季語を入れないで作った短歌(5+7+5+7+7)は何と呼ばれるのでしょうか?

せっかく作ったのに「季語がないのでダメ」とは...。
川柳みたいなものがあればいいのですが。

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A 回答 (1件)

 短歌(五七五七七)の場合は季語がなくても大丈夫です。



 「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」(寺山修司)のように季節を感じさせる言葉がない短歌はいくらでもあります。

 季語が必要なのは、「俳句(5+7+5)」の方です。
 その俳句でも季語のない「無季俳句」もあります。(あまり一般的ではないかも知れませんが。)

 では、すばらしい作品を作ってくださいね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

季語はいらなかったんですね。
これで自信たっぷり作品を公開できます ^ ^;)

お礼日時:2002/02/15 17:05

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Q短歌に季語は不要ですが、では…

短歌を始めて1ヶ月にも満たない者です。
本を見ながら勉強中なのですが、本に載っていなくてよくわかりませんでしたので、詳しい方に教えていただければ幸いです。

短歌に季語は不要だということは承知していますが、季語とされる言葉を歌に用いることはよくあると思います。
では、季節の異なる季語を2つ以上入れて詠んだ歌は滑稽な感じがするものなのでしょうか。

例えば、夏の季語の「紫陽花」と、秋の季語の「月」を一つの歌の中に盛り込んだ場合(例:月あかり照らす母と幼な児の紫陽花の花愛でるかたらい)、季節感がおかしいと思われるものなのでしょうか。

他にも、夏の季語の「ラムネ」と秋の季語の「刈田」など…

言葉が示す季節は異なりますが、月が紫陽花を照らす様子は風情があるので、これを詠むときれいな歌ができそうな気がします。
また、私が住む地方では祭りが9月下旬にあるので(秋祭りです)、祭りの帰りに、夜店で買ったラムネを飲みながら刈田の横を歩いて帰ることがあります。

よろしくご教授ください。
(例に挙げた歌は、この質問のために数分で作ったものですので、拙い歌だと承知しております)

短歌を始めて1ヶ月にも満たない者です。
本を見ながら勉強中なのですが、本に載っていなくてよくわかりませんでしたので、詳しい方に教えていただければ幸いです。

短歌に季語は不要だということは承知していますが、季語とされる言葉を歌に用いることはよくあると思います。
では、季節の異なる季語を2つ以上入れて詠んだ歌は滑稽な感じがするものなのでしょうか。

例えば、夏の季語の「紫陽花」と、秋の季語の「月」を一つの歌の中に盛り込んだ場合(例:月あかり照らす母と幼な児の紫陽花の花愛でる...続きを読む

Aベストアンサー

 まず、俳句において、「月」は秋の季語ですが、それは修飾語(説明)も何もなく「月」という言葉を用いて読んだらそれは秋の月である、ということで、他の季節の月を詠んではいけない、ということではありません。
 だから、今、たまたまgoogleで検索にかかった句ですが、

足もともしらけて寒し冬の月  我眉
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sumidawara20.htm

のように、あるいは、

外(と)にも出(い)でよ 触るるばかりに春の月  中村汀女

のように、他の季節の月を詠んだ俳句はいくらでもあります。ただ、その場合は「冬の月」とか「朧月(おぼろづき=春のぼんやりかすんで見える月)」とか、「月」だけの言葉では表現しないのです。

 したがって、季語の定めのない短歌では、他の季節の月を詠んでも全く差し支えありませんし、その歌にほかに季節を表す他の語が(月と紫陽花、刈田とラムネのように)入ってもかまいません。

 大岡信さんの「折々の歌」シリーズから私が気に入った短歌を書き抜いたものから例を挙げますと、

をとめらが泳ぎしあとの遠浅に浮環(うきわ)のごとき月浮(うか)び出でぬ  落合 直文
 (水泳=夏)
山住に迷ひもたねど雪山に月沈むとき生(いき)を寂しむ          岩波 香代子
 (雪山=冬)

のごとくです。

 次の歌は「折々の歌」からメモしたものではありませんが、私の好きな歌の一つで、この歌の「月」は秋がふさわしいにしても、特に季節は問わないと思います。(「BS」はBS=衛星放送用に打ち上げられ地球を回っている人工衛星)

BSが地球の食をわたるころ新室(にいむろ)つつむ月かげの青      大辻 隆弘

参考URL:http://rikko.blog.ocn.ne.jp/kazahana/2005/01/post_15.html

 まず、俳句において、「月」は秋の季語ですが、それは修飾語(説明)も何もなく「月」という言葉を用いて読んだらそれは秋の月である、ということで、他の季節の月を詠んではいけない、ということではありません。
 だから、今、たまたまgoogleで検索にかかった句ですが、

足もともしらけて寒し冬の月  我眉
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sumidawara20.htm

のように、あるいは、

外(と)にも出(い)でよ 触るるばかりに春の月  中村汀女

のように、他の季節の...続きを読む

Q短歌に季語がない理由

なぜ短歌に季語がないのか教えてください!

Aベストアンサー

和歌にも季語はちゃんとあるのです。その起源は古今和歌集にまで遡りますが、和歌では必ず季語を入れなければならないというきまりがなかっただけなのです。
 季語が強く意識されるようになったのは和歌から独立した連歌が盛んになってからのことで、ここで季語が沢山作られたのですが、未だそれを必ず入れなければという決まりは作られませんでした。
 やがて連歌から俳諧が生れると季語が爆発的に増え、それにつれて歳時記が作られるようになると俳諧では季語が入るのは当然という意識から自然発生的に季語を必ず入れなければならないというきまりができてきたようです。でも誰が決めたということはないようなのです。
 従って明治になると季語を無視する作家も現れて来たということで、再び季語のない俳句も読まれるようになっています。和歌の世界では昔どおりの作り方を踏襲して来たため、俳諧で起きた季語を入れるべきという意識は起きずに現代に至っています。

Q短歌の数え方の単位は?

俳句は一句二句、和歌は一首二首、では短歌はどういう単位で数えるのでしょうか?
どなたかご教授くださいませ。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 他の方のおっしゃるように「首」で数えます。

 なお、「和歌」は、中国の詩(日本人が作ったものもありますが)である「漢詩」に対して、「日本の歌」を意味するもので、広い意味では、「短歌(五七五七七)」の他に、「長歌(長歌=五七を二回以上繰り返して、最後五七七で終わる)や旋頭歌(せどうか=五七七五七七)なども含みます。
 その、広い意味での「和歌」の中で、平安時代以降は短歌以外はあまり(ほとんど)作られなくなったので、「和歌」は、五七五七七の「短歌」を表す狭い意味で使われるようにもなりました。現代では和歌というとほとんどの場合、五七五七七の短歌のことです。
 だだし、その場合でも五七五七七の「短歌」を和歌と呼ぶのは江戸時代の作品までで、明治以降の作品は短歌と呼び、和歌とは呼びません。
 したがって、与謝野晶子や斎藤茂吉、近いところでは俵万智などの作品は「短歌」と呼び、和歌とは言いません。

Q俳句、短歌の季語について

俳句、短歌の新人賞に応募しようと思うのですが、作品中に季語が使われていない句もいくつか、含まれているのですが、その場合はどうなるのでしょうか。
俳句、短歌には必ず季語を入れねばならないのでしょうか。
また、季語を手っ取り早く調べる方法があれば教えてください。

Aベストアンサー

塾の国語の教師をしております。

新人賞に募集しようとしている方にチャチャを入れるのは気が引けるのですが……。

季語についてですが、
季語を原則入れなければならないのは「俳句」だけだということをご存知ですか?
短歌には季語は入れなければならないという原則はありません。
もちろん入っていたら×ということもないですけれど。

つまり、同じ「恋」を詠むにしても、
俳句だと季語との兼ね合いを考えて内容を考えなければなりませんが(恋の始まり=「芽吹く」「山笑う」など)、
短歌では季語との兼ね合いを考えなくても良いということです。ぶっちゃけキチンと体裁が整っていれば、今の気持ちを素直に詠んでもOKということになります。

現在かなりの「短歌入門」「俳句入門」などの本が売られていますので、
「歳時記」も持っていないのであれば、
一緒に購入されてみてはいかがでしょうか?

Qアルトリコーダーの運指を教えてください

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○ ○○○ ○
ラ … ◎   ●●● ●●○ ○
シ … ◎   ●●● ○●○ ○
ド … ◎   ●●● ○○○ ○

レ … ◎   ●●○ ○○○ ○
ミ … ◎   ●●○ ●●○ ○
フア … ◎   ●○○ ●●○ ○


親指(裏の穴)
◎じるしは、少し開ける

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○...続きを読む

Aベストアンサー

全てバロック式のアルトの指使いで合っています。

それからこれは余計なことですが、「◎じるしは、少し開ける」とご本人が書かれているように '少し開ける’で正しいです。
昔、リコーダーを小学校などで教わった時に「半分あける」と教わった人も多いようですが、実際には1~2ミリくらいのものです。

リコーダーを始めるに当たって、アルトを選択し、しかもバロック式で始められたというのは最良の選択だと思います。がんばってくださいね!

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q九分九厘で「ほとんど」の意味だが、何故「割」ではないの?

子どもの頃から疑問に思っていることなんですが、
「九分九厘」というのは「ほとんど全て」という意味ですよね。
ところで小数点以下第一位は「割」ですよね。
0.99ならほとんど全てですが、
0.099というのは一割にも満たないことになるんですが…。
どうしてこういう言い方をするんでしょうか?
「九割九分」と言うべきなんじゃないかと思うんですけど…。
いつも細かいことに拘ってすみません!

Aベストアンサー

#3さんが正解です。(#1さんも間違いではないですが)

「分」は
歩合の単位としては、「割」の下で"1/100"の意味
になりますが、それとは別に
"1/10" の意味もあるためです。
これは尺貫法が元になってます。

「分」を1/10の意味で使っている言葉としては
質問の「九分九厘」、#3さんが例に挙げられた「五分五分」のほか、「腹八分目」とかがありますね。
“条件を満たして、不足がないさま”を「十分(じゅうぶん)」というのも、
十分=(1/10)×10=1
ということから来ています。(そういう意味で#1さんも正解な訳です)

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%D6&kind=jn&mode=0&base=61&row=1

Q住所に記されてある「大字」や「字」とはどうゆう意味なのですか

こんにちは。よろしくお願いします。
住所に記されてある「大字」の意味がよく分かりません。
私が勤めてある会社にも明記されてありまが、私の実家の住所には明記されていません。
これはどのような意味なのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

他の方の回答の繰り返しになる部分もありますが…

「字」というのは、江戸時代頃から使われていたと思われる土地の区分です。
ほとんどの場合、かなり狭い範囲(今でいう何丁目レベルよりも狭い)を差すようです。
だいたい同じような意味で「町」という言い方もよくします。(市町村というときの町と同じ文字ですが、違う意味の言葉です)
「字」が何か「町」が何かというはっきりとした定義づけは恐らくありません。
江戸時代からの地名が消えて、新しい地名がついている場合も多いと思いますが、その地名のことも、「字名」や「町名」ということが多いようです。
ちなみに、「緑ヶ丘一丁目」という地名であれば、「~~丁目」まで含んでひとつの町名ということになります。

「大字」についてですが、
明治時代になり、廃藩置県に市町村制と、新しい国づくりをするときに、いくつかの町村が合体して、もう一回り規模の大きい町村になるということが全国的に起こりました。
そのときに、もともとの村(町)名が消えてしまうのを防ぐためでしょうか。
もともとの村名は「大字名」になりました。
たとえば、「いろは村」と「ほへと村」が合体して、「ちりぬる町」になったときに、「ちりぬる町大字いろは~~」や「ちりぬる町大字ほへと~~」が生まれたわけです。
これは、明治政府が出した命令文書が残っているので来歴がはっきりしています。

つまり、もともと「字」という言葉があって、明治時代になって、それより大きな範囲の「大字」というものが作られたということです。

ちなみに、「大字いろは」の場合は、「大字~~」の部分まで含んでひとつの地名ということになります。

実際上の表記として、「大字」の部分を省いて表記することが広く行われていますが、登記簿謄本など地名を正式に書いてある文書を確認すると、「大字」がついていることが多いと思います。
「字」もついていることがありますが、これは、明治からの長い歴史の中で市町村合併や区画整理、住居表示などいろいろな理由で、地名変更が起こり消えてしまっている可能性が大きいです。

「大字」についても、同様の理由で、まったく違う地名になっていることが増えています。新しく地名を作ったときには、「字」やら「大字」やらをつけるという決まりはないので、普通はつけません。

「ちりぬる町大字いろは字あいう123番地」
  ↓
「ちりぬる町いろは二丁目123番地」

こんな風に変わっていきます。

質問とは関係ありませんが、「~~丁目」というのも、非常によく使われる地名ですが、「丁目」というのも何ら定義づけのあるものではなく、単に全国的によく使われている表現ということになります。

ちょびっと不正確なところもあるかもしれませんが、だいたい理解に役立つつもりです^^;

まだ、疑問がありましたら、重ねてお尋ねください^^

他の方の回答の繰り返しになる部分もありますが…

「字」というのは、江戸時代頃から使われていたと思われる土地の区分です。
ほとんどの場合、かなり狭い範囲(今でいう何丁目レベルよりも狭い)を差すようです。
だいたい同じような意味で「町」という言い方もよくします。(市町村というときの町と同じ文字ですが、違う意味の言葉です)
「字」が何か「町」が何かというはっきりとした定義づけは恐らくありません。
江戸時代からの地名が消えて、新しい地名がついている場合も多いと思いますが、その地名...続きを読む

Q住民票、身元証明書を取る際に必要なもの

住民票と身元証明書を市役所に取りに行きます。印鑑などいるのでしょうか?必要なものを教えて下さい。

Aベストアンサー

H20.5から窓口での本人確認が法律で義務化されています。
つまり、本人確認のため、
運転免許証、パスポート、
住基カード、健康保険証などが必要です。
ただし、顔写真がないものは、複数の提示を求められることがあります。
あとは、ハンコと手数料ですね。


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