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昨今、小中高大の学力レベルおよび常識の習得の質の低下が明白だが、いったい現場教師はどういう対策を講じているのですか?

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A 回答 (13件中1~10件)

No.5です。


だいぶ、何を質問されたいのかわかってきました。

>「毎年毎年、学生が企業(私のところにも)に採用されますが、実際質の低さに先達者は閉口せざるを得ないのです。それは教育の現場では認識されていないのですか?なにか具体的に改善をする取り組みは行っていないのですか?」

教育現場では非常に深刻に受けとめている状況だと思います。最近、教育論はちょっと流行らなくなりましたが、1990年代は悲痛な状況を訴える本が多数出ていました。

そのポイントは、異論があるかもしれないが次のようなところだと思います。
(1)児童・生徒が教員の指示に従わない(わがまま)。
(2)児童・生徒自身が、自分が傷つくことを恐れ、深い人間関係を望まない。
(3)燃えない。真剣にならない。真面目を馬鹿にする。
(4)自分の好みやスケジュールや都合を、集団より優先する。

つまり、集団の機能が不十分なため、集団の空気を利用して進めてきた教育技法が成り立たなくなってきているということです。たとえば、遅刻をしたら恥ずかしい、宿題を忘れたら恥ずかしいというのは集団の空気に対して自分を恥じているわけです。そうした感覚がなくなっているので、遅刻や宿題忘れが平気になってしまうわけです。教員でなく集団が教育していたともいえます。力のない教員でも何とかなっていたのはそのあたりの背景もあるでしょう。

おそらく、昔はできていたが今はできない指導法が多数あるはずです。

企業が新採者の質の変化に苦しんでいるのと同じく、学校も子供の質の変化に苦しんでいるわけです。
それで、改善する取り組みですが、根本的なことはできていないと思います。それより、変化した子供に対応して、なんとか昔ながらの教育としての格好をつけることに必死だというのが実情だと思います。

だるい、うっとうしいと愚痴をいう子供たちを説得して、何とか勉強やら学校行事やらをさせて、一応それなりの形にするというところまでで仕事となっているのでは。

教員が「常識はこうですよ」と講義して常識が身に付くものではないでしょう。いっぱい失敗していっぱい傷ついて身に付くものです。今の子供はそういう人間的接触を嫌うけれど、だからといって学校が擬似体験を用意したところでたいしたことができるわけもない。そんなことで、企業に常識ある人材を送り込む機能を学校が担うことなど、一部の学校を除けば夢のまた夢だと思います。
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この回答へのお礼

企業に常識ある人材を送り込む機能を学校が担うことなど、一部の学校を除けば夢のまた夢だと思います。

上記ですが、学校は所詮企業の婢であるという意識をもってくれたまえというところです。教師など社会不適合者の救済職種だと、民間企業の何某さんはいっておられますね。郵政行政の大リストラの前に学校をふるいにかけて、社会に不適合者を送りこむような価値の無い学校は改易すべきです。

もちろん私の子供たちは質の悪い教育環境の公立学校には通わせず、都内某私立小学校にかよわせていますが、非常に質の高い教育を受けているようです。

お礼日時:2005/07/07 09:15

No.5です。

たびたび失礼します。

誤解されそうなので補足します。
学習指導とか生徒指導の技法といったものは数多くあり、現在も常時研究が進められています。流派とかある程度系統化された技術もあります。教育に関する公的、私的な研究団体はテーマ別に多数あり、さまざまな経験と技法が蓄積されています。また、学校レベルから国レベルまでいろいろな段階で情報交換や研究の蓄積があり、それらは教育行政に反映されます。そういう意味では、ご質問にある

>いったい現場教師はどういう対策を講じているのですか?

については、一つの方法ではなくさまざまな流儀と技法が並行して全国的に行われているといってよいと思います。つまり、改善に向けた努力という意味では常に対策は目の前の児童・生徒に向けて行われているのであり、教育現場では日常の仕事といえます。

しかし、それらは従来の学校システムの中の努力であるわけです。そうでなく、親や社会が担ってきた機能を学校が肩代わりすることを求めるなら、それに見合った人材と費用、あるいは設備などが要りますよ、ということになるわけです。
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> 現場で教師はどのような取り組みを行っていますか?」という具体論を聞いているのです。



私はそのような具体論は教師ごとの個別対応でありまた、子供ごとの個別対応であると思います。

具体論というのは基本的に現場レベルではないと思います。
あるとしたら文部科学省ではとる対策はあるでしょう。

主観的な回答は述べてはいけないのでしょうか ?

この回答への補足

 

補足日時:2005/07/07 02:13
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2005/07/07 02:07

No.5です。


個々の学校や教員の努力としてはともかく、現在の教育界で、質問者様の期待に添うような対策を、根本的には行う気運にはないと思います。

ただ、教育行政としては方針転換が行われています。
地方教育行政としては、教員の懲戒処分の厳格化、勤務評定の改善が行われています。ただ、これは質問者様の願う対策とは異なります。不祥事を起こす教員や、明確に仕事の能力に欠ける教員を排除するのが主目的です。

文部科学省では、現在、教育課程の改定作業を行っています。学力重視の路線に転換する見込みです。ただ、ご存知のように、文部科学省は、現場に「やれ」と言ったらそれで仕事をしたことになる役所です。それで実際に学力が上がるかどうかは別です。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りの感覚をもっています。
ありがとうございます。
官吏は構造主義的にモノを考え、構造の変更によってすべてがうまくいくと考えているのでしょうが、間違っていますね。

私がドイツへ留学していたころを考えますと、官吏と現場のパワーバランスが日本とは違い、やや現場が上位になるようなシステムでした、、、。

国家の側が教育を国益の第一施策ととらえてくれない限り絶望がつづくのでしょうか。少しうんざりします。

お礼日時:2005/07/07 01:50

No.5です。


質問者様のご希望に対しては、絶望的なことしか書けないと思います。
まず、学力ですが、これは授業に参加しているだけですらすら面白いように身につく、といった魔法があるわけではありません。基礎部分の導入としてはそういうものも考えられますが、系統的な知識を身に付けるには児童・生徒が自主的に勉強することが不可欠です。
このことに学校がどれほどの動機付けができるのかといえば、限界があるとしかいえません。せいぜい、成績をつけるとか褒めるとか表彰するとか言ったことぐらいです。学問自体の面白さを体感させるべきという言い方をする人もありますが、学問の面白さは苦労して学んではじめて得られるものです。
教員自身が学力不足で上手に教えられないという問題も一部にあるかもしれませんが、教員に学力があったところで、この動機の問題が解決しないとどうにもなりません。
現在、中学校の教育を支えているのは高校入試だと言ってもいいでしょう。高校入試が無くなったら、中学校はまちがいなく崩壊します。教育には、何らかの外圧、動機付けが必要ということです。しかし、それを教員や学校が作り出すことはできません。したがって、勉強すれば高給・地位・楽な生活等が待っているというしくみを社会が強化していくしかないでしょう。勉強してもご褒美がないのでは児童・生徒はがんばりません。それなしに、学校と教員に、対策を期待するのは、むなしいことでしかありません。
ただ、労力を投入してある程度ましにする、というのは可能です。そのようなことに成功している学校もあります。制度的な支えや財政的な裏づけがあるわけではなく、ただ試行錯誤をしているに近いと思います。その中で、何らかの条件が重なって、うまくいく学校が出てくるわけです。一方では、うまくいかない学校が出てきます。それは何が異なるのか、きちんと研究が進んでいるとはいえません。

質問者様は児童・生徒が常識を身に付けることをお望みですが、この常識というのが社会性の意味であるなら、学校は今も昔もそのようなことの系統的な教育を行っていません。集団の中でお互いに接することで自然に身に付けてきたというのが実情に近いと思います。しかし、最近は深い接触を望まない子供が多くなりました。これでは社会性の自然育成は望めません。しかし、学校には社会性を系統的に養うシステムはありません。どうしたら気配りができたり、人の気持ちがわかる子供になるのかについて、研究もあまり進んでいません。そういうことは親が教えてきたし、近所の子供と一緒に遊んで、もまれながら身に付けたし、企業で叱られながら身につけるものでした。今はこれらすべて状況が変わり、あまり期待できない状況になっています。だからといって、学校や教員にそれを望んでも、経験もしくみもありません。

いうならば、学校は社会の一部であり、学校は社会に支えられなければならないが、その関係が変化しているということです。社会で面倒を見る気がなく、学校に任せたいなら、それなりの費用を負担しなければなりません。たとえば、企業では即戦力がほしいから最初から社会人としての常識を備えた高校生を育ててほしいというなら、現状の教員では無理です。たとえば長年企業に勤めた人の中から選抜して、新たに雇うしかありません。教育の民営化に期待を持たれているようですが、教育を商品とするなら親の購買力と意識がストレートに反映します。非常に良い学校が一部にできるでしょうが、平均値としては上がらないかもしれません。

教員をもっと働かせるにはどうしたらよいかという点ですが、現状は安定しているにしても出世のチャンスは少なく、給料もそれなりなので非常に優秀な人は他にいくでしょう。任期制などで振り分ける案もありますが、希望者が激減する恐れがあります。教育の充実を望むなら、とりあえずは人数を増やすほうが手っ取り早いかもしれません。反抗的な生徒がいても人数で抑えられますから。

>現場は以前に比べてなにか異なる取り組みを行っているのですかということです。
本質的に異なることは、何もしていないでしょう。

>刻々と変化し続ける社会の要請にある程度は応えないと泥棒と言われても仕方ないと思います。
上にも書きましたが、新しいことをしろというなら金を出せ、といわれても仕方ないと思います。物をするにはコストがかかる。「精神論で克服しろ」は無意味です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変わかりやすく、非常に私自身に意義深いご意見だと思います。
いい製品を供給するには開発コストが必要なのと同様に、いい人材を教育の現場から輩出するのにはコストがかかる。ということですが、まったく正論だと思います。その点で、社会は学校教育に要請をするがコストを用意していないという指摘は正しいと思いました。ただし、完全に無駄を省いてコストに見合ったパフォーマンスを発揮できているかというと、やはり企業人としては無駄があるのではと疑ってしまいます。無駄な官吏が多すぎる等ですが。
私が学校経営者でしたら、教師に対しても結果に応じた報酬を約束しますし、児童や生徒に対してもインフラ面での協力はおしまないと思いますが、いずれにせよ公にたよる教育制度では改善はないのかと思います。
現実、国立大学で日本一とよばれる学生を採用しても解雇せざるを得ない状況がでてきています。では、その分どこで埋めているかというと、フランス人やドイツ人、アメリカ人を採用し業務を行っているのです。私はこのような事態を良き状況と思いませんし、できれば日本の将来ある若者に担ってほしいと思うのですが、実際は教育の現場同様、仕事を教えるまでの準備段階にコストをかけざるを得ない状況です。

貴重な情報/意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/07 01:43

NO.7 補足です。

余計なことかいてるうちに本題を忘れていました。

あくまで私見ですが、

現在教師は、特に小学校では、「勉強すること」を教えています。百ます計算とかご存知でしょう。毎日決まった時間に机に座ること、まずはこういう勉強する姿勢から教えています。おそらく計算が少しぐらい速くなることは真の目的ではありません。そういう姿勢さえ出来れば、知識は後からついてくるはずだからです。
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この回答へのお礼

現場の教師の方々のご苦労は察しております。
家庭での躾ができていないために(多動性障害はあっても)勉強をスタートするまでに時間を要するということですね? この点では、私はむしろ責任は家庭にあると思いますし、学校側にもうすこし権利付与し、スタートできない子については家庭に差し戻すくらいの強権も必要ではないかと思うくらいです。
実際、企業の現場でも仕事を教える前に、言葉遣いから、国英社理、、、高卒レベルといわれる知識と常識を教えなければならない状況です。
そういう意味では教師の方々と企業人の悩みは一致点を見いだせますね。
nao0504さんの回答はとてもわかりやすく助かります。ありがとうございました。                                                                                                                                                    

お礼日時:2005/07/07 01:24

学力レベルというのは何か


国際比較できるテストにおいて日本の順位が下がったことを問題にしていますが私はこのようなテストの結果は人間が生きて行くうえで些細なことであると思っています。
人間が社会人として生きていくための学力は中学校の中間あたりまであれば実は充分です。
では学校(家庭も)は何を子供に教育すべきか
人間が社会にでたあと仕事や社会のかかわりの中で成功し生きて行くための
"学習方法を学習すること"や人間と人間のコミュニケーションの方法を学ぶためての場所であるべきであると私は思っています。

そのため社会にでてから一度も使う見込みのない方程式の解き方や文法などの学力を比較しても本来仕方がないと思っています。

ですから、表面上の学力が下がったといって騒いでいますが私はそれ自体はどうでもいいことだと思っています。
本当の勉強はいままで述べたように別にあると思います。

自分の子供にはそのように接しているつもりです。(普通の公立小学校に行ってます)
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科学技術の急速な進展は学生が知るべき知識を大きく変化させてしまいます。

昨日までは誰も見向きもしなかったような分野が急に第一線に躍り出ることが珍しくなくなったのです。少し前までは、機械・建築工学が花形だったのに現在では情報や生物工学が一躍注目されている様にです。

ですから私は「昨今、小中高大の学力レベルおよび常識の習得の質の低下が明白だが」という質問の前提条件にも疑問を挟む余地があると思うのです。

また少し前までの時代の風潮は、テスト的な学力以上に個性や創造性を養うことに重点が置かれるべきだというものでした。それを受けて現場の教師も、詰め込みに代わる新しい教育の理想を模索していたのだと思います。最近になって、そのせいで学力の低下が起きたと問題視され、それらは否定され、また知識量重視の風潮が強くなってきました。

戦後すぐ、「経験」を重視する自由な教育 → 産業の発達と理工科「知識」重視 → 「経験」を見直すゆとりある教育 → ゆとり教育の見直しへ?

というように戦後教育は「経験」か「知識」かの間で揺れながら歩んできました。今後、長い目で見れば、その傾向が歓迎すべきものであろうとなかろうと、学生の知識の量は増えていくと思います。そもそも一人の人間を教育するには十年以上かかるわけですから、ここ数年来の学力テストの結果を見て、現場教師を批判するのは早計過ぎるように思います。
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この回答へのお礼

現場教師擁護論も同情の余地があります。国家の施策にここ数十年右往左往させられているのも承知しています。が、しかし教育というものを糧とするプロなのですから、刻々と変化し続ける社会の要請にある程度は応えないと泥棒と言われても仕方ないと思います。

厳しく言わせていただきますと、教師に官吏や立法・行政的判断を社会は求めていないと思いますよ。ので、前提などと悠長なことは必要ないと思います。社会の現場(企業社会)では、一刻の猶予もないです。(他職種/他業種の人間とも一致しますが)
現場教師がモラトリアムを要請するなど少し企業人からは理解ができないです。その間の人的コスト、運営コストはどうなるのでしょう?公立学校であればなおさら問題ですね。

そこで私がお聞きしたいのは、現状現場で教師の側から変化を求める動きがあるのか? あるのであればどういう取り組みなのか?ということです。

お礼日時:2005/07/07 01:07

自分自身の身近にいた教師の記憶からも、


いつの時代も質の良い教師も悪い教師もいるものだと思います。
ただ、性犯罪にからむ問題を起こして
マスコミに報道されるような教師はあまり居なかったかもしれません。

大人や社会の責任だと思いますが、一部分においての「生徒の質」も
今と、例えば20~30年前を比べると変わったように思います。

教師・公務員は世間が狭く、常識が無いなどと言われることもあるようですが(一般論として)
そういう部分があるとしたら、
この点もやはり、今に限った事ではないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
各家庭での躾がまったくできていないという指摘はその通りだと思います。援助交際世代が親になっている訳ですから。(買う方は祖父ですねw)
マスコミでの教師の過失/犯罪報道についてもその通りだと思います。
↑これは以前からの変化だと思うのですが、それに対して現場の教育に以前からの変化はみられるのでしょうか?

お礼日時:2005/07/07 00:32

>小中高大の学力レベルおよび常識の習得の質の低下が明白



 これを明確に示す公的な調査は現時点ではありません。また、常識に関しては、常識力とは何かということの定義さえなされていないのが教育の現状です。
 ただ、主として大学教員から、入学してくる学生の学力が低下しているという指摘があります。また、企業からは、若者の特性に対して苛立ちの声があります。
 こうした声に、教育現場が応えているかといえば否でしょう。そもそも、公式には問題の定式化さえなされていないのですから。学校、教員個々にはいろいろ模索、研究していると思いますが、日本全体としてはお手上げの状況だと思います。

この回答への補足

大変明確な回答をありがとうございます。
ただ、揚げ足取りのような些末な情報を求めているのではなく、現場は以前に比べてなにか異なる取り組みを行っているのですかということです。
学力低下や常識の欠如が定式化などされなくても、企業や研究者養成の過程でもんだいが出ているのは事実です。

補足日時:2005/07/07 00:24
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