【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

先日、小泉首相が靖国神社を私的参拝したことにより中国と韓国が批判しておりますが、両国は以前から私的な参拝に対しても反対していたのでしょうか?私の記憶では両国は私的参拝ならば問題は無いが公的参拝は断じて看過できないと主張していたように思えます。ただ、私はこの問題に対してニュースを聞き流したり、新聞を読み流したりしていただけなので、私の記憶違いの可能性もあります。両国(官民を問いません)は以前は「私的参拝は問題なし」との趣旨のことを主張していたでしょうか。また、もしそうならそれを裏付ける当時の資料(新聞等)はございますでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたらご回答を願います。

A 回答 (7件)

私なりに調べましたが、明確に「私的参拝ならばよい」と中国側が発言した例は見つかりませんでした。

中曽根公式参拝の頃から「A級戦犯が合祀されているからダメだ」というのは、中国側の”概ね”一貫した論理(本音がどこにあるかは一応別にしてですが)なので、そういう発言が中々見つからないのも仕方が無いか、という気がします。過去の主要な発言に関しては、参考URLをご覧下さい。

しかし、この手の話は、お互いに国内の目を意識しながら、どこかで妥協するしかない話なので。実際に「私的参拝なら目をつぶる」というニュアンスの話があっても不思議ではないし、実際に質問者の方が見つけられた2001年のニュースでも、日本側のマスコミはそう解釈していますよね。

また、中曽根公式参拝の時の経緯から考えると「私的参拝なら可」というのは、そこまではおそらく真実だったのではないかと思います。「戦後の総決算」を掲げた中曽根首相の1985年の参拝は、「公式」である事を明確にして行われたものです。中曽根首相自身が「戦後初めての公式参拝」と言っています。それに対する中韓の反発は、ある程度予想されていました。わざわざ首相としての参拝の正当性を宣伝してから参拝するのと、曖昧にしたまま参拝するのとでは、中韓にとって、かなり意味が違いますからね。(もう一つの参考URLをご覧下さい)。

 勿論、1985年の中曽根参拝の時も、曖昧な決着をしようとしていた中国政府が、北京の学生が抗議集会を開いた事から国内向けに引っ込みがつかなくなって、より激しい対応になった、という要素もあり(参考URLの最初の方)、この問題の全てが日本側の行動から決まって来ている訳ではありません。中曽根とレーガンとの蜜月関係に対する牽制、という説もあります。
単純に過去の参拝を並べると意味不明になってしまいますが、少なくとも中曽根首相本人としては相当気合を入れて公式参拝したわけで、そこらへんの事情を考えないと、「公的」と「私的」の重みの違いが判らなくなるでしょう。小泉首相の場合も、総裁選の公約で掲げた上で参拝している事は、形式論は別にして、「公的性格」を色濃く与えるものとなっています。よって、小泉以降は「私的ならばOK」というのは中々ないのではないでしょうか?

多少は、参考になればよいのですが…。

参考URL:http://cgi.kuretakekai.com/yasukunigaikokuhannuo …

この回答への補足

以下は、私の見つけた資料です。よろしければごらん下さい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
劉江永清華大学教授(以下、劉):(略)大平首相はキリスト教の信仰者であり、公式には靖国参拝せずに済ませました。(略)
歩平中国社会科学院近代史研究所研究員: 八五年の中曽根首相の参拝が問題になったのは、それがA級戦犯の合祀後の八月十五日に行われたはじめての「公式」参拝であったという特別の事情があります。それまでの参拝はほとんど春と秋の例大祭に行われましたし、最初に八月十五日に参拝した三木武夫首相も、「公式」なものではなく、「私的」なものであることを内外にはっきりと宣言していました。ですから、我々は決して唐突に言い出したわけではないのです。
 劉:(略)一九九六年の七月二十九日に当時の橋本龍太郎首相が靖国に参拝していますが、これも私的な参拝であることを橋本首相自身が表明しています。それでも、隣国の指摘を受けて、以後は参拝を中止したのです。
 ところが二〇〇一年になって小泉首相は八月十五日の公式参拝を有権者に約束しました。その日の参拝はまだ実現していませんが、いままで四回連続して参拝を強行しました。(略)

以上、参考資料:(文藝春秋2005年8月号 「靖国参拝の何が悪いと言うのだ」)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
小泉首相靖国神社参拝(02年4月21日)

江沢民・中国共産党総書記(国家主席)、小泉首相の靖国神社参拝について、「これは国家と国家、歴史と歴史の問題だ」「小泉首相はこの問題を簡単に思ってはいけない。私は小泉首相の靖国参拝を絶対に許すことはできない」と強く批判し、また、唐セン外相も首相の靖国参拝を強く批判し、「公式な参拝だったと思う」と述べた(4月29日、中国を訪問中の神崎武法・公明党代表と北京の中南海で会談して)。
(参考:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/koizumiy …
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
1985年8月16日(金) 朝日新聞4面

 韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長は「首相や閣僚が靖国神社に公人として参拝したことを聞いて戦前の悪夢がよみがえり他国の事のような思いがしない。アジアの平和のために日本がどう寄与していくのか疑わしい」と強く批判している。

補足日時:2005/12/25 22:37
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も調べましたが、明確に「私的参拝ならば問題なし」との趣旨の発言は発見できませんでした。

私が調べて新たに見つけた資料を質問の補足に投稿させていただきましたのでよろしければごらんになっていただければと思います。

今回質問させていただいた件ですが、私の勘違いであったと思うようになりました。

と言うのも、私が自分で見つけた資料やtiuhti様の紹介してくださったURLの資料を読んでみても、私の読み方に問題があるからなのかもしれませんが「私的参拝であれば問題なし」と解釈してしまいます。

とはいえ、あくまでも「解釈」にすぎず、「私的参拝ならば問題なし」との言質がとられているわけではありません。

よって、中国韓国の両国が「私的参拝ならば問題なし」との主張をしていたとの認識は私の早とちりだったと思います。

今回のご回答により、私の中にあったモヤモヤが解消しました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 22:42

もともとは、中国も靖国参拝に全然反対はしていなかったのです。

全く問題視していませんでした。今でも本当に意味がわかって反対しているわけではないのですが。ただ、朝日新聞などが独自の思想に基づいて靖国参拝について騒ぎ立てました。この新聞社は度々捏造などで日本に不利益をもたらしますよね。その後、なんかよくわからないけど、これは日本から金をせびる口実に使えるな、と思った中国がイチャモンを付け始めたのです。その後、これまた全然理解していない韓国も真似をし始めたのです。そもそも全然正当な批判じゃないしね。

参考URL:http://www.geocities.jp/ariradne/cb.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/25 22:47

なぜ、靖国参拝が問題になっているかというと、


「A級戦犯が祭られているから」
という理由でしょうか。
それについて、それをどうこう言うのはおかしくいということを書いているHPがありますので、一部省略しながら引用してみますね。
(長くなりますが、すみません)

『Aとは“種別”』であって『ランクではない』。A級戦犯とは「平和に対する罪」という、戦勝国が 自由に日本を裁くために作った罪種別であり、東京裁判が終わった後にそのルールが別の案件で使われたことすらない酷く不公平なものだった。
当然、現在使われている国際刑事裁判所設立条約(ローマ条約)にも「平和に対する罪」などというものは初めから存在しない。
当時『戦争とは合法だった』ため連合国は日本を裁けなかったのだが、それでも裁けないものを裁きたかった連合国は「法学の基礎と国際法を無視して「事後立法」で有罪とした。
ちなみに現代においては東京裁判の違法性は国際法学界の定説となり、国際法の教科書にも採用されている。つまり今では東京裁判の違法性は有識層の常識になっている。(注意:違法であることが認知されただけでまだ無効化はされていない)
現時点では東京裁判は「違法」ではあるが、「無効」ではない。当時の日本には受け入れる以外の選択肢がなかったし、今は連合国の不法行為を日本人自身が“過去のこと”として水に流しているからである。
ただし“戦犯”に関しては別の決着がついている。国家間の講和条約の締結というのは戦勝国による処罰も消失するのが世界共通ルールで、日本もサンフランシスコ講和条約の第11条にある『戦犯の赦免や減刑は、判決に加わった国の過半数が決定する』というルールに従い、圧倒的多数による国会決議を元に各国と交渉した。そして日本は中国を含む関係11ヶ国に
 了解を取り付けた上で「戦犯の赦免(罪を消すこと)」を済ませている。
つまりその瞬間からもう日本にA・B・C級戦犯など存在しないのである。
これは当時の米英の新聞等でも“間違った裁判だった”と大きく報道され、韓国も政府レベルではその事実を理解している。こうして元戦犯の人達は『国内外から免責』され、結果として靖国神社に合祀される対象となった。
中国も韓国もこの一連の手続きを知った上で日本と国交を回復したのだ。
だからいまさら文句を言ってくるのは中国・韓国の国内政治の都合であり、日本側にとってはそんなこと知ったことではない。

と、書いてあります。
参考になりましたでしょうか?
これをそのとおり受け取っていいとすれば、
「私的」「公式」に係わらず、靖国参拝は問題にすること自体おかしいということになります。
単に、戦没者に平和を誓うための参拝なのですから。

最後にアメリカのアーミテージさんの見解を・・
「主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を許してはいけないからです。
もう一つは、全ての国が戦死者をまつりますが、それぞれのやり方で良いのだと思います」

参考に引用したホームページを載せておきます
 

参考URL:http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea3.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/25 22:47

no.1です。


この議論は、「どちらの言い分が正しいか」という基準で片付く問題ではありません。
外交の「駆け引き」ですから、どちらがどう言い繕っても必ず相手から反論があって綱引きが続く性質のものです。

今回の小泉首相の参拝がいくら「私的」参拝だと言っても、内閣総理大臣の職責にある間に参拝する行為に「私的」参拝はありえないという主張がなされるだけでしょう。
また、小泉首相も本当に「私的」に参拝するのであれば、メディアに露出しない形ですれば済むことでしょうから、相手から見れば挑発行為とも見るでしょうね。
要は、話し合いの土俵を避けてお互いに駆け引きだけをしているというのが現状の姿です。

外交を上手く進める上で、今の現状を是とするのかどうかというのが問題であって、「どちらの言い分が正しいか」ということをとことん追求してもせん無いことだと思いますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>外交を上手く進める上で、今の現状を是とするのかどうかというの
>が問題であって、「どちらの言い分が正しいか」ということをとこ
>とん追求してもせん無いことだと思いますね。

上記のようなご回答を頂きましたが、私はただ自分が数年来に渡り勘違いをしてきたのか否かを知りたいだけで、事実さえ分かれば現在私の中にあるモヤモヤが取り除かれると思い質問をさせていただいております。

お礼日時:2005/11/25 20:41

歴代首相の靖国参拝記録



名前       日付           中国・韓国の反応
東久邇稔彦   1945年            沈黙
幣原喜重郎   1945年            沈黙
吉田茂      1951年10月18日     沈黙
        1952年10月17日     沈黙
        1953年4月23日      沈黙
        1954年4月24日      沈黙
岸信介     1957年4月24日      沈黙
        1958年10月21日     沈黙
池田勇人    1960年10月10日     沈黙
        1961年6月18日      沈黙
        1962年11月4日      沈黙
        1963年9月22日      沈黙
佐藤栄作    1965年           沈黙
        1966年           沈黙
        1967年           沈黙
        1978年           沈黙
        1969年           沈黙
        1970年           沈黙
        1971年           沈黙
        1972年           沈黙
田中角栄    1972年           沈黙
        1973年           沈黙
        1974年           沈黙
三木 武夫   1975年4月22日      沈黙
        1976年10月18日     沈黙
福田赳夫    1977年4月21日      沈黙
        1978年4月21日      沈黙 =A戦犯合祀=
大平正芳    1979年           沈黙
        1980年           沈黙
鈴木善幸    1980年~82年にかけて9回 沈黙
中曽根康弘   1983年4月21日      沈黙
        1984年           沈黙
        1985年           中国抗議!!
        天安門事件(1989年)
橋本竜太郎   1996年           中国抗議!!!!!
小泉純一郎   2001年           中国・韓国抗議!!!!!
        2002年4月21日      中国・韓国抗議!!!!!
        2003年           中国・韓国抗議!!!!!
        2004年1月1日       中国・韓国抗議!!!!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ご投稿の内容を拝見すると両国は一体どういった理由で反対してきたのかよく分かりませんね。

お礼日時:2005/11/22 23:29

昔は、政教分離の観点で公的・私的の問題がありましたが、1978年にÅ級戦犯が合祀されたために、以降、中韓両国で問題にし出してきた経緯があります。



中国は、現在でもA級戦犯の合祀を問題にしていますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/22 23:24

両国が騒ぎ出したのは、中曽根首相の時代前後からで、朝○新聞が記事にしてからという説がありますね。

それまでは、歴代首相が参拝しても何の抗議もなかったとされています。

また、「私的」「公的」というのは、騒ぎになり出してから、日本側が便法というか言い訳として言っている主張であって、先方は「時の総理大臣(個人)」の参拝を問題視しているのは一貫しているはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。本質問を投稿後も私自身で調べていたのですが、以下のことが判明しました。

[中国] 唐外相は小泉純一郎首相が八月十五日の終戦記念日に靖国神社を参拝する意向を示していることについて「公式参拝が行われれば、信頼関係が大きく崩れるのではないか。(略)」と述べ、日中関係の悪化に強い懸念を表明した。(参考、http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/yasukuni/ …

[韓国] 2001年の反応・在日本大韓民国民団(金宰淑団長)
「歴代首相は公式参拝を見合わせてきた。(中略)一国の指導者として思慮に欠ける」(参考、http://www.matino-akari.com/linksyu/log/news/031 …

 もし「私的」、「公的」の区別なく反対であれば「参拝」と言えばいいのに、わざわざ「公式参拝」と言っていることから、決して「「私的」、「公的」の区別はなく反対」と主張はしていなかったのではないかと思います。私の記憶していたこととは異なり「私的参拝ならば問題なし」との主張は発見できておりませんが、「私的参拝であっても許さない」との主張も見つかっておりません。現時点ではまだ私自身モヤモヤが残っているため、暫くは質問は締め切らず回答を受け付けさせせていただこうと思います。

お礼日時:2005/11/22 23:34

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