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モンゴル族出身であった大元帝国の皇帝クビライは、自身を中華王朝の皇帝であると宣言したと聞きました。 もしくはチンギスハーンが。
それまでの中華王朝の行政制度や経済制度を積極的に取り入れてもいたと。

それらによって、大元帝国はモンゴルの歴史であり中国の歴史にも含まれるようになったとも。
どうなんでしょう、これってホントな話なんでしょうか?
クビライは自身を中華王朝の皇帝であると宣言したんですかね?
ご存じの人いたら教えて欲しいです。

モンゴルや中国の歴史に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

A 回答 (3件)

中華王朝とは、世界一裕福な帝国であり続けた国家です。


欧州が産業革命を成功させ、世界中を植民地化し始めていた時代においても、その欧州自体が中華帝国を世界最大の金満帝国と見做していました。科学技術面でも、欧州人は自分たちに躍進をもたらした羅針盤、活版印刷、火薬の近代世界の三大発明のすべてが中国によるものだと知っていたわけです。

日清戦争で、中国が日本にまさかの完敗を喫するまでの中華王朝は、そういう存在だったのです。

クビライは、そういう世界一の金満帝国を完全に手中に入れることが出来たのです。
全世界が、中国こそ世界最高の科学技術に文化芸術を持つ世界最大の経済大国であると思っていたのです。
クビライが自分を中華王朝の皇帝であると宣言するのは当然でしょう。世界中からクビライが世界最高の国の君主であると賞賛されることになるのですから。

※おそらくあの当時で中国を対等の国だと思っていた不遜な国は、クビライが「黄金の国」だと思っていた日本だけでしょう。実際に江戸時代までの日本は黄金だらけの国でしたが…。
そういう不遜な国だからこそ、平気で日中戦争を戦い、驚いた欧米列強を尻目に、勝って当然でしょとふんぞり返っていたわけです。
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この回答へのお礼

Thank you

やはりクビライは自身を中華王朝の皇帝であると宣言していたようですね、それを示す資料やサイトはご存じでしょうか?
詳しく知りたくて。
もしご存じなら教えて欲しいのですが・・・。

お礼日時:2024/05/23 00:04

西洋人は征服した、民族の文化を破壊して統治しますが、


東洋では、共存の道を探るので、文化を破壊して統治はしません。
チンギス・ハーンは征服した民族の自治権を認め、共存しました。
平たく言うと、税金を納めれば、今までの通りに暮らしなさいと云う
事なのです、キリスト教圏では、教会をイスラム教圏では、モスクの
建立を許しました、だから歴史上、最大のモンゴル帝国が誕生したのです。

中華王朝は易姓革命と称して、何回も王朝が変わって居ます、他民族国家
の中華民衆は、亦、変わっちゃったの・・・なのです。
万里の長城を超えて、夷狄と称したモンゴル族が来たのですから、
宋王朝の皇帝一族は大変でしたしょうけれど。
クビライは、元王朝を宣言して、都を大都(現在の北京)に定め
城郭都市を建立しました。
学校の歴史で習った通りですよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

クビライは現王朝を宣言して北京に都を定めたために、やはり中華王朝にもなったんですね。 回答ありがとです。

お礼日時:2024/05/25 19:40

国名を「大元」と変えた時点で中華帝国としての宣言でしょう



モンゴル帝国として満足するなら敢えて変更する必要性はないですわね
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この回答へのお礼

解決しました

やっぱり大元と名を変えた時点で、中華帝国になったんですね。回答ありがとです。

お礼日時:2024/05/25 19:39

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