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江戸時代の地方の藩で侍の役職名が~奉行になるか~頭になるかはどう言う違いからですか?

A 回答 (2件)

その辺は藩の歴史や由緒もあって一概には言えませんし、そもそも基準があったのかということもわかりませんが、一般的には番方や側役は頭、頭取というのが多く、役方は奉行というのが多いように思われます。

(勘定奉行・郡奉行に相当する役が代官頭というような例もありますが。)
また、番方でも頭は直接戦闘部隊で、直接戦闘に関係ない武具等の管理をするのは奉行というようです。
組頭だと役方にもありましたが、それは中間管理職だからでしょう。
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この回答へのお礼

やはり基準自体がはっきりしない感じですよね。どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/10/05 14:15

江戸幕府は幕藩体制といわれるように、中央政府(幕府)と地方政府(藩)の二重体制。

藩は天領=直轄藩(藩と都市あった)と各藩。

奉行は直轄地の財政行政司法の長。寺社、町、勘定(奉行)。
3奉行はさらに分かれるのですが、勘定奉行配下の長崎奉行は本来の収入はたいしたことないが免税品の転売特権や外国商人などの献金品(物品)もあって収入は莫大で子々孫々まで食べていけたとか。
(テレビの密輸や賄賂はうそで合法的だったんです(^^)。1期やれば十分。末期に大塩平八郎(大阪府知事兼大阪高裁長官兼大阪財界代表)の乱ってありますが、幕府の腐敗はよっぽどのことだったんです)

組織肥大化していくと簡単に把握できなくなります。
質問の奉行、頭はこういう分け方。(諸説あるが)
http://homepage1.nifty.com/saga-t/kappa/watashi/ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/10/05 14:16

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