

No.3ベストアンサー
- 回答日時:
戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。
これこそ無謀な戦争といえる現実でした。NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
>またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。
インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)
q1241xさん、ありがとうございます。
ガダルカナルの生還は1/3ですか。悲惨ですね。
203高地や盧溝橋の成功〈?)体験が忘れられず、ノモンハンの失敗からは学ばず、その結果ガダルカナルや硫黄島のような凄惨な事態を招いてしまったのですね。
翻って今、我々は充分に学んだのかと不安になります。
回答ありがとうございました <(_ _)>
No.4
- 回答日時:
ただ単に興味をもって計算しただけですから、勘違いがあると思いますのでどなたか指摘してくださると助かります。
「1/4も亡くなられたのですか」とのご感想ですが、
「玉砕」や「餓死」から想像する日本軍の実態とはほど遠い気がします。
数字のマジックではないでしょうか。
戦没者概数212万人は、満州事変以来15年間にさらに戦後旧ソ連やモンゴルに抑留されて亡くなった55000人の方々を含んでいます。
一方の母数は、根拠とされたKITAIKKI氏の回答には「昭和20年8月15日時点で把握されていた兵力」で、しかも「日本全土、中国、シベリア、東南アジア、太平洋諸島のすべてにおいて」の兵力です。
ご質問には、「何人の日本兵が戦地に赴き」とありますね。
#2の方の回答は「800万人弱が出征して」となっていますが、全員が海外に派遣されたのか、疑問です。
800万人弱の内、終戦時、日本国内にいた兵力が分かればよいのですが、諸説があるようで、170万人から350万人と言われていますから、この数を引く必要があると思います。
170万人とすれば789万人から170万人を引いた619万人が、昭和20年8月時点で海外に派遣されていたことになります。
前記619万人(軍属を除く)中、軍人・軍属の戦没者は212万人ですから、生存者率は66%になりますね。
戦地では3人に1人は亡くなっていることになります。
しかし、この計算も乱暴ですね。
戦没者は15年間以上の数で、母数は終戦時の数ですから単純に割り算して平均してよいのか疑問です。
戦没者が15年間で212万人だと、平均年間14万人となり、平均すれば焦点がぼやけます。
KITAIKKI氏のご回答には、212万人には「日中戦争における陸軍・181,000名、海軍・7,700名も含みます。」とあります。
すると太平洋戦争5年間弱での戦没者は約186万人になり、実感に近いです。
作戦毎、部隊毎あるいは地域別にはかなり正確な数が出ていますが、この方が実感に近いです。
地域では最大の戦没者を出した昭和19年10月以降のフィリピン決戦では、参加兵力の総数は約59.2万名(厚生省発表)。うち、戦没者は約46.5万名。
レイテ戦だけでは
投入兵力84,006名、戦没者79,261名。
戦死率を計算する気にはなりませんね。
厚生労働省「海外戦没者数」
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/01/06.html
レイテ島の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4% …
この回答への補足
この欄をお借りして
皆さん回答ありがとうございました。
皆さんの回答を拝読させていただき、戦死率の高さもさることながらその絶対数の大きさに驚きました。
現在の自衛隊員が25万人であることや、当時の日本の人口が約8000万人であることを考えると、凡そ200万人というのは、やはり甚大な人的損失だったのだと思います。
そこに至ってもまだ「勝てる」と軍人が考えていたのだとすれば、なんともやりきれない気持ちになります。
ありがとうございました <(_ _)>
goo-par1732さん、回答ありがとうございます。
質問には「戦地に赴き」と記しましたが、曖昧なイメージで質問してしまったかもしれません。
いま考えてみると「赤紙が来た人のうち、何人が生き残ったのか?」というようなイメージでした。
昭和20年8月時点で619万人が海外に
『派遣されていた』
ということですが、これはその時点での戦闘員の数という意味でしょうか。もしそうだとすれば、この母数にはそれ以前に死んでしまった人々(たとえば昭和16年のマレー沖海戦で戦死した人)は含まれていないということになります。
KITAIKKIさんの回答では「7,889,100名が
『投入された』
とあり、こちらからは昭和16年12月8日から同20年8月15日までに徴兵された延べ人数というニュアンスが感じられます。
凡そ200万人が死亡ということですので、いずれの母数を採ったとしても1/4乃至1/3が亡くなられたわけですから、かなりの高率だと感じます。
配属先が国内(本土)か海外か。海外でも蘭印、仏印、太平洋諸島かそれとも中国大陸かで、相当な戦死率の違いがあったというお話には、教えられるところが大でした。
回答ありがとうございました <(_ _)>

No.2
- 回答日時:
#1 です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3399295.html
800万人弱が出征して、200万人余りが亡くなったことになります。
500数十万人が復員したことになります。
日清・日露から先の大戦まで、多くの犠牲があって、
今の平和を我々は享受しているのですね。
改めて平和の有り難みを痛感しています。
合掌。
good-lucky産、早速の回答ありがとうございます。
1/4も亡くなられたのですか。やっぱり無茶な戦争だったのですね。
もし勝っていたら今頃どんな国だったのか、と考えてしまいます。
ありがとうございました <(_ _)>

No.1
- 回答日時:
本や先人から、300万人?が戦死したと聞いている。
その当時の人口が1億人として、
1割の1000万人が出征したとしたら、
7割が生還したことになるでしょうか。
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