痔になりやすい生活習慣とは?

知人に平家落人ということで、先祖代々他の血を混ぜないように生活していたそうで、血が濃く天皇家の人に風貌や雰囲気がよく似た人がいます。
言葉使いも周辺地域とは違う話し方だったそうです。
名前を変えて隠れ住んでいたという言い伝えもあり証拠となるような系図もないので、有名な場所ではないですが、ほんとうのことではないかと思っています。
他の落人のかたもそうだったか、天皇家の人に似ているかなど興味あるので、教えてください。

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A 回答 (5件)

http://www.st.rim.or.jp/~ncc00315/
こんなページもあります。

参考URL:http://www.st.rim.or.jp/~ncc00315/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
隠れた史実もまだまだあるということでしょうか。
よほど身分を隠さなければならない人もいたでしょうし。
でもその人はとにかくそっくりなので絶対血が濃いと思います。

お礼日時:2006/06/10 22:15

こんばんは。



平家の人々と、平家方の武将とは、分けて考えた方がいいですね。

その天皇と似ている人は、平家の誰の子孫かわかりますか?

平家が壇ノ浦で亡んだ後、確実に平家の子孫といえるもので残ったのは、平時忠卿の子孫の系統です。

平時忠は、平家滅亡の後、死罪を免れ石川県に流されて、その後能登の地で開墾をしたりして、領主として幕府からも一目置かれ栄えました。子孫は現在まで続いています。

もう一系統は、落人ではなく、平頼盛卿の系統です。平頼盛は、清盛の異母弟。池の禅尼の子供です。母親の禅尼が頼朝を助けたことから、平家滅亡後、頼朝の援助を受け栄えます。都落ちもせず、京都に残ります。これは公家として続きます。

平家中枢部の人たちで、残ったことが確実なのは以上の二系統です。この人たちが現天皇家と似ているのであれば、一応の理屈は立ちます。ただ、実際には800年もたってるので関係ないとは思います。

あとは、基本的に平家そのものではなく、「平家方」の武将と言うことになると思います。この人達は、天皇とは縁戚関係がないことになります。家来でしかないですから。

その知人が平家のうちの、誰の子孫と言っているか、です。平家そのものの子孫なら、初代の人の名前が分かっているはずです。そして、その初代の人が平家の主立った人の中にいなくてはいけません。そうなると、生き残ったのは、ごくごく限られた人しかいないので、その人の子孫でなくては、話があいません。他人のそら似になってしまいます。
基本的に平家中枢部の子孫は、上記二系統以外にはないと見て良いと思います。あとは、残ったのは、女院とお坊さんだけです。

でも、武将の子孫とういことはあったのかもしれませんね。

この回答への補足

島倉千代子さんにも似ているので、朝倉家かもしれないと思いました。

補足日時:2006/05/15 17:54
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この回答へのお礼

その人の話では、石川県にいたそうですが有名な史実は残っていないそうです。
穏やかでにこやかで落ち着いて思慮深く根気強そうなようすや色黒(?)で…一番特徴的なのは眉毛が似ていると思いました。
系図は売買できたとか家紋も選べたとか聞きますし、
史実が残っていないことに疑問は感じないのですが。平家の落人ではなく平家といわれていた前田や徳川、織田家関係かもしれませんね。
天皇家同様血を混ぜずにいて、しかも似ているので、そう思いました。

お礼日時:2006/04/30 10:37

 他の方も言ってますが平家落人伝説は真っ赤な嘘ですよ。



だいたい北条(平家方)が牛耳った鎌倉時代に何故に隠れて生きねばならないのでしょうか?私の母方は源平合戦期には平家方として従軍しましたが、戦国から幕末まで京都を中心に活動してました。

ただ、近親結婚がつい70年前まで繰り返されていたので、遺伝障害が多少あります…笑
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1のご回答された方と同意見です。


平家落人というと良く言えばロマンあふれる話ですが、現在では全て「思い込み」か「冗談まじりの伝説」です。
私の父も、昔「うちは逃げ延びた平家のお妾さんが先祖だ」と笑いながら言ってました。それを本当っぽく私は友人に言ったら「確かにそうかも」と私の顔の作りがお公家っぽいと言って納得してました。
私の顔は、弥生人そのものです。このタイプはみんなお公家顔に分類されます。
一応言っときますが、父の話は子供をからかった嘘話です。

関ヶ原より東出身の人間が、平家の末裔と言ったらそれは確実に嘘です。平家落人伝説があるのは、中国、四国、九州の山間部か島に集中しています。そしてほとんどのそれは、鎌倉室町戦国時代に風化しました。
もし、本当に平家の血筋を残すために外部からの血を制限して現在までに至っているならば、近親婚からくる性格異常か誇大妄想の症状がDNA
に刻まれているため、その人が本気で言っていて(しかも本当だったら)その人には今後近づかない方がいいでしょう。
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例え実際に先祖が平家の落人であったとしても


天皇家に似てるというのはただの”他人のそらに”です。
遺伝的にいってあまりに離れすぎているので。
また安徳天皇の子孫は現在の天皇家には
血が入ってませんし、
桓武天皇までさかのぼったら、外戚を含めると
その系統は日本に何万人いるかわかりませんよ。

落人伝説の大半は、有名ではない平家一員の子孫で
天皇家との関係は無いに等しいです。

何となく天皇家っぽい顔の人ってのは結構いますから
顔かたちはあまり参考になりません。

そもそも人間の顔というものは遺伝的要素のみならず
後天的要素も大きいので
育ちや暮らし、病気の有無、普段の食べ物などで大きく違うでしょう。

ま、経験的に三親等血族ぐらいまででしょうね、
遺伝的に顔かたちが似てるのは。

あと、”先祖代々他の血を混ぜないように生活していた”ことが
天皇家と顔かたちが似てることの共通点だと思いますよ。

つまりはっきりいえば近親婚の結果ということです。

近親婚をすると特徴的な顔になります。
血が濃くなると知能低下や病気に弱くなったりします。
いとこあわせ、といっていとこ同士での結婚は
昭和前半の頃まで田舎ではよくあることでした。
遺伝学的にいうとあまり好ましい結婚ではありませんが、
そういう風習が昔はあったんです。

この回答への補足

近親婚知っていますしそれでも質問してみたんです。
ゆっくりした話し方や風貌などなど、言い伝えだけで系図がないらしいのですが似ているので。
まだ立証されていない史実がけっこうあると思いまして…

補足日時:2006/04/23 23:03
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Q平家の落人って・・・

最近、平家物語に興味を持ち出して本を買ったりネットなどでいろいろ調べたりして楽しんでいるのですが、そこで気になったことがありました。

ネットなどで「わたしは平家の落人の子孫です」と発言されている方がけっこういらっしゃるのですが、その方達はどちらかといえば清盛などの直系の子孫などではないのではないでしょうか?というのも、「落ち延びた」などという伝説は全国各地に残ってはいるものの、信憑性は不明で、主だった人物は壇ノ浦をなどでほとんど入水、戦死なさったりしていますよね。

例えば中流以下の平家方の貴族や、平家方について戦った平氏ではない一般人なども共に戦ったが故に「平氏である」と名乗た場合もあり、それが現代まで伝わっている場合もあるのではないでしょうか?


興味を持ち出してから日も浅いため思い違いなどもあると思いますが、このことが気になりだしてからここ数日、気がつけばこのことばかり考えてるので、ご存知の方がいらっしゃいましたらおしえてください。

Aベストアンサー

私は平家の子孫です。(らしい・・・かもしれない)
うちの先祖は平家方の武士のひとりで、どうも壇ノ浦敗戦以後、猟師になりすまして、ゲリラしていたらしいです。
源氏の監視がごろごろしている中、夜中に小船に乗って、平家物語で有名な入水自殺した安徳天皇の死体を引き上げて、赤間神宮というところにまつったそうです。(と、その昔、じいさんばあさんに教えられました。)
ひょんなことですが、ある日知り合いと話していて、その先祖の話をしたら、「あっうちの先祖もおんなじことした言い伝えがある!」・・・もちろん親戚でもなんでもないですから、そうすると何百年も前に、うちの先祖と貴方の先祖は同僚かなんかで、一緒にゲリラして、一緒に小船に乗って死体を引き上げにいったんだ!そして何百年たった今、その子孫が再会したんだ!ロマンだねぇ・・・って。
なんの回答にもなってませんでしたか。
こりゃまた、すんずれぃ致しました。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q「平家の落人伝説」について教えてください。

この場で申し上げてよいものかは疑問ですが、私は東京在住で旧姓は「喜多」といいます。

私の故祖父は今から100年ほど前(明治30年ごろ)に現在の徳島県池田市の山あいから瀬戸内を渡って本州へでて、そこから親戚を頼って上京したそうです。

去年私はそんな祖父の故郷を一度見てみたいと思い、一念発起して池田へ出かけていきました。

一昔前に甲子園を賑わせた池田高校の「山彦打線」に象徴されるようにとても山深いところでしたが、吉野川の清流がとてもきれいで昔話に出てくるようなとても静かなところでした。

伝え聞くところによりますと、私の祖父の生まれ育ったところは池田からさらに山あいに入った「東祖谷地区」といわれて下りますがそこは「平家の落人伝説」が残っているところだといいます。

よくこの「平家の落人伝説」という言葉を各地を旅行したときなどに聞きますが、「平家」=「負け組み」、「落人」=「差別民」などのイメージがありますが。。。

知っている人には大変基本的なことなのかもしれませんが、

「平家の落人伝説」というのは一般的にいってどのように言い伝えられまた受け止められてきているのでしょうか?昔の「新平民」や現代の「部落差別」的な意味も潜んでいるのでしょうか?

もっと砕けた質問の仕方をすれば、「私のおじいさんは平家の落人伝説の残る村の出身なんです。」と普通に人に自慢げに言える事なのでしょうか?

もしもご親切な方がおられましたらお教えいただけましたら幸いでございます。よろしくお願い申し上げます。

この場で申し上げてよいものかは疑問ですが、私は東京在住で旧姓は「喜多」といいます。

私の故祖父は今から100年ほど前(明治30年ごろ)に現在の徳島県池田市の山あいから瀬戸内を渡って本州へでて、そこから親戚を頼って上京したそうです。

去年私はそんな祖父の故郷を一度見てみたいと思い、一念発起して池田へ出かけていきました。

一昔前に甲子園を賑わせた池田高校の「山彦打線」に象徴されるようにとても山深いところでしたが、吉野川の清流がとてもきれいで昔話に出てくるようなとても静か...続きを読む

Aベストアンサー

私は四国に赴任しているとき、祖谷はよく行きました。すばらしい自然に囲まれたなんと美しいところでしょう。近くの大歩危、小歩危も雄大な景観ですね。四国の3大名勝と勝手に決めています。後2つは鳴門の渦潮、四国カルストですね。
平家落武者伝説は哀れを誘う悲しくもそれでいてなんとなく勇気を与えてくれる物語です。戦に敗れた平氏が追い来る源氏の恐怖にさらされながら、山の奥深くに世を忍んで生き延びる。「かずら橋」は源氏が渓を渡れないようするために、いざという場合に切り落としたそうですね。その渓底には温泉が湧き出でて、とてもすばらしい自然を満喫できますね。
さて、お尋ねの平家=負け組 落人=被差別 というのは確かに一部では言われています。しかし、この認識は誤りです。今でも残っていますが、被差別部落を存在さすための口実に利用されました。士農工商のまだ下に「エッタ」と呼ばれる被差別民を政策的に生み、民の不満の捌け口に利用されたのは事実です。
といって、なにも、被差別部落の人が悪いわけではありません。平家の
落武者であることを隠すことはありません。なんせ、平家とか源氏とかは1千年も前の、それこそ伝説の時代のことです。
確かに平家は負けたのですから、負け組でありますが、そんなことを現在になって問題にする人はいないでしょう。そんなことを言ったら、かっての戦争でアメリカに負けた日本人全員が負け犬です。他人のことを悪くいえません。むしろ、かっての名門の一族として誇りを持つべきでしょう。私はそう思います。

私は四国に赴任しているとき、祖谷はよく行きました。すばらしい自然に囲まれたなんと美しいところでしょう。近くの大歩危、小歩危も雄大な景観ですね。四国の3大名勝と勝手に決めています。後2つは鳴門の渦潮、四国カルストですね。
平家落武者伝説は哀れを誘う悲しくもそれでいてなんとなく勇気を与えてくれる物語です。戦に敗れた平氏が追い来る源氏の恐怖にさらされながら、山の奥深くに世を忍んで生き延びる。「かずら橋」は源氏が渓を渡れないようするために、いざという場合に切り落としたそうですね。...続きを読む

Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセ...続きを読む

Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Q「雑草対策」で、なにか植物、草花等植える方法はあるでしょうか?

家の敷地内の畑(100坪程度)での、雑草対策に頭を悩ませています。

本来、作物など作り、その過程で雑草対策をすればいいのですが、

仕事もあり、日々の暮らしもありとてもやれません。

一部、除草剤、草刈機などを使用してやってはいるのですが、
とても、追いつきません。

そこで、考えたのですが、例として、芝生等を張ったり、もしくは他の植物、草花等で、地面をはうようなものはあるでしょうか?

結論として、畑で作物の収穫などは考えていません。

ただ、なるべく除草剤は使わず、
そして、一番理想的なのは、
他の「植物」で、雑草を「駆逐」できないか?と考えた次第です。

そのような植物などはありませんでしょうか?

どうか、アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー

草取りは日々時間のある方が家にいるから管理できるのであって仕事の合間にするのは大変苦痛を伴いますよね。
 これから10月までウンザリするでしょう。

>他の「植物」で、雑草を「駆逐」できないか?と考えた次第です。
  残念ですが雑草にまさる他の植物はありません。 わたしもいろんなグランドカバーを植えていますがやはりそれらを植える前には完全に
雑草を一旦消し去る必要があります。
 特にスギナやドクダミなど地下茎の雑草は液状除草剤で駆除しないと
だめです。
 
 つまり今現在100坪に生えている草がそれ以外の多年草や1年草なら一度草取りをしてから繁殖力の強いグランドカバーを植えれば
雑草は気にならなくなります。

>そのような植物などはありませんでしょうか?
  グランドカバーになります。
 わたしが植えているのは
ヒメイワダレソウ:繁殖力がすごすぎて今は半分以上取り去りました。

ヒメイワダレソウツルヒメソバ:スポット的に植えたほうがいいですね。
http://kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-tsuruhimesoba_large.html
リシマキアオーレア:黄金葉が綺麗です。
http://www.rakuten.co.jp/gardensk/430279/438185/610623/610625/
ワイルドフラワー:多年草の混合です。 毎年咲きます。
 手がかからず隙間から生える雑草も気になりません。
 これがよろしいとおもいますよ。
https://www0.takii.co.jp/CGI/netshop/catalog/products/item/FZZ956/00000049

 余計なお世話ですが出来れば頑張って菜園付の和洋折衷の庭でも
 お作りになるとよろしいんですがね。 造園やさんに相談して
「楽しめる参加型のお庭」を作ってはいかがでしょう。

 つまり和風庭園のような鑑賞を目的とした庭ではなくパーゴラとか
歩きながら随所に色々な施設や置物を置いて楽しみ、場所によっては
家庭菜園としてのスペースを確保してキッチンガーデンにする・・・
とかですね。
 100坪全部無意味は雑草対策では芸がないとおもいますがいかがで
しょうか?。
 

草取りは日々時間のある方が家にいるから管理できるのであって仕事の合間にするのは大変苦痛を伴いますよね。
 これから10月までウンザリするでしょう。

>他の「植物」で、雑草を「駆逐」できないか?と考えた次第です。
  残念ですが雑草にまさる他の植物はありません。 わたしもいろんなグランドカバーを植えていますがやはりそれらを植える前には完全に
雑草を一旦消し去る必要があります。
 特にスギナやドクダミなど地下茎の雑草は液状除草剤で駆除しないと
だめです。
 
 つまり今現在...続きを読む

Qチャールズがカミラさんにこれほど惚れたのは何故?

イギリス王室の世紀の結婚式を拝見してました。
もし、ダイアナさんが生きてらしたら何処の席で息子さんの結婚式を
ご覧になってたんでしょうか?
いつも疑問に思ってたのは何故美しいダイアナさんよりあの下品なカミラ
さんと長い間不倫を続け、愛を注いだのでしょうか?
男女間のミステリーを感じます。
不誠実な夫に耐えかねた妻の最後はあまりにも悲劇的、それなのに
カミラはちゃっかりとイギリス王室の一員となってしまった。
カミラの前の夫が彼女は凄い床上手だと発言したのを記事で読んだ
事があります。
"君のタンポンになりたい”という信じられない言葉を盗聴されてしまった
チャールズ。
そこまでカミラを愛し続けたのは何故?相性?同じ趣味?価値観?
真面目に答えて欲しいです。

Aベストアンサー

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。

ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。
しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。

チャールズの母であるエリザベスは王女だった為にチャールズに対して母として接する機会があまりなく愛情不足だったと思われます。
チャールズは気難しく理屈っぽい。正直さ、率直な振る舞いが特徴です。
伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。

そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。
ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。
ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。
しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。
ですから元々の性格は真逆だったと思われます。
その為チャールズはダイアナに寄りつかなくなったのかもしれません。

もちろんダイアナは理屈を理解しようと努力をした事は伺えるのですが・・・理解は出来ても許容する事が出来なかったと思われます。

そしてカミラの場合は難しい理屈などは置いておきたい人のようです。
カミラにとって重要な事は自分を求め愛してくれる人がいること。
ドロドロとした三角関係にあってもチャールズの事を理解しそして許容する事が出来る方のようです。

気難しい彼に対してデリケートな部分を刺激したりしない、とても尊重してくれる方だと言われてます。
そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。
愛する男性を子の様に慈しみ、命を捧げて生涯を守るほどの古典的な母たる姿勢を崩さなかった事と周りから何を言われても誇り高く、強い女性であった為にチャールズにとっては不可欠な女性だったのだと思います。

長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか?
ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。

私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠...続きを読む

Qお公家さんの末裔は今、どの様な暮らしをされているのでしょうか?東京在住

お公家さんの末裔は今、どの様な暮らしをされているのでしょうか?東京在住の四条家や京都在住の冷泉家は裕福そうですが、旧五摂家や他の旧公家はどうでしょうか?ご回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

私の知人は藤原北家隆家流の堂上家で、ご本家は明治維新後は子爵でしたが、曾祖父の代で傍流になり、祖父が変な修験道に凝って土地を切り売りして没落、父親はそれでも一流企業の役員として悠々自適の生活でしたが、子ども(私の知人ですけど)の代で相続争いで残った資産も散逸し、現在は何とか暮らしているという状況です。

別の知人は堂上華族で、維新の後はうまく資産家のところに婿養子に入り込み、戦前戦中は上手に生き抜いて、この知人の父親の代は徴兵逃れで医者になり、知人の代でも医者や歯医者が多く、比較的裕福に暮らしています。

両方ともご本家ではなく、傍流ですけど、ご本家は神社関係の仕事をしています。

Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Qなぜ日本人は「鳩」を食べない?

昔、アグネス・チャンが言っていました。
日本に初めて来た時こう思ったと。
「日本人ってお金持ちなんだなぁ、だって公園にあんなに鳩がいるのに誰も捕らえようとしないんだもん。」

質問1.
中国の公園や駅構内には「鳩」はそんなにいなんんでしょうか?捕らえられて、食べられて減った?

質問2.
日本でもフランス料理店に行くと「鳩」を出すお店があると思うんですが、そういうところで出す「鳩料理」の鳩は特別に飼育された料理用の美味しい鳩なんでしょうか?

質問3.
中国人が食べている「鳩」と日本の公園にいる「鳩」とでは「味」が全く違うのでしょうか?

質問4.
日本の公園にいる「鳩」は中国人が食べてもまずいのでしょうか?

Aベストアンサー

#6です。また聞いた話ですが。

>中国では公園にいる鳩も皆取って食べようとするんでしょうか?
>実はここが一番知りたいところなんですが。

たぶん取って食べようとするんでしょうね。だからハトも警戒するんではないかと。
日本では飼っているイヌをその辺につないで買い物に行ったり
ネコなんかは外に出して放し飼いにしたりする人もいますが、
中国では基本的に飼っている動物を外に出す習慣はないんだそうです。
なぜなら、外に出してると誰かに連れて行かれて食べられてしまうから。
なので、日本ではまだ普及しない「ネコの室内飼い」が中国では一般的なんだとか。
さすが、「机以外の4本足と両親以外の2本足は何でも食べる」国。

>そういえば、ウサギは食べたことないですね。これもとても美味しそうですね。
>フランス料理とかにはあるんでしょうか?

フランスに限らず、ヨーロッパではウサギはどこのお肉屋さんにでも売っている
非常にポピュラーな食材だそうです。(とくに高級なわけでもないらしいです。)
肉質は柔らかく、低脂肪で味は淡泊。ニワトリに似たかんじらしいです。
こうなると、中国人が食べないはずはないという気がしてきますね。
ただ、中国はあまり草原がないので獲るほどウサギがいたかどうかが問題ですが。

>それよりも個人的には、犬、猫、猿とかのほうが拒否反応を起こしそうです。

知恵のある動物ってことでしょうか。昔、オリビア・ニュートンジョンが
「あんなかわいくて賢いクジラを食べる、日本みたいな野蛮な国は行きたくない」
とか言って来日を拒否したことがありましたね(何年か前は平気な顔で来てましたが)。
でも、そういうかわいい大切な動物を殺すんだから、すみずみまできちんと
食べよう、利用しようというのがホントだと思うんですけどね。
昔は皆家にニワトリなんかを飼っていて、ひよこの時から大事に育てた
「ぴよちゃん」が、ある日親戚が来た日のもてなし料理になっちゃったりして
すごいショック受けたりしてたと思うんですよ。でも、かわいいぴよちゃんの
変わり果てた姿だからこそ、残したりしないでありがたく食べる、っていうのを
学んでいったんだと思うんですけどね。「いただきます」ってそういう意味か、って。
わたしはカエルやワニやダチョウやカンガルーをよく食べるんですが、
どんな動物でも(いや植物でも)食べるときはその命を殺していただくわけで、
そう思ったら下品に食い散らかしたり、簡単に残飯として捨てたりはできないですよね。

なんかかなり話がずれてしまいましたね。

#6です。また聞いた話ですが。

>中国では公園にいる鳩も皆取って食べようとするんでしょうか?
>実はここが一番知りたいところなんですが。

たぶん取って食べようとするんでしょうね。だからハトも警戒するんではないかと。
日本では飼っているイヌをその辺につないで買い物に行ったり
ネコなんかは外に出して放し飼いにしたりする人もいますが、
中国では基本的に飼っている動物を外に出す習慣はないんだそうです。
なぜなら、外に出してると誰かに連れて行かれて食べられてしまうから。
なので...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む


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