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つまり、自身は慣れてしまってそういう客観的に見ればひどい目だったかもしれないけど、そういうのが普通になってしまい、人に言われて「そうか、それはやっぱり一般基準から見ると悲惨なことだったんだな」と認識し直すようなことが多いのですが、こういうのってやっぱり自身の精神構造がやばい状態にあるのでしょうか?
つまり、痛みに対して鈍感になっている。やけどしているのに気づかない状態、そういう傾向ができてしまっているということでしょうか?

A 回答 (2件)

同じような経験、体験があります。

ズバリ、ヤバい状態です。
世の中の普通とのギャップを認識して、知識として理解することが大事。
例えば私は暴力的な家庭で育ちましたが、明らかに他者よりも暴力へのハードルが低いと自覚し、認識や行動を補正しなければと、本格的に努力し始めたのは社会人になってからです。
その途中、いくつか失敗もありました。。。が、今はやっと普通になれたかなと思います。
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この回答へのお礼

やはりそういうパターンありますよね!それにはまってしまったたのです。なかなか自身を客観的に見るのは難しいので、自分基準からのなかなか補正は難しいですね。

お礼日時:2025/03/27 20:44

そんなつもりでもないのに無意識で愚痴になってしまい、共感され同情される…ってパターンもあるので、必ずしも精神構造がやばいってことではないと思います。


そしてひどい目に遭った…という言い回しも、「残念だったね」「災難だったね」「ひどいね」みたいにちょっとした被害についての簡単な同情のつもりの可能性もあるので過剰に考えなくてもいいとおもいます。

まぁ実際にその可能性もあるわけですが、必要以上に過去に引っ張られ過ぎない方がいいと思います。
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この回答へのお礼

いや、それが違うんですよ。驚かれて「それは酷い!」と言われるんです。

お礼日時:2025/03/27 20:42

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