谷川俊太郎さんの詩で、結婚を祝福するのにふさわしい詩はありますでしょうか?
また、その他の作家さんでも良いので結婚を祝福する詩を教えてください
よろしくおねがいします

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

【祝婚歌】


吉野 弘の『祝婚歌 しゅくこんか 』という詩があります。
いろいろなところで紹介されていますので、
ご存知かもしれませんが、胸を強く打つ詩ですね。
下記のサイトで紹介されています。

http://1952mail904.269g.net/article/1012797.html

【迷子】
谷川俊太郎の詩ですが、結婚式の詩でいいですね。

私が迷子になったらあなたが手をひいてくれる

http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/poem09.htm

参考URL:http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/poem09.htm,http://1952mail904.269g.net/article/1012797.html
    • good
    • 1

特に結婚式用の詩ではないですが、谷川俊太郎さんの「あい」というのはいかがでしょうか?



「あい」 谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
    • good
    • 2

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q谷川俊太郎 詩「であるとあるで」について

谷川俊太郎さんの詩、「であるとあるで」についてです。
学校の音読の課題で出されたのですが、その時先生が、
「何か法則があるかもしれないですね~」といっていました。
先生自身も分かっていませんが、自分もそう思って考えていました。
これがその詩です↓

であるとあるで      谷川俊太郎

であるはであるでなかろうか
であるがでないであるならば
でないはであるになるだろう
でないがであるでないならば
であるはでないでなかろうし
でないであろうがなかろうが
であるはであるであるだろう

あるではあるででうろかなか
あるでがででないあなばるら
いなはであるにでうるだろな
ないでがであるでいなならば
はあるでなでいでなろうしか
いなでであがろうかながろう
でるはあでるあであだろうる

といった内容です。
自分の父は、「あるで」をXに、「ないで」をYとして考えれば答えが出るのではないかといっていました。
ですが、下半分は、何をどうすればいいかさっぱりです。
アドバイスをください。

Aベストアンサー

このように文字の並び替えをすると、詩の前半と後半が全く同じことを言っているのがわかると思います。全てひらがなで書くことで「間違い探しゲーム」のような感じに作ってあるのだと思います。これは谷川俊太郎の「ことばあそびうた」ですね。

あるではあるででうろかなか→であるはであるでなかろうか

あるでがででないあなばるら→であるがでないであるならば

いなはであるにでうるだろな→でないはであるになるだろう

ないでがであるでいなならば→でないがであるでないならば

はあるでなでいでなろうしか→であるはでないでなかろうし

いなでであがろうかながろう→でないであろうがなかろうが

でるはあでるあであだろうる→であるはであるであるだろう

左が詩の後半部分、右は文字を並べ替えたあとのものです。

Q谷川俊太郎の詩のタイトル

お世話になります。
谷川俊太郎さんの詩で、「ポコ」とか「むにゅ」みたいな擬態語がまんさいの詩のタイトルを教えてください。

これ以上の情報がりません。「むにゅむにゅ」みたいなカンジの言葉で構成されていたのうな記憶があります。

よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

「もこ もこもこ」でしょうか?
ぱちん、とか、にょき、といった擬音がたくさん出てきます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4580811402/qid=1054860618/br=1-1/ref=br_lf_b_0/250-2249158-4125057

Q谷川俊太郎の詩を探しています

谷川俊太郎の「うんち」という詩が
どの本の載っているか教えて下さい。
似たような詩「うんこ」(ぞうのうんこは…)は
見つかったのですが、(聖書には記されて…)で
始まる詩がわかりません。
書名・出版社があると助かります。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

よしなしうた
青土社 から 出てるようです。

参考URL:http://www007.upp.so-net.ne.jp/scaffale/shuntaro2-yoshinashi.htm

Q谷川俊太郎の詩のタイトルを教えてください。

昔読んだ雑誌で、谷川俊太郎さんの詩が紹介されていたのですが、そのタイトルまたは掲載されている書籍・詩集の名前を知りたいです。
詩は、ある日子供が自分の家に帰ってきて、死んでいた家族を順番に見つけていくといった内容です。内容は恐ろしいですが、からりとした雰囲気の不思議な詩でした。
もはや掲載されていた雑誌の名前も判らないのですが、絵本などを紹介する大人向けの雑誌だったと記憶しています。

手がかりの少ない質問ですみませんが、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「夕暮れ」です。

夕方うちへ帰ると 戸口で親父が死んでいた…

で始まります。
何に収録されてるかわかりませんが、調べると全文出てくるかもしれません。

Q谷川俊太郎さんの「いつだって今だもん」を読まれた方

詩人、谷川俊太郎さんの書かれた戯曲「いつだって今だもん」を読んだ、あるいは観劇された方に

感想をお聞きしたいです

自分の中でもそれなりに、解釈はしてみたのですが、普段、谷川さんの「詩」に感動している私にとっ

てはさっぱりしすぎている印象でした

本当はもっと深い意味が隠されているのではないかと思って質問しました

みなさん、どういった感想をお持ちでしょうか?

Aベストアンサー

> 本当はもっと深い意味が隠されているのではないか

深い意味かどうかは知りませんが、もしかしたら最後の「道化」登場の意味を読み損なってはいませんか?

最初は宮廷の道化の恰好をして登場した人物が、最後の場面でトレーナー姿、介護施設の職員として現れます。それは「未来」が変わったことの暗示です。

この戯曲は、ふたつの時間・ふたつの世界が描かれます。
ヨーロッパの中世を思わせる、王様がいて、王子がいて、道化師がいる世界。
そうして、核戦争後、マリとお母さんふたりを残して、あらゆる人が死に絶えた世界。実はこの母親すらもロボットで、ロボットとしての寿命がさほど長くないことが途中暗示され、遠からず、マリはこの世界にたったひとり、取り残されることになりそうです。

最初、一幕目は中世、二幕目は未来……と、まったく別個の世界として提示されていた舞台が、三幕目の終わりから、同一舞台の上手・下手に分かれて演じられるように指定されています。下手では王子と道化がいる中世の森、上手ではマリがコンピュータに向かう近未来。そうしてふたつの世界が徐々にまじり合い始める。

ふたつの世界の端境にいる子どもが登場します。この子どもはふたつの時の壁を守る子どもです。ところがふたつの時がまじり合ったために、この壁を隔てて王子とマリは出会うことになる。ふたりはお約束通り恋に落ちますが、時の壁によって阻まれる。お母さんロボットと道化は自らを犠牲にして、一瞬の間、その壁を消す。

そうして出会った王子とマリは、中世でも未来でもない、「子どもたちのいるところ」どこか別の場所に、手を繋いで駆けていくんです(ト書きでは客席を通って走り出る、とあります)。

その未来と過去がまだシンクロしたままの状態のところに、過去から王様がやってくる。
そこに、トレーナー姿の、もはや道化ではない「老人ホームの職員」が、「奥様」を探しにやってくる。

つまり、未来はマリと王子によって、姿を変えたのです。核戦争もなく、人びとが「歳を取る」ことのできる世界です。道化が探す「奥様」は姿を現しませんが、おそらくその「奥様」とは、死なず、ロボットにならなかったマリの母親でしょう。

最後に「子ども」が劇中で何度かうたう「霧だって雨だって水だもん、湯気だって氷だって水だもん……おとなだって子どもだもん、どこだってここだもん、いつだって今だもん……」というせりふがもう一度登場します。

わたしたちは本来同じ水を、場面によって「霧」と呼んだり「雨」と呼んだり、「湯気」や「氷」と呼んだりしている。そうやって、まったく別のもののように錯覚してしまっている。それと同じように、「おとな」と「子ども」がいるわけではない、「ここ」と「あそこ」があるわけではない、そうして「未来」や「過去」があるわけではなく、いつだって「今」なのだ、というのです。

わたしたちは「過去」をもはや決まったものと、そうして「未来」はやがて自分にふりかかってくるものとして、「今の自分」にはどうにも手出しのできないものとして考えがちだけれど、「いつだって今」なら、「今の自分」にどうにでもできるのではないか、というわけですね。

これを「深い」と思うか、あるいは「さっぱりしすぎている」と思うかは、人それぞれでしょうが。

ただ、このお母さんロボットは、ロバート・シェクリィの短編「静かなる水のほとり」の召使いロボットを思い出させるし、時間の扱い方にしても、ハインラインの「輪廻の蛇」とか、フィリップ・K・ディックの「時間飛行士へのささやかな贈り物」とかを思わせます。わたしが中学生のころむさぼるように読んだSFを、谷川俊太郎さんもきっとずいぶん読まれたんだろうな、と思うと、個人的には何となくうれしいものです。

> 本当はもっと深い意味が隠されているのではないか

深い意味かどうかは知りませんが、もしかしたら最後の「道化」登場の意味を読み損なってはいませんか?

最初は宮廷の道化の恰好をして登場した人物が、最後の場面でトレーナー姿、介護施設の職員として現れます。それは「未来」が変わったことの暗示です。

この戯曲は、ふたつの時間・ふたつの世界が描かれます。
ヨーロッパの中世を思わせる、王様がいて、王子がいて、道化師がいる世界。
そうして、核戦争後、マリとお母さんふたりを残して、あらゆる人が...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報