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将棋は勝っても負けても楽しいと言う人がいます。
どうすれば負けても楽しくなれるのでしょうか。

A 回答 (9件)

いい勝負が出来たときは楽しいですね。


ただ悔しい思いをするのは明らかに自分のミスで戦況が悪くなってしまった時に猛烈に思います。
逆に自分的にミスが無く力で押し切られた時などは負けたけどよく指したと満足感こそあれ敗北感、悔しさはあまり残りません。
指す前に5秒くらい再考してもいいかも知れません。

参考までに強いソフトです。

参考URL:http://www.geocities.jp/bonanza_shogi/
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勝ち負けは結果でしかありません。

何万回やったとしても勝ちと負けしかありません。
将棋のような知能パズルは勝負の行程を楽しむ事です。どんな詰めろとか一回の勝ち負けの中にある、攻め守りいろいろな行程です。
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普通の人は負ければ悔しいと感じるでしょう。


負けてばかりで止めてしまう人も多いと思いますが、負け続けても、いつかは強くなれると続ける人も多いと思います。
考えは人それぞれですが、続けている人は、ある種の楽しさがあるからではないでしょうか?

なお、すがすがしい負け方というのは確かにあります。
一番悔しいのは、礼儀の悪い人に負けることですね。
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 負けても得るものがあるとき、楽しいというより満足感があります。

相手のすばらしい手筋にあった時などです。(その手筋を使って他の人に勝った時はうれしいです。)また、今まで気になっていた変化に飛び込んで負けたが、局後の検討でその方面の知識が増え、その局面でのキーポイントが判ったときなど、明日に繋がる一局だった時もそうです。
 負けた時ほど勉強になります。特に1手差で勝敗が揺らぎ、また相手と形勢判断がほぼ同じ時、有意義な感想戦になります。もちろん少し上手な人に胸を借りて教えてもらうのも負けても楽しいです。
 ポカで負けた時は、何か賞がかかっている時は残念と思い(相手はそれなりにうれしいでしょうから)、かかってない時は相手に申し訳ない(無駄な時間を過ごさせてという意味と、これから面白くなるところなのにという意味)という感じです。
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負けてくやしくない人は強くなれません

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こんにちは。



私も将棋をやりたいのですが、すでに30代後半…。
今からやっても、少しは楽しさを得る事が出来るでしょうか?

さて、趣味でバレーボールをやっています。当然試合もありますから、勝敗が付くわけですが、私も負けるとかなり悔しい口です。
夜1人で、泣いちゃったりしますし…(笑。

でも、楽しくないわけではありません。悔しいだけです。
悔しいって、楽しいの反対語では無いですよね?確か…。

勝てばうれしいし、負ければ悔しい。
でも、バレーそのものは「楽しい」ですよ。と言うことで、楽しいの上に、うれしいと悔しいが乗っかるんだと思います。

将棋が好き、対戦するのが好き。そして、それは楽しい。
勝てばうれしいし、負ければ悔しい…。

うれしいから、勝ち続けたい。悔しいから、今度はもっと強くなって勝ってやる!でも、将棋は大好きだから、勝っても負けても楽しい…。
そんな感じなのでは?
でわ!
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将棋に限らず、勝負事は負けたら悔しいものです。

その代わり勝ったときは無上の喜びを味わえるのです。だから勝負事をやる人は負けたときの悔しさはすぐに忘れ、勝ったときの喜びを心に刻みつけるのです。その喜びを味わいたいから、定跡を一生懸命覚え、詰め将棋を一生懸命考えるのです。悪いことを考えて物事をやると楽しくありません。いい事を考えてやると楽しくなります。これですよ(-_-)/~~~~
 負けたら次に勝てばいいじゃありませんか(^_^)
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将棋をじゃんけんの様に「勝ち負けだけを競うゲーム」だと捉えていると、負けたら楽しくありません。


将棋を「すばらしい手を発見するゲーム」って捉えると、負け将棋では、相手の方にすばらしい手が出ているでしょう。
勝ったということを、「自分が相手にすばらしい手を見せてあげた」、負けたということを、「相手が自分にすばらしい手を見せてくれた」って考えると負けるということは、自分の知らないすばらしい手を披露してもらったってことなので、自分がその手の対策を考えることで、将棋への理解がいっそう深いものになると喜ぶことができます。
将棋を指す事を謙虚な言い方で「一番教えてください」と表現するのは、このことを指します。
中には、対局そっちのけでチャットを楽しむとか、感想戦が大事と勝負より感想戦に主力を置くとかして、悔しさを紛らわす人もいますが・・・
また、強くなる人は悔しさをバネにして、将棋の研究を始めます。つらい勉強に耐えて強くなった自分の棋力を楽しむということが本道ですが、才能が必要ですので初段より上は誰でもってことにはなりません。
なので、相手に自分の想定を上回る巧手を指された場合、一手教わるという将棋の目的を果たしたことになるので、すぐに「参りました。すばらしい手ですね」と投了することをお勧めします。
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「好き」になればいいだけだと思う。



将棋に限らず、自分以外の人間と対決する事に違いはないから
自分の想像力(持ち手)vs 相手の想像力…
これが互角なら、そこから進歩(進化)出来る楽しみも在るし
自分が格下なら、胸を借りるつもりで、相手の「技」を学べる機会だしね。
だから、色んな技=人と出会いながら自分が進化する喜びを感じるか感じないか
勝ち負けは、結局はこの考え方の上に在る「結果」に過ぎないから
顔が見えなくても(オンラインゲームなど)盤の無効には「人」が居る…と
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