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日本史について
鎌倉幕府は源氏だと思うのですが、次の室町幕府の足利も源氏、徳川も源氏を名乗っていたと聞いたことがあるのですが、これは鎌倉幕府も室町も江戸幕府も血縁関係があるということでしょうか?それとも慣習か何かで源氏を名乗るということなのでしょうか?

A 回答 (7件)

源平交互史観というのがあります。



平安末、清盛をはじめとする平氏が事実上支配
源氏の棟梁、頼朝が幕府を開く
平氏の北条家が執権として鎌倉幕府の実権を握る
源氏の足利幕府4信長は兵士という説と藤氏(藤原氏)という説
平氏を称する秀吉
源氏を称する徳川

こうしてみると、源平藤橘のうち、橘が出ないな

ロシア・ソ連の権力者ツルフサ交互説と同じようなものだな。
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ご存知でしょうが、鎌倉幕府の源氏将軍は三大で途絶えます。


その後、実朝が後鳥羽上皇と口約束していた親王将軍を迎えようとしますが、後鳥羽は我が子も殺されると拒んだので、頼朝の同腹妹の子孫である摂関家の九条頼経が二代将軍頼家の娘である竹御所の婿として迎え入れられます。竹の御所は、頼経との子を出産時に母子ともども死亡してしまいました。頼経とその子頼嗣は、成長すると近習の御家人を側近集団に編成して執権北条氏と対立したために京に追放され、新たに実朝の遺命実現と親王将軍が迎え入れられました。北条氏は将軍を警戒し、成長すると京に返して新たな親王将軍を迎えるということを繰り返しましたが、元寇のおり、御家人の士気を鼓舞するために将軍を一時的に源氏に臣籍降下させて源維康と名乗らせました。
足利氏は正真正銘の清和源氏でもあり、初代の足利義康が頼朝の生母の妹を母としていたことから頼朝から可愛がられ、北条氏と姻戚関係を結んで権力闘争を生き延びてきました。
後世の人は「鎌倉幕府」「室町幕府」と完全に区別していますが、発足当時の室町幕府は、「鎌倉幕府」の継続再興という認識でした。滅びたのは幕府ではなく北条氏で、新たに足利尊氏が将軍になったということです。
室町幕府が滅びた後に天下人になったのが豊臣秀吉でしたが、秀吉は幕府の継続に興味がなく、新たな政治体制を築いたのです。
こうして歴史のごみ箱に遺棄された「幕府」を拾って再興したのが徳川家康です。松平氏は自称清和源氏の子孫だったので、家康は徳川氏に復姓したのです。当時から松平・徳川氏が清和源氏というのは眉唾と考えられてはいましたが、下剋上で、その手の詐称は当たり前になっており、咎められることはありませんでした。
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記憶違いを訂正。


嵯峨美智子は実在しない。

久我美子さんでした。
村上源氏の子孫。

嵯峨源氏は、武家貴族が多く、京都には子孫が多いだろう。
光源氏のモデルの一人、源の融融は武家貴族だが、後裔は地方で武家となる。

大江山のおに退治で有名な豪勇、源の綱つなは有名
渡辺氏の源流
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足利氏は源氏の末裔です。

これは間違いありません。

徳川氏について一般的な解釈では、源氏出身の将軍が続いたため将軍職は源氏に限ることが慣例となり、源氏でない信長、秀吉は将軍になれず、家康は将軍となるために源氏の末裔を称したということになっています。
しかし、信長、秀吉の任官については諸説あり、本当のところはわかりません。
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清和天皇の孫、源の経基が手柄を立てて、征夷大将軍に。


清和源氏の長男家、本家の家系。

https://www.e-keizu.com/images/kakeizu/seiwa-b.gif

。。。。。。参考に。
第50代天皇の桓武天皇は、奈良から難波、長岡などに遷都を繰り返し、京都に落ち着きました。

財産を使い果たし、生前は墓も作れませんでした。
 死んでから3か月後に墓ができたため、遺骸は腐ってしまいました。
 息子である、51代平常天皇、52代嵯峨天皇も遺骸を火葬にして、裏山の桜の木の下にまいたとも言われます。

次男、あるいは末の弟は(はっきりしない)、病弱で天皇にはなれませんでした。
葛原親王 → 高見王 → 「平氏」の氏姓うしかばねの称号を朝廷より下賜(かし)され、最初の武士になった。
平氏は、中国の故事に基づくものと聞く。

高見王には4人の兄弟があり、関東に4人は領地をもった。
そのうち、千葉房総に拠点をもった末の弟の孫が、「平の将門」
長男は、平清盛の系統を作る。

第52代天皇の嵯峨天皇の子孫も、天領などもないため、朝廷より源氏の氏姓を下賜され、武士として下野した。。
これが最初の「源氏」嵯峨源氏である。
 嵯峨源氏は、武家貴族となり、京都に住む。
  この系統の「源 融とおる」は、光源氏のモデルの一人、男前。
  (昔、嵯峨美知子?という美人女優がいらしゃった)

平の氏姓を下賜された、天皇の子孫は確か、5系統。
桓武平氏のみ有名か。

源氏は、21以上の天皇の子孫が下賜されている。
 多くは、分け与える土地も少なくなり、奥州源氏が多いようだ。


一般に知られる源氏は、第57代清和天皇の子孫。
 平将門の乱の平定や、蝦夷討伐から名をあげ、「征夷代将軍に」
 以後、清和源氏のみが、源氏の正統に。武家の棟梁。
 長男の家系が、義経、頼朝の家系。
 群馬、新田氏 徳川家康はこの系図に入れてもらった。関東源氏
 栃木、足利の足利源氏。

西郷隆盛など維新の立役者も、源氏を賜る。
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源氏も平氏も、増えすぎた皇族を整理して出来た武士という階級です。


武士という階級には、源氏、平氏、藤原氏、橘氏の4通りの氏族がいます。
彼らは、元々は皇族なので、遠い先祖が同じと言えますね。
特に、質問に挙がっている源、足利、徳川は、清和源氏と言って、56代清和天皇の子孫になります。

もっとも、徳川については、清和源氏の家系の養子になるという形をとって、清和源氏を名乗っているので、清和天皇の血縁にはなりません。
戦国時代には、この手の箔付けが多かったそうです。
織田信長や豊臣秀吉も、その時の気分や都合で、源氏を名乗ったり、平氏を名乗ったりしています。

因みに、鎌倉幕府は途中から北条氏が権力を握っていますが、北条氏は平氏の流れを汲んでいます。
鎌倉幕府は、どちらかというと、平氏なのかな?
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平家と源氏、その由来はよく知らないが


壇ノ浦で、平家は滅亡したんじゃなかった?
落ち延びて逃げた平家残党は、身を隠し
平家を封印したんじゃないのかな。
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