
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
応仁の乱後は各地の大名は領土拡張に明け暮れていました。
そんな武家達も朝廷が発する、官位や官職に憧れていました。
官位や官職を地方の大名に与えれば、従う様に成ります。
武力で畿内を制して朝廷を牛耳る事が、大前提に成ります。
三好長慶は畿内を制しましたが、朝廷を牛耳るだけの財力が
有りませんでした、織田信長は畿内制圧して、大金をばら撒いて、
官位や官職を家臣や味方の大名達に官位や官職を与えましたが、
道半ばで殺され、後を継いだ羽柴秀吉が信長の手法を用いて、
官位や官職を与えて、自身は朝廷の最高の位、関白から太閤に
なり、朝廷の宣旨で大軍勢を率いて、九州や関東の大名を屈服
させ、戦国時代の幕引きをしました。
織田信長は平清盛の手法を踏襲したのだと思ってます。
源頼朝の鎌倉幕府は、新たに守護・地頭を設け、豪族達が支配している
領地の経営を許し、豪族を支配しました。
No.2
- 回答日時:
江戸以前にもいろいろあるのでしょうが、頼朝は「天下の草創」という言葉を使っているようです。
https://www.academia.edu/38948447/%E6%BA%90%E9%A …
この場合、「天下」は創るものとされているようで、ただの空間的位置・区域ではないようです。 畿内も、「はじめの淡路島、後の四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島、最後の本州、合わせて大八島国」も、朝鮮半島、中国、アジア、四大陸、グローバル世界などという観点もない、むしろ「人的社会の支配権」がイメージされ、《"自分が関心を向けている勢力圏"の範囲での"天下"》のようです。 天皇のいる場所などの視点はさほど重要ではなかったでしょう。

No.1
- 回答日時:
そうです
天下とは、主に畿内を指す言葉でしたから、畿内を掌中に収めた人間が天下人でした
ただ、細川晴元の勢力は畿内全域には及んだわけではないから、天下人とは呼ばれてませんよね
戦国時代で最初に天下人となったのは三好長慶だと言われてますよね
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