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自信を持つことと自惚れることの違いは、結果が出せるかどうかだけですか。
それ以外に何か違いはありますか。

A 回答 (6件)

持っている自信を、表に出すか


否か、ということです。
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自信を持つためにはそれまでの実績の裏付けが必要で、しかも周囲もそれを評価している場合に持てます。

しかし、自惚れの場合は、その実績が無くても自己評価だけで持てます。
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結果を出せることと、努力することじゃないでしょうか。


正しく自信を持つ人は努力をし結果を残す。
たまに結果を残せないこともあると思いますが努力は必須です。
しかし自惚れは努力することもしないし結果を残すこともしません。
まさに漢字のごとく、うぬぼれ=自ら惚れるです。
あるのはまさにうぬぼれ、根拠のない無駄な自信です。
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自信と自惚れは、何割か点線して繋がってるので


違い等は有りません。

言葉として、文法表現としては国語の範疇によっては
一人一人の思い次第で、様々な違いがあります。

それを、知りたいのだろうが一言一言を考えると
人間一人の人生では、足らんですよ。

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読まなくても良い。

他者に、惚れていると言う絶対の自信が有ろうとも
無かろうともその思いは、その人にとっての想いであり真実である。

それは、まやかしで有るのだと疑う心もまた信じる心の表れである。

共通項とは、関心・感知と共有された情報の有無にある。

Aと言う者が、Bと言う者を美しいと評価すれば
Cの者は、Aの思う言葉に従順でありAと同じ評価となる。

Cにとって、Aを信仰するには不足してるか値しないと言う認識が
後に芽生えた場合に、Bと言う者が美しいと言う評価は無効である。

Aにとって、Bの容姿のように美しいのがCであるのだと述べられた場合
Cは、己が美しいかどうかが最早不明である。

さて、自信とは如何なるモノだろうか。

他者から植え付けられる美意識
己が、様々な何かを通して育み作り完成させる美意識

そのどれも自信の有る無しは矛盾して絡んでくるし
誰かにとっての絶対の理(ことわり)になる。



①うっとりする。 ぼんやりする。 「恍惚(コウコツ)」
②ほれる。 恋いしたう。

その思いが、確かな事も有れば不確かなこともある。
色恋と言う物事は、そんなものだろう。

己を、信じる事と疑う事とは?

己が、己自身及び他者に惚れているのだという想いとは?

様々に信じるし疑うことだろう。

故に、自信も自惚れも私にとっては似たようなモノだと説くのだが
世間一般の通念とか、常識であるとか言語の法則ルールとしてが
如何なるかを、説く回答者が現れるだろう。

その回答は、欲しい回答から程遠いモノになるだろう。

予言

言葉の定義と、実践の運用具合と一言一言のどれだけ
大きな視点・多角的な視点・一つ一つを弄り倒してこねくり回し
様々な実験を、試みてるかな深度の話になる。

論理的になのか、直感的な上辺の想いからなのか。

◯◯の花のような◯◯さんと言う人物のような
歴史的偉人のような◯◯と言う料理のようなワインのような

例えるならば、そう言うものだ。

情緒と機微(侘び寂び)

人の一生とは、各自大半120年も生きられないのだが
生きてるその年月は、1分1秒でも十数年から数十年でも
想いや己自身の肌艶等の変化がある。

同じ時間軸上を、共に歩むのであれば自分も周囲の人々も
そうやって、考え方も体そのものも変わって往く。

その多様な変化を、各々どのような信念として取り扱うのだろうか
扱いを、真逆とするのか扱わない先送りとするか捨て去るのか。

各自が、信じても信じなくても時は淡々と生きるものを
死へと運ぶものだろう。

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり

夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客
夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代(はくたい)の過客(かかく)なり。

松尾芭蕉と李白

芭蕉にとっては、偉大だと考える者とは李白だけに限らない。
杜甫や西行他にも沢山居た事だろう。

芭蕉に、とっての自信や自惚れとは?
李白にとって?
それを、読む我々現代人にとって?

教え説く立場での自信と自惚れ
教わり説かれる側の自信と自惚れ

人とは、どうしても他の人とを交えて考える性分の多い生き物である。
それは、人だけとは限らない概念信仰上の神も使えばそこらの動植物
建物に至るまで、自惚れる理由にも己が信じるに値する想いとしても
歯車として、御神体として己が神やそれらそのものとして自惚れる。

それ出来るのが人なのだろう。

再度述べるが、自信と自惚れは私にとって似たようなものだ。

下手に、使い分ける意味もなし。

今日は天気だ=気分が良い
天気だから気分が良い

己の生きる世界が、晴れてるのは己が存在するからである。
だからこそ偉大なのは、己なのである。

己が、数十万数百万の民を従える王侯なのだからそうなのだ。
王侯の立場ではない側近が、そうだからこそそうなのだと
述べ信仰するならば?

それもまた、真なのである。

それが、一つの家のトップであると言う自信や自惚れを抱くもの。
その暮らしに、存在してるのが己という人間一人とペットの犬1匹。
これですらもそのように、成り立たせる事が出来る。

さて、どっち視点か?

人側かも知れん。
犬側かも知れん。

実は、隠れ潜むゴキやネズミ視点かもしれん。

考え思う人の数だけの自信と自惚れがある。

各自が、何をどう設定してるかを全部書こうとすると
面倒くさくてたまらない。

概念とか、仕組みの根っことかを説くのに大枠を
上記で、長文使って説明してても理解出来ないのは出来ない。

理解出来る人は、別に長文読まんでも既に察してるので
くだらないトイレの落書なのである。
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結果は関係ないとおもいます。


うぬぼれは邪心、邪念を伴います
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周囲が認めるような、客観的な裏付けがあるかどうか

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