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「ヒトラー 最期の12日間」という映画を観て、とても衝撃を受けました。
(1)劇中でヒトラーを信奉する少年の兵隊がいて、街中で戦車を撃破していましたが、それは実際にあったことなのでしょうか?
(2)その時少年がロケット弾の様なものを持っていましたが、あれはどのように使っていたのでしょうか?まさか、自爆覚悟で突っ込んでいたのでしょうか?
(3)当時のドイツは国民全体がヒトラーを信奉していたのでしょうか?反対勢力はいなかったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

A 回答 (9件)

失礼ですが、今までの回答に軍ヲタから見ると事実誤認が見られますですので、補足させていただきます。



(1)ドイツ本土決戦ともなると、民間人(少年や老人)を主体とした国民突撃隊(フォルクス・シュトゥルム)が編成され、旧式な武器や戦時急造型の簡易小銃、パンツァーファウストを与えられ戦いました。いかんせん訓練も装備も不足しており、本格的な攻撃を受けるとあっという間に崩壊してしまいました。しかし個人レベルでは奮戦した者もいたようです。

なお、これより以前にナチス・ドイツのボーイスカウトであるヒトラーユーゲントの年長組(高校生くらい)を中心に第12武装SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」が編成され、こちらはベテランの武装親衛隊将校に率いられ装備も一流であったため、ノルマンディー上陸作戦以降のフランスでの戦いで英軍やカナダ軍相手に奮戦、しかし物量の差はいかんともしがたく壊滅しています。(後に再編成)

(2)使い捨て型の携帯式無反動砲(ロケット弾ではありません)、パンツァーファウストです。1943年から大量生産され、大戦後期のドイツ軍が多用しました。
http://www.geocities.com/Augusta/8172/panzerfaus …
射程は短いのですが、成型炸薬弾頭を用いるため、距離に関係なく200mmもの装甲を撃ち抜ける兵器です。(ちなみに高熱で溶解させ貫通させるというのは古く間違った知識で、高速で吹き付ける液状の金属粒子の圧力で打ち抜くものです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%BD%A2% …
これの発展型がソ連に捕獲され改良されRPG-2となり、さらに発展してロケット推進の弾頭を用いるRPG-7になります。

(3)別にヒトラーを支持していなくても、本土に敵国が攻め込んできているわけですから、当然ながら抵抗します。特にソ連軍(特に第二線級の程度の低い部隊)は自国を荒らされた報復から民間人の暴行・虐殺に走るケースが見られ、手をあげればそれで終わりというわけにはいかなかったのです。ドイツ降伏後も、民間人をソ連軍から守り米英軍の側に脱出させるために戦い続けた部隊もあります。ちなみにドイツ側で一番最後まで国会議事堂で戦っていたのは、もはや帰る場も無い武装親衛隊のフランス人義勇兵たちでした。

この回答への補足

ありがとうございます。
ここでひとつお尋ねします。

>ちなみにドイツ側で一番最後まで国会議事堂で戦っていたのは、もはや帰る場も無い武装親衛隊のフランス人義勇兵たちでした。

え~、フランスとドイツは長年反目し合った間柄であり、ナチスが台頭する要因のひとつにフランスの「執拗ないじめ」があったからだと世界史でも習いました。
フランス人がドイツ側で戦うとは・・・そこへ行くまでの過程についてぜひお聞きしたいです。お願い致します。

補足日時:2006/10/20 17:53
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> フランス人がドイツ側で戦うとは・・・そこへ行くまでの過程についてぜひお聞きしたいです。

お願い致します。

 どの国でも、それぞれ民族主義を高揚するグループは存在するもので、近代のフランスにおいても19世紀末にあらわれた「アンクション・フランセーズ同盟」や「カムロ・ヂュ・ロワ」(ナチ党の突撃隊のような暴力団体)などがその代表でした。
 1920~30年代には、共和制政治や左翼の人民戦線内閣に対して「火の十字架団」「カグール」などの右翼民族主義団体が、反左翼・反ユダヤ主義をかかげて激しい暴力闘争を行い、流血事件が多発しました。
 1940年のフランス敗北を契機に彼ら民族主義団体は、反独派と親独派に分裂するのですが、後者は純粋なフランス愛国というよりも反共産主義・反ユダヤの理念でナチドイツと結びついたのです。
 なかでもかつて一次大戦の対独戦で英雄となったジョゼフ・ダルナンはこのころは大のナチ信奉者となり、「保安隊」(後に「民兵団」となる)というテロ団体を組織し、ユダヤ人や地下運動家らを摘発してまわりました。『影の軍隊』という映画には彼らが登場する場面があります。
 やがて、対ソ戦が始まると反共産主義の手前、義勇軍を送ることになり、民族主義者らによる「反共フランス義勇軍」が結成され、かれらはドイツ国防軍(陸・海)あるいはナチ武装親衛隊の義勇兵としてドイツ軍の軍服を着て東部戦線に従軍しました。
 なかでもナチ武装親衛隊に所属したフランス人部隊は、「第6SS義勇突撃旅団シャルマーニュ」として勇名を馳せ、後に師団にまで発展しました。
 彼らは皮肉にもドイツの首都を防衛するために最後まで戦い、僅かな生き残りは南ドイツの山中で「新編フランス軍」に武装解除されたのでした。 

 なお、近代フランスの民族主義・ファシストたちについては、長谷川公昭『ファシスト群像』(中公新書)をぜひ一読されることをお勧めします。
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(1)いたと思います。

ソ連軍のベルリン侵攻時点でも、かなりのヒトラーユーゲントがSSと一緒に戦っていたといいます。また余談ですがフランス義勇兵もベルリン防衛に奮闘していた事も事実です。
(2)は他の方にお任せいたします。

(3)ヒトラー政権発足当時は国民の大多数が熱烈に支持していました。
不景気を打開し、インフラを向上させ、オリンピックを開いた辺りまでの話と思います。以後ユダヤへの迫害や思想弾圧(退廃的と思われる絵画や文学が弾圧されました)が激しさを増すと、ナチスを嫌って亡命する人が増えてきました。
また、ヒトラーの政敵もナチス内に昔はいましたが、政権を取る以前に粛清されました。特に親衛隊というヒトラー個人を護衛する軍隊があったので、側近も迂闊に手が出せなかったのではないでしょうか。ゲーリング・ヒムラー・ゲッペルス・・・みんなゴマすりする幹部ばかりになってしまいました。
よって、ヒトラーに取って代わるような芯のある有力な反対勢力は無かったといえましょう。
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>フランス人がドイツ側で戦うとは・・・そこへ行くまでの過程についてぜひお聞きしたいです。


とりあえずこちらを参照のこと。
http://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/charlemagne …
http://en.wikipedia.org/wiki/33rd_Waffen_Grenadi …
ナチスの私兵である親衛隊(おなじみの黒服のやつで、前線で戦う部隊ではない)から発展した、ドイツ第四の軍隊である武装親衛隊(迷彩服や国防陸軍に似た服装)は、当初は優良種たるドイツ人のエリート部隊でしたが、戦闘での損害や部隊の拡大に対し人材が不足してしまい、後期に編成された部隊は外国籍のドイツ系住民やもと犯罪者、外国人志願者やもと捕虜まで動員された雑多なものになってしまいました。フランス以外にもイギリス(もと捕虜)、オランダ、ベルギーや北欧諸国、もとソ連兵などさまざまな国の人間が参加、中にはイスラム教徒やインド人の部隊までありました。
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形としては、ソ連製のRPG-7に似ています。


弾頭は成型炸薬を使っていまして、火薬の燃焼を正面に集中する事によって、6千度の高熱で装甲を溶解する方式です。

遠投するような軌道を取ります。
ですから、相当訓練して距離感を養わないとまず当たらないんです。

ソ連製のRPG-7と違う所は、初速が極めて遅い所です。
これを命中させるには、家屋などに潜んでいて、直接打ち込むしかないと思います。

それと、ドイツの開発したSTG-44と言う突撃ライフルは、ソ連のAK-47と殆ど同じ形をしています。

原理的には斬新で、相当良いものを作成していたようです。

>当時のドイツは国民全体がヒトラーを信奉していたのでしょうか?反対勢力はいなかったのでしょうか?

ヒトラーの暗殺計画は数回ありました。
そのたびに運良く助かっていたのです。(たいした怪我もしない。)
いずれも側近の者が加担しています。

むしろ失敗した首謀者のロンメル将軍の方が、「毒を飲むか、家族を強制収容所に入れるか、好きな方を選べ。」
こう詰め寄られ、毒を飲む方を選んだそうです。

ロンメル将軍は、国内では英雄として尊敬されており、敵国でも有名であり、公に処刑出来なかったのが理由です。
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捕捉し、かつまとめると。



(1) 少年兵はヒトラーユーゲント。
これはナチスドイツの青少年団で、青少年にナチス的な政治的・軍事的教育を授けることを目的に、1926年に組織されましたが、戦争が敗色濃厚となると、日本の学徒出陣同様、実戦部隊にも投入されるようになります。現在のローマ教皇であるベネディクト16世もこのヒトラーユーゲントの所属で、SSの高角砲大隊に配属されていたと言われます。

(2) そのロケット弾は、パンツァーファストと呼ばれる個人携帯の対戦車兵器です。ソ連軍がオーデル川を越えたあたりから、東部戦線では少年兵も最前線に投入されるようになり、このパンツァーファストが1人1つ持たされました。前の方が書いているようにこの武器は、戦車が少なくとも100メートル以内に近づかないと装甲を貫通できないので効果がありません。少年兵は蛸壺を掘って隠れ、戦車が目と鼻の先にきたときに撃つように指導されました。これは自殺行為にほぼ近い特攻とたいしてかわらない危険度です。ソ連軍の場合、戦車は歩兵を必ず随行しているので、成功してもその後逃げ切れる可能性は0%に近く、また戦車に接近するというのは、それだけ非常に困難です。ま、日本兵の火炎瓶や地雷、収束爆弾を持って突進する対戦車特攻よりもマシと言う程度です。少年兵が使われたのは武器同様、”使い捨て”だからです。

(3) ドイツ国民全体がヒトラーを信奉していたわけではありませんが、戦争になったら反対意見を言うのは、平時よりも非常に困難です。敵に通じていると言われかねませんから。イラク戦争当初のアメリカがそうだったでしょう。戦争になるとどの国でも国に仕えることが愛国的行為であるという風に思われるので、たとえ間違っていると思っても、指導者を批判したり異議を挟むことは非常に勇気が要ります。実際、ナチスの場合、ゲシュタポと強制収容所いう怖い怖い存在があったので、反対派はみんな粛清されました。一般にあまり知らない人が多いですが、強制収容所で亡くなった人のなかにはユダヤ人だけでなく、ドイツ人やオランダ、フランス、チェコ、ポーランドなど多くの人々がいます。これらは要するに”反対勢力”とみなされたからです。残った人間が従順になるのも止む終えないところでしょう。
ナチスが政権を取った段階では、国民の支持はせいぜい20%ぐらいでした。嘘と暴力によって権力を独占し、戦争に突き進むことで絶対的な政権となったわけで、民主的に支持されていたかのような偽装は、ただのプロパガンダに過ぎません。
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ANo2の方の説明で合っていますが、パンツァーファウストについてもう少し補足すると、この兵器は発射機になるチューブ部分がロケット弾の発射時に発生する噴射ガスを背後(弾が飛んで行くのと反対の方向)に排出する構造になっており、発射の反動が相殺される構造になっている為、子供や老人などでも発射は可能なのです。

軽量なので子供でも持ち運び可能です。
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ベルリン攻防戦ではヒトラーユーゲントという少年兵も動員されました。

  国民軍という一般人まで動員されて戦いました。

ヒトラーユーゲントはナチスの教育と軍事訓練を受けていましたエリートでした。

2.ロケット弾に見えたのはパンツアーファウストといわれる対戦車ロケット兵器とおもいます。  これは射程70~100mの各種あって
この距離であれば戦車にもかなりのダメージを与えます。
使い捨ての兵器ですがこの他にもバズーカ砲のような何度も使用できるものもありました。 

3.当時のドイツ国民のおおくはヒトラーを信奉して居たでしょうが敗色が濃くなってきた時点ではヒトラーに反対する人も増え、暗殺を企てる人達もありました。 暗殺計画は失敗に終わり、メンバーの多くは粛清されました。
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その映画は見ていないのですが・・・



1.ヒトラーユーゲントのことですね。事実です。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha …

2.当時、少年兵が持ち運べるようなロケット弾は無いと思いますので、多分、手投げ弾ではないでしょうか?

3.もちろん反対勢力もあり、何度かヒトラー暗殺未遂事件を起こしていますよ。
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