電子書籍の厳選無料作品が豊富!

現場の警察官が点数主義に堕した取締りを適正化するために
昭和42年8月1日に警察庁が出した42.8.1通達というのを最近
知ったのですが、(下記URL参照)、(漫画「カバチタレ」でですが)

「42.8.1通達」(http://www.geocities.co.jp/MotorCity/1103/42.html

どうも、調べてみると2000年12月5日に廃止になっているようです。
(下記URL参照)

「交通行政の歴史」(http://www008.upp.so-net.ne.jp/ko-tu-ihan/HISTOR …

警察庁のホームページを見ても、この通達が廃止された経緯に
ついてまったくわかりません。

42.8.1通達自体はとてもすばらしいものだと思うのに、なぜ廃止
されたのか、どのような背景があるのか知りたいです。

詳しい人じゃなくても、意見だけでもいいですので返事ください。

よろしくお願いします。

A 回答 (13件中11~13件)

 ♯2です。

ここは質問の場であり、議論の場ではないので最小限に留めますが…。


>危険性の少ない軽微な違反に対しては、警告による指導を積極的に行うこととし、ことさら身を隠して取締りを行ったり、予防または制止すべきにもかかわらず、これを黙認してのち検挙したりすることのないよう留意すること。

 この項目こそが、反交通取締りの根拠となり、人○110番などの団体がこぞって主張した部分です。
 これは、単なる通達ですから、一般ドライバーを拘束する性質のものではありませんが、交通取締まりを実効ならしめるには足かせとなった部分でもあります。

 知識人などが、「堂々と取り締まって、それでも違反する奴を検挙したらいい」と言いますが、堂々と取り締まってあえて違反するようなアマノジャク(もしくはマゾヒスト)は、そういるものではないし、こういうドライバーだけを対象としていたら、ドライバーは警察のいないところでは何をやってもいい、ということになってしまいます。

 そもそも「危険でない違反」って何でしょう?シートベルト違反ですか?あなたが事故に巻き込まれてシートベルトをしないために死んだら、その相手方は死亡事故の当事者になるんですよ!


>すでに交通違反の反則金、罰金が国家財政の1パーセント強(公安委員会に渡る分を除く)を(公安委員会に渡る分を除く)を稼ぎ出すシステムに成長してしま
ったので、現在の検挙数を維持することが国家の自己防衛作用として動き出してしまっているのではないか

 これも、週刊誌などでよく取り上げられる主張ですが、全く根拠はありません。私は警察関係者と交流がある部署にいるので分かりますが、予算のために取り締まりをするということは聞いたことがありません。死亡事故が多発するので取り締まりを強化するということはあります。


 つまるところ、「いつでも警察が見ているぞ」という緊張感を持たせることに意義があると思うので、隠れて取り締まることが不適切だとは思いません。
 普通善良な人が人を殺めてしまうところに、交通事故の恐ろしさがある。だから、適切な取り締まりは、弱いものいじめどころか、人助けだとさえ思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私は警察関係者と交流がある部署にいるので

おっと、関係者の方でしたか。これは貴重な御意見ありがとうございます。
なかなかこういう機会はネットぐらいでしかないですものね。
(郵便局員と郵政民営化について議論するとか普通ないですもんね)

やっと、通達の内容の話になってきましたね。(うれしいです。)

内容うんぬん以前の問題だとか言われてきましたが、それは僕は違う
のではと思っています。(今までの回答者の方には悪いのですが)

地方分権うんぬんというのは建前です。

「法律の運用については地方に任せる」

というのはおかしいです。警察庁は立法府ではないので
法律を作る立場にありません。法律の基本的な運用法
について地方に枠組を示すのが有るべき姿です。

その証拠に42.8.1以外の通達はたくさん残っています。
(警察庁のホームページにリストがあります。)

ということで、建前としても通ってない可能性まであります。

そのなかで、恣意的に42.8.1通達が選ばれて廃止された
理由(建前じゃなくて)を僕は知りたいのです。

で、内容の話に移りますが

>知識人などが、「堂々と取り締まって、それでも違反する奴を検挙
>したらいい」と言いますが、堂々と取り締まってあえて違反するよう
>なアマノジャク(もしくはマゾヒスト)は、そういるものではないし、こう
>いうドライバーだけを対象としていたら、ドライバーは警察のいない
>ところでは何をやってもいい、ということになってしまいます。

あれ?検挙することが目的だったんですか?
事故を防止すのが目的じゃないんですか?
でも関係者の貴重な御意見ということで心にとどめておきます。

>つまるところ、「いつでも警察が見ているぞ」という緊張感を持たせる
>ことに意義があると思うので、隠れて取り締まることが不適切だとは
>思いません。

そんなところに意義があったんですか?
知りませんでした。事故の防止とは別だったんですね。
勉強になりました。

>普通善良な人が人を殺めてしまうところに、交通事故の恐ろしさが
>ある。だから、適切な取り締まりは、弱いものいじめどころか、人助
>けだとさえ思います。

ほんとうにその通りだと思います。「適切」な取締りは人助けに他なり
ません。

お礼日時:2005/10/12 08:54

地方自治は憲法と法律の枠内で認められています。



>「憲法を守るかどうかを各都道府県が決める」
>「火事を消すかどうかを、各都道府県の消防庁が決める」
>とかいうのも、地方分権の一環として成り立ってしまう
>おそれがあるかと思います。

こんな馬鹿げた地方自治があるはずがありません(笑)常識の問題ですね。その一方で、

>「中央は基本的な枠組みをつくり、その詳細については
>地方が決める」というのが地方分権のあるべき姿だと僕は思います。

当然のことです。わかっているのになぜ上のような非常識な例え話がてくるのか、理解に苦しむところです(笑)

問題の通達の内容は、本来、地方が判断するべき法律の運用について国が注文をつける内容なので廃止されました。内容を問う以前の問題です。
地方行政が「当たり前」のこともできないほど低いレベルにあるとすれば、それはその地域住民のレベルを反映しているのです。わかるような気がしますね(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まさにそのとおりです。(笑)

憲法うんぬん、火事うんぬんというのは
ある種の「釣り」でした。

論議が終わってしまわないようにあえていれたのです。

気を悪くされたのなら、謝ります。
申し訳ございませんでした。

>問題の通達の内容は、本来、地方が判断するべき法律の運用について
>国が注文をつける内容なので廃止されました。内容を問う以前の問題です。
>地方行政が「当たり前」のこともできないほど低いレベルにあるとすれば

地方行政が「当たり前」のこともできないほど低いレベルにあるとすれば
どうしたらいいのでしょうかね?
「当たり前」の部分まで具体的に法律に盛り込んでもらうしかないという
ことでしょうか?

>地方行政が「当たり前」のこともできないほど低いレベルにあるとすれば
>それはその地域住民のレベルを反映しているのです。
>わかるような気がしますね(笑)

この嘲笑については、反論はありません。(笑)
私のせいです。もうしわけございませんでした。

お礼日時:2005/10/11 16:27

 通達なんて、所詮部内規定なので、いつ廃止されても手続き上問題はありません。



 私は、こんなカビの生えたような通達が、最近まで存続していたこと自体が不可解です。

 42年当時の免許保有率は、今とは比べ物にならないくらい低かった。その頃と比べると、現在の状況では、交通事故防止のためには、より強力な指導取締りが不可欠。こんな通達に縛られているようでは、事故抑止もあったもんじゃありません。

 それにしても、42年当時は、車の保有者は少数派でしたから、交通取り締まりは「強きをくじく」だったんですがね…。時代が変わると、「弱いものいじめ」になってしまう。同じことをやっているというのに…。人間の考えなんて、所詮いい加減なものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ただ、少しご意見にたいして反対意見を述べさせてください。
(気を悪くなさらないでくださいね。)

おっしゃるとおり、42年当時は自動車の台数は今の9分の1程度
でした。(ネットで調べてみました。)
「自動車保有台数の推移」(http://www.mlit.go.jp/jidosha/topbar/data/data20 …

当然、現代では事故防止のためには、当時とは違ったアプローチで
取り締まりを行わなくてはならないと思います。

しかし、42.8.1通達に縛られていては事故抑止もあったものでは
ありません。というのには疑問です。

通達にもあるとおり、

「危険性の少ない軽微な違反に対しては、警告による指導を積極的
に行うこととし、ことさら身を隠して取締りを行ったり、予防また
は制止すべきにもかかわらず、これを黙認してのち検挙したりする
ことのないよう留意すること。」

とあります。

危険性の大きな違反に対してはどんどん取り締まる
のは大賛成です。

むしろじゃんじゃん取り締まるべきだと思います。
(飲酒運転の罰金が増えたのも賛成です。)

しかし、時代が変わったから、「弱きをくじく」ようになってもよい
というのは何かおかしいと思います。

推測ですが、すでに交通違反の反則金、罰金が国家財政の1パーセント
強(公安委員会に渡る分を除く)を稼ぎ出すシステムに成長してしま
ったので、現在の検挙数を維持することが国家の自己防衛作用として
動き出してしまっているのではないかということです。

「弱きをくじくことによって国が成り立っている」

というのは言いすぎでしょうか?

お礼日時:2005/10/11 11:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!