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日本がロシアに負けていたらどうなりましたか? 日本が勝ちましたが、運が良かったから勝てたのですか?戦力からすると危なかったのではないですか?

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A 回答 (9件)

結果論でどんな的確な判断も「運がよかった」と言えばそれまでです。



日露戦争ではロシアはヨーロッパ方面軍の増援を待つため終始防戦の姿勢で、日本が犠牲を払いながらも着実にそれを撃破していったという状態でした。

日本陸軍は日清戦争勝利から士気も高く司令部の混乱もなかったため厳しい激戦を押し切るように勝利していきました。対するロシア陸軍は防戦の引き際判断が内部で割れたりして足並みが揃わず日本に押し負けていきました。
日本海軍はロシア海軍に規模では劣っていたものの、総じて新規艦が多く足を引っ張る老朽艦がいなかったのが艦隊行動の機敏さを生みました。開戦直後、武勲を独り占めしようと旅順攻略で独走失敗した程度で済み、総じて的確に動いてました。

有名な日本海海戦ではバルト海から半年もの命がけ遠征で駆けつけたバルチック艦隊に対し、日本艦隊は制海権を確保後ずっと洋上射撃訓練をして待ち構えていました。さらに机上の空論と思われていた丁字戦法(隊列の側面を敵に向け先頭から順に総攻撃で撃破する戦法)に持ち込むことに成功し完全試合をやってのけてしまいました。
「負け続きだったけどこれで勝てる」と自信たっぷりだったロシアはその結果に阿鼻叫喚、散見されていた反戦運動がとうとう革命に発展してしまいました。

これが日露戦争の大まかな流れです。

戦力には2つの要素があります。ひとつは開戦時の単純な戦闘力、もうひとつはそれを維持する物量です。日本には軍をフル稼働させる物量は一年分かそこらしかありません。
日露戦争末期の段階で火の車でした。もしロシアが継戦、総力戦を挑んでいたら第2次大戦と同じ流れをたどっていたでしょう。
実際、日本軍はこの「戦争初期に十分な戦闘力を発揮し有利なうちに講和する」と言うのを必勝パターンとして思い込んでいきます。
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>日本がロシアに負けていたらどうなりましたか?



当時の日本が何故戦ったかと言うと、朝鮮半島が危うくなると日本本土が危険にさらされると言う状態だったからです。あれは、朝鮮の覇権を守る戦いではなく、本土決戦を避けるための戦いだったのです。

ロシアは南下政策で、日本本土も侵略する軍事的野心が明確でした。スターリンが北方領土だけでなく北海道も侵略するつもりだったのは周知の事実ですが、当時のロシアも同様で、可能であれば日本列島そのものをロシア領土にするつもりでした。

そしてもし負けていたら、もう日本は本土決戦を戦う戦力はありません。

それは日露戦争で満州だけにとどまり、日本軍が何故ロシア本土に攻め込んでこないのか、ロシア自体も不思議に思っていました。実は玉切れで攻める戦力がなかったからです。

日露戦争に負けた=戦争に対抗すすべがない状態なので、日本本土は無防備です。ロシアは馬鹿じゃないので、そのチャンスは逃しません。必ず日本本土も完全に侵略します。


その後どうなるかは、東欧の旧ソ連支配地域が、どうなったかを見れば予想に硬くありません。


日露戦争に負けたら、先進国日本は完全に絶たれ、東欧のような貧しい国に落ちぶれていたと考えるのが自然です。
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 英米を後ろ盾に戦った日本がロシアに敗北したら、


恐らくは戦いを英米が引き継いだのではないですか?

 この戦いで一応日本が勝ったとされていますが、物量的には
日本の方が底をつき欧米諸国から借金し物資を調達しながらの
戦いでした。ポーツマス講和会議ではロシアがどうしても敗北
を認めず、もう一度戦いを継続するかと脅しをかけられて日本
は何も言い返せなかったそうです。両国とも国内の事情で戦争
継続が厳しく、無理を通せば英米が日露両国を攻めるか武力で
停戦をさせた可能性が大でした。
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>日本がロシアに負けていたらどうなりましたか?



満洲、朝鮮は確実にロシアの物になっていたでしょう。
日本は、五島、対馬、樺太、千島を、とられていたでしょう。
現在の、北朝鮮、韓国、中国は、成立していないと断言できる。

>運が良かったから~

日英同盟で大きな成果をもたらしたが、運が良かったでしょう。
・第2師団の師団規模の夜襲の成功。
・ウラジオ艦隊の偶然の遭遇、撃滅。
・旅順の予想外に早かった攻略。
(操典に無い要塞戦の外文を素早く翻訳、実行した工兵の成果)
(砲不足でしょうがなし余っていた28サンチ砲を送った事が、その音の大きさで、ロシア兵の士気を削いだ事)
・そして旅順艦隊の撃滅。
(旅順艦隊の撃沈は、28サンチ砲の成果と言われているが、現実は、203高地陥落により戦いを諦めての降伏で、艦隊の自沈)
・奉天大会戦の辛うじての膠着に持ち込めた事
(秋山騎兵第1旅団の活躍)
(後備兵の期待以上の戦力)
・日本海開戦の勝利。
(第1段、2段を諦めて戦いに挑んだが、Tの字戦法とは偶然の産物で、命令伝達のミスで対行線となり、訓練の成果の命中弾を多く送り込めた。その代わりトウハツも多かった)

>戦力からすると~
もう、日本の陸軍は限界。
第13、14師団は、辛うじて現役兵で編成できたが、第15、16師団は、予備、後備兵しか集められなかった。
海軍戦備は、敵は居なくなり余裕があり、戦艦の副砲の戦線への上陸の案もあったが、停戦で立ち消えになった。
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>日本がロシアに負けていたらどうなりましたか?



先ず、日清戦争の結果「独立国となった朝鮮国」がロシアの保護国になったでしようね。
※下関条約第1条。「清国は、朝鮮の独立を承認」する。
清国の属国状態を望んだ朝鮮国王は、清国敗北の後に「ロシアに保護」を求めましたよね。
朝鮮国王が望んだ通り、(清国に代わって)ロシアの保護国になったでしよう。
日本は、莫大な賠償金を要求されて経済は崩壊し強烈なインフレで苦しんだでしよう。
もしかすると、21世紀の現在でも清国・ロシア帝国が存続していたかも?
※現在では、皇帝から共産党・皇帝から統一ロシアに独裁が代わっただけです。

>運が良かったから勝てたのですか?

運よりも、日英同盟の結果でしよう。
世界の海を支配していたのは、大英帝国ですよね。
日が沈まない帝国も、大英帝国です。
ロシアのバルチック艦隊は、アフリカ・アジアでの補給路を絶たれました。
ですから、母港から日本到着までの燃料・食料を余分に積んで航行する必要があったのです。
※燃料・食料を余分に積むので、通常よりも弾薬が少なかった?との説もあります。
出航すれば寄航地が無いので、乗組員の(上陸しての)休養も出来ません。
会戦時には、乗組員の戦意もあまり高くなかったでしよう。

>戦力からすると危なかったのではないですか?

アフリカ・アジアでバルチック艦隊寄港地があれば、危なかったですよね。
突撃将軍と異名を持つ乃木希輔の「人海戦術」も、実質的には敗北です。
バルチック艦隊が出航時点の戦力で到着すれば、負けていたかも知れません。
道後温泉に行った時、秋元兄弟生誕地に行ってきました。
http://www.akiyama-kyodai.gr.jp/
戦争を美化する事は出来ませんが、明治時代の勢いを垣間見る事が出来ます。
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まともな日本、それなりの日本になっていたでしょう。

朝鮮・満州なんなてどうでもいいことです。

日中戦争・太平洋戦争(大東亜戦争?)は無かったでしょう。
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agekoba さん、こんばんわ。


日本がロシアに負けていたらどうなりましたか?

そうですね。日英同盟がなければ、戦争にはならなかったでしょう。朝鮮はロシアの植民地になり、シベリア鉄道はウラジオストックまで通じるようになります。日本は戦費に膨大な外債があり、戦時の損害から、二度とロシアと戦争ができなくなるでしょう。そして、次の植民地に日本がなるでしょう。
本が勝ちましたが、運が良かったから勝てたのですか?戦力からすると危なかったのではないですか?

陸軍は開戦当初を除き、戦力的にはロシアのほうがずっと上でした。しかし、上級の司令官クラスの資質の問題でどうにか勝利にこぎつけたのです。
海軍は旅順陥落したので、そのあと艦隊の整備や訓練を十分行っていましたので、長躯して疲れ、整備もしていないバルチック艦隊に勝利することができました。
詳細は下記のURLを参照ください。
日英同盟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1% …

日露戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2% …

旅順
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86% …

奉天会戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%A4%A9% …

日本海海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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>>◇日露戦争に日本が負けていたらどうなりましたか?



朝鮮半島はロシアの支配・統治下になり、悲惨な結果になったはずです。
朝鮮人は奴隷同様の扱いをされ、日本の支配・統治下とは全く異なっていたでしょうね。
朝鮮人は、運が良かったのです。
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満州、朝鮮はロシアのものになっていたでしょうね。


日露戦争は消耗戦でした。勝ったのは本当に運が良かったからだと思います。
 もしも負けていれば、太平洋戦争もなかったでしょうし、今の韓国、中国もなかったでしょう。
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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qもしハルノートを受諾し、大日本帝国が続いていたら?

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのままで今日この21世紀のIT社会に至ったらどうなったことでしょう?

若者が茶髪でスマホに熱中し前を見ずに道歩き、少女がローライズでパンツ半分見せながら道歩いて、それでも大日本帝国存続中だとしたら。

いったいどんな日本社会になっていることでしょうね?

テクノロジーは今の現実そのままの社会で、国体は大日本帝国。

つまり往時(1941時点で)、あと数年を待たずして、台頭する巨大な軍事大国ソ連、蒋介石を追い出し中国の覇権を握った中国共産党。米国はこれらと対峙するために、日本を利用せざるを得なくなるのです。良い悪いはこのさい別として。

尚、連合国による対独・対伊 の戦争はあり、歴史通り連合国の勝利に終わったとします。日本だけがそのまま。


今どんな日本社会になってますか?あくまで IF です。

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのまま...続きを読む

Aベストアンサー

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本でも。

勿論、戦中の相手であったアメリカと比べては凄く物足りなかったような気がしますが、戦前日本の産業基盤がそんなに貧弱な訳じゃありませんでしたよ。

もしかして此れが「確固とした産業を持たない」とされている戦前日本の姿(?)でしょうか。
これは戦中の敵国であった日本を出来るだけ嘲笑する為に日本を今の朝鮮、中共みたいにポンコツしか作れない産業未開国のように酷く描写している連合国側のプロパガンダアニメです。

第二次世界大戦中のポパイのアニメ(反大日本帝国)
jp.youtube.com/watch?v=NzRgvt_0Trg

Tokyo Jokyo
jp.youtube.com/watch?v=QGbQjyrHjF8

しかし実際はどうだったんですか。
ご存知の通り戦中には歴史上最大の戦艦である大和級戦艦を、しかも3隻も建造したのですよ。(大和、武蔵、信濃。ただし、信濃は途中で空母改装)

それ以前に有色人種が白人国家の技術力に頼らずに独自設計で独自に建造した世界最初の近代艦船の「薩摩」もあったし、戦後連合軍側は鹵獲した旧日本軍の航空機に適用された技術力を高く評価しました。

(軍事兵器しか評価しなかったような気がしますが、そもそも軍事技術というものはその国の工業技術力の尺度を表すのですからね。)

既に戦前からそれなりの技術力と工業力を持っていた日本を 確固とした産業を持たないと評価するには無理があると思います。

>>… 国内での国民の不平不満はかなりの高さで暴動や革命思想へと容易に誘導される不安定な不穏な状態が続くでしょう。

>>ちょうど南米の共産主義国家が歩んだ道筋に似た感じになるのではないかと想像されますが、日本はアメリカから遠いので、より共産主義国家の影響力が高くなる可能性は強く、共産主義革命が成功してしまう可能性もありえます。

戦争を回避した帝国より、寧ろ実際の戦後のドサクサの中の暫くの間に未だ自衛隊も編成出来ずになんの軍事力も無かった時、そして60~70年代の高度成長期に団塊世代の青年(今はジジババですけどね…)どもが火炎瓶と石投げたり竹槍振るったりする暴力的な共産主義闘争を繰り広げた時代のほうがもっと共産主義革命が成功しやすかった環境だと思いませんか。
スパイを丸腰に容認してしまってた実際の戦後の方がもっとやばかったんじゃないですかね。

そして南米の国家は、土着文明を破壊して占領してきたスペイン、ポルトガルの植民地だった地域が独立したばかり、国家としての基盤が非常に軟弱な地域でした。
当然、この隙が共産主義勢力を安易に許してしまう結果となり、これが直ぐに南米社会主義政権の誕生に直結したのです。

それに対して日本は王家が途中で断絶するなどインディオ民族としてのアイデンティティを相当失ってしまった南米地域とは違い、長い時皇室を断切なく継続的に維持しながら昔から地道にソフト、ハード的なものを積み上げる等、長い時にかけて大和民族とその国家としての基盤とアイデンティティを確立することが出来ました。

国家としての基盤とアイデンティティの丈夫さがガン並みに違うのに、南米と同じく呆気なく共産化する、というのは無いじゃないんですか。

物理的にソ連からの距離は日本が南米より近いからソ連からの風当たりそのものは南米へのより遥かに強いかもしれません。
しかし、民族としてのアイデンティティと国家としての基盤が既に確立した日本がそんなに共産主義の波に安易に巻き込まれるはずがないんでしょう。

更に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」中華秩序からの離脱を告げるこの文章が書かれた以来、日本は決して中華勢力の侵入を許した事が無かったんです。依然として中国からの文物は受け続けながらですね。
中華大陸とシルクロードを全て制覇して更には東ヨーロッパにまで飲み込もうとしたモンゴル帝国の侵略も食い止めたんじゃないんですか。

大陸からの侵略にずっと立ち向かってた歴史、経験があるから日本が又大陸勢力であるソ連の侵略を簡単に許す訳にはいかないと思います。

(実際にはハルノートを日本が拒否したのも、ある意味ではそれまで大陸からの侵略に屈服してなかった伝統の続きでないのか、と私はそう思っています。ただ、その時は日本としては始めての海洋勢力からの脅威で、その始めての海洋勢力との全面衝突には負けて今に至る…んじゃないんですかね。)

>> この惨状の日本をソ連が黙ってみているとは思えず、何らかの形で冷戦時代初期に良くあったように、武装革命を影で援助し、武器を供給したりされる可能性は高いと思えます。

しかし実際の戦後日本でもないのに、此れをただ見ているわけでもないですね。日本の方もソ連のやり方を黙ってみているだけじゃ居られませんよ。

こんな共産主義勢力が余計な真似をしないようにした法律がありました。「治安維持法」。
勿論、この法律が真っ当な国民まで些細な理由で無闇に捕まってしまうなど、立憲主義に違背し国民の権利を一部侵害した負の側面もありましたが、
共産主義勢力、無政府主義勢力等の国家の治安に害悪を及ぼす諸勢力が帝国内外部からの混乱を煽るのを食い止める事には相当に役が立ちました。

そもそも帝国がずっと存続していたならこの治安維持法を国民の権利を侵害しない、ながらももっと有効に国家の安全を脅かす勢力を食い止めれる方向へ何回も改正されてる筈でしたね。

(もしかして、実際今の日本に一番必要なのはこの治安維持法かも知れません。ただ、前述のように立憲主義に違背されるように要素は改正する必要はあるんですけど…)

今更やっと日本版NSCだね、特定秘密保護法だ、スパイ防止法だ、と急いで対内外諜報対策が用意されてるのが救いなんだけど、とにかく戦後日本が敵性国家のスパイを丸腰で許して来たたのはご存知の通りですね。
しかし、戦後GHQによって旧帝国の各機関が解体される前は日本にも一応諜報機関が存在して、その能力はかなり優秀だったと要られます。

もしソ連が密かに武器を配るなど日本内部から革命を煽ろうとしても、それが日本側の諜報機関によって食い止められるのは間違いないでしょう。



…取り敢えずハルノートを受け入れるのはとにかくアメリカをはじめとする連合国側の下に入るというのだから、この点では史実の敗戦後の日本がアメリカの同盟国になったのとあんまり差が無いと思います。
大陸共産勢力の中蘇からの脅威に対応するために日米が連合するのは…

多分、こうなったら南米のようになるのではなく、他ならぬ実際の今の日本と似ている情勢になったんじゃないのかと思います。
はい、今の「第二次安倍政権の日本」みたいにですよ。
今年2013年度の安倍政権は憲法9条を解釈改憲して集団的自衛権を容認しようとしたり、日本版NSC,秘密保護法などの安保対策を用意する等、アメリカとの連帯を強めて中共からの脅威を含む様々な安全保障的なリスクに対応しようとしていましたね。

ハルノートを受け入れた大日本帝国はデブ将軍が率いる独裁国家北鮮でも、社会主義革命が成功してしまった南米のようにでもなるわけは無いです。
多分今の安倍率いる自民党政権が目指す国家の姿に似ているではないかと思います。(安倍晋三が敢えて始めてからハルノートを受け入れて戦争を回避した帝国を想像してあんな政策を推進するわけではないですけどね。)

ただ、旧帝国なら朝日、毎日新聞はあるけど9条も日教組も共産党もないから一部偏向報道するマスコミは処分して立憲主義、国民の権利を侵害し得る憲法、法律の「穴」を適切に改正してアメリカとの関係を改善しただけで良いでしょう。

又の長文、駄文申し訳ございません。

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本で...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか

第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか
もし日本がミッドウェーで勝利しアメリカ空母艦隊が崩壊したうちに
ハワイ・パナマを占領しアメリカ西海岸を爆撃、細菌兵器をアメリカ本土にばら撒き、
結果アメリカ国民の世論を反戦に動かし、日本が有利な形で講和できなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。

昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。

帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。

長々と書いてまいりましたが、
(1)日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか?

(2)ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか?

(3)北方(ソ連)を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か?

等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。


西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。

細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦(ふ号作戦)で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。

長文失礼しました。

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送...続きを読む

Qドイツがソ連に参戦しなければ戦争に勝っていましたか?

第二次世界大戦でドイツ軍が敗北したのは、ソ連に参戦をしかけ戦域を広げたためだと思います。
もしそれがなければ戦争に勝利する確率はどれくらいありましたか?
あるいはアメリカが参戦した時点で勝てる見込みがなくなっていましたか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構えが必要でした。

スペインから、ジブラルタルを攻撃し、占領。
その後モロッコに軍を派遣し、モロッコの防備を固めます。
一方、リビアのアフリカ軍団を増強し、スエズ運河占領。
さらに、インド洋にUボートを派遣して、通商破壊を行えば、イギリスの占領はできなくても、ほとんどイギリスの無力化ができます。

多分、ジブラルタルかスエズが占領された時点で、チャーチルは、辞任に追い込まれるでしょう。
この時点で、アメリカが参戦していなければ、イギリスとの講和が可能です。

ただ、実際の赤軍は、この時ほとんどスターリンにより無能化されていましたが、この作戦中、ソ連軍がドイツに攻め込む可能性が予想された場合、ドイツがこの作戦を行う事には、危険がともなったでしょう。

ドイツが勝つか負けるかは、スペインを同盟に引き込めるかどうかにかかっていたと思います。
スペインで、足を取られたら、ソ連に漬け込まれる可能性が有りました。

そもそもナチスドイツの目的は、ソ連を倒し、東方に勢力圏を広げる事でした。
フランスとの戦いは、ソ連と戦っている時に、後ろから攻撃されないようにする事が目的でした。

(ベルサイユ条約への反感も有りましたが。)

そのため、ドイツとソ連が戦わないという事は、想定しにくいのですが、ヒトラーが、ソ連との戦いを延期し、イギリスを無力化る事を、最優先に考えたのなら、勝つ事は、可能だったと思います。

そのためには、スペインを何としても同盟に引き込み、最悪スベインに攻め込む位の気構え...続きを読む

Qもし昭和日本軍が諸外国の要求を呑み中国を放棄していたら?

22歳の学生です。時期が時期なのでいろいろ考え、みなさまの考えを聞いてみたくなりました。

太平洋戦争はもともと勝つ見込みの低い戦争であったとはよく言われます。
ただ諸外国からのアジア大陸からの撤兵の要請および、
その拒否によっておこった資源の禁輸から開戦やむなしであったともよく言われます。
また資源が残り少ない以上無駄な待機は無駄に血を流し続けるも同然で
戦端をひらくならば早い方が良かったともよく言われると思います。
実際アメリカ軍との戦闘にくわえて、資源をもとめて東南アジアを探検するという
二重の戦いは確かにどう見ても心許なく、
また帝国海軍および近衛首相も米英開戦には基本反対であったようです。

そもそも中国における満州事変およびそれによる日本の国際連盟脱退あたりから
太平洋戦争勃発の「臭い」をかぎとることができますが、
もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。
中国利権を手放すことは日本にとって必死(必ず死に至る)だったのでしょうか?

すでにざっと調べた限り以下のような意見が多く見受けられます。
1、日本はアメリカの植民地になっていたのではないか
2、日本が戦わなかったらアジアの白人支配は終わらなかった
3、日本が赤化した

2はなんとなくわかりますが、1,3はありえないような気もしています、が
もちろん自分は確固たる考えはいまだ持てずまたいろんな人の意見が聞いてみたいと思っています。
みなさまの考える if をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

願わくばその考えに行き着いた思考のプロセスを詳細に
教えていただけると助かります。

22歳の学生です。時期が時期なのでいろいろ考え、みなさまの考えを聞いてみたくなりました。

太平洋戦争はもともと勝つ見込みの低い戦争であったとはよく言われます。
ただ諸外国からのアジア大陸からの撤兵の要請および、
その拒否によっておこった資源の禁輸から開戦やむなしであったともよく言われます。
また資源が残り少ない以上無駄な待機は無駄に血を流し続けるも同然で
戦端をひらくならば早い方が良かったともよく言われると思います。
実際アメリカ軍との戦闘にくわえて、資源をもとめて東南...続きを読む

Aベストアンサー

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての新たな市場を確保することで、経済を立て直そうとしました。

当時の世界情勢もあるので、この方針が全くの間違いというつもりもありません。ただ、本来国内で解決すべき問題を全て国外に押しつけてしまい、肥大した軍隊と、完全に戦争に目が行ってしまった国民を政治がコントロール不可能になったしまったところに悲劇があったと思います。つまり、アメリカ始め諸外国の外圧で仕方なしに始めた戦争というよりは、自国の問題を政治家が責任回避し続けたために、対米戦争まで行きついてしまったというのが真相だと考えます。

>もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。

という質問ですが、もちろん時の政府は国民から反発を喰らい、政権を失っていたでしょう。さらに、加速する不景気と用済みになった軍人の処遇を巡って国内はかなり混乱したに違いありません。

それでも、数年の混乱を乗り切れば、ヨーロッパの第二次世界大戦の特需により日本経済は持ち直し、ドイツの敗勢が濃くなった後は、むしろソ連への牽制のために英米の支持を取りつけながらシベリアへの出兵もあったでしょう。こうなれば、満州についても、英米にとってはソ連の脅威からの防波堤の意味で、むしろ日本の権益を積極的に認めていた可能性が高いのではないでしょうか。

日本が撤退することで再発する中国国内の内戦も、ひょっとしたら国民党を助ける名目で英米の支持のもと堂々と再出兵していたかもしれません。

実際の歴史では、日本が経済大国化した後は、アメリカが冷戦を乗り切るために西側にイギリス、東側に日本という前線基地を確保して、共産主義を抑え込もうとしました。

日本が中国から仮に撤退していたとしても、この流れだったと思います。日米はむしろ共産主義の浸透を防ぐという旗印のもとに接近し、超大国アメリカの支援を受けながら東アジアの地域覇権国としてそれなりに恵まれた歴史を迎えることになっていたような気がします。

ただし、これによって日本社会の変革は、GHQの改革ほど進まなかったでしょうし、中国共産党が史実通り中国を支配すれば、日中そして日ソの対立は史実の比ではないので、国防費がうんとかさむ「軍国・日本」のままだったかもしれませんが。

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Qもし日本が太平洋戦争をしていなかったら・・

満州を放棄し、中国へ侵攻している全ての軍隊を引き上げて、
日米戦争を回避していたら、今頃(現代)の日本やその周辺国はどうなっていましたか?

例えば、
・今頃、韓国、北朝鮮、台湾やグアム、サイパン、パラオなどはパスポートのいらない日本国内旅行ですか?
・フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドやマレーシアはイギリス領、ベトナムはフランス領のままですか?
・今のような、日本は経済大国になっていないのでしょうか?

考えてみたら、戦前の日本のほうが領土的に広いので、戦争していなかったら今とどう違っていたんだろうと、ふと疑問に思いました。

Aベストアンサー

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、という意識が極めて強かったのです(戦後で言えば「憲法9条を絶対に守れ」と似たようなものです)。
この結果、中国大陸での武力行使は国民の強い支持を得る事となり、必然的に中国市場を巡る日本と米国との対立を深める事になってしまいました。
しかし逆に考えれば、大戦後に中国が共産化してしまえばもはや、中国における利権対立も無くなるわけで、日米の対立要因も失われるでしょう。
そうなると戦後の日本はかつての韓国やインドネシアのように軍部が強い影響を持ちつつも、開発独裁体制の元で経済成長を遂げ、その後の民主化の発展に伴い軍部の影響力も次第に減少していくものと考えた方がよいかも知れません。

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、と...続きを読む


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