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なぜ日本は未だに外国人を異端者のように見る方が多いんでしょうか?

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A 回答 (35件中11~20件)

>なぜ日本は未だに外国人を異端者のように見る方が多いんでしょうか?



それはあなただけです
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この回答へのお礼

私はそんな風に見てません

お礼日時:2024/06/16 06:18

日本人固有とまで言いませんが考え方の違いが顕著にみられる部分としては「努力をせずに認められようとする姿勢」に対しては厳しいですかね。



「差別主義をかかげる前に、その個人の魅力をもって自分が
 接する人の心くらいは動かすように努力すべき」

この様に(意識はしていなくとも)自然に思ってしまうんでしょう。「まだ認められていないというだけである」というのが日本らしい捉え方でしょう。

以下は長いので興味があればお読みください。

「日本に生まれたからと言って日本人に成れるわけでは無い」

この言葉を聞いたとき「差別主義」と感じる人は「日本人に成れていない」という分けです。私がこの言葉を出すのは「そうだよなあ」と感じる人と「差別だ」と感じる二派に分かれると想定しているからです。

「外国人であっても、そうだよなあと感じる人はかなりいる」

つまり「望んでも得られないかもしれない。それでも歩み続けるのか?」と問われるのが割と好きなんですよ。そして若い人に「泣くのが嫌ならさあ歩け」と諭すのが日本の教えなんです。

そういう意味では「言葉や理屈で説得する」よりも「自分のこれからの動き方」を見せて「相手の心を溶かすゲームを楽しめ」という姿勢が(国内には)蔓延しているという事です。

「大昔のドラマで細腕繁盛記と言うのが受けた」

なので日本人の多くは「序盤で認められなくとも怒らずに黙々と取り組む」わけです。大リーガーで活躍している二刀流の英雄もそうですよね。同じ人間なのですから「合理的ではない」「どちらかに集中すべき」と言うコメントには悩んだはずです。それでも日本人の考え方を持っているから「直ぐには分かって貰えない」と受け入れたんでしょう。

また日本人は温厚なのではありませんよね。近年まで人道主義や民主主義が発達していなかったんです。欧米の文化から見て野蛮と感じる部分は多々あると思います。そういう人達であるので「何でも受け入れる優しさ」みたいな物があるとは思えません。

「私たちは本人の努力を見て決める」

「そういうゲームなのだ」と捉えているから怒らないだけです。

「しかし、努力をする人が認められるという安心感が無ければ
 最初の拒絶反応をもって、一生認められないのだと絶望する
 人が居ても不思議ではない」

ここが外国と違うのだと思います。結果を出しても争う様な文化であれば「努力は結果の前に何の意味もない」というドライな感覚を持つでしょう。日本人は「ご本人の努力」に対して情に脆い部分があり、これが暗黙の条件と成っていますので「努力を見せれば大丈夫だろう」という安心感を持っているんです。

さて面白い話があります。

「差別はどうして良くないのですか?」

と問うた時に、

「姿かたちや性別は本人の努力が及ばない部分であり、本人の
 努力を認めない考え方が良くない」

と答えた学生(就職前)が多かったそうです。

これは日本的な解釈の特徴ですよね。「持って生まれた当然の権利が阻害されている」と捉えるのが欧米などの主張です。実際に外国で行われている差別を見て「驚く日本人」は多いでしょう。それらは倫理や道徳を大きく逸脱しており「差別だ」と言われる前に「生理的拒絶をするべき次元だ」と日本人は捉えます。

「他の国も同じ状況だと勝手に思い込んで、その上で自分が為
 すべき正義を説いても争いが生まれるだけだ」

と言うのが本質(互いに理解不足)に見えます。

私が米国でレストランに入った時の事です。給仕のアルバイトをする女学生が泣いているのを目撃しました。どうも私たちアジア人のテーブルを担当するのが嫌で拒絶をしたみたいです。その姿勢を先輩に叱られていました。それでも泣くほど嫌がって抵抗していたんです。

私たちは少女が可哀そうだと思って申し訳ないと感じました。昨今、皆さんが「アジア人差別」と大騒ぎする感覚と全く違いますよよね?

「外国の差別の話を日本人的に解釈して誤解していた。そこま
 での物なら確かに深刻だ。理性では分かって居ても感覚にし
 みついていて自分を制御できないという人が多いのだ。俺ら
 は日本に帰ればいいのだから、泣かせて申し訳なかった」

と思ったものです。

私が日本人の気質と言ったものは大概において欧米も同じで、その様に思う人と言うのが大半を占めています。しかし「そうじゃない人」の比率が日本よりもわずかに多く、そういう悩みの中で自衛をしているのだと分かりました。努力をしても認めない人が意外と多いです。結果を全てと信じるパワーのある人もいます。逆に悪意がある人もいれば洗脳に近い物を受けて苦しんでいる人もいます。原因が様々であり一律判定できないんです。そして、そういう悩みに日夜対応している善意の人達がいる。

そういう戦いがある国にとって「努力だけを認める文化」と言うのはかなり異質であり「そんな文化が成立するというのが信じられない」という感覚が残るのでしょう。この前提の違いから、初対面での対応が誤解を招くというのは納得できると思っています。

ネットを通じて海外の方の反応などを良く見ていますが「うちの国も昔はこうじゃなかった」と言う人がかなりいます。その上で日本をガラパゴスとして認知し「変わらないでくれ」と願っている様です。そうした事情を私たち日本人が知らず「日本をどうこう」と批判し「平等の権利」を悪用し「差別認定」することで攻撃しようという日本人も出てきているんです。

ネットでドイツの方と知り合いになりました。リアルでの繋がりではありません。そのため彼は(私に)「日本人である」と証明して欲しいと言いました。日本語が話せても翻訳があるので疑いは晴れません。日本の文化を話しても検索があります。どうやって日本人と証明するのか?

皆さんならどうします?

私はどうしたかと言うと「これは無理だな。長い時間をかけて努力するしかない」と諦めました。すると彼はいつの間にか私を日本人として疑わなくなりました。そういった私の反応が彼にとって異質だったからです。そして、これ(自然にそう考えてしまう癖)が日本人らしさに思えます。勿論、子供の頃からそうであったわけじゃないんですよ。

「自分は一生認められない」

と絶望し「今この時に解決しないと将来が見えない」と焦って口論をし、何とか言い負かそうとした時期もありました。ただ単に先輩方や仲間を疑っていただけです。信じて良いのだと安心したときはとても幸せでした。勿論、同じように考える外国の人は無数にいますよ。だから知り合いになって友人に成れるんですからね。そうじゃない人が周囲に多いので「警戒している」という点を日本人は理解しないと行けないのです。

結局は、

「個人が努力によって獲得する成長余力も含めて個人の良さ
 であり、これを○○人という扱いで無視をしたり、同国人
 の成果を自分の名声の様に考える根性は宜しくない」

と私は思います。

その上で助言しますと、

「日本人は○○ですよね?」「日本って○○ですよね?」という投稿を繰り返し行う人がいますよね。その努力は何に結び付いているのでしょうか?

「一生続けるつもりはあるのか? 一生続けることで得られ
 る物は何なのか考えているのか? 日本や他の日本人が反
 省をし更に成長したとき、相対的に自分が幼いと見られる
 事にきがついているのか? 他人の欠点を指摘する時間で
 自分が成長できる事に気が付いていないのか? 一生やる
 つもりがないなら、今辞めた方が得ではないか?」

と心配になります。

今この時やるべきことは「一生続けても大丈夫」と言う物を選ぶべきです。どこかで「やっぱ辞めた方が良いじゃん。良く考えたら良い事ないじゃん」と思う予感がするなら「其処まで続けた分の寿命」が無駄になってしまいますよね。早くやめた方が良かったと成ります。

また今やるべきことが「一生続けても大丈夫」と言う物を選んでいるなら「いま結果を欲しがる」焦りも無駄に思えます。一生続けるわけですから。いま結果が得られるかどうかは関係ないでしょう。

ドイツの方に対して私がとった発想も「どうせ日本人を一生続ける積り」であるし「この人との出会いも大事にして一生続けてしまうのだろう」と思った事から生じています。焦る必要は無いと感じたのです。

そして「日本と一生付きあっていく積りの外国人」の方には焦らないで良いと伝えたいですし、日本が酷い国だと思われても、焦るつもりは無いと伝えたいですね。日本は私の寿命より長く続いていますし、長く続くでしょうから。

そして全ての人類が忘れてはいけない事があります。

確かに個人と言うのはちっぽけなんですよ。国のような長い寿命を持つ物を引き合いに出して「ちっぽけな自分のチャンス」を無駄にしては損でしょう。どの国に属するかを引き合いに出しても「その強さ」を自分が帯びることは無いのです。自分が明日は昨日と変わらないんです。これを知って愕然とし、寂しい、怖いと思った時が来るはずですよ。そんな時は相手がどの国の方であっても、手を取り合って励まし合う方が幸せだと思いますよ。

「人口は無限に増えても、一人の人間が一生で知り合える
 数の限界は変わらない。チェンジを続けていれば尽きて
 しまうだろう。自分だけに与えられた縁を満喫出来てい
 ないのならば味の薄い人生と成っても仕方ないのだ。そ
 の法則と論理に国の違いはない」

以上、ご参考になれば。
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誰も異端者と見ている人はいないですけど。

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中国と韓国だけですよ。

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1,島国で、異民族との付き合いが


 少なかったから。

2,単一的な民族だから。

3,日本人と比べると、外国人の
 多くは、モラルが低いから。
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ほわーい!ジャパニーズピーポー

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>異端者のように見る方が多いんでしょうか?



共通の概念、価値観を共有できない相手は、異端者ですね。これは世界中の人がもっている感覚で、「日本ガー」じゃないです。

大体は「目の色」を見るんじゃないでしょうか。念のために言っておきますが、これは慣用句であって虹彩の色のことじゃないです。

ある状態・状況において、それに慣れている人や様式が理解できている相手というのは、目つきをみてみると、恐れ・迷いが感じられなかったり、その場に応じた振る舞いを知っているという印象を持ちます。そういった理解ができているかどうか、それを察することができます。

そういった感覚を共有できない人は、目の色が違います。神社仏閣においての外国人は正にそれで、極端な言い方をすれば「何をしでかすか分からない相手」です。当然、警戒します。モスクやシナゴーク、カソリック教会を観光で訪れる日本人もそう思われていることでしょう。もっと文化的に近いテラワーダの寺院における日本人でさえ、そうです。

もっと狭い世界、ヲタクが愛する趣味の世界に迷い込んだ、その分野でヲタクでない人、こういう人も目の色が違います。そういう人は価値観が異なるので、何をするか、何を言い出すか分からない危険を感じるわけです。
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異端者は別の教義を信じる人。


日本は南蛮の字のごとく、蛮族として見ています。
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島国だから、そうさせるのかな

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日本に生まれ日本語を話し日本の礼儀作法を身につけ日本国籍も取得しても「日本人」にはなれない。

これが差別主義ではないと本気で思っているから。
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