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哲学の授業で映画を見せられ、今までの授業にもとずいて映画批評のレポートを提出しなければならないのですが、今まで批評なんて書いたことないし、哲学的に映画を批評するなんてやったことありません。どのように書けばいいのでしょうか?

A 回答 (3件)

まず、レポートの書き方をここで回答しているので、#2を見てください。


http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1466975

そのうえで、映像論ということに絞って、もう少し書いてみたいと思います。

映像論ということですが、これは大きく分けて、モダニズム評論とポストモダニズム評論があります。
すいません、#2の回答者の回答を例に使わせてください(※回答者のかた、どうか失礼をお許しください。批判的な意図は毛頭ないことをご理解ください)。

非常に大雑把に言って
>ダリの「アンダルシアの犬」
あるいはタルコフスキーの「惑星ソラリス」でもなんでもいいんですが、こういう、まずそれだけでは理解できないような作品を、理解するための解釈、それがモダニズム評論です。

それに対して、
>『スターウォーズエピソードIII』
でも『ブレードランナー』でもヒッチコックの作品でもいいのですが、商業ベースの大衆的な娯楽作品をもとに、哲学的な、あるいは精神分析学的な用語を駆使しつつ、「勝手に」解釈してしまおう、というのが、ポストモダニズム評論です。

#2のかたがおもしろい例をあげておいでですが、これなどはポストモダニズム評論のひとつのやりかたといえるでしょう。

それでは、解釈について、少し考えてみます。
解釈とは何か。
それはつまるところ、「……について」のゲームである、とジョナサン・カラーは『文学理論』(岩波書店)のなかで述べています。

「『スターウォーズエピソードIII』は若きジェダイマスターについての映画である」と答えたのでは、このゲームに加わることはできません。

そうではなくて、
「『スターウォーズエピソードIII』は父と子のオイディプス的相剋についての映画である」(精神分析批評)とか、

「『スターウォーズエピソードIII』は女のセクシュアリティに対する男の恐怖についての映画である」(フェミニズム)とか、

「『スターウォーズエピソードIII』は帝国主義の閉塞についての映画である」(ポストコロニアリズム)とか

「『スターウォーズエピソードIII』はジェダイという記号が崩壊していく過程についての映画である」(ポスト構造主義)という答え方をする。そうやって、このゲームに加わっていくのです。

ただし、このゲームに参加するためには、ルール、つまり、精神分析理論や、フェミニズム、ポストコロニアリズム、ポスト構造主義などの用語なり概念なりをある程度は理解していなければなりません。

どれかひとつでも、質問者さんが使えそうな理論があれば、それでやってください。
もし、ひとつもない、オイディプス的相剋、ってなんだ???という状態であれば、自前でやってください。

q=1466975で、わたしは「空白」を見つける、と書きました。
どんな些細な「空白」でもいいんです。その「空白」を埋める。
それが解釈です。その「空白」を埋める、できるだけおもしろい物語を作ってください。

参考文献をあげておきます。
スラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ ――ハリウッドvsラカン――』(筑摩書房)
内田樹『映画の構造分析』(晶文社)

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1466975
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何を観たのかにもよりますね。



ダリの「アンダルシアの犬」とかじゃ、批評も難しいけど
ゴダールの「勝手にしやがれ」とかなら好きなことが書けそうですね。
ルコントなどの映像美の際立つ作品ならば、色彩と映像とテーマの整合性について
語ればいいでしょう。

雛形を示します。
『スターウォーズエピソードIII』は、凡庸な娯楽映画などでは決してない。
(まず導入部で思い切り逆説的なインパクトある表現をかまします)
これは、ジョージ・ルーカスにとっての世界観であると同時に
キリスト教の教義を超えた包括的な宗教世界を表記する試みでもある。

根底にあるのは父と子というギリシャ神話のエディプス、またはエジプトの
スフィンクスおよび、時にはギルガメッシュ神話にまで素材を求めた彼の
こだわりは、未来の銀河系の共和国という架空の舞台に、4000年の
人類の歴史の通底する「善悪の争い」「男女の愛」「父と子の相克」という
3つの柱を想定し・・・・


あの長くなるからやめるけど、まず、書き出しをかっこよく
次に 全体の結論を先にきめて結論から書いてそれを論証していく
さまざまな角度から しつこく
「そうだろう そうだろう おら おら うり うり」とねちっこくいやらしく
責めます。
それで、読み手がもういいよわかったよ お前の言うとおりだ
と参ったといいそうなところで終わりにします。
批評は将棋みたいなもんだね。
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まずやってはいけないのが感想を書くことです。


では批評とはなにか?ということですが、なんでもいいので自分の得意なジャンルの視点から観て「良い」と考えられるところ、「批判すべきだ」と思うところを書き連ねます。その際、なぜ「良い」のか、なぜ「悪い」のかを論理的に説明しないといけません。
例えば、「郵政民営化」というテーマであれば、小泉首相の視点からみた「民営化」と、郵政に携わる人からみた「民営化」はまったく違った主張になります。仮に民営化賛成論者であれば、そのことの自明性を説明するために様様な分野から論拠をもってきますが、質問者さんのするべきことはこのことと同じと考えて良いと思います。
ただし、哲学的に映画を批評するというテーマがありますので、哲学者の概念をひっぱりだして映画に対して肉付けをしてやればよいのです。
哲学の世界で映画をテーマとして著作物もたくさんありますし、映画そのものを哲学的に論じた哲学者もいます。参考までにジル・ドゥルーズの「CINEMA=キネマ」などは、まさにタイトルが映画というものです。フランスのポストモダンといわれる哲学では多く映画や演劇が論じられていますし、柄谷行人や蓮見重彦の著作を読んでみてはいかがでしょう。内容は難しくてもレトリックはわかると思います。
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