は浪人と書いていますが、昔は(今でも一部の書物には)牢人と書いていましたね。
だけど牢人では、自分の持っている浪人のイメージとはまったく違うような・・・。
単なる当て字なんでしょうか、それとも牢人と書かれるそれなりの意味があったのでしょうか。

しょうもない質問ですが、ご回答くださればと思います。

A 回答 (5件)

広辞苑によると、


浪人は、牢籠(ろうろう)人の約で、「牢人」とも書くとのこと。
だららこの場合の牢人は、入牢者の意味ではありません。
(古代)本籍地を離れ他国を流浪する者、浮浪人、
(中世~近世)主家を去り封禄を失った武士、
(現代)入学試験に不合格となり、学籍を持たないで、まだ入学を志している者、
という意味においては全部おなじ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
ここへ質問する前に、ネットや手持ちの辞書を調べ、
回答をいただいた後も調べなおしたのですが、
牢籠人の約とはどれも記述していませんでした。
牢籠の項を読んでも、これが牢人に繋がるとはピンと来ませんでした。

広辞苑、結構使えそうですね。本屋で立ち読みしてから購入を考えます。

お礼日時:2007/02/08 21:38

蛇足の補足ですが。




山南敬介は一般には『やまなみけいすけ』ですがnenbutu0011さんが
おっしゃられている事と同じく、彼も手紙に三南と書いている事で
『さんなんけいすけ』という読み方が本当は正しいのだろうと
推測されています。
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牢と言う字ですが、すぐに「牢屋」「牢獄」といった「罪人を閉じ込める」といったイメージになってしまいがちです。


しかし、漢語辞典では「牢」には「さびしい・うつろ」といった意味もあることが明記されています
牢落…まばらなこと・おちぶれること
牢騒…思い通りにならず不平なさま
などの言葉もあるようです。
浪人の定義について、また、浪人は武士と言えるか否かについてはその時代時代によって変わってきますが、例えば戦国時代においては武士・浪人・町人の区分はあいまいで、(江戸時代に比べれば)武士になること、仕官することは実力さえあれば困難ではありません。
藤堂高虎などは確か、10回くらい仕官先の大名を変えていたと思います。豊臣秀吉は農民身分をから大出世し、武士(大名)になった最も有名な人物ですね。

しかし、江戸初期に入ると徳川幕府によって潰される大名家が大量にあり、まずこれによって浪人が大量に発生しました。
仕官して再び主家から禄を貰うようになればまた「武士」になれるわけですが、大阪の陣で大量の浪人が徳川に歯向かったこともあり、幕府は浪人に対し再仕官の制限など厳しい制度を新たに設けて弾圧します。
(由井小雪の乱に繋がってゆきます)
これにより、戦国時代に比べて「再仕官」は非常に困難な狭き門になります

なろうと思えばどこかしらの家に仕官できた時代は終わりました。士農工商の身分分別が厳しくなり、浪人=武士とは言い切れない時代に変わります。
「武士とは言えない。しかし、町人とも言い切れない」
仕官できれば「武」できなければ「農工商」
つまり、士農工商のどこにも属さない中途半端な身分になってしまうわけです。
→士農工商どこにも属さない→前述した「牢」の意味である、
「おちぶれた」どこにも属さない「うつろ」な「思い通りにならない」身分…ですね。

浪人をあえて「牢人」と書く書物や歴史学者などがいますが、このような考えからではないかと私は推測します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

実は今日、閉館間際の図書館に飛び込み、歴史辞典をいくつか調べてきました。
それを要約すると、
浪人は郷土を離れ、流浪する百姓の意味で、奈良時代から使われていた。
牢人は、(武士が)領地や地位・俸禄を失って落剥することを牢籠といい、牢籠している人すなわち牢籠人がつづまって牢人となった。室町時代より使われる。
よって本来は別儀の言葉である。しかし「牢人は字さへあさましき穴冠、牛か午かと人に言はれて」などとさげすまされる牢の字を嫌い、
音の相通ずることから浪の文字がもちいられ、江戸中期以降は浪人が一般的になった。

なんだよ、質問しといて、回答も書くのかよ、とお怒りの向きもございましょうが、皆様のご回答をいただかなければ、このまま知らないままに終わったと思います。
No5の方を含め、再度お礼を申し上げます。

お礼日時:2007/02/09 22:00

江戸時代までは漢字の音が同じであれば、どの漢字を使うかを


あまりこだわりませんでした。
新撰組に山南敬介(さんなんけいすけ)という人物がいますが
手紙に自分の名前を三南敬介と書いた場合があります。
また、新撰組にいたっても『新撰組』、『新選組』と両方の
表記が当時より混在しています。
自分の名前の漢字さえこだわらない風潮がありましたので
当時の資料に浪人、牢人が混在している事実があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

辞書などが無ければ、牢人と書くより、浪人と書くほうが、自然に感じますよね。

山南をさんなんと読むのは始めて知りました。
そういえば、漢字にこだわりが無いため、たとえば土方歳三。
普通ならさいぞうと読むのに、
手紙などで、利三とか年蔵とか書かれていることで、
現代の人はひじかたとしぞうと読むことが出来る。と書いていた文章を思い出しました。

お礼日時:2007/02/08 22:00

吉川英治はその代表作「宮本武蔵」で「牢人」のほうを使っていますが、


その「宮本武蔵」の中のわりと最初のほうに、作者自身が、
「世間では『浪人』と書くことが多いが、私はかくかくしかじかの理由で
 『牢人』のほうが正しいと考える。」と書いている箇所があります。

肝腎の「かくかくしかじか」の部分が、手元に資料がないので
ここにお示しすることができません。ゴメンナサイ。

もし、ご興味があれば、ご一読を。

以上、ご参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

下の方へのお礼でも書いたのですが、
牢籠人の訳というのは間違いないでしょうが、
いまいちスッキリしません。
もう少し詳しく知りたいので、
日曜に図書館へ出かけて、宮本武蔵を読もうと思っています。

お礼日時:2007/02/08 21:46

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