
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
伝承では、木曽義仲(源氏)が牛の角にたいまつをくくりつけ、それを夜営してる平家の陣に向けて放ち、大混乱を生じたところを攻めて大勝した…ってことになっています。
が、そんな事実はなかったんじゃね?って話が。なぜかって、どうすれば牛がそんなに都合よく、平家の陣に向かって真っすぐ突っ込んでくれるのか!!
という問題があるからです。
ぶっ叩いて追い立てればいいじゃんとか思うかも知れないけど、それ失敗したら自分に向かってきますよね。へたすると敵陣に向かうよりも自陣で大暴れする牛の方が多く、自爆になっちゃったなんてシャレにならない結果も十分あり得ます。それに誘導してないと、牛さんは途中でどっかに行っちゃうかもしれません。
また平家も10万と言われる大軍(サバ読んでたとしても万単位の兵がいる)を動員してたから、それが大混乱に陥るくらいだと、牛1頭や2頭じゃ話にならず、数10頭は突っ込ませないと足りないでしょう。
つまり伝承のようなやり方で成功するとは、普通なら考えにくいわけです。

No.3
- 回答日時:
>初めて聞く人にも分かるように簡単に説明してください
それを回答者に求める理由を教えて下さい。
最近、無知を恥もせず調べる努力もせずに他人様に丸投げした上に、「わかりやすく」とか詳「しく」とかまで要求した上に、そこまでしてくれて当然という態度をとる思いあがったユーザーが増えている事にうんざりしてる私は、傲慢なのでしょうか。
(バカほど わかりやすく すると誤解しますし)
質問の主旨は【「火牛の計」という戦術の説明】(≠倶利伽羅峠の戦いの実態)でよいのでしょうか。
質問者様は↑のような方ではないと理解していますが、質問の件について↓で理解できなかったのでしょうか。
【倶利伽羅峠の戦い】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%B6%E5%88%A9 …
(『源平盛衰記』には、この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという、源平合戦の中でも有名な一場面がある。しかしこの戦術が実際に使われたのかどうかについては古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。眼前に松明の炎をつきつけられた牛が、敵中に向かってまっすぐ突進していくとは考えにくいからである。そもそもこのくだりは、中国戦国時代の斉国の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。この元祖「火牛の計」は、角には剣を、尾には松明をくくりつけた牛を放ち、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。)
他人に言聞く以上、当然、この程度の事はお調べになっていると思いますが。

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