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私は天才否定派です。どうも『あいつらは天才なんだよ…』みたいなことを聞くとものすごく腹ただしくなる性質でして…
理由はイチロー、アインシュタイン、、、などのように第3者から見て 天才 と呼ぶにふさわしい人たちがそろいもそろって自分の天才振りを否定しているからです。
天才はいないとは思いませんが一般にいわれる天才とは違う意味で私は解釈しています。私のように 天才 を一般とは違う考え方をしている方がいらっしゃったらぜひ教えてください。
天才ってなんなんでしょう?

A 回答 (22件中11~20件)

 凡人が死ぬほど努力しても到達できない所に最初からいて


そこから努力して、非凡な結果を出す人。
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実はこんなこと言ってしまうのはどうかとも思ってしまうんですが、天才というのは実際は存在せず、それどころか努力して技能を獲得した秀才というのも私は怪しいもんじゃないかと思うんです。


天才が生成するためには、当然当人の努力や才能が必要になってくるわけですが、それさえも他の人間との関係や環境に大きく関わってくると僕は思います。例えば努力しなければ借金が返せないという環境がその人の努力を引き出すこともあります。親が好きだった水泳を小さい頃から見ていて自分も水泳好きになり、水泳が上手になったという人もいると思います。この時本人の努力は当然存在するんですが、それに先立つ何かが存在している気がしてならないんです。
それに努力しても環境などの要因で才能が開花しない人間もいます。続ければ才能はあったのに事故で怪我してしまってお先真っ暗、あるいは才能はもともとなかったんだけど親に強制されてやっているうちにうまくできるようになった、時にはなってしまった。(なってしまったというのは結構残酷ですよ…逃げる理由がなくなりますから。)
そういうものを細かく考えていくと、天才と実際に言われている人間が本当に最上の者かどうかは怪しいと思うんです。きっとその影で泣いてる人間もたくさん存在していて、それに大きくこの社会、現実世界というのが影響している。と。天才が少ないのは、実際に天賦の才能を与える時に神が人を選ぶというよりは、天才だった人間があまりにも評価されていないからだと感じます。絶対多いですよ。そういう人のほうが。
ですから、もっと多くの人が本人の実力が、最高の状態で引き出せるような社会ができたらいいなぁと私は思います。なりたいと思ったらなれる社会を目指すべきだと思います。
もちろん本人の努力というのは重要な要素ですし、弱音は吐いてるかもしれませんが、これを理由に甘ったれるつもりはありません。僕は僕なりに努力しているつもりです。
ただ、普通に想像してみてもそういう人間は多いですよ。これは事実です。夢をあきらめた人間のほうが多いはずですよ…。
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その場で認められる天才ならば、資質がありそれを努力や環境によって生かした人でしょうね。

運の良い天才です。逆にそれを殺した人が馬鹿ですね。ただ、馬鹿でも本当に天才だった人は多くいるかもしれませんが・・・私の場合は、馬鹿と天才は紙一重という言葉をもとに天才かそうでないかを考えます。

私の考えとしては力があれば天才だとか、今何かでのし上がっていれば天才だとは思いません。例え、今認められていなくとも後の世に残る良い結果を残せば一つの天才ではないかと思うのです。

ちなみに、天才を肯定することが天才であることの証ではないでしょう。むしろ、天才とは人から認められた存在であり、誰よりも優れた力を何かで発揮できる人であると思うのです。元々、才とは優れた能力を指すものであり、全てに優れているという意味でもなければ、自分が認めることでもないのです。

また、そのときに認められるとも限りません。天才は完璧ではないのです。むしろ、努力とそのことへの没頭がある人物も多いとされ、他のことに見向きもしない人もいるでしょう。また、ある理論が成立してそれが正しくとも、周りにそれを認めることができる人間がいなければ、それはクレイジー(ばかげている)といわれます。

紙一重の瞬間です。本当に天才なら、今当たり前の理論や常識も覆すかもしれません。しかし、それを正しいと言える人間がいなければいけません。要は、天才も天才として評価してくれる同次元の人間がいるのです。

本当の天才はそれを評価してもらえる存在がいて初めて天才と認められます。今すぐに天才と認められる人は周りにそういうもう一人の天才がいるか、もしくは努力をして結果を残している人でしょう。

私にとって、天才の定義は常識を崩す馬鹿で、尚かつそれが将来にわたっても評価されるものであることと考えています。今天才であるという人は評価できない。

スポーツの場合はそういう意味では、難しいかな?記録を僅かに更新するぐらいなら天才というよりは、努力ですからね。大幅に更新し長く残ったならその人は生まれつきの身体能力など才能も高く天才かもしれない。
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天才。


それは人並みではないこと。

人は並が一番よいと思われます。
人間らしい生活をするのが
幸福と思います。

天才って幸福なのでしょうか。
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一般的な考え方のような気はしますが、エジソンの言葉「天才は1%のひらめきと99%の努力のたまもの」の通りだと私は思います。

とは言っても私程度のひらめきではその99倍の努力加えても人並みでしょうが…
あふれる才能とそれを伸ばす多大な努力。これが重要なんじゃないでしょうか。人より優れた才能(ひらめき)にさらにその100倍近い努力を積み重ねることができる人は天才と呼ぶにふさわしい人物だと思います。
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小説家ですが、同業者を見ていると、天才と呼ぶしかない人は、確かにいます。

他の人では思いつかないような、魅力的だったり鋭かったりする文章を書く人で、努力では追いつかないのは、自分の経験から分かりますね。
ただ、私の親しい人や、周りの話を聴いてみると、多くの天才は、努力型でもあるんですね。つまり、才能だけに溺れずに、人一倍努力もしている、ということです。イチローなどが天才と呼ばれることを否定するのは、そういうものであることを、身をもって知っているからではないでしょうか。
小説でも、例えば新人賞などで華やかにデビューした人でも、その後のいろいろな努力(同じものばかり書くわけにはいかない、たくさんの注文をこなさなければいけない、小説家でも社会性がないと出版社からたちまちそっぽを向かれる)を、調子に乗ってやらない人は、短期間に消えていきます。だから、天才と呼べる人は、才能に、努力による実績を積み重ねた人なのだ、と私は思っています。
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練習の成果を100%試合で出せる人。


あと具体的に言えばジョン・レノン カート・コバーンなどすばらしい詩を書ける人。
天才振りを否定しているのは認めてしまうと天才じゃなくなってしまうからではないでしょうか?
あくまで個人の意見ですけど。
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すみません。

No.2です。
回答してしまったので責任を持って再度答えます。
>私は天才否定派です。どうも『あいつらは天才なんだよ…』みたいなことを聞くとものすごく腹ただしくなる性質でして…

天才と呼ばれている人にも呼んでいる人にも罪はないわけで、「天才否定派」・「ものすごく腹ただしくなる性質」あたりのコメントに個人的に気分を害しました・・・
そういうわけで、あのような回答になってしまいました。一部の人間のたわごとだと思っていただければ幸いです。
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天才=実力



要するに、自力で戦う人間全てが天才。

"天"の"才"能は、万人に与えられし物。
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天才=天賦の才を持った人、それを活かし、実行した人



皆それぞれに何か秀でた所があると思います。
それを活かしきった人が天才と呼ばれ、見つけられなかった人がそう呼ばれないだけかも。

最近の言葉の使い方としては、「かわいい」などと同じで、ただの相槌の様な気もします(^^)
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この回答へのお礼

天才=天賦の才を持った人、それを活かし、実行した人

皆それぞれに何か秀でた所があると思います。
それを活かしきった人が天才と呼ばれ、見つけられなかった人がそう呼ばれないだけかも。

いい解釈ですね。かなり納得いきました。たしかに相槌で使ってる感じはありますね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/26 16:00

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