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このまえ母と会話していたら自分が死へ絶望して手に負えなかった頃の話をしてきたのでその事について質問させてもらいます。

私はまだ小学生になっていない時期に死ぬという事にとてつもない恐怖を感じて年をとりたくないといって号泣している時期がありました。

父や母はまだ80年ぐらいも生きれるじゃないといっていました。私は決して80年を短いと思っていませんでした。

ただ一度死んでしまえばなにをしても永遠の無になるという事が怖かったです。
この永遠という点がなんともいえない恐怖でした。
一度死んだら絶対に生き返れないからこそ生命には無限の価値を感じていました。その無限の価値を失うような感覚でした。無限の損失をする事なので有限することの出来ないような無限の恐怖を感じていました。今まで感じた恐怖で一番強い恐怖がこれです。

父や母には「どうせ死んでしまえば皆一緒なら生きる意味ない」「無限の悲しみ」という事をいっていたそうで(無限ということばをどこでしったのか知りませんが)自分でもそういう事を考えていたのは覚えています。幼少期なのにこういう事考えるのはおかしいと思います

今では永遠に生きれる事の方が怖いと思うようになっています。死の恐れが収まったのは「恐竜時代自分は死んでいた。でも怖いと思う事もなければ苦しいと思う事もない。ならば死ぬ事は怖くないと思いました。ですが今度は不老不死になったら怖いなぁと思うようになりました。

どういった事が幼少期にこういう風に考えさせる要因に考えられますか?3~5歳でこんな変な事考える例はほかにありますか?私は昔からIQが優れているわけでないと思うので心理的観点からの考察教えてください。

A 回答 (4件)

下記サイトなどを見ると、思っていたより、そういうお子さんは多いように見えますね。


http://mikle.jp/threadres/1741385/
わたしなどは鈍感だったせいなのでしょう、そういった幼時経験はしていませんが。
さて、その要因についてですが、これは、「タナトス」と関連性があるのではないか、という気がします。
タナトスはフロイトが主張した「死の欲望」のことで、対義語がエロスと呼ばれる「(性ではなくて)生への欲望」です。
たとえば、陶器やガラス製の皿などを叩き割るとスッキリした気持ちになるのは、このタナトスの欲求が満たされるからだ、という考えかたがあります。
茶碗は、その形を維持するために何らかの無理をしているわけで、砕けて粉々になることで安定性を回復するから、という論理。
「死の欲望」と言えば恐ろしげですが、言ってみれば、安定を求める欲望なわけで、これは、どんな生き物でも、というより、どんな存在でも所有している原初的な欲望である、とフロイトは考えたのだと思います。
自らが創始した精神分析の理論を深めるうちに辿りついた後年の理論であり、なかなか興味深いものがあります。

前置きが長くなり恐縮です。
子供は無から生じたばかりの存在ですが、これは、死から生へ向けて動き出したばかりの存在である、という見方もできると思います。
エロス(生への欲望)が発揮され始めたばかりの状態であるため、元(死=無)の状態に引き戻されてしまう危険性を察知しやすい状態にあるのではないでしょうか。
一般的には周囲の人間の死を身近に体験することが、その引き金になる場合が多いようですが、一概にそうとは限らないようです。
生への欲望、遠大な未来への期待などが最も強い時期であるだけに、その反動とでもいうべき怖れが幼い心を襲う可能性はあり得ると思います。
どうしても欲しいと強烈に欲求する対象があるとして、それが失われることに対しては、通常以上の、極めて強い怖れ・心配が生じるはずで、これと似た理屈。
こうした感覚を得るのは、基本的に想像力の豊かな方のはずで、あとは、それを納得できる方法で解決できる(できた)かどうか、ということになると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

フロイトの心理学の知識を深める場になりましたありがとうございます

お礼日時:2015/03/27 19:16

お礼の内容について、お答えします。


質問内容からは、「異常に、死について考えた」というようには、受け取れません。その経験は、どの子供にとっても衝撃的な事ですし、ごく一般的な反応の様子だと思います。
今現在のあなたが、それを異常な事だと思いたがる事については、何らかの心理的作用を感じます。ご自身がその経験を過ごしている最中に、それを共感してくれる誰かがいなかったのかな、とも想像します。家族であるとか、クラスの先生であるとか、友達であるとか、です。
人間は、「知る」生き物ですので、生活する中で、自分だけが怖がっているのでは無い、皆んなが怖いのだという事を「知る」機会があると思うのですね。その他者の存在があって人は勇敢になれるし、分別を持つのです。
あなたは、ひとりぼっちだったのでしょうか。或いは、ひとりぼっちだと感じながら小さい頃を過ごされたのでしょうか。
補足下さい。
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この回答へのお礼

申し訳ないですが勘違いをしやすい自信家のあなたに聞いた私が間違いでした。

NO1の方の回答は「なるほど。いろいろな考えがあっておもしろい」と思えました。

お礼日時:2015/03/26 21:38

私は、特に障害児童の発達についての研究職に就く者です。


3歳から5歳くらいの小さい子供なら、死について考えるのは普通です。勿論怖がるのも普通。ごく一般的な発達過程です。無限という概念や有限という概念を感覚するのも、そうです。人間は、「知る」生き物なんですよ。自分が死ぬという事を知りながら生きる動物なのです。
ですので、あなたの小さい頃のような感覚を経験しない子供の方が珍しいという事です。それは、人として生きるゆえに受ける、「知」の洗礼みたいなものです。
これを、心理的な作用から理由付けるのは、難しい。人としての根底からなるものですからね。人は空間を知り、時間を知り、己の機能を知るんです。ただ、それだけの事です。子供は、人の始まりですから、必ずそこを通過するというだけの事です。
ですが、その通過を周囲が大げさに騒いだりすると、死への概念に悪影響するとは思います。最近は、メンタルヘルス流行りというか、何かにつけて心理的な作用にしたがります。心も人の機能の一部でしかないものですよ。人は心ばかりに支配されて機能してはいないのです。あなたも私も、自然の産物であり、自然な事は自然な事として、過ぎてゆくというふうにも、考えて頂きたいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私は比較的に異常に死について考えたのは何故なのでしょうね

お礼日時:2015/03/26 20:25

63歳主婦です。



人には、前世があります。

誰でも、誰かの生まれ変わりなのです。

貴女が、死について そのように考えられた、、ということは、前世の貴女が

何か、死について恐怖の経験というか、悲しい経験をしていたのだと思います。

人は、決して、死んだら終わり、、ではありません。

確かに、「肉体の」貴女は、荼毘に付して無くなってしまいますが、

魂は亡くなってはいません。

私は、「死」は、隣の部屋にいるようなもの、、と考えています。

姿は見えなくなったけど、だけど、隣の部屋にいる、、ように、

魂としてそこにいる、、。家族のそばにいる、、と、そのように考えています。

3歳〜5歳位までの子供の魂って世間の垢に汚れてないので

大人には見えない亡くなった方々が見えるのです。

もちろん、亡くなった方達と会話もします。

所謂、言語での会話でなくてテレパシイー、、というものです。

が、子供も、長じるに当たって世間の垢に交わるようになって

魂の純粋さを失ってきますから、徐々に、霊魂とテレパシイーが

通じなくなってきます。

貴女の死の恐怖、、は、前世での大人としての経験がまだ、消えてなかったからなのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2015/03/26 20:21

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