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個々の宗教の目的というか本質について質問があります。
例えば神道は、元々怨霊を静めるという目的があると聞いた事があります。
また、浄土真宗は念仏を唱える事で来世での救いを求めるものですよね。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教の他宗派もしくは元々の釈迦の教えはどのようなものなのでしょうか。
お時間がございましたら御回答をお願いします。

A 回答 (7件)

専門的な教育を受けたわけでもなく、ましてや宗教家でもなく


個人的な興味で学んだ範囲内での意見ですが
> 元々の釈迦の教えはどのようなものなのでしょうか
といった疑問は往々にして解釈論に陥り
様々な流派や立場のようなものに振り回され
それこそ本質を見失しなった議論になっていくように(少なくとも現状においては)感じます。
従って、私のような一般人は歴史的な把握をしておくことが
それぞれの宗教の本質理解に一番役立つように思います。

さて、ご質問で挙げられている
> キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教
ですが、このうちキリスト教、イスラム教、ユダヤ教は
同じルーツを持つ宗教ですね。
それぞれが預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称し
まとめて「砂漠の一神教」などと呼ばれることがあります。
預言者アブラハムは旧約聖書の創世記に出てくるわけですが
旧約聖書の創世記は古代ヘブライの素朴な神話がベースになっています。

人類最初の高度な都市文明は
シュメール人が、このヘブライの地に築いたと言われます。
が、後に食料飢蚫などの問題から移住に迫られたりする中で
様々な民族紛争が勃発したり民族が分裂していきます。
このような過程の中で、古代の素朴な神話は
民族の求心力や統治力(規律)として機能する「宗教」になっていきます。

早い話、イスラム教とユダヤ教の本質は「規律」です。
中でも多くの迫害を受けたユダヤの民の宗教は「排他的」になっていきます。
即ち「ユダヤ人第一主義」です。
(ちなみに、ユダヤ人の定義も難しい話なのですがココでは省きます。)
しかし、後にユダヤ教が勢力を増し、他民族を圧迫するようになります。
ここに、ユダヤ教をベースにしながら、他民族を救済しようとする
キリスト教が生まれます。
つまり、キリスト教には「規律」と「救済」の2面があります。

仏教は「救済」のみを目的とした、めずらしい宗教です。
宗教でないという人もいます。
仏教が生まれたのは古代インド。
当時、ここではバラモン教という、古代インドの神話をベースにした「規律」の宗教があり
宗教層を頂点とした厳密な階級制度が引かれていました。
仏教は、バラモン教の教えでは自分の悩みが解決しないと考えた
とある王族の若者が自ら編み出した精神的な救済の方法論です。

> 浄土真宗は念仏を唱える事で来世での救いを求めるものですよね
それは、本質というよりは、普及のための「戦略」に近いものだと思います。
宗教は、普及を目指して移動しながら、現地の素朴な宗教と合体したり
生き残りを目指して時代に迎合しながら、変質していきます。

元々の釈迦の教えには来世なんて発想はないとするのが一般的ではないかと思います。
だって、仏教の仏教たる所以は「空思想」にあるのですから。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=687666
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宗教を問わず健全な信仰心があれば、各宗教もおのずと理解できます。



健全な信仰心とはより人間らしく生きる(仏としてまたは、神の僕として)ための道しるべとなります。
哲学も同じ役目を果たします。
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この回答へのお礼

皆さん、御回答ありがとうございます。
大乗仏教云々という話は、そういえば授業で聞いた記憶がありました。
世界の国々の国民性を理解する一助になると思ったのですが、なかなか複雑なものなのですね。

お礼日時:2006/03/18 18:50

再びNo.2です。


 浄土真宗は、無量寿経に基づき阿弥陀如来を本尊とする日本の宗派仏教ですが、しょせん大乗仏教にすぎません(真の仏教ではありません)。
 お釈迦様の教えは阿含経典にのみ説かれており、阿含経典では、因縁解脱して仏陀になるための修行をすることの意義と、仏陀になるための修行方法とが説かれていています。阿含経典において、お釈迦様は、お坊さんといえども、七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうほん)の修行せずして、因縁解脱して仏陀になることはできない、と説いています。

 お釈迦様は、現世で成仏する(仏陀になる)修行をすることを説かれたのです。来世で成仏することを説いたのではありません。(来世は現世の結果ですから、現世の続きとして来世においても仏陀になるための修行をすることは勿論あります。)
 ですから、お釈迦様は、修行せずに念仏を唱えて来世で仏陀になることを勧めたわけがありません。阿弥陀如来は、大乗仏教で創作された架空の仏です。親鸞は、大無量寿経がお釈迦様の教えと信じていましたが、大無量寿経はお釈迦様の教えではなく、後の人によって創作された創作経典です。親鸞は、阿含経典に修行方法が説かれていることを知らなかったのです。

 お釈迦様の教えの1つに、「縁起の法」があります。その内容は、全ての物や現象(事象)は、因縁によって「生じ」、「存在し」、「消滅し」、「存在しなくなる」というものです。これが、大乗仏教において「空」という思想に発展しますが、「空」そのものは、お釈迦様の思想ではありません。「空」とは、概して、全ての現象は因縁によって「有」と「無」の間で変化して、常なるもの(永遠に不変なもの)はないという意味です。

 阿含経典で説かれているお釈迦様の本来の仏教は、精神的救済や気休めを求めるといった、内容の希薄なものではありません。仏教の修行は、瞑想を中心にして霊的向上に努力しながら、仏陀になることを目指すものですが、その結果として、(仏陀になる途中で)、性格が改善され、人格が高くなり、智慧が備わり、知性が高くなり、自己の運命を改善することもでき、良い意味で人生に多大な影響を与えるものです。逆にいえば、そうでなければ仏陀になれえうものではなく、そうでなければ仏教の修行ではありません。(人間の苦、社会の苦(問題)、世界の苦が解決できないのは、人間に真の智慧がないからだといえるでしょう。)

参考URL:http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
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ユダヤ教系や仏教、その他多くの宗教の本来の目的とは、人間あるいは世界の救済であると思います。


自分だけ助かれば良いのなら教えを広める必要はないはずです。
それぞれの「教え」というのは、それぞれに編み出した(*)「助かる方法」であり、
それが、戒律を守ることだったり、念仏を唱えることであったりするわけです。
*啓示宗教では人が編み出したのではなく神から教わったとなります。

神道は、ちょっと独特だと思います。精霊信仰的な要素が強いのではないでしょうか。
八百万の神というくらいで、あっちこっちに神様がいます。
しかし、これも五穀豊穣や天下泰平を願い、祈祷するという要素がありますから、
広い意味では、救済が目的と言えるかも。
怨霊云々というのは、死んだ人物(有名どころでは菅原道真)を神として奉り、
祭事を行うことでタタリを防ぐ、あるいは治めるってことですかね。

それから、元々の教え、というのは、仏教の末法思想じゃないですが、難しいのではないかと。
おそらくは、各宗教団体内でも喧々諤々になる問題じゃあないかと。
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キリスト教ではなくキリストの教えについて知っていることを述べてみます。


一つの見方として読んでください。
キリスト教に詳しい方には受け入れられないものかも知れませんので。

イエス・キリストは多分自分が神として祭り上げられることを予想していなかったでしょうし、むしろ祭られたくなかったのでは・・と思います。

どんな宗教も宗祖の時代の人々の文化的レベル、意識的レベルに合わせて、人々が理解できるように、又理解できる範囲で開祖が教えを説いたのだと思います。

キリストの生きていた時代のユダヤ社会はユダヤ教によって縛られていました。
当時のユダヤ教はドグマ主義に陥ってしまい、魂の自由や確固たる死後感もなく、人々の精神は窒息寸前だったそうです。

そこに現れたイエスの役目とは人々の魂を教義のがんじがらめから解放し、死後の世界を説くことによって霊は永遠であることを教え、人が幸福になるためには霊(心の内にあるもの)が最も大切であると諭すことでした。

そして霊として最も大切なことが「他者への愛、奉仕」であると説いたのだと思います。
他者へ向けられた愛とは実は自分を幸福にする自分への愛と同じことであり、他者への憎しみは、自分を苦しめ責め立てる憎しみと同じであると教えました。

キリストが磔刑に処されたメッセージの意味は当時よりむしろ現代にアピールしていると思います。
特にクリスチャンに対し、込められたものがあるように思えます。

クリスチャンはキリストの磔刑に心を痛め、辛い思いをします。その一方で戦争を引き起こし、異教徒を残虐にも平然と殺戮します。
キリストは自分を磔刑に処する者の為にすら神に祈りました。
「神よ、この者たちをどうかお許し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです。」と、自ら分かって処されたのですが、現代虐殺される人々は何も分からないうちに酷い殺され方をします。

「あなたたちは私のために悲しみますが他民族に対しもっと酷いことをしていますよ。そのことが分かっていますか?」と問いかけているようです。

キリスはは復活した時に手の平の釘の穴を示したそうです。
これは、「私は一旦死んで、その後、霊として復活しました。人は肉体が滅んでもこのように霊として復活できるのです。あなた方も私のように皆、死後復活できるのですよ。その時までに私の教えを守り、霊としての宝(他者への愛、奉仕)を積んで備えなさい。」

しかし、このイエスの大切なメッセージはイエスが神として祭り上げられたために台無しになってしまいました。神になってしまったために、人から遠く離され、死後復活も神としての特別な特権になってしまい、全ての人が同じように死後復活できるというメッセージが消されてしまったのだと思います。
ですからその後のキリスト教にはイエスの教えそのものと後の世の人の真理かどうか分からない解釈が混じっていると思います。

この解釈に疑問の方はどうかパスしてください。
私なりに資料からまとめた意見です。
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仏教について説明しますと、お釈迦様は、出家して求道の修行した結果、人生は「苦」であると悟ったのです。


この場合、苦というのは、日本語でいう「苦」だけでなく、「不満」、「不安」、「不安定」という意味を含むそうです。(皆さんは、人生に苦を感じたり、不満を感じたり、不安を感じたり、現在の幸福が永遠なものでなく不安定なものであると感じたりしたことはありませんか?)お釈迦様は、その原因は、人は因縁によって「苦」(不満、不安、不安定の原因)を「集」めているからだと悟ったのです。お釈迦様は、その苦の原因を「滅」すればよいのであると悟ったのです。そして、その苦を滅するには「道」(修行法)があると悟ったのです。これが、お釈迦様の「苦集滅道」の悟りです。

 仏教は、人生が、カルマ(業)によって六道輪廻(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の境涯を回っている)し、それによって苦を受けていることを理解し(悟り)、この六道輪廻から脱する(解脱(げだつ)する)ための瞑想を中心として修行をするものです。
 その具体的な修行法は、多くの経典の中でも上座部仏教(南伝仏教)の阿含(あごん)経典にのみ説かれています。本来の仏教は、仏に対して現世利益を祈願したり、仏を神様のように信仰するものではありません。しかし、日本の大乗仏教(法華経等に基づく信仰)ではそれをやっています。それは、阿含経典の価値を理解できないまま、多神教のヒンズー教の影響を受けた大乗仏教だけが、中国を経由して日本に伝わったためです。
 残念ながら、日本の大乗仏教は、阿含経に基づく修行は行っていませんので、世界の基準でいうと真の仏教とはいえないのです。
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基督教は、新約聖書を読む限り、その本質は、チャリティに


あるようです。チャリティは無私の愛。キリストはこの無私の
愛を説いていますね。十字架に掛かったのも、この無私の愛故
です。それと、人間は生まれた時から本来罪を負っている、その
罪を償うためキリストは十字架にかかった。それで、キリストを
信じることが贖罪となる、云々。
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