No.1
- 回答日時:
残念ながら仏教的悟りの階梯に絶対幸福はないですね。
例えば幼稚園から小学校にあがるときランドセルを背負って嬉しいですよね。でも小学校に入れば宿題もあるしいろいろあって楽しいばかりじゃないよね。小学生から中学、高校大学、社会へとそれらの節目節目で幸福なこともあるけど楽しいことばかりじゃないよね。悟りの階梯をのぼることもこれと同じことなんですね。節目節目で幸福感はあるけど絶対的なものではないのですね。どこまでいっても同じです。
たとえ、全知全能の仏にしても、人々の苦しみを見て涙を流さないことはないのですね。むしろ、悟りの階梯をのぼればのぼるほど人々の喜びも悲しみも苦しみも我がごとのように感じるので絶対幸福からは程遠いかもしれませんね。ただ悟りの階梯を上るにつれ仏に近づき仏の慈悲をより強く感じることができるのでその意味での得がたい幸福感はありますね。
No.2
- 回答日時:
ri-zyuです。
これで3回目になりますので書き込みは止めようかと思いましたが。日ごろは哲学など見ないのですが、縁があるのでしょうか。仏教における悟りの境地・浄土真宗における悟りとは何でしょうか?浄土真宗における悟りとは何でしょうか?で回答補足が有りましたが、メール受け取るにしていなかったので、見てませんでした。今、見ました。
>心の問題を阿弥陀様(他力本願)にお任せする事ではないでようか。
どうしたらお任せできるのですか?→もうお任せしているじゃないですか(補足の回答です)
仏教の悟りと絶対の幸福は同じ意味合いなのでしょうか?→同じ意味だと思いますがあなた様・世間一般が思っている幸福とは違いますよ。「絶対的幸福とは」前も申しましたが日々是好日です。
相対的幸福とは世間一般の言う幸福です。
心を良く観察しますと、自分の心で有るのに言う事を聞かないと思いませんか(コントロール出来ない)、この作用を阿弥陀の作用です? 阿弥陀のままに任せるしかないのです。しかないのです。
禅の方では最初は自力でですが最後は潰れて心に用事なし(どんな心でも良いのです)です。浄土真宗は最初から心は阿弥陀様にお任せする。
宗教書など読まれる時は、救われようと言う気持ちを引っ込めれば判ってきますよ。
この回答への補足
>どうしたらお任せできるのですか?→もうお任せしているじゃないですか(補足の回答です)
どういうことなのか意味が分かりません。本当に無知で申し訳ありません。
あと、どうして日々是好日が絶対的幸福になるのか分からないんですけど・・・。
No.3
- 回答日時:
日蓮正宗の信徒です。
ですので、浄土真宗ではなく、日蓮宗の考えです。また、自分が感じたことを元に書いてあるので、日蓮宗の考えと違う部分もあるかもしれません。(まだ、修行中の身なので)仏教の悟りとは何か?
絶対の幸福とは何か?
一般に、仏教で悟るとは、仏(如来)になるという意味で使われていると思います。その意味で使われるなら、仏(如来)になることが絶対の幸福だと私は思います。
幸福には3種類あります。それは、
今は幸せだがそれにより後に苦しむ幸福。
今は苦しいが、後に幸せになる幸福。
今も幸せで後も幸せになる幸福
があります。仏(如来)になるということはこの3つ目になります。
また、仏(如来)になろうと修行をしている人は2つ目です。
私は、心から素直に喜べること、心から素直に喜べ、それが苦しみに繋がらないことが、本当の幸せだと思います。
しかし、人間は、欲にかられて、良くないことをしては楽しみ、後で後悔します。衝動的になり、それが元で苦しむことがあります。
付き合いや、世間体などで自分が気に入らなくても周りに合わせてし、嫌な気持ちであるにもかからず表面的には笑って過ごし、苦しむことがあります。また、良いことをしようと思っても、上手くできずに、苦しむことがあります。
幸せになるためには、悪いことをしないで、心から喜べることを望む良い心である必要があります。
そして、良いことができる力と悪いものに屈しない力が必要です。
さらに、道理をよくよく知り、良い結果に繋がるような判断ができるような知恵や知識が必要です。
最後に、道理を感じる力が必要です。道理を感じなければ道理を学ぶことはできません。
まとめると、心、力、知、感性になります。
人間は、衝動的な欲を持ちます。悪いと解っていても止めれずしてしまうことがあります。また、現実として避けることができない死や失うことに執着をします。嫌なことがされたら、腹が立ち相手を憎みます。
それらは、煩悩があるからです。というより、それ自体が煩悩なのです。仏(如来)になれていない者は、誰しも煩悩を持っています。それは、お坊さんでも同じです。ただ、修行によりその煩悩の多さ、種類に違いはあります。
煩悩、別名、罪障とか、業とか言います。
それを消滅する修行をしていくと、心、力、知、感性が変ってきます。良い方向に変わってきます。
私の場合、昔は良く激怒していたのですが、あまり怒らなくなりました。怒りの心で一杯になることは最近は少ないです。嫌なことは嫌と感じますが、それに対し、怒りや憎しみや落ち込み無気力になることは少なくなりました。今はまだ、力がないですが、相手がこんなことをせず変ってもらうために説得できるようになればいいなと思うこともあります。
また、日々、自分の力を高めていかないと、良いことができないと解り、日々、勉強などをがんばるようになりました。良いことをするために知識も技術も、心、体も良いものでなくても駄目ですからね。中途半端なもので失敗します。
この宗派についてから悩むことが多かったのですが、その1つ1つが解けて、人生観が変りました。生きていたら、人から嫌なことをされるし、そういうことをする人もいる、そして、そういうことをしている自分もいる、だからこそ、自分がそういう人間でなくなるためがんばらないといけないとか、弱いままや、非力のままだと生きていくことが辛いし、人に良いことをしてあげると大概の人に喜ばれますし、喜んだ顔を見ると、生きていて良いものだなと感じるようになりまし、人に対して怒るのではなく、その人が良くなってもらうために何かを悟らせなければらないのだとか。
仏(如来)様に煩悩はありません。仏(如来)様は、仏心、仏智、仏力、仏感を持って、よくこの世界道理を知り、良質で心から喜べることを望み、それを実現できる力を持ち、し続けるものだと思います。
例え、良質で心から喜べることをした時に、周りがそれを理解できなく、それを邪魔したり、批判したとしても実現して良質な結果を残すのが仏(如来)様の境地だと私は思います。
また、道理について熟知しているから、生まれる前も死ぬんだ後もどうなっているか解って、それを見通して生きているから悩むことはないと思います。(正確には違い、生死というものがない、輪廻から抜け解脱している)
ですので、仏教の悟りは絶対的な幸福だと思います。
しかし、人間は、知が浅く、心も醜く、感じる力も弱いので、その考えにはならないと思います。私も先日までそう思っていなかったですから。
以上、参考になれば幸いです。
この回答への補足
>しかし、人間は、知が浅く、心も醜く、感じる力も弱いので、その考えにはならないと思います。私も先日までそう思っていなかったですから。
どのくらい修行されたんですか?
No.4
- 回答日時:
ri-zyuです。
まだ開いてらしゃるんでお邪魔します。鈴木大拙先生(禅の先生)浄土真宗にもお詳しいです。(先生の大拙は大いに拙い(へたくそ)
妙好人
森田療法
ここらをご参考にすればよろしいかも知れません。
鈴木大拙先生は宗教の本質を解るには、心に問題を抱えている(解決できないほどの苦しみ)を背負ってもがき苦しみ、悶絶し、血反吐を吐き、もう駄目だ位追い込まれ、、そこから解る(蘇生する)とおしゃってます。 ただ必死で学んだだけでは解らないと。
あなた様の(蘇生する)をお祈りします。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
>どうしたらお任せできるのですか?→もうお任せしているじゃないですか(補足の回答です)
どういうことなのか意味が分かりません。本当に無知で申し訳ありません←鈴木大拙先生の話しでしたか、猿の子は親を信頼し親の背中に(しがみ付いています)どうされようが、親猿に任せてますね、これは中途なお任せです(中途半端な他力本願・阿弥陀様にお任せ)、子犬は親犬に首の上を噛まれぶらんぶらんで運ばれます、この場合の親は神仏ですね。これが絶対的他力・悟・だと思います。
あと、どうして日々是好日が絶対的幸福になるのか分からないんですけど・・・。←相対は苦対楽で2つですよね、一般の人は楽を求めます、普通です。
日々是好日が絶対的幸福は←絶対を辞典で調べますと「比較や対立を絶した存在であること。また、そのさま。」 苦楽は一つなんですよ生死も一つなんですよ、それが人間の存在の「「事実」」なんですよ、嫌であろうが有るまいが。本当に悟った宗教家は苦が来ようが楽が来ようがどちらでも良いんですよ、そんな事で自分の行動を制約しません。自分とか他人とか「「対」」をなさないで行動すると思います。
一般の人は自分が幸せにと行動しますが、悟った宗教家は自分が苦しむのでは、自分が幸せにで行動はしないと思います。
こうしたら心が楽になるとの法則は無いと悟れらからと思います。
仏法ではよく、因果応報と言いますが禅では浄土真宗では因果応報を越えている(霧に隠れた羅針盤)人間の智では解らない。事実そうだと思われませんか、世間一般の人々を見られて。
私は一般の人より悩み多い人生を歩かなければいけないのだと、悟りました、何故私がと答えを探しましたがありませんでいた、ですから、毎日不安ですし苦しい事も多々あります、人生はそ言うものだと思ってます。
親鸞聖人の晩年は奥様と離れ離れになり、時代も時代ですから疫病・飢餓が横行した時代です、朝さ目を覚ますと死体がごろごろ、だったそうです(そう言う本物の手紙が残っているようです)
80歳なられた親鸞聖人は煩悩ますます盛んなり(80歳になったが悩み不安は多くなるばかり)、とおしゃってます。
No.6
- 回答日時:
>毎日不安ですし苦しい事も多々あります
悟られたのなら、不安とか苦しみはなくなるんじゃないでしょうか?←素直に物事を見ればどうでしょう、「不安・苦しみが無くならないと悟ったと私は理解しています、これは絶対的事実です、事実は変えられないから救いだと思います、この救いは空しい救いです、禅は悟った後も修行らしいです、悟ったから楽になるの出は無いのです」
なるほど、「悟」と言う物が、崇高な心境・苦のない世界で有って欲しいですが、事実でない事に囚われますと、オカルトてきな、教えの・・。
人間は死ぬ事実ですよね、これは誰でも納得するでしょう。
人間身体を抓ると痛いですよね事実です。
悩みや不安が無くならないのも事実だと思います。
私だって苦のない世界に憧れますよ、この世に古今東西不安・苦しみを味わなかったお方が居ます、法王様・マザーテレサ様・お釈迦様・日蓮聖人・親鸞聖人・多々聖人、果たしてこのお方たちが苦悶しなかったでしょうか。
>事実は変えられないから救いだと思います、この救いは空しい救いです
仏教の悟りとはそんなものなんですかね。
私も空しい救いだなと思いました。
何度もアドバイスして頂き、本当にありがとうございました!
No.7
- 回答日時:
なるほど・・・
“絶対の幸福”の定義はともかくとして、悟りは幸・不幸を超越したところにあります。その上で考えれば、
“仏教の悟りと絶対の幸福は同じ意味合いなのではない”ということになります。
ちなみに幸福は悟りを開く階梯にあります。
って、とこです!
それではゴキゲンヨウ!!! (^^)/~~~
No.8
- 回答日時:
No3のshoujin24tの日蓮正宗の信徒のものです。
人からこの宗派の話を聞いたのが約5年前、この時期は自分の性格は最悪です。テレビの犯罪者候補といっても過言ではないかもしれません。
この宗派に入ってのが、約2年前、この宗派の教えに納得ができず、イライラしていました。辞めようと思ったのは数え切れません。
まじめにやり始めて、1年ちょっとが過ぎました。この宗派の教えの必要性、効果性が感じられ、性格も穏やかになっています。
変るのは人それぞれです。短い人もいれば、長い人もいます。
余計かもしれませんが、私の苦しみとは、居たたまれない気持ちだと思います。自分の存在、周りの存在、現状などに対し、人は時として、もう嫌だと思うことがあります。
嫌なことがあっても、居たたまれない気持ちにならずに、どうすればいいか考え、希望を持っていきることができ、そして、1つ1つ問題を解決し、自分が良い方向に変わっていく。
また、して良いこと、してはならないことが解って、してはならないことを我慢できるようになると、居たたまれない気持ちになることが少なくなります。「居たたまれない気持ちになる≒してはならないことをすること
ですから。
さらに、人間としての人生感ではなく、仏様(如来様)の人生感に解ってこれば、「ただ居心地良く生きる」から、「人はいかに生きるべきか=成仏する必要性が解ってくる」に変ってくると思います。その仏様、如来様の人生感を解ってくるには、仏心を高め(開か)なければなりません。そのためには、それができる修行をするかないと私は思います。
仏様(如来様)の教えを聞いて、苦しむのは、煩悩で理解するからです。煩悩と仏心は相反する価値観です。
仏心は、未来に対し、心から喜べることを求めるのに対し、煩悩は、一時の快楽などのために、未来において苦しむ結果になることを求めることです。
はっきり調べた訳ではないのですが、悟ると悟りを開くとは別のような気がします。悟るとは、事実や生き方、道理などを感じ、理解すること、
悟りを開くとは、その悟ったことを他に説くということではないかと思うのです。法=仏とは、道理をすべてを悟り、答えることが道理に基づいて他を良道に導くからではないかと思うのです。
以上、参考になれば幸いです。
No.9
- 回答日時:
宗教の存在は、人が幸せになるための物です。
しかし、この世は宗教だらけ、
どの宗教も、仏教以外はそれぞれの神がいて、
それぞれの教義(真理)を説いています。
また現実として、その幸せになるための宗教から戦争が起きて、
たくさんの人々を不幸にしている事実もあります。
しかし、人が幸せになるのに宗教(悟り)は本当に必要なのでしょうか?
人それぞれですが、私はそれなりに宗教を調べ学びましたが、
最後に至る真理の部分は、頭だけで学んだ教義だけでは、無理だということが分かりました。
生きて、実生活の中から経験しなければ、その真理が(悟)分らないことが沢山あります。
どんなに教義を学んでも、実体験のない知識だけでの教義では、
本人が悟ったつもりでもいざと言う時になれば、その人の本性が表れてしまうものです。
それは、過去の各宗派の争いを見れば、本当に教義(悟り)を学んだ人たち?と疑うほど酷いものです。
本当に必要なのは、日常の様々な経験を通じて、
その人にあった幸せを、心体から感じ取り学ぶことだと思います。
そして、その出発点は心の原点(初めは何もなかった=無)に戻ることだと思います。
今まで、自分があたり前だと思っていたことは、実はあたり前ではなく、
良いことも悪いこともそれら全ては0から始まっており、
それらの様々な出来事は無常である故、良い悪いと言う判別はなく、
運命によって与えられた、あり難いものだと言うこと。
だから、どんなこと(経験)でも、感謝の心を持って受け止めていくことが一番大切なんだと思います。
また、感謝する心によって、人の幸せを妨げる一番の原因である煩悩も、
その心に入り込む(発生する)隙はなくなっています。
煩悩は、己の傲慢の態度から生まれて、気が付かぬうちに心に宿っていものです。
ですから、傲慢にならず、常に感謝できる素直な心を持って、
謙虚に毎日を暮して生きていければ、空や悟りに拘らなくても、
人はそれだけで、幸福になれると思います。
(空は意識をして求めれば、離れていくばかりです)
ですから、仏教の悟りと絶対の幸福を比較すること自体無なのです。
この回答への補足
>良いことも悪いこともそれら全ては0から始まっており、
>仏教の悟りと絶対の幸福を比較すること自体無なのです。
意味がよく分かりませんので、無知な私にもう一度アドバイスして頂けないでしょうか?
>傲慢にならず、常に感謝できる素直な心を持って、
謙虚に毎日を暮して生きていければ、空や悟りに拘らなくても、
人はそれだけで、幸福になれると思います。
そのような相対の幸福は、死を前にしたら崩れてしまうものではないでしょうか?
No.10
- 回答日時:
答えて下さった方への貴方からの、この回答への補足を読みますと、
もしかしたら、既にご自身は答えを見出していて、
それに賛同できる人を探しておられるのかなと思いました。
また、そうでなかったとするならばご自身では、
多分気付かれてはいないと思いますが、
心は常に疑心暗鬼な状態で、言葉を受け止めると言うよりも、
反発をするというような姿勢が感じられました。
ここでご自身にあった納得の出来る答えを求めることよりも、
まず、ご自身が他の意見を素直に聞ける、心を求めて下さい。
すれば、今まで分からなかった答えも自然と理解ができようになりますから。
>ご自身が他の意見を素直に聞ける
そうですね、確かに私は頑固な部分があります。
同じ頑固な友人と話すと、いつまでも議論が平行線上で先に進まなかったりします。だから、もっと素直になるように気をつけます。
>今まで分からなかった答えも自然と理解ができようになりますから。
どうですかね、なかなか難しいです。
アドバイスありがとうございました!
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