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平安中期に、武士階級の台頭の契機となった反乱が、遭いついて起こったが、それぞれ朝廷からの独立を考えていたのか、どうか教えて下さい。

A 回答 (2件)

私は、「平将門の乱」と「藤原純友の乱」はそれぞれ性格が違うと思います。



将門の乱は、一族内の内紛(所領、女?・・・)や、東国での勢力争い(元々、将門は調停者の立場だったはずが・・・)が原因でした。
敵対者側が武力で勝てずに朝廷に訴えた結果、将門に罪有りとなってしまいました(将門も釈明しましたが、受け入れられず)。
ですから、新皇を宣言した時点では東国の朝廷からの離反を決意していたとは思いますが、朝廷からの離反ありきで始まった争いではなかったと思います。
まぁ、都での出世を諦めて東国に戻った将門ですから、権力欲は無かったとはいいませんが。

一方、純友は地方の官吏として一時は海賊退治もしてましたが、結局は自分が海賊として暴れてしまった結果が、タイミング的に将門の乱と合ってしまい、天下の大乱に数えられてしまったのではないでしょうか。

私は、将門の乱は反乱(独立を目指す)だと思いますが、純友の乱は反乱ではないと思います。
これは、あくまで私の私見ですので参考としてください。

「承平 天慶 乱」で検索するだけでも結構色々なサイトがHITしますので、
探してみては如何ですか。
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朝廷に反抗していたので、独立を考えていたと思われます


自信がないので参考URLを載せておきます。

参考URL:http://hanran.tripod.com/
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