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看護学生の一年生です。課題なんですけど、調べれば調べるほどわけがわかんなくなってしまいました・・・。どの本を調べればいいかもよくわからなくて。「看護の対象としての人間とは」「看護の対象である人間を取り巻く環境(社会)とは」「看護の対象である人間の対象とは」の三つなんですけど、全くわけがわからなくて、今ほんと困っているのでどうか、教えて下さい!!

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A 回答 (3件)

看護学生です(3年生)


看護の対象は、疾患を持った人だけですか?
その辺りをしっかりと考えてください。
看護の対象は、「すべての健康の水準に有る人」と習いませんでしたか?
医療的ケアを必要としている人が「看護の対象としての人間」ではありません。そう考えていると看護は行えませんよ。
看護学概論の教科書をしっかりと読めば分かります。

看護の対象である人間というのは人間のことですよね。
それを取り巻く環境、3つ習いませんでしたか?
その辺り、しっかり考えたらいいと思いますよ。
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こんにちは。



難しいですね。
自分なりの見解ですが・・。

「看護の対象としての人間とは」→身体的または精神的に疾患があり何らかの医療的なケアを必要としている人。

「看護の対象である人間を取り巻く環境(社会)とは」→理想を言えば、その人(看護の対象である人間)が信頼できる医師によって適切な医療を受けながらその人自身も満足した生活ができる環境。だが実際は全てが理想的には不可能。信頼できる医師を見つける事ができなかったり、家の近くに必要な治療ができる医療施設(設備)がなかったり、入院設備が満足のいくものでなかったり(例えば数人部屋でプライバシーがないなど)、金銭的に十分でない、などの問題が考えられる。

「看護の対象である人間の対象とは」→・・とっても難しいですね。「看護の対象である人間」=身体的または精神的に疾患があり何らかの医療的なケアを必要としている人、と考えると、↑の質問文は、「身体的または精神的に疾患があり何らかの医療的なケアを必要としている人の対象とは」となりますね。そう考えると、(1)医療的な治療を必要とする先天的な障害(身体的・精神的・知的)を持っている人、(2)医療的な治療を必要とする後天的な障害(身体的・精神的)を持っている人、(3)外傷または疾病のある人。(4)外傷または疾病はなくても健康を維持する為に医療を必要としている人(高齢者や人間ドッグなどの定期健診を受ける人)。

課題がんばってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。題をよく理解していなっかったので、なるほど・・・って感じでした!看護学生なのに恥ずかしいです。これをヒントに考えていきたいと思います。本当に助かりました。

お礼日時:2006/08/30 23:19

看護が選考でもなければ、医療の知識皆無なので何の参考にもならないと思いますが…



テーマの「意味自体」がわからないのですか?

「看護の対象としての人間とは」ってことは、「看護の対象としての人間=医療行為を受ける人」はどういう人であるのかを考えればいいんじゃないでしょうか?

つまり、患者さんたちの心理とか、患者さんたちの環境は本当に利に適ったものであるのか、とか。

たとえば入院に関して言えば、最高水準の医療に囲まれているだけが治療に必要なのではなく、人間としての在り方に喜びや意義を感じられる生活環境を提供するのが望ましいのでは。とか?

論点ずれてたらごめんなさい。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人間としての喜びに・・・ってなるほどって感じです。だいたいつかめた気がします。助かりました!頑張ります!

お礼日時:2006/08/30 23:23

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Q人間の定義とは?

人間の定義とはなんでしょう?自分なりに考えてみましたが、結局わかりませんでした。皆さんのご意見まってます。

Aベストアンサー

人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。

ところで遺伝子の異常や後天的な病気や事故のためにさまざまな障害を持ってしまった人たちがいます。彼らのことをぼくらは当然、「人間」だと考えるわけですが、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?

脳死だったり脳死に近い人は遊べません。腕がつかえなくて火をおこせない人もいるでしょう。足が無ければ二足歩行はできません。道具が使えない人もいるはずです。考えることも、失敗することも許されない人だっているでしょう。でもその人たちも「人間」ですよね。

「人間とは~する動物である」という定義の視点は、平均的な個人の能力を判断の基準にし、しかも人間を一個体として完結した存在だとする人間観があります。それは近代的な人間観で、たとえばデカルトが「我思う、ゆえに我あり」と説いた自己完結的な人間観です。

ところで日本の哲学者で和辻哲郎という人がいます。彼は、日本語の「人間」という言葉が本来は「じんかん」と読まれ、「よのなか」を意味することを指摘したうえで、その語が今では個体としての「人」をも意味するようになっていることに注目します。そして「人間」という言葉には、ふたつの側面があると考え、「人間が社会であるとともに個人である」という結論を導いています。

では次に和辻の人間は社会であるということを考えてみたいと思います。これはたとえば、事故などのために意識不明に陥り、回復が極めて困難な状況に置かれている人を想像されるとわかりやすいと思います。彼/彼女は病院に収容され、医師から治療を受け、看護士にケアされ、家族や友人に回復の望みを託され、脳死ともなれば医療関係者やマスコミにも注目されるというかたちで、本人の意思とは関係なく、社会的な関係において「人間である」と定義付けられています。彼/彼女の存在はまさに「社会」そのものです。「社会」(=関係、人と人との間)であることによって、彼/彼女は「人間」でもあるわけです。これは極端な話をすれば、僕らは生まれる前から人間だったし、死んだ後もまだ人間であることができるということにもなります。生まれる前の赤ちゃんに声を掛けたり、亡くなった人に弔辞をおくるという行為は、胎児も死者も社会的な存在として認めた上で行う行為なのですから。

次に、和辻が提示した人間のもう一方の面、人間とは個人である、ということを検討しておきましょう。それはつまり人間とは、社会を形成する集団の一般性へとはまったく解消され尽くさない、絶対的な個人であるということです。ここで近代的な人間観を思い出してください。そこでは「人間とは一般的に、こうだ」ということが述べられているのであり、それは非常に抽象的で、個性の欠片もないのっぺりとした存在であることに気付かされます。しかし現実の世界において、だれもが少しづつ欠如した存在であり、どこかしらバランスを欠いています。Aという主張をする人もいれば、反AやBという主張をする人もいるし、Cという行動ができない人もいれば、その行動が得意な人もいる。そこでは、人間を定義するとき、一般的な性質や能力をもってよしとする姿勢は、とても非現実的な営みに堕してしまいます。

さて、人間は一方でひとつの社会であると述べました。またその一方では人間は社会に解消され得ない個人であるとも述べました。ふたつの定義は矛盾しているように聞こえます。しかし社会を成立させるためには個人が社会に解消され尽くさないことが大切なのです。というのも社会とは、個人が個人であることによって成り立っているからです。前に挙げた病院の場面を思い出してください。そこに社会が成立しているとすれば、ひとりの意識不明の患者の抽象的でない個人としての現実的な付き合いがそこに展開されていると考えるべきでしょう。家族との付き合いも、医者が行う治療も、看護士のケアも、会社の同僚や古くからの友人もすべて彼/彼女という一回性の個人に対してはじめて、現在の行動を取ることができ、関係を持つことができたわけです。そこにはまぎれも無く個人を媒介に成立した社会があります。

さて、そのような和辻の所見に照らして、「人間とは~する動物である」というような近代的な人間観を見てみると、人間の包括的な定義としては十分でないどころか、まったく見当違いなことを言っているように思えます。つまり和辻に従えば、人間とは、「社会」であり、「個人」でもあり、必ずそのふたつの側面を有していなければならないということになります。しかし、「人間とは~する動物である」型の定義は、そのどちらも充たしていないように、僕には思えるのです。

人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。

ところで遺伝子の異常や後天的な病気や事故のためにさまざまな障害を持ってしまった人たちがいます。彼らのことをぼくらは当然、「人間」だと考えるわけですが、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?

脳死だったり脳死に近い人は遊べません。腕がつかえなくて火をおこせない人もいるでしょう。足が無ければ二足歩行はできません。...続きを読む

Q看護学生が「対象」と言うのはなぜでしょう?

看護学生が「対象にたいし思いやりをもって・・・」などと答案に書いていました。なぜ患者を対象と呼ぶのでしょう? 「対象」は無機質なニュアンスを含んでいると感じるのは私だけでしょうか? 
看護学生に人間を「対象」とあたかも物のように呼ばせることの弊害を凌駕するような大事なことって何でしょう? この呼称の根底にあるものは何なのか? どなたかご存じありませんか?
とっても不可解だったので、病棟で聞いてみると、どうも30代後半の看護師さんは学生時代に「対象」とは呼ばなかったようです。

Aベストアンサー

看護と医療とは違うのではないでしょうか。
医療ならば対象者は、患者か患者である疑いがあるものなのでしょうが、日本の場合、看護業務に関わる資格は4つ(保健師・助産師・看護師・准看護師)で、患者だけでなく、健康な人(患者ではない人や子供、老人、困難を感じている人)、妊婦なども含んでいて、「看護は、あらゆる年代の個人、家族、集団、地域社会を対象とし、健康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和を行い、 生涯を通してその最期まで、その人らしく生を全うできるように援助を行うことを目的としている」のだそうですから、「看護の対象、対象者、対象の人々」などと称するのが適切なのでしょう。
http://www.nurse.or.jp/nursing/practice/rinri/rinri.html
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/018/gaiyou/020401b.htm

Q看護学生1年、勉強が空回りしているようでとても不安です。

社会人入試で都立の看護専門学校に今年入学しました、27歳です。

まだ1ヶ月しか経っていませんが、授業の受け方、自主学習がちゃんとできているのかとても不安です。

授業が始まった頃は基礎分野も含めて全て予習復習をしよう、と気合を入れて頑張っていました。ですが、学校と同時に初めての一人暮らしも開始したので完全に空回りと疲れで、復習、ノートまとめ、暗記すべきものがたまってしまいました。

今では、全ての授業を毎日しっかり予習復習するのは無理だと思い、確実に予習復習をやらなければ授業についていけないような解剖生理系の授業や生化学を優先しています。

ですが、授業によっては板書もされずプリントも配られず、授業中は先生の話すことをひたすら教科書にメモ、マーカーするのみです。家に帰ってそれを見て1からノートまとめをする、という方法がほとんどなので、課題やミニテストの勉強も出てくると、やはりやることがたまる一方です。
要領が悪いのか1回分の授業のノートまとめだけで3時間以上かかってしまい、土日に挽回しようとしても追いつきません。
今の授業の受け方では後回しにしすぎているのでしょうか…。

クラスの友達には「焦っているように見える」と言われてしまいました。
また、先生との面接が近々ありますが、ある友達は現在の勉強方法を話したところ「このままでは単位を落とす」と脅かされたそうです。
もし私も同じように言われたら、余計に焦り、空回りもしてしまいそうです。

元々とても心配性で不安がる性格なのですが、
社会人で勉強から離れていたこと、高校時代は全く勉強をせずに理系を含め赤点ばかり取っていたことを含め、今後単位を落としたり、国家試験も危うくなってしまうのでは、と未来が不安です。

早い授業で6月に入ってすぐ、そして夏休み前後には初めての試験のピークに入ります。
勉強をしようという気持ちはあるし、時間もとっているはずなので、今後のためにも自分に少しでも自信を持たせて効率よく勉強していきたいです。

現在看護師の方、学生時代はどのように授業を受け、どのように自主学習していましたか?
ぜひ具体的に教えて下さい、よろしくお願いします…(>人<*)

社会人入試で都立の看護専門学校に今年入学しました、27歳です。

まだ1ヶ月しか経っていませんが、授業の受け方、自主学習がちゃんとできているのかとても不安です。

授業が始まった頃は基礎分野も含めて全て予習復習をしよう、と気合を入れて頑張っていました。ですが、学校と同時に初めての一人暮らしも開始したので完全に空回りと疲れで、復習、ノートまとめ、暗記すべきものがたまってしまいました。

今では、全ての授業を毎日しっかり予習復習するのは無理だと思い、確実に予習復習をやらなければ授...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。
私は23歳で看護学生1年生です。

私の学校でもプリント配布される事は少ないですし、高校と違って板書もありません。
学生は皆、先生が言っている事をひたすらメモしていますよ!
そして自宅で綺麗にまとめています。

解剖生理や微生物に関しては、やはり授業進度が早いので授業中はメモで済まし自宅で清書しています。
私の学校では解剖生理は2コマ(3時間)ぶっつづけて行われるので自宅でまとめるとなるとそれこそ8時間はかかります!
1コマの授業をまとめるのに私の場合4時間かかるんですよね…。
みんなそんな感じだと思います。

それと私は最近予習に重点を置いています。
予習しておけば先生が何を話すか予測できますので、授業中余裕を持って聞けますし、予習しておくことでノートをどうやってまとめるか構想も練りやすいんです。
慣れれば、授業中に先生が言った事をメモ書きしていたものから授業中直に清書するという事もできるようになってきますよ!
自宅でまとめる事は復習にもなり非常に良いのですが、効率が悪いのと3年間継続してできない事を考えて現在は上記に記載したように、前日にパラパラ予習をしておいて授業中に先生が言った事をそのまま清書としてノートにまとめています。
(ノートをまとめるという技術とかセンスも大事ですね)
自宅でやるのは、解剖生理だと図とかのコピーと貼り付けですね。
いかに効率よくやるかを考えると良いと思いますよ。
きちゃいます。以上かかります。(

こんばんは。
私は23歳で看護学生1年生です。

私の学校でもプリント配布される事は少ないですし、高校と違って板書もありません。
学生は皆、先生が言っている事をひたすらメモしていますよ!
そして自宅で綺麗にまとめています。

解剖生理や微生物に関しては、やはり授業進度が早いので授業中はメモで済まし自宅で清書しています。
私の学校では解剖生理は2コマ(3時間)ぶっつづけて行われるので自宅でまとめるとなるとそれこそ8時間はかかります!
1コマの授業をまとめるのに私の場合4時間かかるん...続きを読む

Q看護学生です。看護学総論のことで・・・。

いくつか教えていただきたいのですが。
(1)ニードとニーズの違いって、なんでしょうか。
看護学概論では、ニードとしきりに出てきますが、演習の方ではニーズと出てきます。
漠然とした違いはわかるのですが、はっきりと文章にして理解できなくて・・・。
(2)看護とは、というところを勉強しているのですが、看護の対象は、身体的、心理的、社会的存在であり、統一体としての全人間である、とありますが、
この統一体としての全人間とは、一体どういうことなのでしょうか??
また、これを自分に置き換えて説明するとしたら、どうやって説明したらよいのでしょうか?
考えても考えても分かりません。
去年の過去問なので、先生に聞くにも聞けなくて。
宜しくお願いします。
他にも、看護学総論、医学概論の問題集でいいものがありましたら、教えてください。って、そんなものがあるのかどうかもわからないのですが・・・。

Aベストアンサー

看護学生さん、頑張ってくださいね。応援してますよ。
1)「ニードとニーズの違い」について。どちらも「要求」を表す言葉ですが、「ニード」は一つ一つの要求のこと、「ニーズ」は「ニード」の複数形で、概念としての「要求」を表すと思います。つまり、「ニード」とは「不安を取って欲しい」とか「痛みをとって欲しい」「先生の説明をもう一度聞きたい」などの具体的な要求の内容を意味します。ただし実際にはどちらも「ニーズ」と言ってしまうことが多いと思います。
2)「統一体としての全人間」とは「全人的」と同じで、その人のある側面だけ捉えるのではなく、様々な面を持ち、しかもそれらは複雑に絡み合い、全体として一つの人間を形成している、ということで、自分(看護学生であるあなた)に喩えれば、若い未婚(?)女性で特別な疾患もなく健康という「身体的」側面と、「心理的には」試験前で勉強に終われやや焦っている状況、「社会的」には将来医療職につこうとしてる看護学生、であり、親から見れば大切な娘であり、という側面を持っているということです。これらの一部分だけをみて看護するというのではなく、こうした様々な側面を見て、それらを統一的に捉える、人間をそうした視点(単眼ではなく複眼)で捉えるということです。まあ、人間にはもっと複雑な側面もあるとは思いますが。参考になったかな?

看護学生さん、頑張ってくださいね。応援してますよ。
1)「ニードとニーズの違い」について。どちらも「要求」を表す言葉ですが、「ニード」は一つ一つの要求のこと、「ニーズ」は「ニード」の複数形で、概念としての「要求」を表すと思います。つまり、「ニード」とは「不安を取って欲しい」とか「痛みをとって欲しい」「先生の説明をもう一度聞きたい」などの具体的な要求の内容を意味します。ただし実際にはどちらも「ニーズ」と言ってしまうことが多いと思います。
2)「統一体としての全人間」とは「全...続きを読む

Qベッドメーキングの各理由

看護のベッドメーキングについて質問です。

下シーツを作るとき、コーナーを三角にすることって言うのは、
どういった理由なのでしょうか?

もちろん、崩れにくいっていう理由があると思うんですが、なぜ崩れにくいのか?

先生いわく、シーツの繊維の目が、縦と横になっていて、・・・が重なるからとか言っていたのですが、
いまいち分からず・・・

上シーツに関しても、なぜコーナーを四角にするのか?

分かる方、教えてください。

Aベストアンサー

はじめまして・・・なにか新鮮なご質問ですね、何かの役に立てれば幸いに感じます。

さてまず三角ですが、
枕側を横、として最初にシーツの端を枕元からマットレスに敷き込んだほうと、
縦に織り込む部分とで二重に絞まり、シーツがずれにくい。
それが、先生の言う縦と横の重なりではないでしょうか。
四角は、三角よりもずれやすい。

ということで・・・
敷きシーツの方はシーツがずれてシワができると床ずれの原因になるので、ずれにくいように
三角折り。
掛けシーツの方は寝返りをうったりしても足元が窮屈にならないようにゆとりを持たせるために
四角折り。

では、ないのかな?

Q生化学ってどうやって勉強すれば・・・

私は看護の専門学校に通ってるんですけど、生化学の授業があるんですが何も理解できません。どうやって勉強したらいいのかも分かりません。何かよい勉強方法ってあったら教えてください。あと分かりやすい参考書とかあったら教えて下さい。

Aベストアンサー

No.1です。
お使いになっている教科書は医学書院の「系統看護学講座・・・生化学」という本でしょうか? (他にもあるようですが。。。)
A4判で280ページほどの本でした。
もしかしたらお使いになっているのはこの本と違うかもしれませんが、いずれにしても看護学校の生化学の教科書は、それほど大差はないと思いますので、この本について感じたことをいくつか挙げてみます。

まず内容ですが、当然のことながら、大学の理学部・農学部などで学ぶ生化学と比べても、カバーする範囲は、さほど変わりません。植物の光合成・炭酸同化のように明らかに医学と関連のない分野は除いてありますが、他は大体同じようなものです。
大学の教科書に比べてページ数は少ないですが、だからと言って内容が簡単なわけではなく、説明が簡略すぎて、かえって難しくなっているように私には感じられました。
これをどのくらいの時間をかけて学ぶのでしょうか?
もし仮に、週2時間で半年で学ぶとしたら、かなりきついのではないでしょうか。

しかし、そうなると、当然「ここが重要」というポイントがあるはずです。それは授業の中で先生が力を入れて説明されると思います。とりあえず学校での試験を乗り切るには、授業の内容(ノート)を理解することでしょうね。試験の過去問を先輩に聞いてみるのもよいと思います。そして、重要なところを理解するために必要な部分の説明を教科書で読んで補うというのが、とりあえず有効かと思います。

重点はやはり代謝ですね。解糖・クエン酸回路などはそのなかの最重要項目の一つでしょう。
しかし考えてみると、生化学を職業としている人でも、クエン酸回路を本を見ないで全部すらすら書けるという人がどれほどいるか、あやしいものです。これが専門という人は別として、その他の多くの人は、ごく大雑把に覚えている程度だと思います。

例えば解糖・クエン酸回路で何が重要なのか?

解糖は、主要な栄養源であるグルコース(ブドウ糖)をピルビン酸にまで分解し、その過程で発生したエネルギーをATPとして蓄えます。ここまでは酸素を必要としません。地球上に酸素が乏しかった頃に現れた原始的な生物(嫌気性細菌)でも解糖系の酵素は持っています。

しかし、酸素を強力な酸化剤として利用できるように進化した生物はピルビン酸をさらに完全に酸化して、CO2とH2Oに変えることができるようになりました。これによって、解糖系だけの場合に比べて、はるかに多くのエネルギーを生産することができるようになりました。
解糖系だけで生産されるATPの量と、解糖系 + クエン酸回路で生産されるATPの量を比較すれば、そのことがはっきり理解できると思います。

反応そのものについてですが、ピルビン酸は補酵素A(CoASN)と反応してアセチルCoAとなり、これがオキサロ酢酸と反応してクエン酸になります。ここから回路が1回転して、オキサロ酢酸→クエン酸に戻ります。
いま私が名前を挙げた物質は最低限覚えるべきものだと思います。途中は省略して、いま名前を挙げた物質だけで代謝の図を描いてみてください。それで最低限クエン酸回路の意味はわかると思います。
これ以上どこまで詳しく覚えなければいけないかは、教える先生しだいだと思います。

参考書に関してですが、教科書とか参考書というような、「硬い」本だけでなく、例えば講談社ブルーバックスのように、素人(+α)程度の人を対象として書かれた本が、たくさんあります。物語風に書かれているので、割りに抵抗なく読めると思います。この「抵抗なく読める」ということが重要なのです。生化学は難しいと言う心理的なバリアー(実際難しいのですが)を除くことがまず先決ですから。
素人相手の本でも、案外バカにならないですよ。
私も専門外のことについて、手っ取り早く勉強したいときは、こういう本をよく読んでいます。

生化学ではいくつかの約束ごとのようなものがあって、例えば、リン酸化反応は、物質にエネルギーを蓄える(活性化する)反応で、逆にリン酸を放出した物質はそれによってエネルギーを他の物質に与えます。(つまり活性化する。)
こういうことを覚えるだけでも、かなり話の流れが読めるようになります。

>何も理解できません。

ということですが、お気持ちはわかりますが、これだとアドバイスするのが難しいです。
具体的に、例えばDNAについてとか、酵素について、こういうところがわからないと具体的に問題を絞って質問していただけると、もう少しお役に立てるかと思うのですが。。。

また質問があれば、私のわかる範囲でしたら回答します。
がんばってください!

No.1です。
お使いになっている教科書は医学書院の「系統看護学講座・・・生化学」という本でしょうか? (他にもあるようですが。。。)
A4判で280ページほどの本でした。
もしかしたらお使いになっているのはこの本と違うかもしれませんが、いずれにしても看護学校の生化学の教科書は、それほど大差はないと思いますので、この本について感じたことをいくつか挙げてみます。

まず内容ですが、当然のことながら、大学の理学部・農学部などで学ぶ生化学と比べても、カバーする範囲は、さほど変わりません。...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

QワードのデータをUSBに保存したい。

タイトルのとおりです。
ワードで作ったデータを、USBに保存したいのですが、
パソコン初心者なので、やり方がわかりません・・・汗

また、そのUSBで、別のパソコンで見たいのですが、
そのやりかたもわかりません。。。汗
誰か教えてください・・・。

Aベストアンサー

UBSメモリに保存の操作(例)

1) 名前を付けて保存します。
※別のPCのOfficeが2003以前の場合は、[97-2003互換性]ファイルを指定して保存する必要があります。
2) USBメモリを装着します。

3) ファイルが保存されたフォルダを(普通は、「ドキュメント」)を開きます。
4) 右クリックから「送る」→「リムーバブルディスク」をクリックで、「USBメモリ」にコピーされます。

5) タスクバーの「通知領域」の「ハードウエアの安全な取り外し」をクリックして「USB大容量・ドライブ(*)を安全に取り外します」をクックして、「このディバイスはコンピュータから・・・」のメッセージに「OK」を押します。
6) USBメモリを抜き取ります。

USBメモリからデータを読み出す操作(例)

1) USBメモリを装着します。
2) 「フォルダを開く」を選択して「OK」を押します。(自動的に展開される場合もあります。)

3) 目的のファイルを選択して、右クリックから「コピー」を選択します。
4) ディスクトップなど分かりやすいフォルダを開いて、右クリックから「貼り付けします。

5) コピーされたファイルをダブルクリックなどで開きます。
6) 編集作業の途中と作業の最終には「上書き保存」します。

「USBメモリの取扱方法<Windows Vista(R)>」
http://dynabook.com/assistpc/faq/pcdata/006042.htm 

UBSメモリに保存の操作(例)

1) 名前を付けて保存します。
※別のPCのOfficeが2003以前の場合は、[97-2003互換性]ファイルを指定して保存する必要があります。
2) USBメモリを装着します。

3) ファイルが保存されたフォルダを(普通は、「ドキュメント」)を開きます。
4) 右クリックから「送る」→「リムーバブルディスク」をクリックで、「USBメモリ」にコピーされます。

5) タスクバーの「通知領域」の「ハードウエアの安全な取り外し」をクリックして「USB大容量・ドライブ(*)を安全に取り外しま...続きを読む

Q人間とは何ですか?

人間って?五体満足でないと人間じゃない?

人間にとっての必要十分条件は?

人間失格って?

人間とは何だとお考えですか?

もし一言あれば簡単に教えていただけないでしょうか?

Aベストアンサー

古典的な理想主義から見れば、五体満足でないと人間のすべてを満たしていないと見られるかもしれません。今でも障害者に対する偏見や差別を持つ人はあるでしょうし、実際に障害を見て、キョドったりしないというのは難しいことであると思います。
必要十分条件は、心があることでしょう。
人間失格とは、道を踏み外すことですから、小さなことなら身に覚えのある人も少なく無いと思います。

人間とは、心があり、心によって生き、その心を大事にしているにもかかわらず、その心によって苦悩を受ける存在であると思います。本能の縛りを受けるが、それを超克することを僅かに垣間見る存在であるとも思います。

Q看護学校の何が辛いのですか?

看護師の資格を持っている知人女性が、「平均睡眠時間が3時間だった」「あれができればなんでもできる」と言っていました。しかし、某国公立大学看護学部に入学した高校時代の同級生の女の子は、大学2年生のときに同窓会で再会したとき、全然つらそうな顔をしてませんでした。普通に楽しそうに振舞っていました。それどころか、「合コンして○○大学の男と付き合っていた」と、男女交際までやっていたそうです。

一体看護学校や看護学部の何が辛いのですか? よく平均睡眠時間が一日3時間とか聞きますが、それは4年間のうち何ヶ月くらいなのですか?

Aベストアンサー

はじめまして。
学校によっても変わってくるでしょうね。大学と看護学校でも変わってくるでしょうし・・・。

おそらく、辛いとおっしゃっていた友人様は看護学校卒のお方だと思われます。
確かに看護学校は相当辛いです。一方大学の看護学部などは看護学校に比べたら優しいとわたしは学生時代感じていました。
まず、看護学校と大学の違いは実習の数やそれをこなすために与えられる時間の量のにあると思います。また、看護学校は主に技術、大学は知識です。
わたしは看護学校に通っていたのですが、1、2年は膨大な量のレポートに範囲広すぎなテストの連続、3年になれば実習三昧で1クール3週間を約1年間、夏休み・冬休みを除きぶっ続けにエンドレス、それに向けたスパルタ技術練習、またまた膨大な量の事前学習や必要な調べ物など、それはそれは厳しい3年間でした。恋愛はよっぽど理解のある人とじゃなきゃ長続きしないし(こっちが忙しくて会ってるヒマがないに等しい)、バイトはできてもおこずかい程度、気になる睡眠時間は人により寝ないで翌日という場合もありました(でもいつか必ず寝れます、土日とか)。環境も女だらけとあってストレスは溜まるでしょう。そしてなぜか看護学校の教員ってくせ者が多いです・・・
本当、覚悟して臨まないと卒業できません。精神的にやられます。
ちなみに、大学の看護学部の友人も何人かいて話を聞くのですが、実習の中身も学校生活の内容も看護学校より遥かに余裕のあるものだと思いました・・・。
なので、楽しい学生ライフを送りながら看護師になりたい、というならば頑張って大学を(普通の大学よりは忙しくなると思いますが)、ガッツラ鍛えられた上で一刻も早く看護師になりたい、というなら看護学校を選べは良いかと。
大学は保健師受験資格もあるので、興味があれば魅力的ですよね。

はじめまして。
学校によっても変わってくるでしょうね。大学と看護学校でも変わってくるでしょうし・・・。

おそらく、辛いとおっしゃっていた友人様は看護学校卒のお方だと思われます。
確かに看護学校は相当辛いです。一方大学の看護学部などは看護学校に比べたら優しいとわたしは学生時代感じていました。
まず、看護学校と大学の違いは実習の数やそれをこなすために与えられる時間の量のにあると思います。また、看護学校は主に技術、大学は知識です。
わたしは看護学校に通っていたのですが、1、2年は膨...続きを読む


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