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戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。


確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
「まったく戦争の影響はなかった」という証言を聞けてよかたです。
広島や長崎、東京大空襲、沖縄線などに比べたら、被害と呼べないような体験しかしていないのに、大げさに戦争体験を語る人を見ると頭にきます。

お礼日時:2010/08/15 23:13

他の人の回答を読んで僕も回答させていただきます。

戦時中僕の祖母も山形で暮らしていて都会からの疎開の子供たちを受け入れていた地域に住んでいたらしいです。疎開を受け入れていたくらいなので食事には、そこまで困っていなかったらしいです。空襲などの攻撃も兵隊の駐屯地を攻撃を受けたくらいで日常的な空襲などもなかったらしいです。ただ祖母の兄などは、兵隊にとられ男手が足りず大変だったらしいです。やはり山形は、盆地で大きい軍事基地もなかったので宮城県など港町ほどの攻撃は、受けずに済んだらしいです。あまり詳しくない情報ですいません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
東北地方はB-29がサイパンから往復するにはギリギリの距離だったので、空襲の被害は比較的少なかったようです。
そもそも米軍は日本国民にアメリカの強さを見せ付け、戦意を喪失させるために住宅地への爆撃を行っていましたから、人口の少ない地域へ爆撃を行っても意味がないんですよね。

米軍の「戦略」という観点から考えれば、日本人を皆殺しにし、全ての家を焼き尽くす必要はないわけです。
戦後の統治のことも考えれば、日本人を「生かさず殺さず」の状態にしておく必要があります。
戦後の統治を考えれば、米軍が日本人に対してやり過ぎるのは逆効果です。

戦争体験談や戦争ドラマに感化された人は、日本人は全員戦争で地獄を見たと思っていますが、米軍の「戦略」という観点から考えれば、日本人をそこまで追い詰めたとは思えません。

たしかに「戦争で苦労した」と言った方が聞こえはよいでしょう。しかし、戦後65年たった今こそ、戦争体験者は勇気を持って、「実は平気でした」とカミングアウトするべきです。

補足日時:2010/08/23 22:09
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この回答へのお礼

すみません補足欄にお礼を書いてしまいました。
重ねてご回答にお礼申し上げます。

お礼日時:2010/08/23 22:10

私は少ししか答えられませんが・・・。



私の祖母の兄は、陸軍の士官学校かどこかに行っていて、インパールで死んだそうです。
ですが、招集されたとか言うわけではなく、職業軍人だったので、仕方がありません。

祖母は当時、満州のほうにいたそうです。
そこで特に厳しかっただとか、生活に困窮していたという話は聞いたことがありません。
むしろ、それなりに庶民としていい暮らしをしていたようです。
現地の人に何回か買い物でぼったくられたくらいの話は聞きましたが、その程度です。
日本に帰ってきた後も、地方のど田舎でしたし、そこの村長さんをやっていた時期もあるそうで、他の人と比べ、あまり辛い経験はなかったようです。


確かに、戦争で国民全体が不幸になったみたいな書かれ方をされていますが、限りなく日常に近い生活をされていた方ってけっこういそうですよね・・・。
はじめてその可能性について考えました。
都会はともかく、田舎だとそんな人が多いんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
満州に住んでた方は、残留孤児やシベリア抑留など、苦労されたイメージがありますが、実際には普通の生活をしていた方も多かったのでしょうね。

今まで普段通りの生活をしていた方の体験談があまり公にならなかったのが不思議です。
亡くなった方の手前、「自分たちは平気でした」とはなかなか声に出して言えなかったのでしょうね。

太平洋戦争以外では、「ホロコーストは無かった」「南京大虐殺はでっちあげ」というような、被害者の主張を否定するような意見も多数見受けられます。
しかし、太平洋戦争に関しては、被害者の主張が全面的に受け入れられ、それを否定する意見は皆無です。戦後65年間、戦争被害を疑う意見が出なかったのはむしろ不思議です。

戦前生まれの方がご健在な今のうちに、普段通りの生活をしていた方の体験談をもっと聞かせてもらいたいです。戦争の真実を後世に伝えるためにも。

お礼日時:2010/08/22 00:42

こんにちは



時節柄 先日 父(S8生、当時 山形県在住)と、戦時中の話をしていたの
ですが・・・。
太平洋戦争の期間全般を通じて、生活にはそんな変化は無かった、と
言っていました。

「戦時国債買え、とか、ナベ、カマを供出しろ、とか無かったの?」
と聞いたら
「まだ小学生だったから詳しいことは知らないが、ナベやカマはずっと
あったと思う。もっともウチ(実家)ど貧乏だったから、供出するもの
なんか無い、ってバァさん(祖母)が言ってた(苦笑」
だそうです。

朝起きて、握り飯持って学校行って、帰ってきたら、畑や田んぼの仕事
手伝って、メシ食って寝て
ほぼ毎日その繰り返しの日々で、いつのまにか戦争が終わっていたそう
です。

当時、実家には 農耕に使役していた牛や馬がいたそうなのですが
「食料不足で、そいつら(牛や馬)を食用に処分しなかったの?」と
聞いてみると
「そんな事したら、米や作物がとれなくなるよ」「そんな(家畜を殺し
た、なんて)家は周りにも無かったと思うよ」
とも言ってました。

戦時中で覚えているのは
・戦争が始まった時は、なんだか周りでワーワー騒いでいた
・「出てこいニミッツ、マッカーサー」という唄(?)が一時流行り、友達
同士でよく口ずさんでいた
・軍服のようなもの(国民服?)着ている大人はいたが、軍人は見たこと
無い。
・近所で出征する人がいたので、集落のほぼ全員でバンザイで見送った。
自分(父)が見たのは、その一度きり。
・防空壕は(場所はもう覚えていないが)あって、避難訓練のような事は
やった記憶がある。回数は覚えていない。
・一度だけ遠くの空に銀色のでかい飛行機(B-29かもしれない)を見た
が、こちらには近づいて来ることも無く、そのうち見えなくなった
・終戦は学校の先生から聞かされた。「あぁ終わったんだ、負けたんだ」
くらいしか思いつかなかった
だ、そうです。

その後地元の中学を出て、すぐ東京に(親戚を頼って)やってきたのですが
「その後のほうが、大変だったよ、まだ空き地(空襲の被害で)ばかりで
ほとんど何も無かったんだから」と、むしろ戦後の話のほうが"長い長い"
(^^ゞ

以前 母(S4生、三重県在住)から聞いた話
・開戦直後はなんとも無かったが、だんだんと物資(配給)が少なくなって
いった
・1年くらい軍需工場に動員されて働いていた、辛かった。
・隣町に米軍機(小型の艦載機?)がいきなりやってきて、機銃掃射を受け
て、浜辺にいた知り合いが大ケガした
・終戦の日はみんな悲しくて、ずっと泣いていた

と、同じ時代を生きながら、(東北と近畿という)地域が違うだけで、こう
も体験が異なり、その結果か戦争に対する思いも違うんだなぁと、しみじみ
思いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「太平洋戦争の期間全般を通じて、生活にはそんな変化は無かった」という証言を聞けて嬉しいです。

戦争を知るとは、このような証言を含めた真実を知ることであって、悲惨な体験だけを知ることではないはずです。
ここで回答している人の中にもいますが、悲惨な体験だけを聞かされてきた来た人は、「普段通りの生活をしていた人は1人もいない、1億の国民全員が死ぬような思いをして来た」と思い込んでいます。

もし日本が鎖国をしているのなら、戦争に対してどのような認識を持つのも勝手ですが、グローバル化された現代では、かつて日本と戦った国や、日本が占領した国の人たちと語り合う機会も多くなると思います。
そのような時に、日本人が知っている戦争が、「悲惨な戦争体験」だけだったら、他国から反感を買うだけです。
例えばアメリカ人に「悲惨な戦争体験」を話しても、「リメンバー・パールハーバー!」と言われて聞く耳を持ってくれません。
中国人や韓国人に話しても、「自分たちの方が日本人にもっとひどいことをされた」と言い返されます。

そもそも戦争は真珠湾攻撃でいきなり始まったわけではなく、発端は日露戦争で日本が関東州の租借権を手に入れたことから始まります。
しかし、ほとんどの日本人は、戦争がなぜ起きたのかを説明できないでしょう。
戦争を2度と起こさないようにするためには、戦争がなぜ起きたのかを知る必要があります。
「悲惨な戦争体験」を聞かされれば、「戦争は嫌だ」と誰しも思うでしょう。しかし、戦争がなぜ起きるのかを知らなければ、戦争の予兆が掴めず、気が付いたらまた戦争が始まっていた、ということになりかねません。

例えば国会議員の中には北朝鮮のミサイル基地を攻撃しようという意見があります。
「悲惨な戦争体験」しか知らない人が、この話を聞いても、それが戦争の予兆だとは気付かないでしょう。
仮に日本が北朝鮮のミサイル基地を攻撃したら、北朝鮮は日本に宣戦布告するし、北朝鮮の同盟国である中国も当然黙ってはいないでしょう。

戦争を目論んでいる人は、国民に「戦争をしますが賛成ですか?反対ですか?」なんて聞くことはありません。つまり、「悲惨な戦争体験」しか知らなければ、戦争を阻止することはできないのです。

他の方からの体験談も引き続きお待ちしております。

お礼日時:2010/08/17 23:50

聞いた話で悪いんだけど



主人が医者で結構裕福だった。
その娘は裁縫教師をしつつ近所の仕立て依頼を受けていた。
診察や仕立ての謝礼は基本現金なんだけど
野菜や魚で支払う人もいた。まあ、のんきな感じで認めてた。
敵機はくるけど攻撃はあまりしてこない。
市街地まで足をのばせば戦争を煽る文言が多く見られたが
家の周りは何ともない穏やかな雰囲気だった。




原爆が落とされるまでは。

市街地から非難してくる被災者を診察するのでてんてこ舞いだったそう。
娘ってのが僕の祖母。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
裁縫教師というのは今で言えば「おけいこの先生」と言った感じでしょうか。
戦時中であっても実際にはおけいこをする余裕があったんですね。

お礼日時:2010/08/16 23:06

No.7です。


補足について教えていただきたい事があります。
>戦争末期に赤紙1枚で召集された人たちは、全員無事に帰って来ました。
戦争末期とは具体的にいつからの事ですか?
またこのように主張されるにはどこかで調べられていると思います。公表可能でしたら情報源をお知らせ下さい。
回答は強制できませんので、無理にとは申しません。

この回答への補足

あなたへの補足で「根こそぎ動員で招集された人たち」と書いてあるんだからご自分でお調べ下さい。

補足日時:2010/08/16 20:51
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誤解があったようですが、東京大空襲の詳細は父親から聞いてます。


また、戦時中の生活の様子も細かく聞いてます。
想像で平穏な生活を送ってたと信じてる質問者より戦時中の様子は現在も同居してる母親から聞いてます。
実際の体験者は話したくないより思い出したくないと理解してます。
それほど悲惨な体験なのです。
近所のオバチャンは満州からの引き揚げ者で戦時中の満州の様子や旦那がシベリアに抑留された事や引き揚げ時の様子も聞いてます。
残留孤児が何故発生したかは引き揚げ時の様子を聞いて理解してます。
戦時中の様子を詳しく聞いてるから平穏な人達なんて日本中にいなかったと断言して言えるのです。

この回答への補足

あなたもしつこいですね。
私の祖父は平穏な生活を送っていましたよ?他にも平穏な生活を送っていたという人はたくさん知っています。
私の周りにはたくさんいるのに、あなたに勝手にいないと断言してもらっては困りますね。
ちなみに私の質問は「いるかいないか」を聞いているのではありません。
あなたがそのような体験談を知らないのなら、ここで回答する資格はありません。

補足日時:2010/08/16 20:27
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補足で終わりにしようと思ったのですが気になったので、再補足させて下さい。



私が言うのは昭和10年生まれの少年の太平洋戦争中の日本の首都東京の郊外での生活です。

開戦から敗戦の日まで爆撃や銃撃が身の回りで四六時中行われていた訳ではありません。

そのくらいの事はお分かりでしょう。

たとえ爆弾が沢山投下されても直撃されるのは運の悪い人です。先にも申し上げたように木造の住宅に

1トン爆弾が直撃してもその一家がどこかへ吹き飛ぶだけで隣近所は大きな被害は出ませんでした。

それも私の住んでいる町で4年間に数件あっただけです。だからそれ以外の1400日は普段通りの生活でし

た、と言えるのでしょうか。東京市の中でも本所・深川のように一晩で10万人がナパーム性焼夷弾の空

襲で焼き殺された地区もあります。でも焼かれる前は何回かの爆撃があっただけのようです。

それを「普段通りの生活」と言うのでしょうか。

1400日以上の衣食住を始めとした日常生活の全てを見る必要があると思います。

後は申しません。

勉強したい人は勉強して下さい。まだ生き残りは大勢居ます。 

この回答への補足

あなたもしつこいですね。
あなたが自分は戦時中は普段通りの生活を送っていなかったと言うのなら、あなたにはここで回答する資格はありませんよ。
私が聞いているのは「普段通りの生活を送っていた人の体験談」であって、「たまたま空襲に遭遇しなかった人の体験談」を求めているのではありません。
もう一度質問文をよくお読みになり、内容を理解した上で、回答する資格があるのかを判断して下さい。

補足日時:2010/08/16 19:39
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この回答へのお礼

補足に対して補足します(お礼ではありません)

>1400日以上の衣食住を始めとした日常生活の全てを見る必要があると思います。

国民が辛酸をなめるようになったのは、昭和20年3月に日本が南方からの補給路を絶たれ、同じく3月にB-29による本土無差別爆撃が始まってからですよね?
戦争体験者は、まるで真珠湾攻撃が始まってすぐに地獄の生活が始まったような言い方をする人がいますが、開戦当初は連戦連勝で国民はみんな喜んでいたじゃないですか。
1400日以上毎日地獄の日々が続いたとか、そうやって誇張するのは止めて下さい。

戦争体験を語っている人の話を聞くと、「この人自分に酔っているんじゃないの?」と思う時があります。
こうやって戦争体験者の話を聞くと、そのほとんどが誇張されたものであることが分かります。

お礼日時:2010/08/16 20:26

父親は東京大空襲を体験してます。


昭和20年3月9日深夜から10日未明にかけて大規模な焼夷弾が東京下町に降り注ぎました。
この年の正月に母と幼かった姉2人を母の実家に疎開させてますから、空襲の犠牲にならずに済んでます。
この空襲で父の両親は亡くなってますので、私は父方の祖父母を知りません。
しかし、このような体験をした人ほど悲惨な話はしたがらないのです。
全身大火傷を負いながら、妻子の為と生き延びた父は、思い出したくないと東京を離れました。
戦時中の詳細を知ってる人達は、現在90歳以上の高齢者ばかりです。
現在80歳ぐらいの人達でさえ戦時中は子供だったので大人の苦労を知りません。
妻の両親(義父母)は、戦時中は独身で農村暮らしだったので、都会のような空襲体験もしてませんし、農家の息子と娘なので比較的平穏な生活だったようですが、やはり戦時中の話はしたがりません。
日本中の全国民が不安を感じて生活していた事だけは確かです。
戦時中に平穏に暮らした人が居たら、どのように平穏だったか聞いてみたいです。

この回答への補足

>日本中の全国民が不安を感じて生活していた事だけは確かです。

具体的にどのような不安を感じていたというのですか?
あなたの身の回りの戦争体験者は戦争の話をしたがらないとのことですから、戦争体験者から聞いた話ではありませんよね?
そのような根拠のない、想像だけの回答はやめていただけませんか?

補足日時:2010/08/16 19:31
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 #5です。



 飯の席でアメリカ人にご質問の紹介をしました。彼女曰く「同時テロって戦争でもないのに影響を受けないアメリカ人なんて居ない。あれだけ長く戦争をやって普段通りの生活をした人が居る、と思う人が本当にいるの?」という反応でした。

 僕は「こういう人が居るってことは、戦争を経験した人を信じられない人が出たってことで、また日本人は次の戦争の準備ができた訳だ、どうして過去に学ばないで、人間は戦争を繰り返すのか、だんだん分かって来た」と、話し合いました。

>> なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。

 こういう閉鎖的な所も、面白いですね。

この回答への補足

>飯の席でアメリカ人にご質問の紹介をしました。彼女曰く「同時テロって戦争でもないのに影響を受けないアメリカ人なんて居ない。あれだけ長く戦争をやって普段通りの生活をした人が居る、と思う人が本当にいるの?」という反応でした。

言葉のすり替えはやめて下さい。「影響を受ける」と「普段通りの生活をする」というのは意味が違うでしょ?
同時テロが起きればニューヨークやワシントンから離れた地域でも、警察の警備が厳しくなったりして、市民生活は何かしらの影響を受けるでしょう。
しかし、大半のアメリカ国民は、同時テロでも「普段通りの生活」をしていたはずです。

>戦争を経験した人を信じられない人が出たってことで、
>どうして過去に学ばないで、人間は戦争を繰り返すのか、だんだん分かって来た」

過去に学びたいからこそ、真実を知りたいのです。
例えば中国や韓国では、国民全員が日本にひどい目に遭わされたと主張しています。
南京では当時の人口より多い30万人が日本軍に虐殺されたと言っています。
こういう矛盾点を中国人に言っても聞く耳を持ちません。
しかし、われわれ日本人は中国人や韓国人とは違うはずです。
戦時中は1億の日本国民全員が地獄を見た、と聞けば、それに対して疑問を持つことも自由ですし、それを検証することも自由です。

中国や韓国では、戦争を経験した人を疑うなんてことはとてもできません。しかし、日本ではそれができるはずです。
被害の大きさだけをやみくもに誇張するだけでは中国人や韓国人と変わりません。
戦時中に普段通りの生活をした人がいたら何か都合が悪いんですか?
戦争を知るとは被害を知ることだけではありません。
実際に普段通りの生活をしていた人がいるという真実を知ることこそ、戦争を知り過去から学ぶということなのではないでしょうか?

補足日時:2010/08/16 16:57
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