
江戸~明治の吉原文化について調べています。
お客とは別に、「間夫」がいる遊女が多くいたそうで、お金がない間夫を座敷にあげる為に自腹を切っていた…と知りました。
そこで、ちょっとわからなかったのが、高級な花魁になると座敷呼ぶためにはいくつも儀式を通さねばならないとか、客の質をやり手が判断するとか、花魁自身が自由に動けない部分が多かったと思うのですが、そんな中でどうやって間夫と会えたのかな…?と思いました。気に入らない客を拒否することは可能ですが、逆に間夫を自分からすぐ部屋に招き入れることは出来たという事なんでしょうか。
それとも、こっそり人目を忍んで会っていたのか…。
詳しく記した資料がちょっと現在みつからなかったのです。もしご存知の方や、おすすめの資料がありましたら教えてください。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
実物がないので、うろおぼえなんですが、「江戸○○」という、小型の本に詳しく出ていたと、思います。
「間夫は、甲斐性」と、認められていたらしいです。
わずかの楽しみを与えれば、逃げたりしないし、仕事?もがんばるからということらしいです。
30歳くらいで、年季があけるらしいのですが、身請けされるつもりがなければ、前借金を精算したということで、この彼氏と結婚することになります。
愛しさで、度々身銭を切って呼べば、いっしょになれる日が先延ばしになるだけです。
外に出る日を夢みて、自重したのでは、ないでしょうか?
年季があけたら、結婚すると約束して、「早くいっしょになりたいから、お金は、払っていってね」と、自分だけが間夫と信じていた単なるお客もずいぶんいると思いますよ。
だから、起請文とかあるんでしょうね。
遊女に真剣な恋人の存在が認められていれば、勘違いするお客だって、いっぱい来るわけですから、こそこそする必要は、ないと思います。
ありがとうございます。
なるほど~。借金を清算すれば、その後一緒になるのも可能だったんですね…。間夫を何人も抱えるのは普通だとは読んでなんとなく知っていたんですが。
よく物語などで、自分の上客や、やり手の目を盗んでこっそり会っている、というのを見たことがあったので…。
これはお金が無くて本気の相手だったからなんでしょうね。
No.4
- 回答日時:
円生の落語に居残り佐平次というのがありまして、お金を持たずに遊びに来て、払いを日延べしているうちに居残りになって、幇間以上に腰を低くして遊女さんたちの雑用を買って出て気に入られているっていうのがあります。
落語になるくらいなので、典型的なパターンなんじゃないでしょうか。
落語では、お人よしの主人から手切れ金なんかを頂いて出て行くんですが、そこまでの手腕が無いと、わがままの効く花魁の間夫で居座ることもあったんじゃないでしょうか。
歌舞伎だと悲しいお話が多いですが、落語だとなんとも可笑しいテーマになりますね、「遊女」ものって。
結局は「ヒモ」みたいねもんだったのですねー
No.2
- 回答日時:
詳しくは知りませんが、仰せの通り、花魁が情夫と廓の外で逢引するのは難しかったろうと思われます。
情夫は当然のことながら金をもっていませんので、客として上がるのは難しい、そうすると花魁が自腹を切って、情夫を客として入れたというようなことかな、と、想像します。
下のURLの「間夫」の項に簡単な解説があります。
参考URL:http://yosiwarasaiken.net/annai/yougo.html
ありがとうございます。
自腹を切っていた、というのは知っていましたが、
金さえ用意すれば情夫を自分の座敷に入れるのは自由だった、
ということなんですかねえ。
すごいなあ。
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