空気がなければ飛ぶという行為すらできなくなるのを忘れて、「空気さえなければ、空気抵抗もなくなるのでもっと早く飛べるのに」と嘆く鳥の比喩を、以前どこかの哲学の解説書で読みました。最近、まったく別のことを考えている最中に突然思い出し、その視点の面白さに気づきました。
 ヴィットゲンシュタインだったかな(まさかカント?じゃないし)、というぐらいの記憶しかないのですが、正確な出典をご存知の方はおられませんでしょうか。

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A 回答 (1件)

まさかのまさかのカントです。


以下、「純粋理性批判」第二版の序論より。
「軽快な鳩は、自由に空気中を飛び回って空気の抵抗を感じるので、真空の中ではもっとずっとうまく飛べると考えるかもしれない。しかしもし空気がなければ、うまく飛べるどころかそもそも飛ぶこと自体が不可能になるであろう」
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この回答へのお礼

 早々とご回答をありがとうございました。「純粋理性批判」のうち、序論『だけ』はずいぶん昔に読みましたので、そのときの記憶なのですね。

 実は「カントでは」と思っていたのですが、若いときに航空力学を勉強していたヴィットゲンシュタインのほうがふさわしいかなと妙な納得をしてしまっていました。ヴィットゲンシュタインが言ってもおかしくないのかどうかは知識がなくてわかりませんが…。

 カントがどういう趣旨でそういっているのかは、物置と化している書斎で本を探し出して確認します。

お礼日時:2002/02/25 23:23

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Q『鳥が籠に入ってる』イラストありますか?

『鳥が籠に入ってる』イラストありますか?
鳥と籠が別々でも、良いです。

Aベストアンサー

http://office.microsoft.com/ja-jp/clipart/results.aspx?qu=%E9%B3%A5%E3%81%8B%E3%81%94&sc=20

↑あたりはどうでしょう。

ただし、商用での使用には制限があると思います。

Q人の成功を願って生きるのor不幸を願って生きるor特にどちらの感情もなく(その時々)ていきるのでは何が一番得?

 人の成功(幸せ)を願って生きてると、自分も成功(幸せ)できる。心が豊かになる。等メリット、デメリットあるかもしれませんが意見を聞かせてください。

Aベストアンサー

人の成功を願って生きるでしょう。

誰かが成功しようとしている時、笑ってオープンにおめでとう!よかったね!と言える人になるか、それともその逆か・・・明らかに前者のほうが総合的にも良いと思います。

不定的思考の人間に、心の問題、病気がよくあるのは自明の理だとおもいますので、心がそうであるならば、財産もその他すべて無意味なものになってしまいます←そういうのは心の平安を築くための力、要因となるべきだと思いますので、そうではなくなるならば無意味だということです。

だって生きてる時は同じように与えられているけど、その一瞬一瞬の時をうつうつと過ごしたり、卑屈に過ごしたりするのは、なんのための財産かと思いますね。

それと、あやかるだけ、みせびらかすだけの財産なら富の役目も対したものではないと思います。

話はそれましたが、心から人の成功を思えなくても、そう思考していこうとすることこそが、心から人の幸せを願える人間になる原因を創るのだと思います!
心が積極的思考で前向きで、心豊かで、真の平安を築ければ幸せなんですから、その原因は人の成功を願って生きるに大きく関連していることをあなたも気づいているとおもいます。
結局、財産も地位も名誉もすべて手に入れても、人の成功を願って生きることができない人間は、ほんとうの心の平安というものを知らない人だと思います。
これでもか!というぐらい心の大きさ、心の平安さを示した偉大な哲学者達に、その法則性があると私は確信していますが、その一つの大きな要因こそが、人の成功を願って生きる、人の幸せを願っているだと思います。

愛せよ!さらば愛されんだ!!

もし読んでいないのであれば、エマソンの『償い』を絶対見たほうがいいです!
これは、一生を心豊かに暮らしたい、ほんとうの心の平安を築きたいという人には必読書です!ほんとうに読んでみてください、価値ありです!

人の成功を願って生きるでしょう。

誰かが成功しようとしている時、笑ってオープンにおめでとう!よかったね!と言える人になるか、それともその逆か・・・明らかに前者のほうが総合的にも良いと思います。

不定的思考の人間に、心の問題、病気がよくあるのは自明の理だとおもいますので、心がそうであるならば、財産もその他すべて無意味なものになってしまいます←そういうのは心の平安を築くための力、要因となるべきだと思いますので、そうではなくなるならば無意味だということです。

だって生きてる...続きを読む

Q飛んでいる鳥の画像が欲しいです。

飛んでいる鳥の画像が欲しいです。

学校祭で大きな垂れ幕に絵を描くのですが、
その資料に鳥の画像が欲しいのです><

・猛禽類とかサギみたいに羽の比率が大きい鳥
・正面~右くらいを向いて飛んでいる
・色はブルー系~白黒みたいな感じ

↑な感じでいい画像をお持ちの方がいたら掲載ページなどを紹介してください!!
あと、もしあったらですが、鳥の体に多少複雑な動きがあると嬉しいです!

難しい注文で申し訳ないのですが、
ぜひご協力お願いいたします!!

Aベストアンサー

http://www.google.co.jp/search?q=%E9%B3%A5%E3%81%AE%E9%A3%9B%E7%BF%94%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%80%80%E7%8C%9B%E7%A6%BD%E9%A1%9E&hl=ja&rlz=1T4GFRC_jaJP315JP315&tbs=clir:1,clirtl:en,clirt:en+A+flight+of+birds+birds+of+prey+pictures&ei=rjX0S4vrN4-gkQWxhJm4DQ&sa=X&oi=clir_tip&ct=search_link&resnum=11&ved=0CDwQ_wEwCg

http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T4GFRC_jaJP315JP315&tbs=isch%3A1&sa=1&q=%E7%8C%9B%E7%A6%BD%E9%A1%9E%E3%80%80%E9%A3%9B%E7%BF%94%E5%86%99%E7%9C%9F&aq=f&aqi=&aql=f&oq=&gs_rfai=

昔、ujifuサンの用途にピッタリ?な画像を見たコトがアッタので、「検索」しまシタが…見つかりませんでシタ org。

まぁ、ご存知だと思いマスが、↑ご参考マデ……

http://www.google.co.jp/search?q=%E9%B3%A5%E3%81%AE%E9%A3%9B%E7%BF%94%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%80%80%E7%8C%9B%E7%A6%BD%E9%A1%9E&hl=ja&rlz=1T4GFRC_jaJP315JP315&tbs=clir:1,clirtl:en,clirt:en+A+flight+of+birds+birds+of+prey+pictures&ei=rjX0S4vrN4-gkQWxhJm4DQ&sa=X&oi=clir_tip&ct=search_link&resnum=11&ved=0CDwQ_wEwCg

http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T4GFRC_jaJP315JP315&tbs=isch%3A1&sa=1&q=%E7%8C%9B%E7%A6%BD%E9%A1%9E%E3%80%80%E9%A3%9B%E7%BF%94%E5%86%99%E7%9C%9F&aq=f&a...続きを読む

Qプラトンと三つの比喩

「太陽」「線分」「洞窟」の比喩の中で、知、無知、思惑(臆見)の三つの認識状態をどのように区別しているか、教えてください。

Aベストアンサー

 
  まず、わたしはまことに無知であるので、このような問題について確かにこうであるとは言えないということを前置きします。参考URLにある、プラトーンの『国家編』からの引用の文章を読んで、どういうことか考えてみました(本当は、この本は読んでおかねばならない本なのですが……「プラトン全集」は何のためにあるのか、と思います。本棚に並べているだけですね)。
 
  三つのこと、知、無知、臆見が問われていますが、ここでは、「無知」はどう扱えばよいのか分からないので置いておきます。最後に無知について考えてみます。
 
  引用のプラトーンの文章からも読みとれるように、プラトーンは、真理論について、「真知(エピステーメー)」と「臆見(ドクサ)」の二つの審級を立てました。また、感覚的認識と、知性的認識(または叡智的認識)の二つの認識の審級を立てました。プラトーンは色々なことを言っていますが、真知とドクサについては、これを区別しましたし、感覚と知性も、これを区別したことは事実です。
 
  人間は、認識能力として、感覚認識と、知性認識の両方を持ち、また、知識については、多くの人は、臆見に捕らわれているが、賢者は、真知を得ることが可能だとされます。無論、この場合の「真知」に更に、審級があるでしょうが。人間の身で、完全な真知、善のイデアーそのものを認識することなどできないからです。
 
  「太陽の比喩」では、太陽が善のイデアーの比喩になっています。そして太陽を認識する時、とりあえずは、感覚的認識で、それはまばゆいものだとか、熱いものだとか、光っているものだとか、色々な認識がある訳で、これらは、太陽という実在については、個人個人の思いこみで、臆見(ドクサ)のレヴェルにあるとも言えます。太陽そのものは、臆見の知識の上に、知識の源として、実在としてある訳です。そして、善のイデアーは、これを認識するには、叡智的認識が必要であるが、それでも、我々が認識できるのは、あるものは良い、それ故、このものには、善が分有されているというようなことで、善のイデアーそのものは認識できない実在として、超越的に留まっていると言うことが言えます。
 
  ここで、「太陽」が「善のイデアー」の比喩であるというのは、太陽は、単に、感覚的に認識され、臆見としての知識の源であるだけでなく、光を放射し、ものを育て、生成するという積極的機能を持っていると言うことです。普通の感覚的認識の対象としての実在と違い、実在を生成する役割が太陽にはあるというのです。これと類比的に、善のイデアーも、事物、実在を生成し、生み出す能力があると言います。善のイデアーはイデアーのイデアーとして静的に認識や観照の極致にあるだけでなく、実在を生成し、実在を支え、実在の根拠であるというのです。これは、新プラトン主義の「一者」からの事物・実在の階梯的生成・流出の原理論であるとも言えます。
 
  「線分の比喩」においては、一本の線分を二つに分け、一方を、叡智的認識の領域とし、先の善のイデアーの認識の領域、他方を、感覚的認識の領域、先の太陽の領域として、更に、この領域を、同じ比率で、分割し、全部で四つの領域を考えるのです。後の分割は、感覚的認識の領域で、似像あるいは影像(エイコーン)の領域と、その像の元になっている原像の領域とします。例えば、鳩なら、鳩の実在に対し、その感覚的認識の像としての影像(エイコーン)としての「認識像=臆見」があるのです。真の鳩の像、真知の鳩は、原像の側にあります。
 
  このような原像と影像の関係を、叡智的認識の領域に類比的に当てはめ、この領域の影像の領域に当たる部分では、魂は、感覚的認識の臆見は克服して、感覚的な認識の原像の真知を捉えているとしても、そこから、考えを知的にめぐらして、結局、自己の思いこみのなかで自己完結し、真の認識へと進まないという認識者=魂の段階に対し、他方の、原像に当たる領域では、魂は、感覚の臆見を越えた真知を手がかりに、知性の臆見を克服しようと、叡智への道を探求し、ものごとの本質、究極的には、善のイデアーへと、真知への道を一歩一歩進んで行くことができる段階・領域だと述べているのです。この第四領域の探求が、魂の愛智者としての望むべきありようで、この段階・領域に、諸々のイデアーの真知があるという比喩的な話なのだと思います。
 
  「洞窟の比喩」は、参考URLに載っていませんが、これは有名な比喩で、我々は暗い洞窟のなかにいるのであり、奥の壁を見ているのです。すると、壁には、色々なものの形が見えていて、我々は、この形を見て、馬はこういう動物であるのか、とか、悪い人間とは、こういうことをするのか、とか認識するのです。それは、感覚的認識の場合もあれば、知性認識の場合もあるでしょう(此処は、少し不確実ですが。比喩の訳文の部分でも参照しながら書けば、もっと正確になるのですが)。
 
  しかし、我々が壁に見ていたものは、実は、洞窟の外にある太陽あるいは、光の源が、元の原像に光を当て、その影が実は壁に映っていたのだとすればどうなるのか。わたしたちの認識は、事物の本当の姿ではなく、その影、影像(エイコーン)を見ていたのではないのか。エイコーンを元に感覚的に認識を行い、ドクサに捕らわれ、あるいは知性認識で、感覚のドクサを脱して、知性の真の知識を得たと、「思いこんでいた」だけではないのか。壁の方ではなく、洞窟の表を見れば、何が影の本来の原像であったか、更に、影を造っていた、光の源も見えるはずである。しかし、私たちには、振り返って背後を見ることが許されない。可能ではない。それ故、影像を元に、知性ある者でも、原像は何であろうか、光源は何であろうかと、臆測するだけである。
 
  しかし、叡智ある者は、事物の原像とは何かを知ることができるであろうし、魂の叡智的探求においては、原像の背後の光源そのもの、すなわち、イデアーのなかのイデアーである、「善のイデアー」とは何かの真知へと、近づくことが可能なのではないのか。その場合、神話という方法で、光の輝きを防ぐしかないのであるが。
 
  ここで、知(真知=エピステーメー episteemee)と臆見(ドクサ doksa)の関係が出てくるのですが、無知(アグノアイ)はどこで出て来るのかということです。或る意味、真知と臆見の懸隔や、感覚的認識と叡智的認識の関係を述べているところで、実は、無知が語られているのだとも言えます。臆見の上に真知があると言うことは、臆見を持つ者は、自分では「知識ある者(ソポス)」と思いこみながら、実は「無知な者」であるとなる訳で、知を持つ者も、その上に更に審級の高い真知があることを思うと、自己は無知であると悟らざるを得ないですし、何よりも、「洞窟の比喩」は、人の存在のありさまが、根元的に「無知」であることを語っているとも言えるでしょう。感覚的認識に対する叡智的認識の真理の審級からも、無知は出てくるのであり、真知の道は限りないということになり、また、その道を歩み始めると、常に自己が「無知」だと悟らざるを得ないということでしょう。
 

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/village/good/platon.html

 
  まず、わたしはまことに無知であるので、このような問題について確かにこうであるとは言えないということを前置きします。参考URLにある、プラトーンの『国家編』からの引用の文章を読んで、どういうことか考えてみました(本当は、この本は読んでおかねばならない本なのですが……「プラトン全集」は何のためにあるのか、と思います。本棚に並べているだけですね)。
 
  三つのこと、知、無知、臆見が問われていますが、ここでは、「無知」はどう扱えばよいのか分からないので置いておきます。最...続きを読む

Q巣箱を作ったがベランダで大丈夫かな?

画像のとおりです。
ベランダ下に設置しました。

前方に枝などなく、警戒しやすい開けた方向を向いています。
じょうけんはばっちりなのですが、いかんせん妻が布団を干したりします。
一応、よく洗濯を干す場所からはずれていますが、鳥達はこの巣箱を利用してくれるでしょうか?

詳しい方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

窓が素通しで中が見える様でなければ可能性はあります。ただし、反射が強い物だと逆にライバルがいるように錯覚するので、可能性は低いです。

Q政治の「三位一体改革」というのは比喩の自乗ですよね

前回の問答の続きです→http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8108381.html
小泉政権の時に行財政改革の名称として掲げられたものですが、これって比喩の比喩ですか?
というのは、前回の回答で「三位一体」自体が比喩とのことでした。
その比喩である宗教用語の「三位一体」を、政治家が政治用語に比喩として使用しているのだから比喩の自乗ですよね?

Aベストアンサー

その場合の「三位一体」がキリスト教用語のアレだという前提で答えれば、おっしゃるとおり比喩の比喩ということになりますが(「自乗」という表現もある種の比喩ですがこの場合は適切かどうか・・・それはともかくとして)、そもそも政治家が「他力本願」という場合も誤用が指摘されているとおり、宗教用語を政治など現実的な場で比喩に使うこと自体が疑問です。比喩として機能するには、その喩える言葉の意味が理解されていなければならず、喩えられる対象との類似性が明かでないと不適当ということになります。ダジャレとかでもそうですよね。曖昧だと白けこそすれ、けっして受けません。単純明快さが必要です。その点で「三位一体改革」という自民党さんのネーミングは感心しません。なぜなら、「三位一体」という言葉を大多数の国民が知らないからです。文字からわかったようで実はまるっきりわからないのです。単に三点セットという意味ではないですからね。「位」というのが問題なんです。
ちなみに「三位一体」という言葉を比喩に使ったのは小泉さんが初めてではないそうです。
〔「三位一体(さんみいったい)」は、もともとはキリスト教の宗教用語で、父なる神、子なるイエス・キリストと、聖霊の三者は同一であるというもの。地方財政について使われたのは、片山前総務大臣によれば、「三位一体というのは私が言い出した」(平成15年5月13日片山総務大臣閣議後記者会見の概要)とのことである。地方財政について公式の場で最初に使われたのは、平成14年5月21日の第13回経済財政諮問会議で、本間議員から「現在、財務省、総務省及び他省庁間で、補助金、交付税、税源配分移譲を含めてどのように改革するか利害が錯綜している。〕

参考URL:http://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron085.pdf#search=

その場合の「三位一体」がキリスト教用語のアレだという前提で答えれば、おっしゃるとおり比喩の比喩ということになりますが(「自乗」という表現もある種の比喩ですがこの場合は適切かどうか・・・それはともかくとして)、そもそも政治家が「他力本願」という場合も誤用が指摘されているとおり、宗教用語を政治など現実的な場で比喩に使うこと自体が疑問です。比喩として機能するには、その喩える言葉の意味が理解されていなければならず、喩えられる対象との類似性が明かでないと不適当ということになります。...続きを読む

Qバードウォッチングに凝っていて趣味で撮った写真で鳥図鑑を作っているのですが、数年前沖縄に行った時に見

バードウォッチングに凝っていて趣味で撮った写真で鳥図鑑を作っているのですが、数年前沖縄に行った時に見た鳥の名前がわかりません
特徴は1、水鳥
2、なんだか喧嘩してた
3、群れてた
という感じです
どなたか知っている方がいましたらこの鳥の名前を教えてください
体験したエピソードとかも書いてくだされば幸いです

Aベストアンサー

顔の赤いものが混じっているのでバリケンではないかと。
http://sorairo-net.com/bird/kamo/026.html

いろいろなところで見かける鳥です。
沖縄にもいるようです。
http://www.ariworiaru.com/ikimonbu/ikimonbu_real/meet-bariken/

Qイデア論【洞窟の比喩】の矛盾点?

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くしていることになります。
なので、太陽のあるイデアの世界に行って当然のように目を悪くして洞窟にトポトポ帰ってきたソクラテスを「お前、目を悪くしたんだってなぁ~!」と言って殺すのは、何とも理不尽だと思えてなりません。

この結末は、ソクラテスの弟子であるプラトンが、
師ソクラテスは理不尽な理由で殺されたことを示すために、ワザワザ設定した矛盾のあるストーリーだったのではないでしょうか?

どう思いますか?
ご意見ご指摘ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。
モヤモヤして困ってます。

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くして...続きを読む

Aベストアンサー

或る者は直接太陽を見つめても目を悪くしません。

洞窟に戻ってきて彼の目がぼんやりしているとは、真理を見たが体得していないために、真と偽を簡潔に判別できないということ。長い期間、骨を折るということ。
上の世界(真理)に連れて行こうとするものは、為政者、富裕層にとって都合が悪いために、殺してしまおうということ。

上文のように、ソクラテスを比喩したものではありません。はるか昔から、当たり前のことを当たり前として、
行う政治家や人々は殺されています。

Q鳥の丸焼きのイラストと作り方探してます

ちょっとしたキャンプにて鳥の丸焼きに挑戦してみようと考えてます。
そこで、仲間の通信文にイラストを入れたいのですが、今やインターネット上ではイラストよりもデジカメ写真が主流のようで、なかなかイラストが見つかりません。作り方もいろいろアドバイスいただければ嬉しいのですが、ダッチオーブンを使うのではなく、棒に串刺してかまどにて丸焼きをしたいと思ってます。
イラストと、作り方の両方でそれぞれお願い致します。

Aベストアンサー

本当にないですねぇ・・・

丸焼きにしてもダッチオーブンが流行っているしね。
画像は検索かけたのですが、アニメで鶏とは思えないのが一つだけでした。

作り方★

http://www2s.biglobe.ne.jp/~fujikin/cooking/chiken.html

http://homepage1.nifty.com/morimori/camp/campmaruyaki.htm 
(オーブンですが・・・作り方が詳しかったので。)

http://www.iris.dti.ne.jp/~bass/cooking.html

http://members.tripod.co.jp/poohweeny/0107camp.html

画像★

http://www7.cds.ne.jp/~uka/sozai/icg_00.htm

Qショーペンハウアーの言葉の出典について

ショーペンハウアーの言葉に

「音楽とは、世界がその歌詞であるような旋律である。」
"Musik ist die Melodie, zu der die Welt der Text ist."

というものがありますが、これの著書による出典が分かる方はいらっしゃいますでしょうか?

Wikiquoteに掲載されていたのですが、出典不明瞭となっていまして…

どなたかお分かりになれば、ご協力願います。

Aベストアンサー

 http://www.shinchosha.co.jp/writer/477/ではないでしょうか?


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