重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

過去の変えられない後悔について。

25歳です。

自分の過去の選択の後悔について今になって悔やんでも悔やみきれないほど後悔しています。(人に迷惑をかけたり犯罪を犯したりでは無いです)。毎日その事が定期的に頭に入ってきて発狂したり鬱になりそうになって苦しくてお酒に逃げたりしてしまいます。

これが良くないのはもちろん分かっています。

この先どういう心の持ちようになればこの気持ちが楽になりますでしょうか。

どなたかご回答お待ちしております。。

A 回答 (6件)

まだ25歳でそのような後ろ向きな考え方は、寂しすぎます。


人生から、後悔の2文字を除くことは、不可能です。
仮にタイムマシンがあって、人生がやり直せるとしても、同じ事です。
25歳と言えば、やっと人生のスタート時点に立ったと言う年齢です。
もう、「たら、れば」の人生とは決別し、これからの人生をどのように過ごしていくかを考えましょう。
 おそらく今後も、後悔することはあるでしょう。
要するに、パーフェクトは求めない事です。
 40代、50代と年齢を重ねるごとに、過去の事など実に小さなことだったと気づくことになるでしょう。
    • good
    • 0

貴方が『毎日その事が定期的に頭に入ってきて発狂したり鬱になりそうになって苦しくてお酒に逃げたりしてしまいます。



と考えている事には理由があるからですが、それは貴方の性格に起因しているとか、考え方とか、或いは貴方の気質に関係しているからかも知れません。

貴方のこの様な現象は『意識地獄』と云っても良いのかも知れませんが、あの将棋の天才とも云える、藤井聡太八冠が過去に語っていた言葉が在ります。

将棋の事ばかり考えていて、頭がおかしくなる事があると云っていた事を思い出しました。

或は神経症等でも同じ事を云っている場合がある様です、不安症とか恐怖症の場合等です。『症状に振り回されていて、絶えず症状から逃げたいと考えている事で、帰って症状の事を考えてしまう』と云う事になっています。

絶えず同じ事ばかり考えている場合では『心が停滞しているとか。心が流れなくなる。』とも形容します。この状態を人間は『心が苦しい=意識地獄の状態』と云っています。

この状態を地獄と呼んでいますので、この状態から抜け出すためのヒントを書いてみたいと思います。それは宗教がその役割を担っています。

聖書での一説ですが、地獄の反対という意味の『天国に一番近い存在は幼子』の意味を書いてみたいっと思います。

幼子が天国に一番近い存在という意味は『脳が未発達だから』と云う理由に拠っています。つまり心が一つの者として機能しているからです。

赤ん坊の脳の状態を解説します、人間でも動物でも皆同じですが『命が授かった場合では、細胞分裂が始まります、そうして時期が来た場合に誕生します。』

こう云ったプロセスを簡単に書いていますが、この言葉の中に大変重要な事柄が含まれています。それは細胞分裂をさせている者が生れてくる赤ん坊の中にいる事です。そうして生まれた赤ん坊が天国に一番近い存在、という意味は『その細胞分裂をさせた者』と赤ん坊の意識が一つの者として機能している事が『天国に一番近い存在』と云う理由です。

人間の脳の構造です、ウイキぺデアの記事からです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の、沢山の脳梁の切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この場合での右脳の機能が、『その細胞分裂をさせた者』という意味です。

この状態を脳卒中になった為に左脳の自我意識の状態と右脳の機能に代わって支配された状態を交互に感じて表現している動画を載せてみますが、その間には悟りの状態と言ったら良いと云った『心安らかなる状態=涅槃と云った境涯も説明している様です。





この動画の中で、右脳の自分として感じている者は『自分の無意識の意識です。』仏性と云った方が分かり易いかも知れません、は無意識を司っている意識ですので、左右の脳の意識同士は絶えず切り替わっていると云った処で、出会う事はほとんど不可能に近い事です。

此処で始めに戻ります、幼子の心は生れ付いた瞬間から全てが備わっています、その理由は東洋では仏性が脳の中に組み込まれているからです、又西洋では神と呼ばれる者が脳の機能に組み込まれているからです。

仏性も神も同じ者です。その意味は言葉にするなら『人間の生命の発生装置兼生命維持機能と云った働きをする機能という意味です。』禅の中で語られている通りです。『人間そのものを働かせる働きそのものの意思』という程の意味です。

人間の自意識は『左脳に存在している機能』の事ですが、説明する必要さえも無いかも知れません、処が左脳の機能は左脳だけで完結していると云った浅はかさに拠って、精神疾患とか苦しみとか不幸が起きています。

今の精神医学は昔から比べるならば、進化しているような気がしているかも知れませんが、釈迦の時代よりも退化しているのかも知れません、その理由は『人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?や人間の苦しみは何処からやって来るのか?』さえも理解していないからです。

神経症の原因でさえも、精神医学の立場に立つならば『原因は分っていません。』と説明にならない説明になっていますが、仏教ではしっかりと説明が出来ています。

その理由は『無明の故』となっています。この意味は自分が自分を苦しめている事が分かっていないからと云っています。

簡単な話で説明するならストレスと云う言葉を説明するだけで分かるかも知れません。ストレスを感じるという場合ではそのストレスは感じている人が自分の頭の中に作り出して、自分が作り出したものに自分が振り回されて感じているという意味が在ります。

こう云った場合のストレスを感じて苦しんでいる事を無明の故と説明しています。

余り話が長くなると、訳が分からなくなりますので結論を書いてみます。

神経症の場合では『湧き上がった感情とか、沸き上がった考え』と云う風に分けて考える事も可能と思いますが、命の働きの機能には他にも沢山在ります。

ホルモンの調節とか自律神経等の神経とか、その他の神経系統とか消化器系統や循環器系統とかもありますが、そう云った事などに於いても自我意識と相争う場合もある様です。如何なる精密検査をしても異常が無い場合等でも『異常感を引っ込める事が出来ない場合とかの事です。』

どちらにした処で『自身の生命の源から受ける圧迫感という意味からしても、大変に辛い症状に苦しむ事を意味します。』

是が『意識地獄』の生き難さの正体という意味です。

と云う事で二つになった心を一つにすると云った言葉が出て来ます。それを仏教では『見性』=自分の性を見る=悟りを開くと表現します。

又キリスト教でも同じように『神と会って和解して、神の後に付いて行く』と表現しています、

精神疾患にしても神経症にしても治し方は同じです、症状としているものは総て右脳からの情報ですので、分け隔てなく受け容れる事で完治します。

死に対しての恐怖感にした処で同じです。死にたくない気持ちは皆同じです、処が不安とか恐怖感はますます大きくなって行きます。

死ななくても済むかも知れないと云った予感はまだまだ『迷える子羊状態』から一歩も抜け出していない事を意味します。

処がどこかに転機があるかも知れません、自意識が消耗し尽くし切って『我が死ぬ時の事です。』

その時が来た場合では『脳梁の中で二つの意識が出逢う場合が在ります。』その出会いを悟と表現します。相容れる事が無いもの同士の出逢いです。

その理由は自意識は言葉が話せる事から有限を代表する機能から成り立っていますが、それは言葉と云う意味から推し測るなら割り切れるという意味です=有限の良き理解者という意味です。

他方右脳の意識には言葉がありません、高いと云った感情と云った情報は言葉なしの情報です、その他にも右脳からの情報例えば漠然とした不安感とか、納期が来た場合での焦燥感などにも言葉が必要在りません。

また永遠とか無限と云った意味なども、有限の自意識には理解不能です。ところが自意識のそう云った永遠とか無限への憧れを、自意識に抱かせているのにも、理由があって右脳特有の雰囲気そのものを感じ取って憧れているからかも知れません。

そう云った訳で、脳梁の中での出会いに拠って二つの意識が出逢う時がやって来ます。その出会いは『正に折り合える筈がない二つの意識の出逢いを意味します。』処がこの出会いを『絶対矛盾の自己同一』と云った化学変化が起こる事を意味します。脳梁の中に二つの意識を繋ぐホットラインとも云うべき回路が構成される事を意味します。

この事に拠って心の矛盾とか対立とか分裂によって、苦しんでいた自意識は賑やかな心のざわつきから解放されます。そのざわつきから解放された心の中を『涅槃寂静』と形容します。何時だっても心静かに過ごせるようになった状態の事です。


禅は精神衛生には大変に有効な手段と云う風に、西洋とかヨーロッパとかアメリカでも云われている様です。

精神疾患にしても神経症にしても、又苦しみとか死にたくないと云った感情にした処で、苦しみが続く事を意味します、何時まで続くのかと云うと『それ等を受け入れるまで続く』と云う事を意味します。

処がこれらを受け入れた場合では、『生死の問題が解決する』と云っています。神経症ならば完治した事を意味します。神経症の完治という意味は『症状を受け入れた事によって症状が頭に挙がってこなくなる。』という意味です。

この事が神経症とか心を病むという場合では、症状別な治療方法が在る訳ではなくて、症状の受容だけが、完治する条件になっていると表現する事が出来ます。
    • good
    • 0

忘れようとしないことです。

そうすれば自然と精神の方でも飽きてきて逆に薄まっていきます。
>人に迷惑をかけたり犯罪を犯したりでは無い
のならば、なんら引け目を感じることはないし、堂々としていればいいのです。私なんて犯罪こそ起こさなかったものの、人に迷惑をかけ嫌われさんざんひどいことをしてきました。そういうのが本当の後悔なんです。
    • good
    • 0

過去は変えられません。



同じ過ちをしない様に気を付けて生活するしかありません。

忘れられないかもしれませんが、考えないようにする。「あの時はあの時で仕方なかったんだ。」と思い込みましょう。

多くの人が失敗していると思いますが、それを反省の材料にして頑張っているんだと思います。
    • good
    • 1

過去の事をクヨクヨ悩むのは一番損な生き方です。


悩んでいる体力を前向きの事に使えば 新しい事ができますよ。
反省をするのはいいですが 後悔しても何の役にも立ちません。
    • good
    • 0

普通に忘れればいいです。

あと若いのでどうにもでなります。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A