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動物愛護の精神をお持ちで、犬や猫の保健所での安楽死など過剰に反応し反対する方はたくさんいると思うんですが、その方たちはどこまで動物の死に拒絶反応を示すんですか?
例えば、子供が犬や猫を叩いていたら怒りますよね。でも、それが蜘蛛や爬虫類やねずみだったらどうなんでしょう?「動物を虐待してはいけない」と怒るんでしょうか?
それから、その方たちは動物を食べないんでしょうか?売られている肉や魚を見てかわいそうと思ったりするんでしょうか?

動物愛護ってなんだろう?犬や猫などのかわいい動物を守るだけなのか、と疑問に思ったので投稿しました。

A 回答 (10件)

それ私も感じますw。

過剰な反応をする方・・・いますね。
あなたの過去の回答を拝見しましたが、かなり動物好きな方だと思います。

おそらくあなたの言ってらっしゃるのは、
動物愛護を最優先にし、その事で頭がいっぱいになるあまり、
・逆に他に迷惑がかかってもいいし
・他人の事情は考えず
・自分が全て正しくて、他の人を言葉で攻撃してしまってもいい
と言う人の事を言っているんでしょう。
その言ってる事とやってる事の矛盾に対して、「それは違うだろう…」と。

私はワンコが大好きですし、何匹も飼ってきました。ニャンコも好きです。保健所の殺処分も怒りを感じます。ただそれは保健所やその制度に対してではなく(この状態でただ制度をなくしても解決にはならない)、そこに連れてくる飼い主や今の安易なペットブームに関してですけどねw。
その私も過剰なもの・あまりにもそれのみを最優先事項にする考えは首をひねります。

実態を知らないまま、他の事情を考慮しないままの安易な「かわいそう」と言う感情だけのものはただの自己満足になってしまいますね。グリーンピースの捕鯨船への攻撃と同じですw。

愛玩動物は異常にかわいがる人が毛皮のコートを着てたり(私は毛皮反対論者ではありません)、三味線の事をことさらに悪く言う人がハンドバッグやブーツを持ってたりw。

もともと犬も猫も人間の生活の役に立つ為に飼ってきました。昔は野生動物が人間に対する脅威でしたから、犬がいる事はその脅威を察知する・追い払う事になりましたし、猟では大切なパートナー、放牧では牧羊犬、農耕では作物を食べる動物を追い払う役目になりました。
猫は貯蓄した食物を食べるネズミを駆除してくれます。
(余談ですが、日本では蛇や狼を神の使いとするのも、ネズミや畑の作物を食べる鹿を駆除してくれるからでしょう)
これが最近は愛玩のみになってしまってから変わってきたんでしょうね。

動物はそれこそプランクトンから人間まで、他の生物を捕食する事で生きています。人間は食べるだけではなく、古代から骨から皮まで利用できるものは全て使って生きてきました。鯨も捨てる所はないそうですね。
そうやってあますところなく使う事はその動物に対する感謝と尊敬に繋がります。よく魚を食べる時に、残さず食べるのが供養だとか言いますよね。そういうのが本当の意味の、命の尊厳を敬い傷つけないと言う事でしょう。
逆に命を奪っておいて無駄にする事は、その命への冒涜になります。

そうやってきた民族ほど、昔から山や海の神に感謝をし敬ってきましたし、今でも食用の生物を扱っている業者の人達は「○○塚」などと塚を作って、生きる為・生活する為に命をいただいてる事に感謝し敬い慰霊をしてきました。

その考えがあれば逆に、遊びで命を奪ったりはしません。無益な殺生と言うヤツですね。そこで初めて殺生に対する線引きができます。
こういう考えが根底にあってこそ、初めて動物愛護の考えが出てくるべきでしょう。何でもかんでも一方的に「かわいそう」はおかしいですし、何でもかんでも「殺してしまう」のもおかしいと言う事ですね。

生き物を殺生しないにこしたことは無いが、どうしても生きる為・生活する為には他の命をいただかなくてはいけない。これはどうしようもない事です。
ただそうで無い限りは、命は大切にし生物を「愛し」「護って」いこう。これが本当の意味での「動物愛護」でしょうね。
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この回答へのお礼

考えていたよりもたくさんの回答をありがたくもらったので、1つのお礼で皆さんへのお礼とさせていただきます。
>犬や猫の保健所での安楽死など過剰に反応し反対する方
これには私も含みます。不幸な犬猫を減らしたいと思い動物愛護の団体に参加しようと思っていました。でも、動物は犬猫だけじゃなくて普段食べる牛豚もそうであって動物愛護を見失ってしまっていました。また昔、祖父や父は望んでなかった子犬子猫が生まれたらすぐ殺していたと言うのを聞き残酷な人間だと思いましたが、そういえば私も嫌いだからと言って大きな蜘蛛を殺している。これは蜘蛛愛好家の方から見たら残酷な動物愛護精神のない人間だし、今中国で犬が生きたまま毛をはがされたりして食べられていて、動物愛護家の方が騒いでいますが、これは日本の鯨捕鯨を残酷だといってやめさせようとしているヨーロッパの人と一緒ですよね。。。

でもみなさんの回答でだんだん動物愛護とは何かが見えてきました。こんなこと友達と話すこともないので本当にここはいい場ですね。みなさんありがとうございました。

お礼日時:2006/05/14 21:19

愛護精神はあるかわかりませんが、このサイトなどで保健所での安楽死などを聞くと、やはり納得出来ない私なので、質問に該当していると思います。


動物の死に拒絶反応ですが、それを聞いてどうなのでしょう?
まずは、子供が叩いているのが、蜘蛛でも爬虫類でもねずみでも怒ります。
でも、怒り方としては「かわいそうでしょ(犬猫と一緒ですね)」とか「部屋の隅で死んでるのを見たら卒倒するから、逃がしてあげなさい」ですね。
家でゴキブリを見たらさすがに繁殖されると困るので、スプレーで退治してしまいます。
牛肉や豚肉、鶏肉や魚全般を食べます。売られている加工された肉や出てきた料理を見て美味しそうだと思っています。でもさすがに豚足や鳥丸ごとは、かわいそうにと思います。
かわいい犬や猫のエサにも必ず魚や肉が入っています。野菜だとしても刈られて生命を終わらせてしまうのですから。
この質問に結果を見い出す事は不可能ですし、無意味な事だと思います。美味しい肉を提供する為に日夜頑張っている人、それらの商品を並べて販売している人、美味しい料理を作ろうと研究している人、安全な動物のエサを日々出荷している工場、そして消費者です。
でも、過剰な物を止める事は出来るんではないでしょうか?無駄に動物を殺したり植物を取る事をせずにいる事だと思います。
保健所での安楽死は、その代表格ですよね。無責任な飼い主や繁殖業者によって持ち込まれ、税金を使い殺処分されます。
猫を保護したその時からネットでいろいろ調べていくうちに、どれほど無責任なのかと愕然としました。
ちゃんと避妊していたら・・・問題行動に対処していたら・・・売れ残るかも知れないと予測していたら・・・繁殖に対しての詳しい勉強をちゃんとしていたら・・・無責任な人じゃなかったら・・・
すべて「・・・たら」で今の年間40万頭の数を1/3に減らす事だって無理じゃないように思います。まぁ、繁殖業者が大半だとは思いますが。
そして同じ日本人として恥ずかしい数字だとも思っています。
人間として自分の飼っている動物(犬猫だろうと爬虫類だろうと)に最期まで責任を持つことこそが、最大の動物愛護だと思います。
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<過剰反応という出発点>



「犬や猫の保健所での安楽死など過剰に反応」-挑発的で意図的な語句の使い方ですね。
<犬や猫の保健所での殺処分>を安楽死と表現する認識の浅さが気になります。
それもさることながら、そういう現状に眉をひそめている人々を一括りにして<過剰反応者>と切って捨てるのはいかがなものでしょうか?
<過剰反応者>という指摘には、<常識を超えた反応である。やや分別に欠ける反応である>という非難めいたニュアンスがプンプンしています。
これこそ、正に、<犬や猫の保健所での殺処分を憂慮する人々>に対する<過剰な反応>の一例です。
質問自体の出発点が過剰反応ですので、非常に回答しづらい内容で展開されています。
が、頑張って回答を書いてみましょう。

<蜘蛛や爬虫類やねずみだったらどうなんでしょう?>

質問者は、「蜘蛛や爬虫類やねずみ」-これらの蓄犬動物以外と犬・猫とを区別しているようですが、これは、育児や動物愛護の何たるかを知らない暴論です。
重大な犯罪を犯した青少年の中に、「蜘蛛や爬虫類やねずみ」に対する虐待から精神を病んでいった事例が数多く存在するのは周知のことです。
また、そういう虐待をパトロールで未然に阻止していくという防犯システムが整備されつつある国が存在することも大方の知るところです。
質問に答えるならば、「蜘蛛や爬虫類やねずみ」と「犬猫」とは、区別できるものではありません。
<だったら、インフルエンザウィルスの予防も虐待ではないのか?>
これは、「真理も極端に展開すれば背理になる」の典型で、疑問自体が不成立です。

<殺処分反対論者は肉を食べないのか?>

この疑問の回答を知る手っ取り早い方法は、焼肉店に言ってアンケートを取ることです。
「この中に、犬猫、その他の動物の虐待に賛成の方はいらっしゃいますか?」
「何を聞いているんや」と言われるのがオチです。
そして、賛成する人もごく少ない筈です。
食物連鎖と動物愛護とは、全く、次元の異なる問題なので当たり前の結果です。
私は、牛や鶏の世話をして育ちました。
当然に、鶏も殺して食べました。
それと、鶏や牛を突いたり石を投げたりすることとは別です。
牛もブラッシングすれば喜ぶし、散歩をさせれば甘えもます。
「あーっ。こいつらも生きているんだ!愛(いと)しいな!」と思う瞬間です。
子供は、このようにして食物連鎖と動物愛護との矛盾も学びつつ大人になるものです。

<動物愛護ってなんだろう?>

こういう簡単な疑問に自分なりの答えを見つけるのが困難な時代になったのでしょうか?
この答えは、ここでの質疑応答ではなく、やっぱり、質問者が直に動植物と触れ合う中で見付ける必要があります。
ネット上ではなく、外の世界に答えがあります。
質問者も、牛を散歩させたり、夕闇の中で鶏を集めて止まり木まで運んだりするといいです。

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 一部の犬・猫の保護に傾注する余り、保護するもの以外は・・・という傾向に疑問を持っての投稿でしょう。
 この件については、生理的な好き嫌いは当然のことです。
 だが、その個人的な嫌悪感に基づいて、動物愛護活動一般を軽く語ることを助長しかねない論旨は感心しません。
 そういうことで、質問者の論旨に対しての共鳴感を極力削ぎ落としての投稿です。
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結局のところ、命にもランクづけがあるのだと思います。

まず人間、次に絶滅寸前の希少動物、犬・猫などのペット、牛・豚などの家畜、自然界のその他の動物、いわゆる害獣・害虫といった序列になるでしょうか。

「犬・猫の命も人間の命も同じ」と主張する人たちは犬・猫などペット(愛玩動物)とその他の動物の間で線を引いているのでしょう。私は、人間とそれ以外の間で線を引いて考えています。犬も猫も飼ったことがありますし嫌いではありませんが、突き詰めると人間以外の動物は、人間の都合の範囲内で生かされているのだと思っています。従って、犬・猫といえども自分から殺生しないかわり、犬・猫の命を守るために万難を排して努力すべきだとも考えていません。

動物愛護運動をしている人たちは往々にして犬・猫のこととなると過剰に反応されますが、この人たちは自分が肉を食べ、虫を殺していることに矛盾を感じないのだろうかと不思議です。
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私もそれ思いますが、別に線を引く事は無いと思います。

引いても無意味だし。

突き詰めていくと、ベジタリアンになって、動物実験した商品は買わないとか、愛護の運動をするとかどんどん行動してる人もいます。

私も同じ性能、価格なら実験商品は買わないようになりましたが・・・完璧は難しいです。

私は可愛そうだから肉を食べない!って大声で言って食べる人を非難するように言う人もたまにいますけど、私から言わせれば植物だって生き物ですし。

そういうことにのめりこんでるひとって、1=100みたいな所がある人が多いので(ちょっとでも悪い所があると全て悪!みたいな。白黒付けたがると言うか)

生きている以上、他の人の手助けが必要なように、他の動植物の力も借りないと生きていけないと思います。
その範囲で、自分が出来る事をやれば良いんですよ。

どこからどこまでが、と言うより、動物を大事に思おうと気付ける事が大事なんではないでしょうか。
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私自身は、決して愛護家でもなければ、


愛護活動家でもないですが、現場には立たない
裏方、「つまり足りない物があれば、いつでも
言って下さい、お送りしますよ、用立てて」という
方。要するに支援活動です。

ちなみに”安楽死”と言われる処分方法は、
実際は、安楽死でない事が多いみたいですよ。これは、何気にネットサーフィンをしていた時に、
偶然辿りついたサイトで、目にしたのですが、
動画です。死んでいく様子も確りと見ました。

無慈悲に狭い処分用ゲージに入れられ、それから
ガスボックスに入れられ、そして浴びて苦しみながら
泡吹いて、最後はバタン。それで安楽死と言えるんかい?と言う奴です。しかし、蚊やゴキブリは、殺すのに何で、小動物や、他の動物は、駄目なのかえ?となるな、確かに言われてみれば。しかし、ペットとして飼われている昆虫、ねずみを改良した、モルモット、ハムスターは、殺してはいけないが、溝鼠は、毒をもっているから、殺していいと言う事になるのは、矛盾している様で、実はしていないかも。ペットとして、飼われているハムスター達は、凶暴性が、低いから、と言う事で。

ボランティアに関しては、私もそれに多少先に述べた様に、支援という形で、関わっている為、やはり現場に出て、実際に、自称愛護活動家は、どうか分かりませんが、現場に立ち、ただひたすら寡黙に頑張り続けている方の存在を知って欲しいというのが、ありますので、定期的に最近、ここでも、機会に触れては、4箇所のサイトさんを、上げさせて貰っていますし、又地元のボランティアの方の事も。

地元の方は、サイトをお持ちじゃない為、ここで上げる事は出来ないが、4つの所は、実際にお持ちの為に、上げる事も出来ます。そこに行って頂ければ、実情と言うのが、より具体的に分かりますよ。と言う事で。

エゴが酷くなれば、人間なんでも出来ますから。
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実際に動物愛護の活動をたまにすることがあります。


「動物実験・毛皮反対」「飼い猫・犬に不妊手術を勧める」
チラシを配ったり、野良猫の不妊手術などです。
また、うちにいる5匹の猫はもとは捨て猫です。

質問者様のおっしゃる事はよく解ります。
一線を引くのはとても難しい問題だと思います。
基本的には、犬でも虫でも子供には生き物をむやみに殺しては
いけないと教えたいですが、私も蚊はベープマットなどで
殺してしまってます。少なくとも人間に害があるかないか
というところはありますね。

また食肉に関しては、弱肉強食の一部と考えています。
肉も魚も食べることは食べますが、意識的に食べる回数を
気にしたり、絶対に残さないことを心がけています。

私は、No.3さんの方の
>「人間が動物を思う感情」というのはある程度保護すべき
というところには共感します。
それが保護されれば保健所に持ち込まれる犬・猫や他の動物の数も
確実に減ると思うからです。
自分の飼っている犬や猫は可愛いのに、その子供をどうして
平気で殺すための保健所に連れて来られるのか不思議です。

ただ人間がメインだと動物実験や毛皮は現状のままに
なってしまうので、動物の権利も必要だと思います。
今では代替法という人工皮膚などを使った実験も開発されてきているし、
化粧品の実験は、メーカー側が利益のために新原料の特許を
取りたいからという理由も聞いたことがあります。

私もそうでしたが、日本人は動物実験や毛皮産業について
知らな過ぎると思うので、知ってもらうためにチラシを配ります。
今は知らなくても知ったら変わるという人がいるなら、
知って欲しいからです。

話がそれてしまったうえ、長々と申し訳ありません。。。
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 基本的には、動物愛護によって命の大切さを教える というのが建前のようです。


 私は、かなり硬派のアンチ「動物愛護主義者」主義者(虐待はしませんけどね)ですが、さすがの私でも玄関のドア開けたら、道端にネコや犬の惨殺された死体がゴロゴロしている国は不愉快です。わたしはあくまでも、「動物の命」自体の保護というよりも、あくまで「人間が動物を思う感情」というのはある程度保護すべきだとは思います。乱暴に言えば、虐待防止は動物のためではなく、人間のためであるべきです。すくなくとも人間のためがメインになるべきです。人間のエゴによって、ある程度動物が序列化するのはやむを得ません。個人的にはそう思います。
 そう考えると、なぜ保護が 愛玩系>家畜系>その他 なのかは説明できます。

 問題になっている法令といえばこれなので、↓ちょっと掲載してみました。(動物が所有物である場合は刑法の「器物損壊罪」が適用されます。)

 興味深いのは以下の点です。
(1)牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと あひる (要するに愛玩・家畜系動物)の虐待は飼い主が居なくても罪の対象
(2)その他の哺乳類、鳥類又は爬虫類の虐待は、飼い主がいないと罪にはならない
(3)両生類 魚類、もちろんそのほか昆虫や甲殻類 微生物等々も たとえ栽培飼育していても保護の対象ではない

 さっき申し上げた「人間の動物を愛する心」でランクわけする観点からはよくできた立法になっているように思います。

「動物の愛護及び管理に関する法律」
第二十七条  愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
2  愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、三十万円以下の罰金に処する。
3  愛護動物を遺棄した者は、三十万円以下の罰金に処する。
4  前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二  前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
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難しい問題ですね。



実際問題として、食べるために動物を殺すのも残酷だと主張して菜食主義を貫いている人もごく少数ながらいますし、江戸時代の「生類憐れみの法」も極端なまでの動物保護を謳った法律ですね。動物愛護を唱えている人だけの考え方の違いがあるといってもいいかもしれません。
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わざわざ殺す必要のない動物を殺すのは問題だ!と言っているのだと思います。

もちろんその人達だって動物を殺して食べるでしょう、直接手を下していなくとも。しかしながら我々人間はそうやって他の犠牲の元に生きていくしかないのです。仏教用語でこれを「業(ごう)」といいます。だからこそ無益に動物を殺すのは良くない!と言っているのです。
昆虫や爬虫類だって同じですよ。人間に害を与えるものは別ですが。
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