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 出張のついでにごく短時間ですが高野山を観光してきました。参道に武将のお墓がたくさんあったので、wikipidiaでしらべたら、戦国武将の6割のお墓があるということです。なぜ武田信玄や上杉謙信、浅野内匠頭など時代も地域も違う人たちのお墓が高野山に出来たのでしょうか。
 また企業墓と言うものもありましたが、企業墓とはどういうものですか。

A 回答 (1件)

私も高野山のお坊さんに同じ質問をしました。

その時聞いた話。
弥勒菩薩は釈迦入滅後、56億7千万年後にこの世に下生し、人々を救済するほとけです。その時弥勒菩薩が現われるのが、高野山だと言われています。ですから、自分を真っ先に救ってもらいたくて、権力者は競い合うように高野山にお墓を建てたそうです。中には、神格化してしまった人もいて(菅原道真の天満宮のようなものですね)神社もあるわけです。
企業墓はバブルの頃に一気に建ったそうです。お金を積んで高野山に墓を建てて、弥勒菩薩に救ってもらおうとしたんでしょうね。もしくは、本当に信心深い方が社長の会社だと思います。
しかし、バブルの頃に建てられた墓は、きちんと供養されているものが少ないらしいです。
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この回答へのお礼

 知りたかった事ぴったりの的確なお答えをいただいて、すっきりしました。実は、こんな事をご存知なのはお坊様だろうけれど、お坊様はインターネットなどなさらないだろうからどなたからも回答はいただけないのではと家族で話していました。ちゃんとご存知の方がいらして、ていねいに説明していただけてうれしいです。ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/12 20:48

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