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高校時代、周りにはとても優秀な人がいっぱいいました。
毎年東大に半分以上入る高校でした。
そういう中から見れば自分は落ちこぼれだったと思います。
直感的に、半数以上は生まれつきの天才たちだったと思えます。
はじめてみた問題もあっという間に解いてしまうのです。会話をしていても何か普通の人とは違うんじゃないかと思えました。

しかし今になって考えてみると、天才は半数もいたというのはただの思い込みだったのでしょうか?半数を50%とすると、10%は天才だったのかもしれませんが、40%は努力家だったのかもしれません。
陰で必死に勉強をしていたのかもしれません。

50%も天才がいたならば、もっと世の中が良くなっていてもおかしくない気がします。

努力家ではなく、生まれつきの「天才」と呼ばれる人は、いったいどれくらいいるのでしょうか。

皆さんの考えと、根拠となる何か統計や文献など分かりやすいものがあれば、教えて下さい。

A 回答 (5件)

こんばんは。



一応、天才の定義です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D

ただもう少し調べたところ、大体次のような感じになるのではないかと思います。

1.脳などの機能に何らかの障害を持ち
そのため
2.凡人には想像もできないような、まったく新しいものを作り出す人。
もしくは
3.凡人とは桁違い(例えば凡人の5倍、10倍と言うレベルではなく、10000倍、20000倍というレベル)のインプット・アウトプット能力を持つ人。

つまり1かつ2、ないし1かつ3、または1かつ2かつ3です。

一般に天才と認定される人物は脳に障害があり、そのため生活に支障をきたしたり、言動が変わっていることが多いみたいですね。
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/ps7_3.html

http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/ma …

そこで上記の意味で、どのくらい天才が東大いるか考えてみると、ほとんどいないのではないでしょうか?

僕の知っている東大出身者は、頭が良いという意味で優秀ですが、人格的にも優れ、どちらかと言えば「欠陥のない」人たちです。
こういうのを「秀才」と言うのだと思います。
つまり脳に異常がなく、少ない時間と努力で効率よく勉強できるという程度では天才ではありません。

一方、天才とは「桁違いの才能と大きな欠陥を併せ持つ」ような人たちだと思うのです。

多分、本当の天才は塾や予備校に通って、あの退屈な(?)受験勉強をおとなしく1年以上も続けるなんてことはできないんじゃないでしょうか?

ましてや天才というのは「得意分野はずば抜けてできるけど、できない分野はまったくだめ」という人たちがほとんどですから、東大のように満遍なくどの教科もできるというのは「天才は入学させません」と言っているに等しいと思います。

ズバリ、東大に天才はほとんどいないと考えます。
ただし知能の高い人はたくさんいると思います。
僕も人に勉強を教えた経験がありますが、確かにモノを覚えたり、理解する能力と言うのは世間で思われている以上に個人差があります。

しかし、それとて凡人の3倍とか、せいぜい10倍程度の差だと思います。
そして、その人たちには脳に障害があって異常な行動をする、というわけではありませんよね。
彼らは秀才タイプです。

つまり、秀才と天才は質的に相容れない別物なので、秀才に占める天才の割合はゼロ、というのが答えではないでしょうか?

もっとも人には役割があるので、天才ばかり多くても困ります。
この世に天才があふれれば、社会はかえって混乱するでしょう。

ごく一部の天才が新しい時代を切り開き、東大出身者を中心とする秀才集団がそれを効率よく学習して一般人も恩恵を享受できるような仕組みを整える役割を担っているのだと思います。
まさに帝大時代から官僚(=大部分が東大出身者)にはこのような使命がありましたよね。

なお、スポーツ天才は、生まれつきの特異体質(運動神経、動体視力が抜群であったり、血液の酸素の取り込み方が異常だったり)に訓練、努力などが重なり、並の選手よりはるかに優れた業績を残す人だと思いますが、ここでは割愛します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
小生の印象としては、才能に恵まれた者が少数で、多数は努力をしていたと思っています。主観的なものですから、統計や文献から見たいと思いました。
質問の主旨はここだったのですが、まったくずれてますね。失礼しました。
rinkanの仰るとおり、天才という定義が曖昧でした。ニュアンスが異なってしまったため改めて投稿します。
天才の定義、ありがとうございました。別の意味で大変参考になりました。
思い出したんですが、かつて芸能人だったジミー大西も画家に転向して才能を開花させてましたね。贋作で儲けていた輩が逮捕されるというニュースを読んだ記憶があります。逆に言えばそれぐらい売れてる立派な画家になったんだなぁという印象でした。
ある意味天才なんだろうと思えます。

お礼日時:2006/06/11 01:09

 私が思うに、質問者さんの高校は単純にエリート秀才の学校だったんでしょうね。

(私も、一応その県ではトップでしたが、東大や国公立大医学部にやっと2桁入るくらいですね。)
 多分、半数を50%とすると、天才はその中の1,2%くらいじゃなかったんですかねえ。最も、ほどほどに才能がある人は多かったと思いますが……。

>50%も天才がいたならば、もっと世の中が良くなっていてもおかしくない気がします。
 それはないですね。そもそも人間性が悪い天才がいるとかえって足を引っ張りますし、結局はあまり今と変わらないんじゃないのでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2006/06/11 01:15

3で回答した者です。


まとめもかねて再投稿。

まず天才と秀才は別物。
両者は
1.脳の障害の有無
かつ
2.アウトプットの質(新しいものを創るのか、人から習ったものを吐き出すだけか)
あるいは
3.インプット・アウトプットの質・量が異常ともいえるほど桁違いか否か
を元に判断。

そして秀才と思われる人にも、
1.主に元々学習能力が優れているため秀才たり得る人(狭義の秀才)

2.主に見えないところで人一倍努力しているため秀才たり得る人
に分けられる。

そして狭義の秀才は次のような要素を1~5つ身に付けていると推測される。
1.遺伝的に多少恵まれている(凡人と言える範囲内で)
2.幼児期の育てられ方などにより学習意欲、集中力などが育まれた(学習意欲があり集中力があれば学習時間は少なくて済む)
3.子供のときから勉強してきたため、勉強慣れし、学習の要領を身に付けている
4.大学の受験勉強を始める時点で、他の人より勉強の基礎ができている(有名私立進学校のお受験経験者に多い)
5.そのほか、性格や体力(自分を冷静に分析・管理できる、休憩時間が短くて済むなど)

つまり秀才は狭義の秀才か努力型に分けられるものの天才は含まれない。
もっとも努力型秀才も勉強慣れや基礎をしっかり固めることなどで狭義の秀才になることは可能。

また天才にもモーツァルトのような先天的な才能で業績を残すタイプと、偏執狂的な努力の結果、業績を残すタイプがいる(エジソンなど)ので一概に「天才は努力しない」とは言い切れない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/11 01:10

 現在高校一年生ですが・・・。

周囲を見渡す限り、天才がいるとは思えませんが、(東大に半数以上入るなんてことないですし)ほどほど成績は良い者が集まっています。しかし、彼らの話を聞くと、中学時代努力していなかったようです。努力しているな~と感じるのはほんの一握りです。
 しかし、彼らもまったく努力していないわけではないと思われます。最低限の努力はしています。
 結論として、彼らは、努力家かつ、才能に恵まれた者であったと言えるでしょう。
 純粋な努力家は、圧倒的少数かと思われます。
 あくまで、僕のいるクラスの中の話で、僕の個人的印象についてですが・・・。

 ちなみに、
>50%も天才がいたならば、もっと世の中が良くなっていてもおかしくない気がします。
 についてですが、50パーセントの天才のうち、世の中を良くしようとしているひとは、その中の千分の一にも満たないと思われます。そして、その能力を悪事に使うものもいます。だから世の中は良くないのかもな~という感もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
小生の印象としては、才能に恵まれた者が少数で、多数は努力をしていたと思っています。主観的なものですから、統計や文献から見たいと思いました。
質問の主旨はここだったのですが、まったくずれてますね。失礼しました。
rinkanの仰るとおり、天才という定義が曖昧でした。ニュアンスが異なってしまったため改めて投稿します。

お礼日時:2006/06/11 01:00

まず天才の定義をしてみるべきではないでしょうか。

定義をしていないのに、問答しても無意味なのですから。たとえば東大に半数以上はいる高校でも、こいつは将来は東大の理学部や法学部の教授になれるなというのは、そんなに多くはいないはずです。せいぜいクラスで3人以下ではないでしょうか。そういうのを天才と呼ぶのか、それとも東大に合格して適当に出世するレベルでも天才と呼ぶのか。あるいは、ノーベル賞をとれるとか、さらに高いレベルで天才を定義するのか?

>50%も天才がいたならば、もっと世の中が良くなっていてもおかしくない気がします。

意味不明です。どうしてそう思うのでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
抽象的な質問で恐縮です。

お礼日時:2006/06/11 00:54

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