これ何て呼びますか Part2

学生ではありませんが、中古文学および平安時代史について個人的に勉強しておりますKASANEと申します。
源氏物語より以前のかな物語である『宇津保物語』には、<紀伊国牟呂郡の長者/甘南備種松>という人物が登場します。彼は広大な土地と数多の財宝の持ち主で<宝の王>と称され、女官として出仕していた娘が帝の落胤を産むと、孫の為に豪奢を尽くした館を造成し、都の貴族も驚く程の贅沢な生活をさせるのです。
また別の登場人物で、都で商売を営んでいる庶民の女性が出てくるのですが、彼女もなかなかの財産家であるとされています。
宇津保は仮想の作り物語なので、ある程度は誇張表現の部分も有るかと思いますが、当時の社会をかなり実態的に描いた作品だとか。
摂関一族や受領といった貴族ではなく、この種松や女性のように農民や商人などで一般庶民の富豪家は実在していたのでしょうか?
日本史にお詳しい方、ご教授頂ければ幸いです。

A 回答 (3件)

平安時代には「田堵」と呼ばれる富裕農民が存在していました。


彼らは地方豪族や官吏を隠退したものを出自としており、蓄財した富で新田を開墾して、他の農民に貸し出し(私出挙)、これにより零細農民を支配下において、ますます富を蓄財していきます。
これに関しては「新猿楽記」を読まれると理解が早いと思います。

http://www.gohan.ne.jp/okome-data/07/781.html
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。種松はいわゆる<大名田堵>だったのでしょうか。新猿楽記も読んでみますね。

お礼日時:2006/02/26 09:15

>独自の方法で<富裕を蓄えた>


といっても当時の方法は簡単で
武力による略奪。例.比叡山延暦寺・検非違使・興福寺所蔵山田寺仏頭
脱税。免田等
開墾。開墾地が多くの場合免田になるでしょう。

朝廷からの「税」さえ逃れられれば地域(農業生産性)によってはかなり裕福な暮らしができます。
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この回答へのお礼

再びの御回答、有り難うございました。略奪、は物騒ですが確かに独自の方法ですね(笑)。貴族の生活は、地方からの貢物によって成り立っていたのでしょうから、実質的には直接農業に携わっていた者のほうが、「豊か」だったとも言えるのでしょうか。

お礼日時:2006/03/01 23:52

平安初期ですと貴族の権力が強くかなりの富が貴族に集まっていました。



しかし平安末期になると貴族は生活に困窮し地方の豪族に対して官位を売って食料を得るという時代になります。
これは藤原の支配により他の豪族が権力につけず地方に逃げたこと.地方に逃げたことでその地区に勢力を構築していったことがあげられます。
例としては奥州藤原。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。奥州藤原氏、著名ですね。できれば独自の方法で<富裕を蓄えた>階層について、ご教授頂ければうれしいです。

お礼日時:2006/02/26 09:21

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