A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
たぶん、由緒を語れる名品の価値が上昇し、刀の出来の良い程度のものの価値を大きく上回っていたという事情もあったのでしょう。
戦国期には刀はゴロゴロあるし、いわゆる名刀は増えるわけはないので、名物/名品/由緒ある茶器の価値を上げて、褒美にふさわしいものにしたのでしょう。
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https://sengoku-his.com/727
信長は茶会の場に政治的な意図を込めるために、茶会で飾られる名物茶器を「政治的調度品」と位置付けていました。
名物は権威の象徴となり、時には一国一城と同等の価値をもつものへと変貌していきました。つまり信長は、合戦で戦功をあげた武将に対して国や領土を与えるだけでなく、価値のある名物を与えることで信長からの信頼の厚さを示したのです。
さらに信長は、自身が与えた名物を飾って茶会を行うことを一部の家臣にのみ許可するなどして、家臣の中にある種の格差、ヒエラルキーを作り出そうとしていたのです。
永禄12年(1569)、信長は京や堺で金や米の代わりに名物を強制的に収集する、いわゆる「名物狩り」を行いました。その奉行を丹羽長秀とともに務めたのが友閑です。
「名物狩り」という言葉の響きから、手当たり次第に名物を収集していったととらえられがちですが、権威の象徴ともなる名物には、それにまつわる由緒が大切と信長は考えていたようです。そのため、茶湯に造詣の深い友閑は、名物茶器の目利き、その由来の調査、そして信長のお眼鏡にかなう名物の厳選調達を任されていたのだと考えられます。
信長の茶会においては、信長に代わって点前をしたり、亭主として信長の茶会の指揮に携わったりしながら、茶会で用いられた名物茶器の由緒を客に語り聞かせることで、名物の政治的価値を高めることに寄与していたのでしょう。
No.7
- 回答日時:
領土から茶器ですね。
刀も、たまに褒美になることがありました。信長の時、有能な部下は適所適材で、常に合戦をさせたい。領土なんか与えたら、引きこもって合戦への参加拒否されそうだから。で、領土の代わりに茶器と茶会を開く権利を。
No.6
- 回答日時:
分け与える領地が無いからです、領地が無くなると、現金を与えますが
戦続きで財政が困窮してますので、与えられません、朝廷に願い出て
領地が無い、筑前守などの官職名を貰い、配下に授けます。
朝廷は無尽蔵に官職名を出しません、次は茶会を開ける権利の象徴の
赤傘を与えます、次が刀です、茶器は所持している事が支配者の証
ですから、他の大名から進呈される事はあっても、配下の武将に
授与はしないでしょう。
兎に角、トップの人間は配下の御機嫌を取るのに、あの手この手と
用いるのです。
No.5
- 回答日時:
刀から茶器に変わってはいないよ。
関ヶ原でも大坂の陣でも主から短刀などを貰った家臣がいる。
合戦後、武将は功あった配下に、とりあえず短刀とか甲冑の一部とか身の回りの物を与える。
これは「あとできちんとした褒美をやる」という証拠。
「きちんとした褒美」とは土地。
武士は土地に拠って立つ者。
土地以外の褒美はありえない。
しかし、信長後期ともなると与える土地が不足してくる。
あまり配下に土地を与えすぎては自分の影響力が弱くなってしまうし、それでもあまりある土地を得ようと思えば、後の秀吉の北条征伐のように、大大名をまるごと殲滅しなければならなくなる。
そこで信長は土地の替わりに茶器を与えることにした。
茶器をランク付けし武将にも茶会を主催するのを原則禁じ、茶の価値を意図的に高めていった。
涙ぐましい努力である。
武将に茶会を許すのは一定の戦功があった場合であり、たとえば光秀は丹波を平定した段階で茶会を許された。
No.4
- 回答日時:
褒美で刀を授けたことはありません。
武士の褒美は土地ですから戦って自分の土地を貰う事です。褒美を与える土地がないから韓国まで足を伸ばしたのです。茶道具にしたのは信長の策略。千利休と言う人を使って価値を高めたからです。大河ドラマ、黄金の日々にもルソン助左右衛門のフィリピンで作った水瓶を利休が目利きをしたからと何千万両で大名が買い取っています。No.3
- 回答日時:
戦の褒美は刀じゃないです。
土地です。所領です。それが鎌倉時代から続く武士の掟でした。しかし戦の褒美として所領を与えるという行為は、自国の勢力と敵対勢力の規模が、ほぼ同数であった場合には成立します。戦国時代も後期になると、自国勢力10万の大群で、敵国1万を叩き潰すような事を行います。そうすると攻め込んだ人数に対して、獲得する所領が少なくて割に合いません。
ところが信長という人は賢い人で、茶器に所領と同程度の価値をつけました。この茶器を持っていれば、所領○万石に匹敵する、というような価値を。
武士の世界は、ヤクザ同様に面子の世界ですから、1万石相当の所領を持っている武士よりも、3万石相当の茶器を持っている武士の方が家格が上で偉いのです。
そういうシステムを作る事で、所領が不足しても、茶器を与える事で、家臣の論功行賞を上手く回す事ができました。
No.2
- 回答日時:
褒美は領地を与えるものだったが土地には限りがあるので替わりに茶の湯を盛んにして茶道具に千金の価値を付け領土の代わりにした。
一種の錬金術を生み出した。天才的発想。茶器バブルを編み出しました。千利休の入れ知恵かもしれません。利休にも茶器の鑑定や取り扱いで大いにメリットがありました。現在の紙幣もただの紙に金額を刷り込んだもに価値を与えているのと同じ。
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