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1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳で金メダルを獲得した北村久寿雄さんは高知商業学校(現高知市立商業高校)から三高を経て東京帝国大学に入ったそうです
今の時代商業高校から東大に行く人などまずいないと思いますが当時は旧制中学ではなく実業学校から進学するのは珍しくないことなのでしょうか
北村くすおさんの弟は同じく競泳選手で高知市学校から早稲田大学に進んだそうです
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D% …

A 回答 (1件)

> 珍しくないことなのでしょうか



旧制実業学校から帝大に進むのは、珍しいことだったようです。2点述べます。

第1に、旧制商業卒は、就職(または家業を継ぐ)が多かった。進学するなら「旧制商業 → 旧制高等商業」だったが、それでさえ「旧制中学 → 旧制高等商業」が過半を占めた。
ましてや、ご質問のように「旧制商業 → ナンバースクール」は、「名門旧制中学 → ナンバースクール」より二桁少なかったようである。十分の一以下ということである。
ナンバースクールとは、第一から第八までナンバーが付いた旧制高校である。これ及び東京高校、大阪高校の計10校などは、帝国大学への進学が多かった。そのナンバースクール、たとえば一高の入学者を見ると、府立一中(現在の都立日比谷高)や府立四中(都立戸山高)などの名門旧制中学が多い。この「府」は東京府のことである。

第2に、ご質問の「1932年」は、いわゆる十五年戦争(31年満州事変から45年終戦まで戦争ばかりだった)が始まっており、世の中が変わりつつあった。前述の「二桁少なかった」にも、変動があったかもしれない。
32年当時、北村さんは高知商業3年生だった。オリンピックで金メダルを取った後、猛勉強して三高に進学。時代背景として、そもそも旧制中学の数が少なく、旧制商業の設置のほうが認められやすかったので増えて、いわば中学の代わりに商業学校へ行く子もいたらしい。

旧制中学は今の中学とは大違いだった。義務教育は小学校までで、中学と実業学校(商業など)を合計しても、20%くらいしか進学しなかった。65パーは高等小学校(略して高小)に進んだ。いわば短期中学のようなものである。
残り15パーは進学せず、小学校を出てすぐ働き始めた。
それだけでも驚くが、残り15パーの中には、小学校にも満足に通えなかった子もいた。家の手伝い(農作業など)や子守(子沢山だった)で忙しかった。半文盲で社会に出た。
あまり言いたくないのだが、明治生まれの親戚のお婆さん(もう亡くなった)に、そういう人がいた。知能は決して低くないのに、漢字の読み書きが苦手だった。
「日本の識字率の高さは(江戸時代から)世界一」などと威張るネトウヨがいるが、いい気なもんだと思う。下記の「ことば研究館」は、国立国語研究所により運営されている。

日本人の識字率が高いって本当ですか - ことば研究館
https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-226/
〔引用開始〕
回答は「分からない」です。〔中略〕以下に述べる理由から、日本人の識字率が高いのか低いのかはまだ分かっていません。〔中略〕
「日本人の読み書き能力は極めて高く世界トップクラス」という「常識」の科学的根拠だと考えられてきた報告書を自分の眼で確認してみると、「常識」とはかけ離れた結論が示されていることがすぐに分かります。
〔引用終り〕

実際、漢検2級(出題範囲は常用漢字2136字)の合格率は2~3割である。日本人は意外と漢字の読み書きができないのだ。「教養がある」と言われるには三千字くらい知ってた方がよいとされるが、二千字さえ覚束ないのである。
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