No.14ベストアンサー
- 回答日時:
右翼の言い分は飛躍しすぎではあるのですが、先の戦争において日本は完全破壊からは免れ、本土決戦もせずに終わりました。
それは何故でしょうか?日本がポツダム宣言を受諾したから戦争が終わった訳です。では、何故連合軍はポツダム宣言を発表したのでしょう。人道から?人道を訴えるなら原爆なんか使いませんよね。米軍が対日戦に行き詰まったからです。
何故行き詰まったのか?サイパン以降の対日戦の状況を見れば謎が解けます。
サイパンは空港から南部は完全に制圧しましたが、北部には日本軍の残存戦力が立て籠もり、何ともならない状態でした。生き残った下田氏曰く必死に降伏を促す放送をし続けていたそうです。
ペリリューでは、第1海兵師団は壊滅(日本軍は1個連隊だけでした)し、3日で攻略する予定が3ヶ月もかかりました。
硫黄島は2万5千人もの将兵が死傷(米軍の負傷は再起不能レベルです)、沖縄戦も8万もの将兵が死傷しました。日本陸軍と一戦交える毎に死傷者が増えるのです。沖縄戦に投入された前線部隊は6割の損害でした。生存者のほとんどがPTSDに罹ったそうです。
特攻で300隻以上の船舶が被弾しました。海軍の将兵は数万人がPTSDに陥っています。
本土空襲に投入された第20空軍は約1年の任務で400機以上のB29が失われています。第20空軍に配備されたB29は1200機です。1/3が破壊された訳です。(本土空襲の撃墜率で400/27000という数字がよく用いられますが、それは総フライト数であって保有機数から割り出された数字ではありません。戦争中に生産されたB29は2000機です。)
米軍の前線部隊はほぼ戦闘不能の状態にあり、本土決戦に踏み切る体力はほとんど無かったそうです。
勝ち戦(勝ち戦と言っても日本軍に奪われた旧支配地域はグアム以外は奪還できていない)とはいえ米軍がポツダム宣言という停戦提案を出さねばならぬ状態にあった訳です。
日本も戦争を継続するには無理がありましたし、講和の窓口と期待したソ連は宣戦布告した以上は四面楚歌です。ポツダム宣言を受諾するしか道がありませんでした。
兵器生産の為に増設したラインは4割失っただけであり、現段階で戦争を止めれば戦後の復興事業は可能でした。
尚、ミッドウェイやサイパン失陥の段階で戦争を止めれば…という論調は身勝手な論調です。連合国からすれば東南アジアの全て、グアムに中国主要地域を日本に占領されたまま講和に応じるは連合国の敗北以外何物でもありません。日本に奪われた地域の何一つ奪還していないのです。
ポツダム宣言受諾ですら英蘭中は失地回復しておらず、米国もグアムとフィリピンの主要部分を取り戻したに過ぎない状態です。
敗戦後、日本は半島との関係を断ち切れ、多額の賠償請求もされず、領土分割もありませんでした。これは何故か?本土を武力占領される前に停戦にこぎ着けたからです。これは戦死者が命を以て日本軍の怖さを連合軍に示したからです。生き残った人達は「俺の代わりに命を捧げてくれてありがとう」と感謝したのです。そして死んでいった方々の命の分、2倍も3倍も働いたのです。
戦争は軍隊が無くても起こります。我々に戦う意志が無くても起こります。
起きた戦争を止める方法は3つしかありません。占領するか!されるか!やる気をなくすか!です。先の戦争は敵がやる気を無くしたのです。それは戦死者のお陰です(自爆攻撃を繰り返されたら耐えられないでしょうね)。
最後に確かに人命と資源の消費はしましたが、戦争のお陰で武器や被服、食料を作る仕事にありつけたという事実も忘れないでください。敗戦と同時にそれらも無くなり日本人は路頭に迷ったのです…朝鮮戦争で半島の方々が戦ってくれたから戦後復興が成されたのです。現在、日本は救いがたい不況にありますが、隣国で戦争が始まってSソンの商品がストップしアクオスが馬鹿売れしたり、弾薬・衣類縫製の仕事が日本に舞い込んで好景気になった場合、あなたは戦争を批判しますか?私は少なくとも今日も隣国の戦争のお陰でご飯が食べられます!感謝!感謝!と日本食を堪能しますw
No.17
- 回答日時:
>開戦初期は分かりますが、後半戦は無駄な戦いを止められずに惨敗を無駄に続けたイメージしかありません。
国を消滅させないように頑張るなら、負けが見えた段階でもっと早く降伏しておけば、領土も人命も国体も、徹底的な破壊を免れたのではないでしょうか。後半戦の努力はあまり褒められたものではないと思います。降伏をしておけばといいますが、降伏を認められていないのに、どのように降伏をするのでしょうか?
45年の夏にポツダム宣言が出されるまで、日本が降伏すると叫ぼうが、受け入れる相手がいないのですから降伏のしようがありません。
あなたが無駄な努力という戦争後半の努力は、降伏するための努力です。
No.16
- 回答日時:
おかしくありません。
なぜなら彼ら戦死者は、「人」という最大の財産を守ったからです。
彼らが居たからこそ、生き残った人は戦後という時代を過ごせたのです。
平和で豊かな生活の礎となった戦死者、英霊たちに感謝をできない、または想像を働かせることができない人がいることは残念でなりません。
No.15
- 回答日時:
<参考>
20年近く前に、新聞か何かの本で読んだのですが、
学徒動員で戦場に行ったある帝大生が、
『日本は、おれたちが戦場で兵士として戦っている限り、負け戦と解っていても、アメリカとの戦争を止めない。そのうち、本土決戦が始まって、ドイツのように本土が戦場になって、家族の住んでいる土地で戦いが始まり、親族の子供や女性、老人の血が流れる。』
『だから、おれたち海外に居る兵士は、できるだけ早く戦死して、日本に戦力がない状態にしなければならない。』
といって、戦死したそうです。
頭の良すぎる学生の飛躍した論ですが、多くの戦没者の中には、そのような気持ちで戦って死んでいった若者もいるということです。
No.12
- 回答日時:
>戦死した人たちは何も生産せず、ただ人命・資源の消費と国土の破壊しか招かなかったと思うのですが・・・
戦争についての質問者の認識に従えば、 人命・資源の消費と国土の破壊を招いたのは現地で戦い亡くなった方々よりも、むしろ生き残った(戦後に処刑・自殺含む)人々ではないでしょうか?
その当時の世情・考えで日本がよくなると信じていた先人に対して、あまりにも思いやりのない考え方かと。
右翼の論調は論外として、戦死の有無にかかわらず、先人のおかげと感謝すればよいのでは?
No.11
- 回答日時:
>戦後に大艦隊とゼロ戦を思い浮かべて精神力をもらった人が沢山いたという資料はありますか?
戦後の政治家・企業人などの回想録をかなり読みましたが、そういう記述は見たことがありません
証拠がないから全否定するというのは、日本人の心の伝統を全否定するということです。こういったものは気恥ずかしいことで日本人はことさら書かないと思いますよ。日本人が戦後すぐ他国に伍して一流国家に帰り咲いたのは、やはりいい意味でのさむらいのプライドが国民全体にあったからでしょう。阿川弘之は旧海軍の当事者だったですが、彼のエッセーに地中海で出会った米海軍艦隊を見て「こんな艦隊二杯分わしらは太平洋に沈めてしまったんだが」といって口惜しがるところがありますが、外国で同様の感を持った日本人は多かったんじゃないでしょうか。
ゼロ戦を開発し、それを使いこなした英霊がもたらしたノウハウが戦後日本の工業技術国家の基礎になったことはその種の書籍には普通に書かれてありますよ。
No.10
- 回答日時:
>戦死した人たちは何も生産せず
維持しようとはしていましたね。
「早く負けを認めていれば~」とのことですが。我々は現在から過去を分析してそう言えるのでしょうが、当時は分からなかったことです。
つまり「負けたら最後」という考えがあったのではないでしょうか。奴隷植民地状態だったアジア諸外国を見て「ああ負けたらこうなるんだな。」と負けたくない(家族を国を守りたい)という想いがあり、ギリギリまで戦ったのではと思うのですが。
『マッカーサーが下りてきたところを見て、「ああ日本はこれからどうなるのだろう」と、悔しさと不安で涙が出てきた』などという声もあったことですし。
それと、戦争当時の世界事情はどうでしょうか。
白人はアジア人を見下し肌の色で差別し奴隷植民として見下していました。そこに強気の姿勢で戦っていったのが、日本です。他のアジア人は戦って勝てるわけがないと諦めモードでしたが、細かい問題点があるにしろ日本がその根性を叩き鍛え上げ、一緒に戦うこともありました。命令でなくともそういうことがありました。
その結果、植民地だったアジアは独立し、肌の色で差別しない世界になったと思います。「日本に感謝する。」という声も出てきました。それが今でも繋がっています。
「全く何も生産性がなかった」とは思えないと私は思いました。
>ただ人命・資源の消費と国土の破壊しか招かなかったと思うのですが・・・
それは日本兵だけ、英霊だけの問題でもないのでは。
知識が乏しいながらも色々考えを述べさせていただきましたが、違う観点で分析するならば、質問者さんのその考えも一理あるのかなと思います。
私は単純に「昔の人のおかげだから感謝しよう」と思います。英霊もその中の一人だったということでは。右翼の人達は、「英霊に感謝しよう。」と言っているだけで、何も「英霊だけに感謝しよう」というわけではないと思いますよ。
失敗も成功もあってこその今でしょうから。だから私は感謝します。
No.8
- 回答日時:
>今の平和で豊かな日本を作ったのは戦後の人たちで、感謝するのはむしろ戦死せずに生き残った人たちではないでしょうか?戦死した人たちは何も生産せず、ただ人命・資源の消費と国土の破壊しか招かなかったと思うのです
私は右翼の姿勢には疑問を持っていますが、こういう極端な戦前全否定の考えも国辱的ではないでしょうか。
戦後の廃墟から立ち上がった産業戦士と呼ばれたひとたちがどれほど戦前の日本の世界における地位と、世界に冠たる大日本帝国海軍の大艦隊とゼロ戦の勇姿、具体的には英霊たちを(ひそかに)誇らしく思い浮かべて勇気を貰い、ふたたび世界へ向かって経済戦争を仕掛けて闘い勝ち進む精神力を貰ったか、貴方には想像もつかないとおもいますがね。
、戦後の日本が必ずしもアメリカ主導の戦後教育にしたがったために発展してきたわけではないのは明らかです。
ご回答ありがとうございます。
>戦後の廃墟から立ち上がった産業戦士と呼ばれたひとたちがどれほど戦前の日本の世界における地位と、世界に冠たる大日本帝国海軍の大艦隊とゼロ戦の勇姿、具体的には英霊たちを(ひそかに)誇らしく思い浮かべて勇気を貰い、ふたたび世界へ向かって経済戦争を仕掛けて闘い勝ち進む精神力を貰ったか、貴方には想像もつかないとおもいますがね。
とありますが、戦後に大艦隊とゼロ戦を思い浮かべて精神力をもらった人が沢山いたという資料はありますか?
戦後の政治家・企業人などの回想録をかなり読みましたが、そういう記述は見たことがありません。
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