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5年前に実父がなくなり、特にお付き合いのあるお寺さんがなかったので、
葬儀屋さんのご紹介でお世話になりました。
その時初めて浄土真宗ではお位牌でなく過去帳を奉ると知り、そのように致しました。
母はお位牌が無いのがちょっと不自然だと言っていました。
(母の実家は他宗教でお位牌があるので)

先日母が祖母(死んだ父の母親でなので当然同じ浄土真宗)の法事行ったのですが、
その仏壇にはお位牌があったそうです。
それを見た母が、是非うちもお位牌を作りたいと言い出しました。
お位牌がないのは仏壇も寂しいし、どうしても作りたいそうです。

色々調べてみても、やはり浄土真宗はお位牌は用いないと書いてあるのですが、
作ってはいけないのでしょうか?
専門家の方お願いします。

A 回答 (4件)

浄土真宗の寺の者です。



そもそも位牌は故人の魂を宿したものとされていますが、浄土真宗ではひとりひとりの故人の魂を奉るのではなく、阿弥陀如来という大きな存在を奉るため、仏壇の中心にご本尊(阿弥陀如来)を据え、各家庭のご先祖は、過去帖の中に法名を記すというかたちを用います。

ただし、故人を偲ぶという遺族の気持ちは、けして否定されるべきものではなく、多くの浄土真宗寺院でも位牌による供養を認めているのが実際です。うちの寺でも、ご門徒さん(お檀家さん)の申し出があれば位牌を用意することもよくあります。

位牌に対する考え方について、浄土真宗の僧侶が書いているサイトがありますのでURLを貼っておきます。該当箇所はサイトの下のほうにあるvol.49「仏壇&墓」という部分です。
よろしければ参考になさってください。

参考URL:http://www.higan.net/blog/howto/2005/08/
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この回答へのお礼

早速の回答有難うございます。サイトも見させて頂きました。
「浄土真宗は亡くなった方や先祖を崇拝し、礼拝対象とする宗教ではない」と知りました。
母にも話してみようと思います。それでもお位牌がほしいと言ったら、作っても良いかなと思います。
でも今度の法事(七回忌)ではまた違うお寺さんにお世話になるのですが(父の没後、引越したので)、
やはり仏壇にお位牌があると気分を害されるでしょうか?

お礼日時:2006/03/15 19:12

 真宗の僧侶です。


 
 ご指摘の通り浄土真宗では位牌は用いません。宗派により「ダメ!」「用いない方がいい」と、程度には差が有るようです。

 その理由は、位牌の起源が(1)儒教の祖先祭の板(2)神道の霊代などと言われ、霊魂信仰、さらに供養によりその成仏を願うという考えに基づいたものであるからだと思います。
 霊魂の成仏を願うというのは真宗教義に反しますので、位牌は作りません。これが公的な見解だと思います。

 ただ、他の僧侶の方から怒られるのは承知の上で書きますが、私はそう尋ねられたら、上のことを説明した上で「それでも、やっぱり作りたいのなら、作ってくださって結構です」とお答えします。
 
 先祖供養は教義には反しますが、それを形の上で否定しても、解決にはなりません。長いお付き合いの中で、「このお位牌せっかく作ったけれど、やっぱりお寺さん持って帰ってもらえませんか」とおっしゃっていただくようにするのが務めだと思っています。それがなかなか難しいのですが…。蛇足でした。
 

 
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この回答へのお礼

早速の回答有難うございました。
やっぱりお位牌は真宗教義に反するんですね・・・。
母に話して説得しようと思います。
それでも欲しいと言って作った場合、「魂を入れてもらう」などが必要なのでしょうか?

お礼日時:2006/03/15 19:14

浄土真宗本願寺派の坊さんです。

他の真宗僧侶がすでに回答ですが補足します。
確かに浄土真宗では、位牌を用いず過去帳を用いるのを基本とします。
位牌というのは、そもそも中国で官位や姓名を木の札に書いて神霊に供えるという仏教と関係の無いしきたりが日本に伝わったものでです。したがって、仏教と関係がない(他の仏教国で位牌を使わないことからも明らかです)位牌というものを本来浄土真宗では用いないことと一応決めております。
もう一つ理由を挙げるとすれば、位牌を礼拝の対象と勘違いしやすいことにあります。位牌を礼拝するとなると、それはもう仏教ではありません。ましてや、位牌に亡き人の魂が入っているなどと俗的に言われますが、そんなことはありません。位牌は仏教のものではなく中国から仏教伝来と共に他の宗教(道教、儒教)などの習慣が日本に入ってきたものでありますのです。ですから、ミャンマーやタイなど他の仏教国に
は位牌は無いのであります。
本来仏教のものではない位牌も日本仏教では長い歴史の中で日本の仏教宗派の多くは、仏具として取り入れ、仏壇の飾りの一つとしています。しかし、浄土真宗では用いないと決めております。
それでも九州や山陰地区では習慣的に「繰り出し位牌」と言う位牌状の物(屋根と扉が付いた位牌状の形で中に法名を記載した木の札が入っています)を用いますが、いわゆる他宗派で用いる位牌とは考え方がまったく違います。過去帳代わりの、たんなる、法名の書いた名札という物の扱いとなります。
なお、ご質問に「過去帳を奉る」とございますが、そのような「奉る=祭る」という表現も、もし故人を祭るという考え方でしたら浄土真宗にはございません。
家庭内におけるようにしたミニチュアのお寺の本堂がお仏壇ですので、お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じものなのです。ご縁となる亡き方の法名等の記録をその御本尊のおそば近くに置き、仏壇の主であるご本尊「阿弥陀如来」の教えに自分が出会わせていただくためのものが仏壇の大きな意味合いであります。
ただ、現実の問題としては亡き方への思いが強いのも現実であり、徐々に本来の仏教へ、浄土真宗への出会いとなりますので、
(1)最初からあまり形にこだわらなくても良い
という考え方と
(2)まずは形から
と言う考え方があり、その点はご縁のお寺さんの考え方、ご教化(ご指導)方針等により異なるところであります。
また、他宗派の影響の強い関東などでは、他宗派の習慣が根強く、浄土真宗の方でも最初はご位牌を作ってしまう方が多いのも現実ではあります。
正しい表現が文章では難しいですが、「作ってはいけない」と言う厳しい禁止ではなく、「作る必要が無い、用いる必要が無いから不要」というニュアンスに近いです。
合掌
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この回答へのお礼

ココでの皆さんの回答を母に伝え、お位牌を作る事に拘らなくなりました。回答有難うございました。

お礼日時:2006/03/21 22:00

 No.2です。


 位牌に魂を入れるか?とのことですが、結論から申せば、そういうことはしません。

理由としては
(1)漠然と「魂」といいますが、一体、それって何?という問題があります。仏教では永遠不変の存在を認めませんので、人間の「核」というような魂は考えません。

(2)単なる「こころ」というようなイメージでの魂というものがあるのかどうかは分かりませんが、僧侶はそれを位牌に入れる(宿らせる?)技術は持ち合わせていません。

 また、一般によく「仏壇に魂を入れる」という言い方はしますが(これも、よく分からない表現ですし、仏さまをコントロールする力は僧侶にはないのですが)、「位牌に魂を入れる」というのはあまり聞かない気がします。
 「魂を入れる」かどうかは別にして、位牌を作られたら、お参りに来てもらえばいいのではないでしょうか。その際に、お母様が僧侶の方に率直に気持ち(寂しさや不安)を話されるのが一番かと思います。 
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この回答へのお礼

2度も回答有難うございました。
ココでの皆さんの回答を母に伝え、お位牌を作る事に拘らなくなりました。
大変参考になりました。

お礼日時:2006/03/21 22:02

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