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1636年に起きた丙子の乱の際は、李氏朝鮮から江戸幕府へ援軍を要請することも検討されたようですし、その後、明からも江戸幕府に援軍要請があったようですが、江戸幕府はこれらの動きに全く関与していません。

単純に考えると、豊臣秀吉の朝鮮出兵で痛い目にあっているので、関わりたくなかったのだろう、と思いますが、もっと深い理由があれば教えてください。

なお、丙子の乱では50万もの人々が奴隷として連れ去られたり、戦後の三田渡の盟約は、李氏朝鮮にとって非常に屈辱的な内容でかなり悲惨なことが起きていたようです。

A 回答 (4件)

日本が関与しなければならない理由がない。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

丙子の乱は徳川家光の時代に起きていますが、1634年に日光東照宮の大改修を行っています。日光東照宮を見るとわかりますが、家康を神格化するために明の権威にすがっています。
それにもかかわらず、明からの支援要請には応じておらず、清とも関わっていません。

なかなか、すごいな、と思いました。

お礼日時:2022/08/30 01:06

家康の時代、外国といえば、東南アジア経由でくる西洋諸国との貿易。

朝鮮半島はスルーでした。
その後、接点を長崎に限定、じょじょに鎖国モードに入ります。
幕府としては、関与したくなかったでしょう。
当時は、合戦で活躍するとご褒美に領地をもらえるという考え方。
わざわざ海外に援軍送っても、褒美にする領地が手に入らないのだから、メリットがありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一点気になったのはご褒美の件です。
この頃の国内では、徹底した減点主義で取り潰しが横行していたと思います。

お礼日時:2022/08/29 07:15

日本の歴史を見ると西方政権の時は、大陸・半島に関心が高く関与したがるのですが、東方政権の時は、大陸・半島に関心が低く関与したがらない傾向があります。

江戸幕府は、東方政権であり李氏朝鮮は対馬藩に丸投げ、琉球王国は薩摩藩に丸投げです。これに対し豊臣政権は、大陸に興味満々な西方政権です。三別抄の乱でも反乱政府は鎌倉幕府に支援を要請したのですが東方政権の鎌倉幕府は事情が理解できず黙殺しています。この東方政権・西方政権論は私が独自に唱えている説ですけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

面白い内容だと思いますが、日清戦争から続く満州事変とその後の悲惨な負け方にはあてはまらないのが残念です。

お礼日時:2022/08/29 07:12

単純に朝鮮に関わって得るものがない。

ハイリスクノーリターン。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/08/29 07:18

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