
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
孝徳天皇が7世紀の半ば、朝鮮三国の使者に対し、「日本天皇(にほむすめらがみことらま)」という御名で詔書を発したのが、おそらく我が国が自国を「日本」と表記した最初の例でしょう。
8世紀初めの古事記や日本書紀はこの国のことを「倭(やまと)」「日本(やまと)」と表記していますが、いずれもニホムではなくヤマトと訓みます。ニホンではなくニホムと言うのは、当時の日本人は「ん」の発音がうまく言えなかったからだと思います。また「ホ」の発音は万葉仮名の当時のシナでの読み方から「フォ」或は「ポ」に近かっただろうとも推定されています。孝徳天皇が外国の使者に対し、この国をヤマトではなくニホムと表記したのは、朝鮮三国は漢字を用い、漢語をシナ語に近く発音していたからでしょう。この国をヤマトと呼ぶなら「邪馬台(ヤマト)」と書けば、三国志は朝鮮人もよく知っていたので、そのまま通じたでしょうが、当時の日本人は「邪馬」に軽蔑的な意味があるのを知っていました。
しかし、日本の国名「日本」をヒノモトと訓む例は江戸時代中期以降です。もちろん万葉集などには、「ヒノモトのヤマトの国の・・・」などという表現が出てきますが、このヒノモトは国の名前ではなく、文字通り「お日様の下にある」という意味で使っています。国号としての「日本」はシナや朝鮮に対しては「ニホム」、国内では「ヤマト」と訓み分けていたことになります。ヒノモトとも訓んだのは近世以降です。
No.3
- 回答日時:
国名としては、最初から日本は”にっぽん”(あるいは”にほん”)です。
日本の大和言葉が”ひのもと”です。”にっぽん”というのは”ひのもと”という意味だよ、ということです。そのように呼ばれていたわけではありませんが、隠語のように”ひのもと”と書いて日本を連想させることはあったでしょう。
日本の前は大和(やまと)ですが、和は倭であり、倭が大きく一つにまとまって大倭となり、倭の字を好字の和に変えたのが大和です。なので大和というのは、もともと中国の人が(勝手に)付けた名前なので、自分達で付けた名前に変えると言って作ったのが日本という国名です。
で国名の大和言葉は”やまと”なので、大和も日本も、日本語(大和言葉)では”やまと”と読みます。ヤマトタケルノミコトが日本武命と書かれることがあるのも、そのためです。
この回答へのお礼
お礼日時:2015/09/17 11:15
ご回答ありがとうございました。
変遷が複雑なので、私は正しくに理解できたか心許ないのですが・・・。
最初、国名は“やまと”だったのですね。そのやまとに、漢字としては、”大倭”・”大和”が当てられていたのですね。(後世は”日本”も”やまと”と読まれたのですね)
その後、国名が”ひのもと”に変わり、漢字としては”日本”が当てられたのですね。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
結局、軍艦島に朝鮮半島出身の...
-
朝鮮時代の染色技術はあったのか?
-
韓国李朝、チマチョゴリ、胸を...
-
朝鮮半島を分断させた責任は日...
-
戸塚宏って北朝鮮出身らしいで...
-
新元号は、「高麗」を推してい...
-
朝鮮総督府の配置
-
歴史上日本の領土が一番広かった時
-
「日本海は天然の要塞」論はお...
-
通訳の起源
-
日清戦争
-
韓国人の方はA型の血液型の方が...
-
朝鮮の独立協会が建てた独立門...
-
江戸幕府が丙子の乱に関与しな...
-
中国と清の違い
-
日本×中国のクオーターについて...
-
日中戦争で日本軍が戦った相手は
-
台湾は中国の一部?
-
辛亥革命で満州族はどうなった...
-
日本の植民地だった国の一覧
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
結局、軍艦島に朝鮮半島出身の...
-
もしロシアが19世紀後半から20...
-
脱北者
-
朝鮮時代の染色技術はあったのか?
-
ヤンキー全盛期、朝鮮高校について
-
高齢の著名人が 満州、朝鮮生ま...
-
日清戦争で日本が負けたら、 そ...
-
満蒙は日本の生命線ってどうい...
-
古代、”日本”は、”ひのもと” ...
-
「日本海は天然の要塞」論はお...
-
通訳の起源
-
年末年始になると母親がブチ切...
-
日本の侵略者が 韓国の職人をさ...
-
朝鮮八道の気質を表現した四文...
-
朝鮮戦争再開なら日本は景気が...
-
朝鮮の陶工
-
韓国李朝、チマチョゴリ、胸を...
-
戸塚宏って北朝鮮出身らしいで...
-
日清戦争観
-
歴史上日本の領土が一番広かった時
おすすめ情報