今年7月母が永眠しました。
2年ほど前から半年事に、後3ヶ月、あと3ヶ月と告知されました。
しかし1度も痛がらず、歯もきれい、目も良く見え、頭も冴え、足腰も元気別段老人とというだけで、元気でした。わたしが 介護してたのですが、病院に入ると気分がわるくなったり歩けなくなったりで、弱るので病院には入れたくなかった。痛みさえ言わなければ。便秘になつたので病院で浣腸をちょっとしてもらいにいつたらそのまま入院でその夜から点滴,注射、そのまま意識がなくなり5日目で亡くなりました。あの時病院に連れて行かなければ、あの時もつと優しくいえばよかつたとか、毎日、毎日後悔と懺悔の気持ちで仕事もできず。辞めました。それはそれで
なぜ、今やめれるなら、母が生存中に辞めてずーとついてやらなかった。といつも
自分を責めてしまいます。助けてください。どう考え直せばよいのか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

 rinokunnさん、はじめまして。

スコンチョといいます。この度はご愁傷様です。

>>自分を責めてしまいます。助けてください。どう考え直せばよいのか。

 心理学のカテゴリにあるので、心理学のひとつの真理をお伝えします。「過去
と他人は変えられない」どんなに後悔しようとも、現時点で何を投げ出しても、
たとえrinokunnさんが自殺しても「過去」は変えられません。まず、そのこと
を心に刻みましょう。

 また、茶道の心得に「一期一会」があります。元々は、一生に一度しかない
チャンスに精一杯もてなしなさいという意味ですが、僕自身は、この人と関わる
瞬間(仕事・趣味・家庭等々)は今しかないのだから、後悔しないように付き合
っていきなさいという自分への戒めの言葉としています。いずれは離ればなれに
なることは分かっていますから。

 毎日顔を付き合わせていた、前の職場の皆さんとも後悔のない日々を送って
こられましたか。また、その他にrinokunnさんの周りにいる人たちに、そうい
う気持を持てていますか。もしも、そういった気持が持てていないのでしたら、
お母さんのときと同じ後悔をする為に、人生を生きているとも言えます。

 初めの「過去と他人は変えられない」という言葉に戻りますが、お母さんへの
後悔を「自分の成長の糧」とするように考えていかれる以外に、亡きお母さん
への後悔の念は消えることはないかもしれませんね。この言葉が指し示す「変え
ていけること」とは今と今が積み重なっていく未来。そして自分に他なりません。

 僕も先月父を亡くし、お気持ちはお察しします。そして家族にも言いました。
「お父さんがいなくなって寂しかったり悲しかったりするのは仕方ない。でも、
寂しかったり悲しかったりするのは良い思い出がいっぱいあるから。だから、
辛がるのだけはやめよう」と。

 両親を失うことや、こうすれば良かったと思っているのはrinokunnさんだけ
ではありません。もしお母さんがおられたら、現在のrinokunnさんを見てどう
思われるでしょうか。お母さんが生きておられたら、立派な社会人として頑張っ
て欲しいと望まれないはずはないと思います。過ぎてしまったことを言い訳に
せず、今この瞬間から何をするべきかきちんと考えてみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴方のおしゃるとうり、30年営業してきた店をお客さんときっちり別れもせずに
閉めてしまいました。これも後悔かもしれません。自律神経失調症って奴かしら
思考能力がおかしいんです。

心臓もバクバクと時々するし、ちょっとへん、・・・
星になって見てくれてると思ってはいるんですが・・
こないだの流星雨はうれしかった。
            頑張ります。

お礼日時:2001/11/24 23:40

こんにちは。

とても悲しいのですね。
自分にはもっとできることがあった、と思うことで傷は深くなってしまいます。でも、そのとき、あなたは本当に手を抜いていたのでしょうか?
できることはしていたはず。
やらなかったことは、きっと、できないことだったのです。
自分の当時の状況や精神状態、もともとの気質、母上様との関係などから考えて、そのときの自分がベストをつくしていて、それでこの結果なのだと納得がいけば、自分を責めることから逃れられます。
冷静に、正直に、考えてみてください。
そして自分に「よくこれまで母を大切にできた」と言ってあげてください。

母上様があなたを恨んでいたのなら話は別ですが、愛していたのなら、自分の死をあなたがそれほどまでに悼むことを望むでしょうか?
あなたが母上様を愛しているのなら、母上様が残された「あなた自身」を大切にすることがこれからの一番の方向かと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとう。
今朝、母が逝って4ヶ月になり初めて夢をみました。
10歳程若く優しくほほえんでいました。
夢の中で亡くなったのが、夢かと一瞬思ってしまったほどです。
うれしかった。
やはり介護してる時はいらいらしたり時間に追われて寂しい思いをさせた、とおもいます。あの時、あんな時、とやはり完璧ではなかった。後悔ばかりです。
そんな私に母は有難う、ありがとう、と言って手を合わせるんです。
母は喜んでくれたと思います。 
でも私はもっと、母に優しくしたかった。ごめんなさい、おかあさん。

お礼日時:2001/11/26 19:01

rinokunnさん、こんにちは。


この度は大変でしたね。
お母様の事で後悔している気持ち,よくわかります。

私も8年前に母が64歳で亡くなりました。
風邪を引いて咳がひどいので医者に連れて行ったら肺炎で即入院でした。
入院してから今度は心不全・肺水腫を起していると言われ大学病院に転送されました。
転送する救急車の中では話しが出来たのですが
大学病院では到着と同時に麻酔を打たれて酸素吸入となり死ぬまで
1度も話しを出来ませんでした。
母の部屋で「もし,病気になったら延命の措置はしないで欲しい」と書いた書置きを見つけた日に亡くなりました。
入院から2週間ぐらいだったと思います。
母親が亡くなると,自分には主人も子供もいるのにこの世で一人ぼっちになってしまった喪失感みたいのを感じました。
だって,生まれてきたからの私を知っているのはお母さんだけだもの。
私だって後悔しています。もっと早く病院に連れて行けば助かったんじゃないの?
最初から大きな病院に連れて行けば死なずに済んだのではないか・・・・
あんな書置きを見つけなければ良かった・・・

亡くなってからは、周りの人にお母さん長患いしないで「子孝行」だったんだよ。
長く入院していたら介護している人も大変だったんだよ。とか言われました。
だけどそう言う事は、人に言われる事ではなくて、自分で納得しないとダメなんです。

時間が必要です。泣く事も必要です。
私は、友達のお母さんが話しを聞いてくれて一緒に泣いてくださって、なんだか救われたような気がしました。
それでも亡くなってから4・5ヶ月はたっていたような気がします。

とりとめもなく自分の事ばかり書いてしまいました。

きれいなお花を見つけたらお母さんにお見せして、美味しいものを食べたらお母さんにお供えして。そしたらお母様もrinokunnさんが元気になったと喜ばれるのではないでしょうか?

rinokunnさん、無理しないでください。頑張らなくてもいいんですよ。
いつでもお母様は、rinokunnさんのそばであなたが笑顔を取り戻す日を待っていると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

あきさん有難う。
母の最後の言葉は、入院した日、午前2時ごろ帰る時、
帰るの?、・・寂しいわ。・・でした。
辛いです。時が解決してくれるらしのでその日まで、
母のことを思い泣きます。もう無理はしないでおこうと思います。
泣くだけ、母にきっと、心配かけたんでしょうね。
ありがとう。あきさんもお元気で。

お礼日時:2001/11/25 22:12

どうすればよいかと言うことですが、このように近親者を亡くされた方が、「こころの整理」をつける作業のことを、グリーフワークと呼んで、実際には、臨床心理士などが対応しています。

ですから、今はお辛いでしょうが、すくなからずの人が体験することだろうと思われます。かつては、地域社会でケアできていたものなのですが、核家族化が進み、それまでは、その村や町で過ごすうちに解消されたものができにくくなっています。具体的に何を行うのかと言いますと、様々な悔いや辛い気持ちを繰り言のように話していくことにあります。同じ話を何度も聞き続けると言うことが一般の人にはできませんから、専門家が生まれてきたとも言えます。同じことを何度も話してどうなるかと思われるでしょうが、その過程で少しずつ違ったものが見えてきたりもします。この作業は時間がかかりますが、将来の希望につながるものだと思っています。グループで行われているところもあるので、お近くで探してみられるのもいいと思います。

http://www.hw.kagawa-swc.or.jp/~kokoro2/top/grie …

参考URL:http://www.hw.kagawa-swc.or.jp/~kokoro2/top/grie …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。
そういわれると、身近な人たちの慰めの言葉をいっぱい頂いたのに
こうして投稿しても、聞いてもらいたい行為はjun95さんのおっしゃるとうりですね。

昔、そういえばとても辛いことがあった時いろんな人に聞いてもらいたい
会いたい、しゃべりたい同情してもらいたい、でも気持ちが落ち着いた後
あー世間に大恥かいたなーと後悔したことがありました。
助けてもらったのにね。やはり 時が解決してくれるのでしょうか。
そう思うと少し心が軽いような気がします。  有難う。

お礼日時:2001/11/25 21:59

 ご愁傷様でした。


 私も2年前におやぢを亡くしました。

 現在お袋も入院中です。

 家族が危ないときでも、自分は認めたくない気持ちになっていませんでしたか。

 後悔は私も同じです。数えたらキリがありません。

 でもね、それを考えたら、後ろを向いてばっかりなんです。

 今回の経験を今後に活かしましょう。

 決してマイナスには考えないことです。

 今、私はお袋になるべく付いてやるようにしています。

 自分を責める必要はないよ。

 長くは書きません。

 これからの人生に活かしましょう。

 時間も解決を手伝ってくれるよ。

 心配いらないよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとう。
商売をしてたので普通の娘見たいに24時間一緒にいてやれることができなかった。きっと寂しかったろうな~。
無理に今の気持ちからにげません。
自然に母と一体化するまで嘆いたり、懐かしんだり、後悔したり。
これが人の皆行く道でしょね。
お母様がお元気になられますように、お大事に、有難うございました。

お礼日時:2001/11/25 22:28

rinokunnさん、はじめまして!



僕も親ではないけど、7月に突然叔父が亡くなりました。
自転車で3分もかからない所に住んでいて、僕が学生の
頃には野球を観に来てくれて・・・

叔父さんは2年前位に退職して、お酒が大好きで・・
僕もお酒はかなり飲む方ですから、一緒に飲みに行けば良かったな~・・
叔父さん喜んでくれたろうな~・・
なんて思って仕方がありません・・

そんな気持ちがあってか、四十九日までは毎日線香をあげに行きました。
今になっては、姿形は見えないけど叔父はいつも自分を見ていて
くれると思ってます。
今、こうやって叔父のことを思ってここに書き込んでる事も
見てくれている。
心の中まで見えてるんだろうな~って思ってます。

だからお母さんも、rinokunnさんの今思っている事、
「毎日、毎日後悔と懺悔の気持ち・・」
きっと分かっていますよ!
見ていてくれると思いますよ!
だから、これからをしっかり生きなければ!!!
お母さんが悲しみますよ!!
そう言う風に思わないと! って言うか、僕はそう思って今
何とか頑張れてます。

なかなかそう思えないかもしれないけど、そう思って生きて行かないと
お母さん悲しむよ!

お互いに頑張ろうよ!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。
星になつて見てくれてる、一番輝いてるのが母の星と手を振っています。
ごめんね ごめんね もっと もっと一緒にいてあげればよかったのに、

涙、で文字が見えません。
頑張ります。頑張ります。悲しみがあまりにも長すぎる,時が解決すると言うけれど
一向に静まりません。部屋もそのっま、お骨も手放せません。
私の神経が更年期障害、とか、自律神経失調症、になつているのでは?
病院に行くのがいいのかな?
             この頃変な  りのくんで~す。

お礼日時:2001/11/25 00:01

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q突然死んだ母に会いたいと思うことがつらいのです。

おととしの春、母が突然亡くなりました。父もすでになくなっているので私は一人で暮らしています。
口うるさい面もあり、よく喧嘩もしましたが心優しい母でした。

父は死ぬ数年前から病気で入退院を繰り返してたので、心の準備ができていて父の死の悲しみは
すんなり乗り越えることができました。

しかし母はある日突然倒れて亡くなりました。まだ70代だったので、まさか突然死ぬとは思っておらず、母の死から2年たってもショックをいまだにひきずっています。

外で仕事をしてるときは気持ちが落ち着いてるのですが、一人で家にいたりすると、「死んだ母にもう一度会いたい」という思いがこみあげ、悲しみで胸が引き裂かれそうになることがあります。

心にポッカリ穴があいて、その穴を埋められないような感じです。

親が突然死ぬとこんなにも長く悲しみを引きずるものなのでしょうか。

悲しみを今も引きずってる私は心が弱いのでしょうか。

親の死の悲しみから、みなさんはどう立ち直ってるのでしょうか。

Aベストアンサー

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられないものですね。
しかたの無いことだと思います。
それを無理に忘れることは絶対に出来ないことです。

しかし、気を紛らわせることは出来るはずです。
おひとりになるときに思い出されるとのことにヒントがあるんじゃないでしょうか。
出来れば結婚されてご家庭を持つことが一番の解決につながると思います。
それには縁が必要ですので、自分の思うままなりませんね。

他には夢中になれる趣味を持つことです。趣味ができれば、その仲間が作れます。
仲間との馬鹿な話で笑っているときは、少なくとも忘れる時間が持てるはずです。

少しづつですが、時間も解決してくれることでしょう。
皆さん、そうやって乗り越えてきています。
質問者のあなたも、あせらずに解決していってください。

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられな...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
...続きを読む

Q親の死を乗り越えたものの、無気力。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また人付き合いも悪くなりました。

軽い夢遊病のような状況です。一番苦しい時期に悲しみを堪えてふんばらなければならなかったこともあった反動なのか、喜怒哀楽の感情が上手く制御出来ていない感じがし、頭には常にモヤがかかったような状態です。行動にせよ言動にせよ、以前と比べて明らかに”芯が通っていない”と感じます。

はた目から見る分には正常のようですが、このような状態が続くとマズいな、とは感じます。

どうしればようでしょうか?もし似た様な状況を克服した方がいましたら、何か良い方法を教えて下さい。
よろしくお願いします。

尚、多忙のためお礼が遅れてしまうかも知れません。ご了承下さいませ。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また...続きを読む

Aベストアンサー

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんでしょうね。いっしょです。

一人で、好きなだけ、泣き通す時間が必要でした。

で、それは、今だったら、もうすっかり正常なので、ちょっとした、ニュースとか、写真とか、音楽、美術、なにかちゃんとしたものにふれたとき、すぐに来ますけど、(ニュースを見たらすぐ泣けるという意味です)

当時は、まとまった時間、集中出来る環境がないと、なんかとにかくぜんぜんダメでしたね。
「今、そのモードじゃない」という感じでしょうか、切り替え「しちゃならん」と思ってるからか、切り替えスイッチ、入らないんですよね。

わたしの場合は、死んだ家族と、同居の家族のほうが、ある意味、立ち直りが早くて、
わたしのほうがついて行けなかったです。それもものすごくつらかった。時間のたちかたが、ひとりひとり、違うんですよね。本当に違います。もうそれはどうしようもない。

なので、一人暮らしの、一人の部屋で、「もう帰省した」とか「旅行中」とか、友人や彼氏に嘘をついて、ひとりになりきりました。買いだめして。ちょうど、夏休みとか冬休みとかの長い企業だったので。

やっと集中出来て、モードに入ると、もう、あきれるほど、何時間でも、泣けるんですよ。
びっくりです。

それで徐々に治った感じですね。

参考になれば。

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんで...続きを読む

Q親が突然他界してなかなか立ち直れません。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができておらず
私は時々悲しみで押しつぶされそうになるのです。

母は高齢のわりには元気でしたが、この夏の猛暑の影響もあったようで
突然他界しました。
倒れる前日までは「普通のお婆さん」という感じで
普通に生活していました。

私はできるだけ楽しげに生活して普段はなにげなく仕事したりしてますが
誰もいない家に帰ると
「口では表現できないような喪失感」に襲われ、
これがいったいいつまで続くのだろうかと悩んでいます。

「父も母もいなくなって一人ぼっちになってしまった」
という寂しい気持ちにおしつぶされそうになり
なにをやろうとしても集中できないのです。

いつかこういう日(両親ともに亡くなる日)がくる・・・
と自分で自覚してたつもりですが
自覚が足りなかったのか、気持ちが乱れます。

また母の突然の死後
私の体調も不安定で
不眠や胃腸の不調に悩まされ、クリニックに通ったりもしてますが
「口では表現できないような喪失感」までは治せません。

ただ、自分が幸せだと思えることもあります。
それは今、母に心から「ありがとう」と思えること。
そして私が母を最後まで看取ったことです。

仮に親が元気でも
親子関係が険悪な状態が長期化してたりすると
それは不幸せだと私は思うのです。

また母の死後知ったことですが、
母は周辺の人から評判が良かったことを知りました。
周辺の人からは「心が優しい親切なお母さん」、「真面目で誠実な人」
「年齢を感じさせない若々しいお婆さん」など・・・。

家の中では
母は歳をとってからは
よく私に愚痴を言ったりもして私はウンザリすることもよくありました。
でも今ではそれさえ大切な思い出です。

そのように言われていた母を亡くしたことに
いっそう心が悲しくなるのです。

早く立ち直りたいと思えば思うほど、
何故か自信がなくなってしまい自分が情けなくなるのです。

親や家族を亡くして悲しい思いをしたとき、
人はどうやってその悲しみをのりこえるのでしょうか?

親を亡くすとこんなにも気持ちが乱れ
自分がもろくなるものなのでしょうか。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができて...続きを読む

Aベストアンサー

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙であり、心なのですから、もっともっとお母様との想い出話を目に見えない糸電話で会話して下さい。

私の場合は親が突然死では無かったのですが、私が外国で仕事をしていたので、看取る事も無く、葬式すら出る事無く、日本に帰国後、墓参りをした時に親不孝者と悔やみ、嘆いた事を今でも想い出して悲しくなる時が在りますが、不思議に親の残した言葉が、心の中から蘇って来ては懐かしむ事がしばしば今でも在ります。
ただ、辛かったのは、遺品として父親が愛用していた、コーンパイプと万年筆を見た瞬間は男泣きしながら、物凄い喪失感に襲われました。
そして、今でも遺品を見ながら父親と会話をしています。
貴女とは違いますが、無理に忘れる事も無いし、喪失感でも良いじゃないですか!姿が無くても、見えなくても心の会話を一生しましょう。
心がもろく成っても、目に見えない糸電話で母親が支えてくれてるので心配ありません。
永遠の心の糸電話を楽しんで下さい。

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙で...続きを読む

Q母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
あまりにも私がクヨクヨして子供たちの相手を放棄しているので少々あきれ気味です。

特に何が無念かと言いますと、

一つは、母の病気の事をもっと真剣に知ろうとすればよかった、
心配をしてあげて、私が大きい病院を変えるとか入院をするとか何か真剣に対策をとっていれば、
10日前のあの日ではなかったかもしれない、
という死なせずに出来たのではないかという後悔。
不整脈の病気があるのに、何年も元気に通院していたので、一人暮らしのまま、
母にすべてを任せていた。特にここ数ヶ月は愚痴を聞いてあげる優しさがなく、
弱音を吐く母に、頑張ってって、私も大変なんだからって、叱咤ばかりしていたこと。

もうひとつは、死ぬ前にもっとしたあげたかったことが、毎回伸ばし伸ばしにして、
出来ずに終わってしまった。本当に元気だったので、まさかこんなに早くこの日が
くるとは思わずに、自分の生活と自分の家族と過ごす事を優先にしてしまっていた。
旅行の約束も何年も伸ばしてしまった、やっとあと2ヶ月後に実現するはずだったのに。
育児と仕事に追われ、休みの日も掃除などの家事に追われ、母と妻と仕事人の自分を懸命に
生きるあまり、高速で3時間かければ行けるところに住む一人暮らしの母の娘であることを
おろそかにしていた。
特に最近は、愚痴が多いのが嫌で少し距離を置いてしまったいた。優しくなかった。
もっと孫を連れて顔を出せばよかった、メールや電話ももっとすればよかった。
優しい言葉をかければよかった。全てこうなってから気づく事。

すみません。まとまりのない感情になってしまいました。
母のためにも乗り越えて、愛していた孫たちのお世話をするのが供養だということは
わかっています。でも子供たちの顔を見ると、こんなこと出来るようになったとか、
今こんなことしてるんだ、とか母に話したい、相談したい、こぼしたい、
写真を添付したい、見てもらいたいといった気持ちにかられて、辛くなってしまいます。
特に下の1歳に方はぐずられるとイライラして、「今あんたがこんなに大変だから、
私はばあちゃんを心配する余裕がなかったんだからね!」みたいに
チビのせいにしてしまう気持ちがあります。母として最低ですよね。
主人がいるときは主人に甘えています。
本当は育児も家事も仕事もなにもせず、布団とパソコンにいたい気分です。

何かスピリチュアルとかカウンセリングに行ったほうがいいですか?気持ちは解決しますか?
ああいうのは偽りで、お金を取られるだけでしょうか?
母と話がしたい、謝りたい、許しを請いたい、、、戻ってきて欲しい。
それは無理だとわかっていますが。私の症状にスピリチュアルなどは有効でしょうか?
どうすれば、、、無念を乗り越え、現実の生活を頑張れますか?

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
あまりにも私がクヨクヨして子供たちの相手...続きを読む

Aベストアンサー

大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
ですから、正直な話、何年も心の整理が付かない、というケースも多々あります。
私自身も母親と兄弟を続けて亡くしました。今年で3年になります。日常生活に
支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
兄のことを思い出すと、今でも新しい涙がこみ上げてきますし、なにか美味しいものを
食べたり、楽しいことを体験する度に「私だけこんなに良い思いをしてもいいのか」と
罪悪感に苛まれることもあります。

数年経った私ですらこうなのですから。
質問者様ご自身も「今はまだそういう時期なのだ」と受け止められて下さい。

スピリチュアルのことは分かりませんが心が弱っているときは、善悪の判断がつかずに
目の前の物に何でもすがってしまう怖さがあります。私は別件でカウンセリングに
かかっていましたが、そこでは「グリーフケア」というものをやっていました。

http://www.grief-care.org/about/index.html

これは魂がどうとか言う抽象的なことではなく「死に直面した人間の多くが
たどる道」を段階的に示しています。ご参考までに。

お子さんに対しても今は余裕がなくなってしまっているのですね。
それはとてもよく分かります。でもお母さんの死でひとつ学びましたよね。
「時間は戻せない」ということです。

失った悲しみは大きなものですが、今ある幸せは小さな物ですか?
どうでもいいものですか?そしてそれは未来永劫そこにあるものですか?
「無くなってしまったらもうどうにもならない。だからこそ今、あなたの手の中に
あるものを大事に慈しみなさい」私には亡くなった母の声が聞こえます。

どうぞこの詩を心に刻んで下さい。

http://home1.netpalace.jp/counseling/room/room.cgi?mode=koumoku&no=27


そして、今ある悲しみはどうぞそのまま。癒えるときが必ず来ますから。
無理に元気にならなくても大丈夫。今はしっかり悲しむことが大事です。
たくさん泣いて、たくさん後悔して。そして今生かされてる自分や家族を
愛しましょう。

「日常」は残酷です。知り合いが幼い子を亡くしたとき「私は悲しみに浸って
いたいのに、ゴミの日はやってくるし、洗濯物もたまってくる。なんて理不尽
なんだと思ったけど、今思えばそれが心のリハビリにもなっていた気がする」と
言っていました。煩わしいけど避けられない日々の暮らし。でも本当はそれが
一番大事なものかも知れません。

頑張る必要はありません。ご主人やお子さんを支えに少しずつまた立ち上がれば
いいんですよ。必ずその日は来ます。1年2年。気長に待ちましょう。

そしてお母さんには「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と言えると良いですね。

大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
ですから、正直な話、何年も心の整理が付かない、というケースも多々あります。
私自身も母親と兄弟を続けて亡くしました。今年で3年になります。日常生活に
支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
兄のことを思い出すと、今でも新しい涙がこみ上げてきますし、なにか美味しいものを
食べたり、楽しいことを体験する度に「私だけこんなに良い思いをしてもいいのか」と
罪悪感に苛まれること...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母が突然死しました

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度は失った喪失感で何もする気が起きません。家には弟もいますし、父(これは長くなりますから後述、別の質問します)もいます。私が母がしていたことをしなければ家のことは動きません。ですが、どうしても母のことを思い出し、近所のスーパーに行くことすら出来そうにないのです。大切な人を亡くした方はどうやって克服したのでしょうか?
どんなに小さなことでもいいから教えて下さい。
よろしくお願いします。

補足
入浴中の死亡と言うことで警察が来まして色々と聞かれた上に監察医の検死が入らないと遺体は返せないと
言われてそれがまた悲しみが一層深くなりました。法律上仕方ないことなのでしょうが、いたたまれない気持ちでした。
検死も昨日終わり、虚血性心不全と言うことで死因がわかりました。もう少し詳しく知りたいのなら解剖がありますが、どうしますか?と聞かれこれ以上母の体をいじられるのも嫌だったのでそれはお断りしました。
突然死と言うことになるのでしょうが、本当に突然目の前から母がいなくなってしまって喪失感が日に日に大きくなっていってとても耐えられそうにありません。心療内科にも急遽かかりました。
突然死や事故で最愛の人を亡くした方の克服したお話を伺いたいです。
よろしくお願いします。

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度...続きを読む

Aベストアンサー

私も似たような状況で母を失いました
病院で死を告げられた時は私も涙はでませんでした
後から考えると認識するまでに少し時間がかかったのかなという感じがします
体が反応してなかったんだと思います、全然問題はないです

乗り越えるのには時間はかかりました
母というのは生涯で一番子どもに多くのものを与えます
既に自分は多くのものを与えてもらっていたと気づくことで
そんな自分を信じて生きていくことが大切なのかなということで今は普通に生きています

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング