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弥生時代の日本と朝鮮の関係
韓国のドラマをみて感じたことは日本語と韓国語がよく似ているということ。
そのとき思った疑問。
1.弥生時代の日本と韓国では、どちらが文化が進んでいたのか?
2.言葉について、朝鮮語が日本語に影響を及ぼしたのか、日本語が朝鮮語に影響を及ぼしたのか?
3.弥生時代の朝鮮に日本人村、あるいは日本に朝鮮村があったか?
4.日本人のルーツは、弥生時代初期に日本に渡った中国人、朝鮮人、南方系の人たちというけど、日本語に中国語の影響がほとんどないのはどうして?

A 回答 (6件)

弥生時代の日本と朝鮮の関係



韓国のドラマをみて感じたことは日本語と韓国語がよく似ているということ。>>>う~ん、日本語と朝鮮語が似ているといわれましても、似ていますかねぇ。

 まぁ、日本語も朝鮮語も『借用語』(外国語から借りてきた単語)が多い言語ですからね。韓国語は日本語より借用語が多いのですね。日本も韓国も借用先は『中国』です。韓国語の借用語率は一説によると80%近いそうです。日本語の場合は60%程度が借用語だと聞いたことがあります。

 この借用語の日韓の差は何かというと、朝鮮語・韓国語が『日本語からの借用』がかなり多いということがあります。政治用語、医学用語、経済用語、哲学用語、法律用語などの用語のほとんどは日本人が作った単語です。これは中国人の使う中国語も同じです・・・中国の体制・・・『共産主義』という言葉も日本人の発明です。というわけで、韓国人が自国の言葉だと思っている言葉はほとんど中国語と日本語「日本漢字」だということですね。日本漢字の朝鮮への伝播ルートは、日本→中国→朝鮮というルートと、日本→朝鮮の二つのルートがありますね。

 では借用語を除く単語に共通性は無いのか?というと、確かに、言語学者の説によると、少数の単語には共通性がある可能性がありそうだ・・・神・・熊・・島・・とか、一部の数詞とか・・・しかし他の単語は聞いたことはありませんねぇ。

 しかし、韓国ドラマを見ただけで韓国語が分かるように勉強されるとは、スゴイですね。私もチャングムの韓国語バージョンを見ましたが、さっぱり分からなかった(汗)ですね。


 では、本題・・1. 弥生時代の日本と韓国では、どちらの文化が進んでいたのか?・・・・・
弥生時代(wiki)をみると、『水田稲作が入って来て豊かになった・・・』と書かれています。何処から水田稲作は渡来したかというと、中国大陸からです。その米を蒸す道具を発明したのも中国・江南の中国人ですが、その米を蒸す道具である『朝鮮式の甑(こしき)』を持ちこんだのは朝鮮半島の渡来人です。・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%91 当時の文明の伝播ルートは、中国→朝鮮→日本と、中国→日本の二つのルートがあったようですが、陸伝いの朝鮮の方が有利でしょうね。

 『文化』については、優劣は付けられないでしょう。日本には支配者も庶民も『歌』で恋心や自然を表す『歌垣』の風習があり、稲作と共に伝わったと考えられています。これは後の時代に万葉集として編集されるように続いています。「大和言葉」である日本語(万葉仮名)で書かれています。朝鮮半島には、そのような風習はありません。朝鮮にも郷歌というものもありますが『漢語』で書かれていますし、数が少ないですね。和歌と郷歌とは、似て非なるものです。

2.言葉について、朝鮮語が日本語に影響を及ぼしたのか、日本語が朝鮮語に影響を及ぼしたのか?
言語学者の『計算』によると、日本語と朝鮮語は、4000年~10000年前に分かれた言語だそうです。縄文時代に分かれたということですかね?一説によると『東アジア共通祖語』があったそうです。どちらが先か?というようなスケールの話ではないですね。

 そもそも、古代の高句麗語も百済語も新羅語もほとんど残っていないのですね。古代の日本語はほぼ完全に残っています。古代朝鮮語が残っていないが、日本語とそれぞれの朝鮮半島の言葉は違い『それぞれに通訳』が必要だったようです。朝鮮半島内でも違う言語が話されていたということは、当時共通語としての韓国語(朝鮮語)は存在しなかったということでしょうね。存在しなかった言語と大和言葉は比較出来ません。

3.弥生時代の朝鮮に日本人村、あるいは日本に朝鮮村があったか?
 それは分かりません。
 確かに、脳が出土した青谷上寺地遺跡の頭蓋骨の形は、朝鮮半島中部の遺跡の頭蓋骨と似ているようですが、その頭蓋骨の形は現代の韓国人の頭蓋骨とはまったく違うようです。

4.日本人のルーツは、弥生時代初期に日本に渡った中国人、朝鮮人、南方系の人たちというけど、日本語に中国語の影響がほとんどないのはどうして?
 日本語の基本は『縄文語』で、その言語をベースに当時中国・江南に住む人々(現在の江南では滅ぼされていない)が主に渡来した人々の言葉などが被さったからと考える人もいます。日本語の動詞の活用法が四段活用とか下二段活用とかに分かれているのは、その名残だそうです。朝鮮語の動詞の活用法はマッタク違いますねぇ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F% …
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 ドラマを歴史の勉強の参考になさるのは、少~し、ちょっとだけ程度になさる方がよろしいんですよ。


 特に韓国の歴史ドラマは時代考証メチャクチャのがいっぱいです。
 ヨン様の「大王四神記」の最初の頃をちょっとだけ見ましたが、あたり一面見渡す限りのお茶畑で主人公たちがしゃべっててビックリ。今の中国東北部、瀋陽とかあの辺の寒冷地に四方一面のお茶畑ってあり得ないでしょう。冬はマイナス何十度になる所ですよ。お茶って霜にもすごく弱い、南方産の植物。いくら韓国でここのところ緑茶がブームだからって。
 それは、置いといて。

 漢字の発音は似てます。元が中国のことばですから当然です。
 しかし、漢字じゃない部分の発音を見ると、現日本語と現韓国語は全く別系統の発音の言語です。
 読売新聞とか毎日新聞とかの newspaper の意味の「新聞」は、韓国語ではこれを「シンムン」という発音で使ってます。似てます。が、この単語は日本人が明治時代に作った「日本漢語」です。それを朝鮮が取り入れて今も使っているものです。
 明治期には朝鮮国が日本に派遣した国費留学生(朝鮮国の費用)がたくさん日本に来て、日本経由で西洋文明を取り入れました。その人達が日本人が作った「日本漢語」を朝鮮に直輸入させて広めました。
 おびただしい数の日本漢語を取り入れ、現韓国語から日本漢語を除くと現韓国語は成り立ちません。
 日本人が作ったことばの輸入は今も続いています。「成人病」「○○症候群」などの医学用語から「熱帯夜」「温暖化」などの科学用語・社会用語まで、幅広く輸入して使っています。日本への韓国人留学生はずっと途切れることなく、たくさん来てますからね。


3、 弥生時代に韓国も朝鮮人も存在してませんでした。他の回答者様がご回答なさってる通りです。

  朝鮮半島の南部と日本列島は似た文化もあり、交流があったようです。縄文時代までさかのぼると、日本本州の山で採れる石器が朝鮮半島や沖縄で発掘されてますね。高校の日本史の授業で習いました。

  弥生時代の終わりは、3世紀半ばくらいと定義する説が多いようです。卑弥呼が3世紀前半ですので、『魏志倭人伝』とかの書が手掛かりになります。
  『魏志倭人伝』に、倭人は文身(入れ墨 のこと)をしていると書いてあります。
  『魏志倭人伝』と同じ本に書かれている朝鮮半島についてのところを見ると、
  『魏書東夷伝馬韓条』(朝鮮半島の南西部)に、「州胡(今の済州島)の男子時々文身有り」とあります。
  『魏書東夷伝辰韓条』(朝鮮半島の南部)に、辰韓の習俗について「倭に近く、文身す」とあります。
  『後漢書東夷列伝第七十五』にも、馬韓条のところに「文身の者有り」。弁韓条のところに「文身の者有り」、とあります。
  しかし同書で、朝鮮半島でも北部諸国について書かれた「ワイ条」「東沃沮条」「北沃沮条」には文身の習俗についての記載はありません。
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2 だけ:


いくつかの単語については「朝鮮語から日本語に輸入されたのではないか」という説があります.
ただし, 日本語や朝鮮語の「世界の言語における立ち位置」というのはわかっていません. 文法的にはどちらも「主語-目的語-述語」の順でアルタイ諸語と同じですが, 基本的な語彙における相関性が認められないので日本語や朝鮮語をアルタイ諸語に含めるのは少数派. 日本語と朝鮮語ですら「別」とするのが多数派だけど, 「扶余語族」というものは提唱されているみたい.
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後半の質問についてだけ。



そもそも当時は日本にも朝鮮半島にも「国家」というものが存在しません。ですから、日本も朝鮮もないのですね。国家がないので国境線もへったくれもありません。
日本海から東シナ海にかけて、かつて「海の民」と呼ばれた「海の遊牧民」のような人々がいました。いわゆる「倭寇」と呼ばれる人々は実はこの海の民であったという説もあるくらいです。彼らにとっては、日本人も朝鮮人も中国人もへったくれもないのです。

また日本語のルーツについては結構謎があるそうです。ハングル語や中国語などとは文法の基礎からして違います。チベットの方だったかそっちの民族に忽然と日本語とよく似た言語を持つ民族があるそうですが、その相関関係についてはあまりに離れすぎていて否定的な意見のほうが主流です。
だから、「日本人がどこから来たか」はまだ解けていない謎であるのです。わかんないから、とりあえず「あちこちから来た」と無難な答えでごまかしているのです・笑。
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大変残念ながら、その質問自体成り立ちません。



その当時、朝鮮半島には韓国というか朝鮮人自体定住していないのです。
現在、朝鮮民族と呼ばれる人達が朝鮮半島に定住したのは、ずーっと後です。
(千年後ぐらい後です)
朝鮮人と呼ばれる民族が朝鮮半島に定着したのは12世紀頃と言われています。
日本の弥生時代は~3世紀頃までですから。

朝鮮半島には、様々な民族が定住しては去ったり滅んだりを繰り返して、
最後に定住したのが、今現在「朝鮮人」と呼ばれる人達です。

したがって、その当時存在していない国、民族とは比較できないのです。

ちなみに、弥生時代頃は日本と朝鮮半島には同じ民族が定住していた、と言われておりますので、
言語に関しては、どちらが影響を与えたというより、元々同じ言語だったものが、日本と朝鮮半島でそれぞれ変化して行ったと見るべきだと思います。

朝鮮半島の事だけを言いましたが、実はこれは中国も同様なのです。
島国の日本と違い、地続きの大陸は全く別の民族(文化や言語が違う)同士が国の興亡をかけて争っていたのです。
日本は同じ民族どうしですから、徳川家康が天下を取ろうが武田信玄が天下を取ろうが、
支配者が変わるだけで文化や言語には何の影響も無いのですが、大陸での戦というのは「外人」との戦なのです。ですから王様が変わると、しゃべる言語や文化が180度別の物になったりします。
これを何度も繰り返しているのですから、日本語と共通している文化なんかはとっくの昔に他の民族に駆逐されたものと考えられます。
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1.弥生時代の日本と韓国では、どちらが文化が進んでいたのか?



日本島も朝鮮半島も単一の国家がなかったので比較の根拠が無いと思います。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-79.htm


2.言葉について、朝鮮語が日本語に影響を及ぼしたのか、日本語が朝鮮語に影響を及ぼしたのか?

 これについてオンラインの何か参考になる物があるかと思いましたが、大したものはありません。井上秀雄『古代朝鮮』に3世紀以前の中国人の東方異民族居住地観、(言わずと知れた陳寿の魏志に基づいたもの)今の中国の東北に「扶余」その南に「高句麗」朝鮮半島の東北に「沃沮」元山のあたりに「さんずいに歳」、半島の南端に「辰韓」(今の慶尚道)中部に「弁韓」西海岸に「馬韓」があり、今の釜山のあたりに「倭」とあります。

 全部違った言葉を話していたようですから。これも簡単に比較は出来ません。


3.弥生時代の朝鮮に日本人村、あるいは日本に朝鮮村があったか?

 わかりません。1の回答をご参照ください。


4.日本人のルーツは、弥生時代初期に日本に渡った中国人、朝鮮人、南方系の人たちというけど、日本語に中国語の影響がほとんどないのはどうして?

 質問者さんのご質問にも、ここに僕が書いた文にも、中国から輸入した漢字があります。「影響」がほとんどないとは言えないのではないでしょうか。カタカナも平仮名も、もとはと言えば漢字です。
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