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よく韓国の方々がおっしゃるのですが太古朝鮮半島からの渡来人が日本に居つき
日本を統治、又さまざまな技術を伝えたと言うのですが、古墳時代以降飛鳥、奈良
時代の日本人の名で蘇我氏、藤原氏、ナカトミ氏等は出ますが半島の方の名、金
李、朴などの名が出てきません。しかも遣隋使、遣唐使は習いましたが半島に使節
を送って知識、技術を得ようとしたとは日本史では見受けられません。人によっては
逆に半島の方が中国、日本から知識技術を得たとか、半島経由の技術知識は二流
で役に立たない事から直接中国に使節を送るようになったとか言う人もいます。
歴史家、学者の間での現在の主たる学説はどうなのでしょうか。韓国の方がおっしゃる事が
本当だとしたら、日本人も真摯に受け取ってもっとお互いが仲良く出来るのじゃないでしょうか。

A 回答 (6件)

 史料上の記載として「遣新羅使」の名前は文献上で確認することができます。

また日本における仏教の移入は百済の聖明王の時代つまり552年とする説(書紀を典拠とする)ともう一つ538年(上宮聖徳法王定説および元興寺縁起を典拠とする)の見解があり、何れも6世紀のこととなります。
 古代での朝鮮半島との国交関係が途絶えた背景として、律令制度の問題があります。日本が移入した律令システムのモデルは隋唐のそれを規範としたものであり、従来の見解では朝鮮三国には律令はなかったとされていました。しかしながら近年の「四川モデル」に見られるビリヤード理論及び朝鮮古代史研究の進展により朝鮮三国にも律令に類するモデルがあったとの見解も一方にはあります。律令を移入する意味で相手を朝鮮半島から中国に替えたことも想像に難くありません。
 しかしながら一つの文化として見た場合、たとえば全国各地にある白山神社も延喜式等の史料に依れば百済系の神社であることも知られています。
 文化の定着と伝播の問題に関しても、オリジナルのモノがそのままに現地に定着したケースもあれば、オリジナルが現地にあった元々の文化と融合する形で独自の形を形成する場合(白山神社の事例)もあります。1970年代、飛鳥の高松塚古墳の壁画が発見され、そこに描かれた人物像の服装などから古代の日本と朝鮮半島の文化的往来が盛んであったことも論証されています(武寧王陵などとの類似点)。他にも仏教文化の上で、聖徳太子に仏教を講じた人物とされる恵慈も高句麗からの渡来僧として知られています。
 こうしたことを話すと反発される方がいらっしゃることも確かですが、何れは東アジアもヨーロッパ同様(ドイツとポーランド、ドイツとオランダの関係など)に、歴史認識を共有する時期が求められ必然的に訪れることも確かです。ヨーロッパでは理性的な議論がなされてもアジアではそれが中々に叶わないことは不幸な現実であるともいえると考えられます。文化として受容しそこに独自性を加味して育み、それを今度は逆に輸出する形で送り出したならばそれでどちらが文化的に優越性を有するか、などは取るに足らない問題レベルにしかならないと思われます。
 
 

 
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また、


当時は高句麗(ツングース民族)が隋の10万の大軍を延べ4回に渡って撃退した事が原因で
隋が滅亡すると言う大事件が発生しておりました。

高句麗は百済と組んで新羅(朝鮮民族)を攻めますが、
白村江の戦いで百済が滅亡した為、高句麗は孤立し滅ぶのです。

その結果、朝鮮民族と中国の支配力が強くなったと見て良いでしょう。
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「日出る処の天子様」


は同じ冊封を受けている朝鮮を師と仰ぐ事は難しかったと思います。

百済は仏教を日本に紹介します。

世界(アジア)は既に殆どが仏教を信仰していました。
日本だけが異教を通す事は難しいと言う世界情勢がありました。


百済は日本より進んでいる事を強調していました。


白村江の戦いの4万の派兵は愚策を大きく通り越しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91% …


滅ぶ寸前の百済に4万を派兵したのは朝鮮半島進出及び利権確保が大きな狙いですが

大失策。


これ以降は

蝦夷と朝鮮との分断を目指します。(日本海の蝦夷だけを集中的に滅ぼします。)
律令政治による中央集権国家を目指します。

ただ戦で土地を広げるだけの国家から法治国家へ。
この時点でようやく日本の政治にビジョンが見えたと言って良いでしょう。
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>古墳時代以降飛鳥、奈良時代の日本人の名で蘇我氏、藤原氏、ナカトミ氏等は出ますが半島の方の名、金、李、朴などの名が出てきません。



 蘇我氏は、百済系渡来人ではないかという説が一応あります。
 (家祖が神功皇后の三韓征伐(朝鮮征伐)などで活躍した武内宿禰であったり、系譜に現れる名前などから…。)

 真偽は兎も角、他の豪族との争いの中で渡来人の文化・技術などを利用した一族であるのは間違いないので…。

 半島系渡来人で帰化した有名氏族でいうと、秦氏が有ります。
 聖徳太子のブレーンとして活躍し、京都最古のお寺である広隆寺を創建した秦河勝などがいたりします。

 ちなみに、この一族の末裔には惟宗氏(派生氏族には、薩摩島津氏や対馬宗氏など)や土佐長宗我部氏や皇室の下で雅楽を継承してきた東儀家などがあります。
 (元内閣総理大臣(第80代)で民主党最高顧問の羽田孜もこの氏族)

 まあ、いくら渡来人だからといって帰化した以上、天皇の臣民ですから氏姓を賜る訳で、名前が朝鮮系でないのは仕方ありません。
 (そもそも、拘る必要性が彼らには無いでしょうし…。)

 なお、技術は兎も角、仏教関連に関しては百済の聖明王が、中国の梁武帝の歓心(東方伝播の実績をもって仏教に心酔していた)を買うこと等を目的に、日本へ伝播したのが仏教公伝(552年)とされます。
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歴史に残る時代については、朝鮮からいっぱい人が来ています。


でもその前においては、日本から教えに行っています。
日本には古代文字が有って、その文字が難しくて読めないので漢字で記した。ということが古事記に書かれています。
日本は非常に古い国です。
教育勅語にも、国をはじむること広遠にしてとあります。とても2500年前ではないのです。
韓国のハングル文字は、まだ900年ほどしか経っていません。
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日本の文化の由来は幾つかあります。



まず、日本古来の、日本発祥の文化、てのが
あります。

次に他から伝達された文化、てのも当然にあります。
昔は中国からのが多かったですね。
漢字なんてのはその最たるものです。

その文化が日本に伝わる経由ですが、中国から直接
来たものもあり、半島経由で伝わったものもあります。

伝わる方法ですが、書物で、留学して、外国人が帰化
、渡来して、と色々です。

だから、半島から、というのはあながち間違いでは
ありません。

ただ、日韓で仲が悪いのは専ら韓国側に問題があるのです。
韓国は、日本に文化文明を伝えてやったのに、どうしても
日本に敵わない。
これは我慢できん、ということに由来している反日だからです。

よく、韓国併合が原因だ、という人がいますがそれは間違いです。
あれは、韓国から頼んできた、ということを除いても、併合以前から
韓国は激しい反日の国だったのです。
西郷隆盛の書見にもあります。
「あの反日感情の激しい韓国に・・・」

江戸時代の朝鮮通信使の日記にも反日が伺える記述が
残っています。
元寇は渋るモンゴルを説得して、日本を侵略させたのは
時の朝鮮王「忠烈王」でした。

反日の国を好きになれ、というのは難しいでしょう。
韓国が文化経済科学などで日本を凌駕しない限り
日本と韓国が仲良しになるのは難しいと思います。
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