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鎌倉幕府内では、主権争いの抗争が目立ちます。
一方、江戸幕府内ではそれほど目立ちまませんね。

質問は、頼朝に比較し家康の方が、将来(未来・今後)への政治な洞察が優れていたのでしょうか?

A 回答 (6件)

その通りです。


だから生存中に秀忠に将軍職を譲り、影で大御所として操っていたのです。
信長や秀吉と言う、反面教師が居たから出来た事でしょうね!
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
同時代の<信長や秀吉と言う、反面教師>が役に立ったのですね。

お礼日時:2022/09/04 15:19

平清盛が武家政権の門戸を開け、源頼朝が武家政権を建立しました。


頼朝は自前の軍隊を持ってません、有るのは源義家の血筋だけでです、
これでだけで、鎌倉幕府を開きました。
今で言う、クーデターで公家から政権を奪取したのです。
政権運営は零から作る、手探り状態の中でした。
組織構築の半ばで亡くなりましたので、主導権争いが勃発しました。

足利尊氏は朝廷の分裂騒ぎも有って、幕府の運営体制を確立出来ません
でした。
徳川家康には、見本となる、源頼朝と足利尊氏の二人が居て、更に
織田信長と豊臣秀吉が居ました。
家康は学習するには充分な環境が有り、強力な軍隊を持って居ました。

豊臣秀吉が太閤検地で荘園制度を破壊して、公家の力を無くしたのも、
家康にとってはプラスになりました。

頼朝と家康には500年間の開きが有ります、年貢徴収と都の警備係り
だった大名が戦国大名になったり、少しずつ世の中が動いています。

頼朝が革命を起こし、その後の混乱を家康がが納めたと言えるでしょう。
どちらが、洞察力に優れたいたのか、比較出来るものでは無いでしょう。
二人とも偉大な征夷代将軍なのです。

江戸幕府に政権争いの混乱がなかったのは、二代将軍の徳川秀忠が、
家康の作りかけの組織を強固にしたからです。
15人いる、江戸幕府の将軍で、2番目に長寿だった、家康の存在が
大きかったのは言うまでもありません。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
頼朝は、源氏の血統だけで幕府を開き、家康は子飼いの郎党が働きましたね。
<頼朝が革命を起こし、その後の混乱を家康がが納めた>ことになりますね。
<比較出来るものでは無い>ですね。

お礼日時:2022/09/05 15:53

3代目を家光にすることで、後継者は長男優先のルールを作り、本家の血筋が絶えた場合を想定し、その時は尾張、紀州からというルール制定。


家康の手腕はすごい。
頼朝は、嫁はんの尻に敷かれてたからね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
能力でなく<後継者は長男優先のルール>などを明確に定め、内紛の予防を徹底しましたね。

お礼日時:2022/09/05 06:31

そもそも、何歳の家康と頼朝を比べろというのだろうか。


頼朝の朝廷や他の氏族への工作は高く評価されているのですが。

頼朝が死んだのは何歳の時ですか?
秀忠は病弱でしたか?
家康のような代々仕えた譜代はいたのですか?

なぜ、無知ほど役にも立たない小学生レベルの比較や優劣を決めたがるのだろう。
「頼朝に比較し家康の方が、将来(未来・今後」の回答画像4
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2022/09/05 06:27

頼朝は先例が無く全て手探りだったが、家康は多くの先例を参考にできた。


それだけ。能力の優劣の差では無い。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
頼朝は、中国の書籍を勉強はできたでしょうが、本邦の<先例が無く全て手探りだった>でしょうね。

お礼日時:2022/09/04 17:40

後から生まれた人の特権は、歴史から学べることだろう。


自分の経験をフィルターにして、歴史から多くを学んだんだとおもう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<後から生まれた人の特権は、歴史から学べる>ですね。
家康は、頼朝からをたくさん学んだのでしょうね。

お礼日時:2022/09/04 15:21

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