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北アイルランドについて最近興味を持ち、本などで調べたりしているのですが、特長がイマイチ掴めません。宗教問題ではない。ということでしょうか?
後、98年のアイルランド合意後も紛争が続いていると本で読んだのですがそれは何故でしょうか?

教えていただけたら嬉しいです。

A 回答 (5件)

参考にしてください



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2% …
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北アイルランド問題は、宗教問題に見えますが、実際には、歴史問題・経済問題です。



そもそも、北アイルランド問題は、ヘンリー2世の時代(1171年)に遡りますが、問題が深刻化するのは、チャールズ1世(1625年~)の時代です。

チャールズ1世の時代、アイルランドでは、イングランドに対し、大規模な反乱が起きました。
特に北アイルランドでは、反乱が激しく、イングラド軍に弾圧され、人口が大幅に減少する事態となってしまいました。
イングランドでは、人口減少対策と、反乱の抑制のため、スコットランドの人達を、北アイルランドに大量移住させます。
移住したスコットランド人は、耕作者のいなくなった農地や、従来そこに住んでいたアイルランド人の農地や財産を、イングランド軍の支援で、奪ってゆきました。
そのため、アイルランド人は、移住者の家などを襲うようになり、両者の対立は、決定的となります。

アイルランド人は、カトリックで、移住者は、プロテスタントでしたので、カトリック対プロテスタントの構図に見えてしまいます。

プロテスタント側は、イギリス軍の支援の中で、裕福層を形成し、カトリック側は、貧困層となったため、階層闘争、経済闘争の面も帯びてしまいます。

アイルランド独立に際し、北アイルランド9州のうち、プロテスタントが人口比で上回った6州が、イギリス残留となり、現在に至っています。

紛争の停止の合意が有っても、基本的な問題は、全く解決していませんから、今後もトラブルは続くと思われます。

なお、カトリック側には、自分達こそ最大勢力との認識もあります。
カトリックとプロテスタントという分け方の場合、プロテスタント側の勢力が大きくなりますが、プロテスタントを宗派別に見た場合、カトリックが最大勢力となります。
この事も、カトリックが妥協する必要性をあまり感じない理由にもなっていると思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
参考にします^^

お礼日時:2006/01/23 17:02

同じような質問がありましたので、参考URLに入れておきました。


そこでも回答したように、かつNo.2の方が説明されているように、「宗教対立」、「民族対立」と捉える事はできません。
問題がいつから深刻化したのかは、人によって考え方が違うのかも知れませんが、イングランド王により意図的な移住がアイルランドに対して積極的に行われるようになったのは、チューダー朝(特にエリザベス1世)の頃です。北アイルランドについては、元々アイルランド系領主の勢力が一番強く残った地域なのですが、1607年にアイルランド系領主が海外に逃亡(理由は明らかではないが、イングランドからの圧迫によるものと思われる)した後に、イングランドのジェームズ1世が積極的・計画的に移民を進めたのが最初です。

尚、北アイルランドは、1920~21年のアイルランドの自治成立の際に、プロテスタントが安全に多数派を占められるようにかなり人為的に境界が定められたので、カトリックにすれば、北アイルランドのみにおいて誰が多数派かという問題意識はほとんどないと思います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1877180
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3番の方の考え方に、誤解があるようです。



スチュアート朝以前のアイルランドへの殖民と、スチュアート朝での殖民では、全く性格を異にしていることを理解されていないようです。

スチュアート朝以前の殖民は、イングランドの支配層が、アイルランドを領土化するために行われ、一般のアイルランド人を、被支配者として組み込んでゆきました。
形としては、アイルランド人支配者が、イングランド人支配者にとって代わったと同じことで、社会的変革は、あまり大きくありませんでした。
一方スチュアート朝におけるアイルランド殖民は、スコットランドの農民を植民者として送り込む政策で、北米への殖民で、インディアンを居留地に追い込むのと同じで、アイルランド人農民の土地を奪う事が、イングランド軍の支援下に行われました。
この事が、カトリック対プロテスタントの対立の根源になっている事を、理解しておいてください。

また、北アイルランドは、特に反英勢力が強く、エリザベス1世の時代に、徹底的に反抗し、制圧されたため、他地域よりも人口減少が著しいといった理由も有りました。
人口減少と、反乱の抑制の意味で、スコットランド人をアイルランドに送り込む殖民がスチュアート朝の時代に行われます。
北アイルランドの領主ヒュー・オニールが降伏したのが、エリザベスの死後6日めであったそうです。

1971年の北アイルランドにおける宗教比率のデータがあります。

カトリック             31.5%
アイルランド教会(イギリス国教会) 22.0%
長老派               26.7%
メソジスト              4.7%
バプテスト              1.1%
その他・無回答           14.0%

宗派べつでは、カトリックが最大勢力ですが、プロテスタント諸派をまとめると、50%を超え、プロテスタントが優勢になるというのが、北アイルランドの実態です。

北アイルランド(アルスター地方)9州のうち、アイルランド殖民がほとんど進まなかったドニゴール、モナハン、ラウスの3州は、現在アイルランド共和国に属しています。
北アイルランドの内で、アントリム、ダウンの両州では、プロテスタントが圧倒的ですが、ファーマナ、ティロンの両州では、カトリックとプロテスタントが拮抗しているそうです。
これは、アイルランド殖民が、アントリム、ダウンの両州から始められたためです。

北アイルランド問題は、民族対立ではありません。
スコットランド人とアイルランド人は、共にゲール人(ケルト人)であり、ローマ帝国崩壊後、アイルランド人が多量にスコットランドに移民していました。
アイルランド殖民に利用されたのは、そのような人達が中心でした。
一方、アイルランド貴族達は、元々が、プランタジネット朝の時代にアイルランドを支配したイングランド人の末裔で、アングロサクソン系の民族になります。

チューダー朝からスチュアート朝におけるスコットランドの対立は、
アングロサクソン系アイルランド領主とケルト系アイルランド人農民
   対
アングロサクソン系イングランド人貴族とケルト系スコットランド人農民

といった対立軸となります。
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エリザベス1世の時のマンスター植民(1580年代)は、ジェームズ1世のアルスター植民と非常に良く似ていて、住民の移住も伴っているので、No.4の回答のような考え方に従っても、チューダー朝にも住民の移住を伴う大規模な植民があったと言っても、別に間違いだとは思いませんが、マンスターでは、その後反乱が起こると住民は一旦逃げ出したりししていていて、規模・永続性の点では、スチュワート朝以降とは違いますから、No.4の方の回答通りに理解されても、私は一向に構いません。



ノルマン人の征服後わりと短期間の内に、イングランドにはアングロサクソン系貴族はいなくなったので、「アングロサクソン系領主(貴族)」という言い方には若干抵抗は感じます(普通は、Anglo-Normanなどと言います)が、民族対立ではない、というのも、No.4の方の仰るとおりだと思います。っていうか、そもそも、アイルランド人も、国教徒に宗旨替えして、宗教上の最高権威としてのイングランド王の地位を受け入れれば、プロテスタントになってしまうので、○○系といった民族の問題を持ち込む事自体意味がありません。宗教改革の極初期のプロテスタントって、基本的には、皆宗旨替え組ですしね。
民族よりも、宗教上(かつそれが政治にも密接に結びつく)、ローマ法王の権威を認めるカトリック、イングランド国王の権威を認める国教徒、そのどちらも否定する国教徒以外のプロテスタント、の3つの区分の方が、この時代は重要です。(3つめは特にピューリタン革命期において)

しかし、あまり歴史上の経緯ばかりを説明していて、万が一「北アイルランド問題は歴史的な怨念を引きずっているだけ」のような印象をもたれてもいかんので、現在の事をご説明します。但し、あまり新しい資料を持っていない点はご容赦ください。

1.住むところ
地域差がかなり大きく一概には言えないのですが、プロテスタントとカトリックはそれぞれ固まって住む傾向が明らかにあります。1991年の調査では、約70%のプロテスタントが、住民の70%以上がプロテスタントの地域に住んでいます。カトリックも、ほぼ同じ傾向です。

2.教育
現在、小中学生の約95%が、プロテスタント系かカトリック系かのどちらかの学校に行きます。別に日本で言うところのミッション系という訳ではなくて、プロテスタントが行く学校とカトリックが行く学校がかなり明確に分かれている、という事です。(制度的には、国の関与の度合いの違いによって、State,Controlled,Maintainedのみっつがあり、プロテスタント系は前者2つ、カトリック系は最後の1つに、事実上分かれています。)

3.結婚
公式の調査はないので、色々な数字があるし、また地域差も大きいのですが、結婚のうちの5%前後が異なる宗派間の結婚という研究もあります。

4.雇用
カトリックの失業率は、プロテスタントの概ね倍ぐらいです。2002年3月時点で、男性の場合、カトリックが9%、プロテスタントが5%。勿論、公式には宗派を理由にした雇用差別は禁止されていますが、はっきり目には見えない差別があると理解されています。
もっと全体の景気が悪かった1985~87年は、英国全体での男性失業率が12%、北アイルランドでは、プロテスタント男性は14%と全国平均とほぼ同じなのに対し、カトリック男性では36%と、恐ろしい数字になっています。

長々と書きましたが、単に歴史を引きずっているのではなく、現時点でも相当はっきりと別れた社会になっている、という事を、一応申し上げておこうと思いました。まぁ、当り前と言えば当り前なんですが、例えば、1960年代末にカトリック側に公民権運動が始まった頃から、双方の対立は深まりテロの応酬になりますが、住居の分離はその頃によりはっきりとしたものになっています。
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