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私が、この先天才になったとします。
では、天才と狂人は紙一重と言っていますが、天才は狂人と紙一重という事で、私は紙一重なのですか??
紙一重という意味は、この先天才にも、狂人にもなれる。という将来の可能性をあらわすのか、すでに天才か狂人か分からないというときに使うのか。(あるときには、こいつ天才!!と思えるし、こいつ狂人やなと思えるときがある人の事)どちらでしょうか?

A 回答 (5件)

例えば、アインシュタインなどは天才と呼べると思いますが、


彼の脳は、様々な情報が集まってくる39野という部分のある細胞が一般の人よりも遥かに多かったそうです。
このために非常に複雑な情報処理が脳で可能になっていたのではないか、と考えられています。

ただ、非常に精巧な精密機械の場合、ほんのちょっとした欠陥(例えばネジが1本取れてしまった、など)で、とんでもない誤動作をしやすくなるのと同じで、
もしそれだけ複雑な彼の脳の回路が一箇所だけ狂っていたとしたら、彼は天才ではなく狂人と呼ばれていたでしょう。

そして、そのわずかな違いを一般人が確認することはなかなか難しいということです。
ですから、ちょっとおかしいなと思うような人でも、もしかするとすごい大発明に至る考え方をしている途中なので我々一般人には「おかしい」と感じるかもしれないわけです。
逆に、何の役にも立たないいい加減なことを言っているのを見て、我々が「ひょっとしたら何かすごいことをする天才ではないか」などと思い違いをしている場合もあるでしょう。

つまり、「紙一重」とは、「天才と狂人の脳の構造的違いはほんのわずかである」という意味に考えれば良いのではないでしょうか。

しかし、これは、そのように言った人の単なる感想にすぎませんから、信じるに値する科学的根拠があるわけでも何でもありません。
また、どんな人間でも天才的なひらめきを発揮することもありますし、狂人のように理性を失うこともあります。
つまり、あらゆる人間は広い意味で言えば全て「紙一重」なわけです。

そういうことも知らずに他人のことをそのように評する人は、あまり賢い人ではありませんから、深く考えすぎないほうが良いでしょう。
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こんにちは。



ご質問は、その用語の語法のことだと思いました。

「天才と狂人は紙一重」

言葉は、その言葉を使う時の体験の再現であって、病理学的には、また別問題だと思います。だから、年代とかの問題も影響してくるように思います。

もともとは、「天才と○○○○は、……」とか、「バカと天才は、……」だと言われていませんでしたか。それこそ、戦中派や戦前派の人たちが、良く使ってきた言葉のような気がします。私の上の年代から、片方で他人の学歴のなさを笑いながら、もう片方では、優秀な学歴を持ちながら、身を持ち崩す人間をあざ笑うかように言いましたね。

例えば、「あの人は、頭は良かったけれどね、天才と○○○○は、紙一重とか申しますが、電車の中で破廉恥な行為をしましてね、会社を首になった後……」

と、優秀な人間の末路を言うときなどの枕言葉に使っていました。結局のところ、反社会的な行動をしない限りは、そんなことを言われることはないわけです。

さすがに、戦後派は、通常は、こういう言い方はしないように思います。
政治家でいうと、森派の森・前総理と安倍総理が対照的ですね。森派は、言葉にトゲのある人たちが多いようですが、今の人は、つまらない表現で、言質にとられるようなことは、ほとんどしませんね。

それから、男同士の会話だとは思いますが、二人称で、「おまえ、紙一重だな」って言われると、「何を考えているか、良く分からない」という意味だと思います。まして、自分のことはいいませんね。

例えば、「小泉さん(前総理)は、紙一重だな」っていうと、納得できるような気がします。気心の合った同士でなければ、面と向かっては言えません。
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少し理解が違うと思います。



先駆者として、「世紀の発見・発明」などを行った人は、
はじめは理解させません。「それまで誰もわからないこと」を成し遂げたのですから。
備える知識にないものを新たに理解するのは難しく時間のかかることです。

今では常識の「地動説」をとなえたコペルニクスですら、「なに言ってるのこの人?」と思われていました。そして、おっしゃるような「狂人」だと思われたまま生涯をとげてしまったのです。

地動説が証明されるのは、コペルニクスの死後144年目に発表された、ニュートンの万有引力の法則によってです。

「まわりからは理解し得ないことを行っている。」
こういうことが、いわゆる「紙一重」と言われることではないでしょうか。
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「紙一重」というのは、「わずかな差である」という意味です。



「天才と狂人は紙一重」という言葉は、
天才というのは、ある分野で特異的な才能を発する人ですが、このような人は時に社会生活には無頓着であったり、何かに没頭しているときは周りのことが目に入らなくなりがちであることから、周囲からはおかしな行動をしている(狂人の)ように映るということを例えた言葉です。
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意味がわからない



あなたが天才になったとする→天才と狂人は紙一重→
あなたと狂人は紙一重

ってことですかねぇ

天才も狂人も
凡人には理解しがたい
だから
天才と狂人の区別は凡人には判じがたい
ということで
紙一重と言ってるのでないでしょうかね
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