【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

全国には八坂神社が多く見られますが、
なぜ八坂神社の名前がついたのかが気に
なりましたので、ご存知の方がいらっしゃい
ましたら教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。

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A 回答 (2件)

八坂神社の公式HPに



八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。

とありますね。
このあたりに八坂造と称した高句麗からの渡来人が住んでいたので「八坂」という地名となり、そこで明治になって「八坂神社」としたのでしょうね。
「八坂」という名についてはそのとおりだと思います。
公式HPには出ていませんが、実は兵庫県姫路市の広峰神社と「本社争い」をしています。

神戸市の祇園神社のHPには、

平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。
これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰がはやっていました。
そこで占いをし、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。
今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊をおまつりするため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発しました。(以下略)
http://www.kobe-gionjinjya.com/index_g1.html

このように広峰神社が「本社」になるようですね。
参考URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.kamnavi.net/it/kinki/hiromine.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。本社争いのことも勉強になりました。

お礼日時:2006/05/25 13:19

一説では大和時代、高麗の調使であった伊利之(いしり)の後裔・八坂氏が朝鮮の牛頭(ごず)山に祀る牛頭天王を移したことに始まるともいわれています。

また帰化した八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神だった感神院が起源ともいわれているそうです。

八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神というのがポイントかと。

参考URL:http://www.digimake.co.jp/webtown/higashiyama/ya …
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
八坂造一族の説が濃そうですね。

お礼日時:2006/05/24 07:48

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Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q安曇族の起源を教えてください。

信州の安曇地方に住み着いた安曇族は福岡の糟屋郡からやってきたといわれていますが、糟屋郡の地名を探してもあずみ、あづみの地名がありません。
どこにいた人たちなのでしょうか?
なにをしていた人たちなのでしょうか?
どうして安曇野に移住したのでしょうか?
現在わかっている範囲で結構ですが、是非知りたいと思い投稿しました。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>どこにいた人たちなのでしょうか?
ネットで百科@Home(世界大百科事典)によれば、
発祥地とされる「筑前国糟屋郡阿曇郷」は現在の「福岡市東部」のようです。
なお、都市ゆえに市町村合併・行政区画変更・住居表示実施・区画整理などによる町名変更の変遷もあるでしょうから現在町名・字名のみに基づく検索には無理があると思います)

>なにをしていた人たちなのでしょうか?
古代日本を代表する海人族・安曇氏(阿曇氏とも記す)。その本拠地は北九州の志賀島一帯、遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った有力な豪族。水軍ゆえに、あちこちに移住しその勢力を拡大。
筑前国糟屋郡安曇郷(福岡県)、伯耆国会見郡安曇郷(鳥取県)、美濃国厚見郡厚見郷(岐阜県)、三河国渥美郡渥美郷(愛知県)・・・。いずれも、海人・安曇族の住みついた地とされ、「アヅミは、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積などと表記され、足跡は瀬戸内海を経由し阿波、淡路、播磨、摂津、河内、近江などに及び、琵琶湖西側には安曇川の地名を残しているようです。

>どうして安曇野に移住したのでしょうか?
既にご存知かもしれませんが、こちらのサイトなどは如何でしょうか?
http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/Azumi-zoku/azumi.html
門外漢なので見当違いならm(_"_)m

参考URL:http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/Azumi-zoku/azumi.html,http://www.valley.ne.jp/~ariakehs/

>どこにいた人たちなのでしょうか?
ネットで百科@Home(世界大百科事典)によれば、
発祥地とされる「筑前国糟屋郡阿曇郷」は現在の「福岡市東部」のようです。
なお、都市ゆえに市町村合併・行政区画変更・住居表示実施・区画整理などによる町名変更の変遷もあるでしょうから現在町名・字名のみに基づく検索には無理があると思います)

>なにをしていた人たちなのでしょうか?
古代日本を代表する海人族・安曇氏(阿曇氏とも記す)。その本拠地は北九州の志賀島一帯、遠く中国まで交易をし、海部(あ...続きを読む

Q朱印帳は神社・お寺 混在でも大丈夫?

京都・鎌倉などを訪問するときは、ご朱印をもらって訪問の記念にしています。まぁ、夏休みのラジオ体操のスタンプ帳みたいな感覚ですが。

しかし、このご朱印帖、日ごろ持ち歩かないため、ぶらりとどこかのお寺さんに出かけた際、「しまった忘れた!」という状況が何度もありました。で、何度もその場で買うことを繰り返し、今では4冊ぐらいあります(^_^.)。

このご朱印帳たち、頑張って朱印でいっぱいにしたいと思うのですが、聞くところによると、神社でもご朱印を頂戴できるとか。(むしろ本来は神社で始まったものなのでしょうか?)

そこで質問なのですが、今もっているお寺の朱印帳に、神社の朱印を押していただいても失礼にならないでしょうか。みなさん、どうしていますか? これ以上朱印帳を増やしたくないので、神社の朱印帳を新たに購入することなく、出来れば手持ちのお寺の朱印帳に神社仏閣ミックスで進めて行こうと思うのですがどうなのでしょうか?

御存知の方、御意見をお願いいたします。

gooの過去の参考質問
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=438077
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=222278

京都・鎌倉などを訪問するときは、ご朱印をもらって訪問の記念にしています。まぁ、夏休みのラジオ体操のスタンプ帳みたいな感覚ですが。

しかし、このご朱印帖、日ごろ持ち歩かないため、ぶらりとどこかのお寺さんに出かけた際、「しまった忘れた!」という状況が何度もありました。で、何度もその場で買うことを繰り返し、今では4冊ぐらいあります(^_^.)。

このご朱印帳たち、頑張って朱印でいっぱいにしたいと思うのですが、聞くところによると、神社でもご朱印を頂戴できるとか。(むしろ本来は神社で始...続きを読む

Aベストアンサー

神社・仏閣を分ける必要はありません。
 そもそも、朱印帳は納経帳ともいいますが、その名の示すとおり本来は自らが写経した経典を神社仏閣に奉納した、その証明として寺院(神社の場合は別当寺、つまり神社を維持管理する寺院)から受けとった証文書です。そのため古い形式のものの多くは右側に「奉納経」と書かれ、また本尊・祭神名も現在のように墨書きではなく木版で捺印されていました。初めはそれを自らが綴じて帳面のようにしたのですが、後に無地の帳面に捺印してもらうようになりました。
 ですから、本来は写経した経典を奉納するのが本義ですが、本尊・祭神への読経(どきょう:経典を音読すること)・看経(かんきん:経典を黙読すること)も「経典の奉納」と見なし、朱印を発行するようになりました。よって本尊・祭神への読経・看経、礼拝せずに朱印を頂くのは単なるスタンプ帳に過ぎなくなることを留意してください。

Q五重塔を建てた目的は何か

七堂伽藍の中で五重塔以外の建物についてはその役割が分かるのですが、五重塔(三重塔、七重塔も含めて)を建てた目的はいったい何でしょうか。
仏舎利を納めるのであれば、ほんとうに納めた例があるのでしょうか。
もし仏舎利を納めていなければ、あるいは納める予定すら無ければ、
塔は、象徴的な意味しかないと思いますが、
五重塔には何か宗教的な意味があるのでしょうか。

宗教的な意味があるとすれば、禅宗寺院の七堂伽藍には五重塔がないのはなぜか、という疑問が残ります。

むしろ、仏教勢力を誇示するために、最新・最高の技術を見せ付けるために建てたとする考えはないのでしょうか。
2塔を有する寺院さえありますから。

Aベストアンサー

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
そういうものが実際に塔の下に収めてあるはずです。発掘調査などで出てくることもよくあります。

まあ、勢力を誇示するためといわればそれまでですが、私見では、勢力を誇示するというよりは、「ここに仏さまのお骨が収まっていますよ。ここへ来て仏さまに手を合わせましょう」というような、布教活動の一環といった方がいいように思います。それによって信者を集めてお金を集めて……などという見方もできるかもしれませんが、日本に仏教が伝わったころの寺院はそういうことよりも、とにかく仏教を広めたいという方向だったと思います。

また、「仏教に関わる知識人は、それまでの日本にない技術を持ち合わせている」=「それだけ仏教が教学的にも技術的にも文化的にも進んでいる」ということを示しているとも言えると思いますが、やはりそれも仏教を広めるためのものだったと思います。

実際に本物の仏舎利が収まっていないのだから塔には意味がない、というのではなく、「仏舎利とはきっとこういうものなんだろうなぁ」とイメージできるような代用品を収めることによって、人々に仏という存在に思いを致すように導くための重要な建物だと、私は思っています。

もう随分前の学生時代に習ったことなので記憶は薄いのですが、法隆寺など奈良仏教の寺においては、塔が一番重要な建物と位置づけられていたはずです。

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
そういうものが実際に塔の下に収めてあるはずです。発掘調査などで出てくることもよくあります。

まあ、勢力を誇示...続きを読む

Q遺族年金:夫が65歳以上で死亡、妻の年金0円?

遺族年金についてです。妻は扶養です。夫である自分が65歳以上になってから死亡した場合、遺族年金が支給されないと聞きました。本当でしょうか?自分は厚生年金をに300ヶ月以上は納めています。夫である自分が65歳未満で死亡した場合は、妻に一生、支給されるが、65歳以上で死亡した場合は支給されないため、生活に困ったら生活保護の申請をして下さいと書いているサイトがありました。本当でしょうか?妻は扶養なため、妻の分としての国民年金は支払っていません。扶養の妻に国民年金の支払い義務があるのかも、よくわかっていなかったため、妻の分として国民年金を払ったことがありません。夫である自分が死んだとき、自分の年金が引き続き妻に支払われると思っていましたが、ネットで調査している内に、そうでない冷酷な日本の年金制度に辿り着きました。自分の扶養であるにも関わらず、年金が引き継がれず、65歳未満で自分が死亡した場合は、遺族年金として3/4が妻に一生、支給されるが、65歳以上で自分が死亡した場合、妻への支給が0円と記述されていました。本当でしょうか?先進国の日本で、こんな冷酷な制度で運営されているのでしょうか?教えて頂けませんでしょうか?妻と同じような専業主婦で国民年金を支払っていない方はたくさんいらっしゃると思います。これでは妻を扶養している夫は65歳前に死亡しないと妻が生活できないことになります。真実をお分かりの方、お手数をお掛け致しますが、どうか教えて下さいませんか。お願い致します。

遺族年金についてです。妻は扶養です。夫である自分が65歳以上になってから死亡した場合、遺族年金が支給されないと聞きました。本当でしょうか?自分は厚生年金をに300ヶ月以上は納めています。夫である自分が65歳未満で死亡した場合は、妻に一生、支給されるが、65歳以上で死亡した場合は支給されないため、生活に困ったら生活保護の申請をして下さいと書いているサイトがありました。本当でしょうか?妻は扶養なため、妻の分としての国民年金は支払っていません。扶養の妻に国民年金の支払い義務があるのかも、...続きを読む

Aベストアンサー

支払った額で年金額は変わるので詳しく知りたい場合はネットで調べた方が確実です。
googleで「専業主婦 年金 受給額」等で検索すれば出てきます。
計算なども出来ると思います。

夫が厚生年金を支払っているのであれば、妻は普通に国民年金を支払っているのと同等の権利を持っているはずです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~runsen/knowledge/nenkin.htm

妻は専業主婦前に一度も厚生年金を支払っていないのか?
妻は学生時代などに国民年金を一度も支払っていないのか?
などでも金額が変わってきます。

取り合えず、専業主婦は夫が厚生年金を支払っているのであれば、国民年金を支払っているのと同じになるので、最低限それだけはもらえます。

夫が無くなった場合、妻本人の国民年金があるので国民年金分は最低もらえます。
妻本人の国民年金は夫が生きていようと死んでいようと関係なく年金もらえる年齢になればもらえます。
遺族年金が0円だろうと、最低国民年金は妻はもらっている事になります。

Q「~してはる」は敬語?それとも京都弁?

以前、友達と話をしていて少しバトルになった話です。
大阪ッ子の主張は(私もですが)「~してはる」は敬語なので
例えば、「先生が作りはってん。」みたいに話してます。
けど、京都ッ子は「お父さんが作らはってん。」と言うんです。
私からすると身内に尊敬語をつかってるようで、
すごい違和感を感じるんですが、
私だけではなく大阪の友達は敬語だと言う人は多いです。実際どうなんですか?
私のなかで「~はる」をつけるときはかなり尊敬語なんですが・・・
他にも「髪の毛が伸びはんねん。」と言う人もいました。おかしくないですか?
これが京都弁なんでしょうか?

Aベストアンサー

 「~はる」という表現方法は大阪、京都でともに敬意を表す尊敬表現として使われているようです。ただ、両者の間には使用法における若干のニュアンスの違いのようなものがあるようです。
 大阪では「~はる」は基本的に尊敬表現であり、相手への敬意を示す最も一般的な言い方です。
 一方、京都でも「~はる」は基本的に尊敬表現ではありますが、その使われ方が大阪に比べるとやや複雑なようです。京都で最も敬意の程度が高いとされている表現方法は、現実に日常生活の中で使うか使わないかは別としても、「おいでやす」、「おくれやす」などに見られる「お~やす」で、これは純粋に相手への敬意を表した尊敬表現です。「~はる」は「お~やす」に比べると敬意度が低く、また、京都では自分の側、つまり自分の身内に対して「~はる」を付ける言い方も存在し、この場合はその身内に対して敬意を表していると言うよりも、話し手が聞き手に対して自分とその身内との親密さ、親近感を伝えている表現という方が適切なようです。ただ、話している本人としてはあまりそういったことを意識せずに使っている場合が多いようです。また、tawdaさんがおっしゃっているように第3者に関することを話し手が聞き手に意見を求めているような場合に使われる「~はる」は、やや皮肉混じりの意味合いで使われることが多いようです。また、人間以外の物や動物などに使われることもあり、その場合も話し手が聞き手に対してその物への愛着を示したり、あるいは意見を求める、その物への注意を促す時などに使われるようです。
 このことは恐らく大阪と京都が歩んできたそれぞれの歴史や文化の成立過程の差で現れてきた違いだろうと思います。大阪と京都のことばに共通していることは、相手に対する「気配り」の表現方法が豊富であり、全体的にYES、NOをはっきりさせるような言い方を好まず、曖昧にぼかしたり、単刀直入に表現することを避けたりして、相手を傷つけないでおこうとする柔らかさがあります。その一方、ことばの中に多くの意味が含まれていて、後でゆっくりじんわりとこたえてくるというところがあります。肝心なところをぼかしながらも、実は事の本質をついているのです。大阪のことばは歴史的、文化的に商人気質の色が強い庶民的な言葉なので、相手に細かく対応して、相手の機嫌を損ねないように微妙に使い分けをしながらも、相手に対して分かりやすいことばが好まれてきたために、「~はる」の使い方もほぼ尊敬表現の一本で通されているものと思われます。一方、京都では一口に京都のことばと言っても、もともと御所ことばと町方ことばの差別化があり、また町方ことばも室町商家のことば、西陣の職人ことば、祇園花街のことばなどの複雑な区別があったため、「~はる」の使い方も大阪に比べるとより複雑な人間関係の中で多様性を持つに至ったと思われます。

 「~はる」という表現方法は大阪、京都でともに敬意を表す尊敬表現として使われているようです。ただ、両者の間には使用法における若干のニュアンスの違いのようなものがあるようです。
 大阪では「~はる」は基本的に尊敬表現であり、相手への敬意を示す最も一般的な言い方です。
 一方、京都でも「~はる」は基本的に尊敬表現ではありますが、その使われ方が大阪に比べるとやや複雑なようです。京都で最も敬意の程度が高いとされている表現方法は、現実に日常生活の中で使うか使わないかは別としても、「...続きを読む

Q夏祭りの本来の意味を教えてください。

夏祭りはなんのためにあるのでしょうか?
無病息災とか本来の意味があるとおもうのですが、
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

簡単に言うならこうなるのではないでしょうか
春のお祭り→豊作祈願・もしくは花が咲く時期は往 古、はやり病があったのでそれを鎮める為とも申します
夏のお祭り→夏の間病気にかからず無事に過ごせるように
秋のお祭り→豊作に対しての感謝・新米を神様にお供えしそれから自分たちも口にします
冬のお祭り→一年間の感謝と来る年の無事を祈る

Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
ていうのは正しい敬語なのでしょうか?

Aベストアンサー

「お(ご)~する(いたす)」は、自分側の動作をへりくだる謙譲語です。
「ご連絡致します」も「ご報告致します」も、正しいです。

文法上は参考URLをご覧ください。

参考URL:http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524170.html

Q単のきものにあわせる帯について

袷の時期には毎週、着物を着ています。
(着物も帯もいろいろそろっています。)
これまで単はあまり着なかったのですが、今年は着てみようと思っています。
一応、頂き物で、単の着物2枚と帯1本があります。
着まわしの点から言うと、後1本帯があればと思っています。
袷の時期に締めている帯で、色柄が丁度良いものがあるのですが、単の着物に合わせても良いのでしょうか。また、帯締め、帯揚げなどについてもアドバイスをいただけないでしょうか。
呉服屋さんで相談すればよいのでしょうが、「買え」といわれてしまいそうで。。。
出来れば手持ちですませたいと思っているものですから。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんわ。
少し着物を着慣れた方にとって悩みどころが単衣の帯なんですよね。
とくに「単衣用の帯」というのがあるわけではないので、質感や柄ゆきなどで感覚で合わせるしかありません。
この単衣に切り替える時期というのも今は千差万別の様相を呈していて、昔ながらにきっちりと5月いっぱいは袷、6月に単衣、そして帯は6月15日を境に袷用のものから夏帯に替えるという方もいます。
一方温暖化に伴い4月下旬には単衣を着だして6月には夏帯を締めるという方も。
この辺りはもうそれぞれの感覚次第という時代になっています。
春先は気候の変化も激しく年によっても差があるし、梅雨時には一時寒さが戻るような梅雨寒の日もありますね。
そのような気候の変化に合わせて着る物を選ぶのが面倒でもあり楽しみでもある時期です。

さて、本題ですが白っぽい袷用の帯、もちろん使えますよ。
6月も中旬を迎える頃には夏帯(絽や八寸)を合わせると程良いでしょう。
単衣に夏帯を合わせて一足先に夏姿というわけです。
もちろん真夏のように暑い日にはもっと早くでもいいですよ。
もっとカジュアルに着る場合は木綿の半幅帯なども重宝します。
冬のウールなどに合わせてもいい季節を問わない素材です。
ただし色柄や織り方で季節のあるものもあります。
ちょっと変わった物では櫛織り帯というのがあります。
レースのように透けているので夏物と思われがちですが夏帯ではありません。
袷用のものですが透け感が軽やかな感じで単衣向きの帯と言えます。
綴れ八寸も代表的な単衣向きの帯で普段着向き、フォーマル向きがあります。
絽綴れという絽目の入ったものは単衣から盛夏まで使えます。

帯締めは夏向きの色であれば袷用で結構です。
夏はレースでなければいけないと思ってる方も多いようですがそんな事はありません。
帯揚げは夏帯を締める時には絽のものを使いましょう。
半襟も同時に絽を使います。
それ以前で単衣に向く素材としては楊柳や絽ちりめんです。

着物は帯が要のファッションなので春単衣には早めに夏帯を、秋単衣には早めに袷用の帯を締めるのがお洒落です。
ちなみに秋口、薄物から単衣への切り替えは9月中旬からが適当です。

こんばんわ。
少し着物を着慣れた方にとって悩みどころが単衣の帯なんですよね。
とくに「単衣用の帯」というのがあるわけではないので、質感や柄ゆきなどで感覚で合わせるしかありません。
この単衣に切り替える時期というのも今は千差万別の様相を呈していて、昔ながらにきっちりと5月いっぱいは袷、6月に単衣、そして帯は6月15日を境に袷用のものから夏帯に替えるという方もいます。
一方温暖化に伴い4月下旬には単衣を着だして6月には夏帯を締めるという方も。
この辺りはもうそれぞれの感覚次第...続きを読む

Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
書類送検の方が、拘束されないだけ罪が軽いような気がします。
書類送検でも前科となるのですか。
どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

Aベストアンサー

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む


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