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平家の政権は、なぜ、かくも、あっさりと崩壊したのですか?

A 回答 (3件)

政権基盤が平清盛の個人的才覚だけに依拠しすぎで持続性が無かった。

権力が後白河法皇の権威に頼り過ぎで平氏政権の正統性を確立できなかった。利益を余りにも平氏独り占めすぎて敵を増やしすぎた。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/01/10 17:11

源義経。



義経は日本を代表する大戦術家だ。
日本では非常に珍しいというか、世界に出しても恥ずかしくない稀有の騎兵部隊司令官であり、少数精鋭の騎兵部隊による奇襲作戦を2度も成功させている。壇ノ浦の海戦指揮も見事だった。

当時の日本は飢饉で、特に平家がいた西日本は食糧難だったと言われているが、それでも平家追討にやってきた木曽義仲や源範頼の軍には勝利している。
しかし、義経が前線に登場した戦いでは、一の谷と屋島では義経の騎兵による急襲に敗退し、壇ノ浦で仕留められてしまった。

こればかりは、義経の過去の因習にとらわれないスピード重視の軍事的天才性の前には、ひとたまりもなかったとしか言えないだろう。
軍事研究家の中には、騎兵部隊指揮官としての義経を、アレキサンダー大王や霍去病に匹敵すると評価する人もいる。
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驕ったからですわ。


過信と慢心は、必ず早期自滅を招くと言う事ですわ。
悪夢の民主党政権が僅か3年余で崩壊したのと一緒ですわ…

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