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最近、ニュースでよく取り上げられているこのテーマですが、私には少し勉強不足でわからない点があります。そもそもなぜ小泉総理大臣は靖国神社参拝を行うのでしょうか?A級戦犯問題で中国や韓国から批判されているだけでなく、国内でも「政教分離に反する」として、前から批判の声も絶えませんよね。ここまで反対の意見が多い中、それでも日程を変更したりしてまで参拝する、その本当の理由は何なのでしょうか?小泉首相は何かその行動で訴えたいものがあるのですか?それとも、日本の政治家には、そうせざるを得ない雰囲気(?)のようなものがあるのでしょうか?
 支離滅裂な質問になってしまいましたが、どなたかわかりやすく説明していただけないでしょうか?

A 回答 (25件中1~10件)

こういう風に理解したらどうでしょうか?


古来より日本は「和の国」と言われその心を「大和心」と呼んできました。
つまり大いなる(和)の精神で、八百万の神といわれるように、ほとんど全ての神々が、大きな和(輪)の中で、仲良くしていたのです。
つまりそこでは、誰が一番の神様であると言うことは誰も考えなかったのです。
だれもが、その輪の中に入ることが許された。
日の丸は、そんな大きな輪をあらわしていたし、君が代も、輪の中にいる自分と異なる相手のことの事を指して(君)と呼んだのですが、
一神教が入るにつれて、ピラミッド型の思考方法で、誰が頂点かを決めなければいけないと考えて、天皇が頂点でその次が天皇の命令によって戦った人たちと言う考え方をして、その人たちが国家の基礎を作ったという教育を始めます。
つまりそこでは、(君)は天皇で日の丸は天子をあらわすものという解釈になります。
追悼するなら、大きな輪の中で兵隊も銃後の国民も空襲でなくなった人も、みんなが、仲良くすればいいのでしょうが、戦前を復活させたい人たちは、戦前の思考方法を国民に植え付けたいがために、わざわざ反対を押し切って参拝するのでしょう。
私は、戦前だけが日本だと思いませんし、戦後の日本をもっと評価して、大きな和の心で、国際関係も進展させてもらいたいと思います。
大和心は、誰かに考え方を強制したり、誰かが一番すばらしいから尊敬しろと言う心ではないと思います。
例えが悪いかもしれませんが、仏教の宗派の中で、「法華経」が、百点で、それ以外は劣ると言う考えの創価学会の考えに非常に良く似ていますね。
明確な説明をしない、言いっぱなしが、混乱を招いているのでしょう。
参考になれば。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。とても勉強になりました。

お礼日時:2005/06/08 11:30

#22です。

補足します。
「罪を憎んで人を憎まず」ということわざがあります。(元々は孔子の言葉といわれています。)
A級戦犯といわれる人たちは、極東軍事裁判において、「平和に対する罪」「人道に対する罪」により死刑・終身刑に処せられました。つまり、自ら犯した罪をに対し、命をもって償ったのです。
罪を犯した人であっても、その罪をを償えばもはや罪人ではないというのが平均的日本人の感覚です。

加えて日本は、戦争責任をA級戦犯に押し付けるようなことはせず、国家責任として対処し、サンフランシスコ平和条約により連合国55か国中48カ国と講和し、戦後賠償問題等の全てについて解決しました。
中国に対しても、当時の中華民国政府が賠償を放棄したため、国交回復後3兆円規模の経済支援をしています。
これは、戦争犯罪を全てナチス問題とし、国家補償を一切行わず個人補償のみとしているドイツと大きく異なるところです。

中国の靖国批判は、日本に未来永劫足かせをつけておきたいとする中国の覇権主義がもたらしているものです。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。補足までしていただき、理解しやすいです。

お礼日時:2005/06/08 11:35

中国が一番問題視しているのは、靖国神社がA級戦犯を合祀しているため、それを参拝するのは過去の戦争を正当化しているものだ!という事なのでしょうか。



私は小泉首相がここまで参拝にこだわる理由が分からなかった一人なのですが、今日のニュースで自民党内でのA級戦犯に対するある共通認識があるからなのだとやっと分かりました。

「A級戦犯は日本国内ではもう罪人ではない」極東軍事裁判(東京裁判)についても「一方的な裁判で到底受け入れることはできない」(だから彼らに罪はない)ということなのですね。

裁判の内容を知らないのですが、そんなに不当なものだったのでしょうか? 勝戦国が敗戦国を裁く・・・これはいつも一方的なもののように思えます。


小泉首相の父、祖父が戦争当時どのような立場で政権に関与していたのか知らないのですが、ひょっとした戦犯とつながりもありそうですね。


在位期間が短くても、どんな方法で選ばれたにせよ首相が国の代表者であるわけですから、あらゆる責任を負うことになります。A級戦犯は本当に罪がないと言えるのでしょうか? 

ならば、JR西日本の事故は、社長や取締役には罪がない、謝罪の必要はないと言っているのに等しいように思います。
確かに実際に運転していた人に責任がある、会社の代表者は事故に関して全く罪がない、ただのサラリーマン社長だ、だから責任がないとは日本社会の常識としてありえないですよね。

戦争も開戦の理由はどうあれ、国家の責任においてなされるわけですから、誰かが責任をとらねばならないと考えます。ならば、国家の長である首相やそれに連なる人々が責任をとるというのは不思議ではないと思いますが・・・。それのどこに問題があるのでしょう。

戦争は勝てば官軍、負ければ賊軍。日本国内の戦いの歴史上、必ず長が全責任を負って、命で贖ってきたわけですから、極東裁判の内容はまったく知りませんが、責任を追及されて当然なのではないかと思います。

なぜ一部の自民党の人達がそのように罪がないと考えるのか・・・その理由を知りたいです。
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この回答へのお礼

ていねいなご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/06/08 11:36

 本日、私は靖国神社に参拝いたしました。


 私の参拝の目的は、明治維新以来の我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことであります。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います。将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切であります。
 国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。
 終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反するところであります。今回、熟慮の上本日を選んで参拝したのは、例大祭に合わせて参拝することによって、私の真情を素直に表すことができると考えたからです。このことについては、国民各位にも十分御理解いただけるものと考えます。
(以上、平成14年4月21日小泉首相談)

私を含めた日本国民の多くは、小泉首相の靖国参拝を支持しており、上記発言に見られる彼の思想信条に心から共感しています。
他国の内政干渉に屈し、自らの思想信条を曲げることは、政治家小泉純一郎氏を支持し国会議員に選んだ我々国民に対する裏切りに等しい行為です。

国内における首相靖国参拝批判の多くは、野党及びそれを支持する一部国民からのものであり、いわば「政治的駈け引き(パフォーマンス)」です。「政教分離に反する」とか「A級戦犯が合祀されている」など、法律上の疑義を盾にした首相批判は、それはそれで意味がないとは言いませんが、絶対的なものでもなく、国民が支持しているのならば、はっきり言ってどうでも良いことです。

靖国参拝について「なぜ参拝するのか」をこれ以上追求しても意味はありません。小泉首相の思想信条に共感できなければ、他の候補者(政党)に投票すればよいのです。
そして、選挙の結果については真摯に受け止める、というのが議会制民主主義国家である日本国民の努めである、と私は考えます。
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この回答へのお礼

ていねいな回答ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2005/06/08 13:58

参拝する理由の一つは、戦争で亡くなられた人への追悼だと思います。


二つ目は、極東国際軍事裁判の不当性、不法性じゃないでしょうか。A級戦犯がいるから行きませんと言ったら、この裁判を正しいものと認めてしまいますからね。別に、戦争が正しいと言ってるわけじゃないですよ。
当時は、戦争は国際法でも違法ではなかったし(たぶん)、もし人道に対する罪で裁いたのなら、東京空襲や原爆投下を行ったトルーマンやマッカーサーは死刑ですよね?どんな理由があれ。何を根拠に裁いたのでしょうかね?「愛国無罪、日本有罪?」
インドの極東国際軍事裁判判事ラダ・ビノード・パールさんは日本無罪論を展開しました。
『英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュ ルンベルグの軍事裁判が、果たし正当か否かという激しい論争 や反省が展開されている。...げんに英国法曹界の長老ハンキ ー卿は「パール博士の無罪論こそ正論である」として「戦犯裁 判の錯誤」と題する著書まで出版している。』(下記のURL参照)
詳しくは下記のURLのインドを見て下さい。

参考URL:http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm
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この回答へのお礼

さまざまな角度から勉強しようとおもいます。回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/08 14:00

中国や韓国は、日本は叩いて金を搾り出そうとしているのですよ。



このままへーこらへーこらいったら、そのうち天皇を殺せだの沖縄や北海道、そのうち本州をよこせだの言ってくるでしょう。


私には関係の無い事ですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/08 14:01

靖国神社は昔東京招魂社と言って海軍と陸軍が統括していました。

戦前の憲法では「臣民」という言葉がありこれは神の子をさします。
ですから天皇が「なんじ臣民に告ぐ・・」と言っているように国民は皆臣民(神の子)でありました。
しかし現憲法では信教の自由、政教分離になりました。ですから憲法上宗教に関わることは違憲となります。私は「現代憲法と教育勅語について」の論文を書いていますがそのなかでも天皇家の宗教についてもふれています。
結局はなんだかんだいって憲法の変遷をおこない政治家の意地で行っていると思います。
戦犯は戦勝国が決めたことです。
勝てば官軍負ければ賊軍です。
東京裁判もおかしい判断です。
アーリントンも見学したことありますが宗教性は感じなかったです。国の為に殉職した人とその配偶者しか入れません。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2005/06/08 14:02

 靖国神社は宗教法人であるのに対し、アーリントンなどは国立の単なる施設である違いが大きいのです。



 靖国神社は、HPでも明らかなように、法人として独自の意見を持ち、表現しています。これは信教の自由・思想信条の自由として憲法で保障されるものです。

 反対に各国の慰霊施設が、独自の意見を表明することはありえません。

 靖国神社とアメリカなどの国立慰霊施設を同一視することは、一宗教法人である靖国神社の法人としての意見が、日本国の公式見解と同一という誤解を他国に与えることになります。

 信教の自由の関係からも、国立施設と法人を同じものとして考えるのは危険です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2005/06/08 14:03

♯10です。


靖国とアーリントンとの違いについて補足です。
よく、靖国神社は神教様式の宗教施設でされず、アーリントン国立墓地は無宗教施設であると言われています。
しかし、この違いは宗教に対する無知から発生しています。
靖国は神教様式の宗教施設ですが、埋葬・納骨・分骨されているかと言えばされていません。
遺骨などは遺族がそれぞれ埋葬し、引取手無し・不明者等の無縁仏は千鳥ケ淵墓苑などに埋葬され、靖国は慰霊施設として存在しています。
よく故人がキリスト教徒で祀るな・分祀拒否と言うのは、国民が戦没者を慰霊する自体に反対しているようなものです。それこそ、慰霊するならキリスト教でしろと強制しているとも言えます。

また、無宗教とよく言いますが、無宗教と多宗教とは違います。
多数教は各個人が信仰する宗教なりに自由に慰霊し、制限されないのが信仰の自由で、各個人それぞれが故人を慰霊するのを制限・拒否しようとするのこそ宗教を否定しているでしょう。無(無い)宗教です。

 アーリントンについてですが、アーリントンは陸軍直轄管理の墓地で歴代大統領や功績を残した士官が埋葬・追悼されている施設です。
 これらの施設は大きく分けて靖国のような祠殿式とアーリントンの墳墓式とロンドンにあるThe Cenotafeみたいな記念碑に記名のみ行う記念碑式があります。
各国の類似施設が無宗教施設かと言えば多数教もしくは単一宗教施設です。
アーリントンは近年はそれぞれの宗教様式で埋葬されているものの公式な追悼式典では陸軍の従軍牧師・神父がユダヤ・キリスト教式でのみ行い、The Cenotafeでは英国国教会ロンドン主教式で行われます。
 日本と同様に、これらの国々は政教分離こそすれど、宗教・信仰の自由は保障され、保障をしています。
 
例えば、こないだの列車事故で亡くなった人を住民が
独自に信仰する宗教様式で追悼するのを遺族は拒否すべきですか?
記念碑設立に自治体が用地の使用許可を与えたら、政教分離に反しますか?
これら靖国の問題は宗教問題ではなく、宗教を口実にした政治問題です。靖国をスケープゴートする自体が宗教・信仰の自由に対する冒涜でしょう。
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この回答へのお礼

細かい回答ありがとうございました。とても参考になりました。これからももっと様々な視点からみていこうと思います。

お礼日時:2005/06/08 14:04

 下記URLに過去に靖国神社について質問があった時に、私が十分ではありませんが回答をしておりますので、僭越ながらそれを見て頂くと靖国神社について多少なりとも理解して頂けるのではないかと思います。



 靖国神社は戊辰戦争のときに亡くなった朝廷方の兵士を祀るために天皇の命により建立されたのが始まりで、そのため朝敵であった幕府方の兵士は祀られていません。小泉首相は「人間死ねば善も悪もない。」みたいな事を言っていますが、靖国神社が本当にそのような主義の下に成り立っているのか再検討が必要であると思います。

 そもそも靖国神社は宗教施設であり、よくアメリカのアーリントン墓地と比較されますが、アーリントンは無宗教施設であるので、靖国神社と根本的に異なります。兵士を祀るに当たっては厚生省が絡んでおり、個人の意思に関係なく祀られています。故人がキリスト教徒であったのでその遺族が祀らないでくれと靖国神社に要望したにも関わらず拒否されたというケースも実際にあります。
 とかく日本人は宗教に関して無頓着になりがちですが、人によっては宗教というものは、個人の存在そのものであるといっても過言ではないほどにその影響が大きい場合もあります。靖国問題を語る上でこのような個人の存在を無視することはできないと思います。「靖国に行くのは当然」というのはその人の個人的な宗教的価値観であって、何人にも強制できません。むろん公人ではない個人に対して、靖国に行くなと言うことも出来ない事も同様であります。靖国に祀られているすべての人が、生前祀ってほしいと思っていたかと言われれば、答えは否であると思います。

 もっとも、戦争の犠牲となった兵士へ哀悼の意を捧げる事の重要性を否定しているのでは毛頭ありません。要は場所が問題なのです。また、平和な日本を語るならば、なぜ、当時戦争に反対したために共産主義のレッテルを貼られ拷問の末殺された人達のことが出てこないのでしょうか。私から言わせれば、兵士達が今の平和な日本の礎を築いたのならば、彼らもまた同様であると思います。
 靖国に参拝しながら、そのような人たちの犠牲について話が及ばないのは、彼らが国家の命令により、国家のために死んだのではないから。むしろ「国家にはむかった人間」だからということに尽きると思います。そんな人間に哀悼の意を捧げる事などきっととんでもない事なのでしょう。
 
 以上のような議論がある中、なぜ今靖国に行くのかと問われれば、それはcombuさんの仰りのとおり自民党だからということであると思います。もちろん中国が靖国問題を外交カードにしているというのも否めません。しかし、中国や韓国などの人達からすれば、自分の家族を殺した戦争の「責任者」が祀られている場所に一国の首相が行くのは心情的に腹立たしいと思うのも理解できますし、先の戦争の精神的支柱に靖国があったというのもまた事実であります。

 自民党は遺族会とかなり深い関係にあります。戦後自民党は穏健路線で来ましたが、最近穏健派は小数になり復古的になってきました。そのような自民党の中には靖国神社の考えたかにかなり多くの人間が共感しています。そして、遺族会は靖国神社の公式参拝、国営化を強く求めており、過去に靖国神社国営化法が衆議院を通過したこともあります。それほど自民党と遺族会の結びつきは強いのだと思います。
 小泉首相(自民党)が訴えたいことがあるとするならば、靖国神社が敵味方分け隔てなく死者を祀るとてもよい施設であると国民に思わせること。そして、自分達の価値観を国民に広く共有するものとし、靖国に否定的な人間を社会的な少数とすること、ではないかと思います。(その方が国民をコントロールし易いですしね。)遺族会との結びつきもさることながら、参拝する議員の個人的な心情というのもかなり大きなウェートを占めていると思います。 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1097111
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この回答へのお礼

とてもわかりやすく、ていねいな回答、本当にありがとうございます。とても勉強になりました。

お礼日時:2005/06/08 14:07

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